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スティーヴ・ライヒの音楽 Music of Steve Reich

 
スティーヴ・ライヒの音楽 Music of Steve Reich
2023年~2024年 執筆
目次 Contents
§0. 序
§1. 1960年代の作品
 弦楽オーケストラのための音楽 1961
 プラスチック・ヘアカットのための音楽 1963
 2台以上のピアノのための音楽 1964
 ライブリフッド 1964
 オー・デム・ウォーターメロンのための音楽 1965
 イッツ・ゴナ・レイン 1965
 カム・アウト 1966
 リード・フェイズ 1966
 メロディカ 1966
 ピアノ・フェイズ 1967
 ヴァイオリン・フェイズ 1967
 スローモーション・サウンド 1967
 マイ・ネーム・イズ 1967
 振り子の音楽 1968
 パルス・ミュージック 1969
 4つのログドラム 1969
§2. 1970年代の作品
 4台のオルガン 1970
 フェイズ・パターン 1970
 ドラミング 1971
 拍手の音楽 1972
 6台のピアノ 1973
 木片の音楽 1973
 マレット楽器, 声とオルガンのための音楽 1973
 18人の音楽家のための音楽 1976
 大アンサンブルのための音楽 1978
 管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲 1979
§3. 1980年代の作品
 テヒリーム 1981
 ヴァーモント・カウンターポイント 1982
 エイト・ラインズ (八重奏) 1983
 砂漠の音楽 1984
 セクステット (六重奏) 1984
 ニューヨーク・カウンター・ポイント 1985
 6台のマリンバ 1986
 3つの楽章 1986
 エレクトリック・カウンターポイント 1987
 ザ・フォー・セクションズ 1987
 ディファレント・トレインズ 1988
§4. 1990年代の作品
 昨日の午後 1991
 ザ・ケイヴ 1993
 デュエット (二重奏) 1993
 名古屋マリンバ 1994
 プロヴァーブ 1995
 シティ・ライフ 1995
 
トリプル・カルテット (三群の四重奏) 1998
 汝の上にあるものを覚えよ 1999
§5. 2000年以降の作品
 
3つの物語 2002
 ダンス・パターンズ 2002
 チェロ・カウンターポイント 2003
 ユー・アー (変奏曲) 2004
 ヴィブラフォン, ピアノ, 弦楽器のための変奏曲 2005
 ダニエル変奏曲 2006
 ダブル・セクステット (二群の六重奏) 2007
 2×5 2008
 マレット・カルテット (マレット四重奏) 2009
 WTC 9/11 2010
 レディオ・リライト 2012
 カルテット (四重奏) 2013
 パルス 2015
 
ランナー 2016
 ボブのために 2017
 アンサンブルと管弦楽のための音楽 2018
 ライヒ/リヒター 2019
 旅人の祈り 2021
 
§4. 1990年代の作品 1990s Works
 ライヒの音楽を好んで聴く者の多くは, その代表作あるいは傑作として1990年以前の作品を挙げる.
 実際, 彼の名を世界的に知らしめ人口に膾炙した作品群は,『
カム・アウト』(1966),『ピアノ・フェイズ』(1967),『ドラミング』(1971),『拍手の音楽』(1972),『18人の音楽家のための音楽』(1976),『テヒリーム』(1981),『砂漠の音楽』(1984),『エレクトリック・カウンターポイント』(1987),『ディファレント・トレインズ』(1988) などであり, これらは全て1990年以前のものである.
 
 聴者が或る音楽について名曲か否かを判定する観点は,
 (\(\mathrm{i}\)) 音楽自体が印象的あるいは感銘をもたらす
 (\(\mathrm{ii}\)) 奏者の優れた演奏技術や表現力に感心する
 (\(\mathrm{iii}\)) 音楽がもつ斬新な手法や独創性に興味を惹かれる
 (\(\mathrm{iv}\)) 個人的な回想あるいは郷愁性を呼び起こす
などであり, 深層においては聴者自身の生育環境やその文化的背景が多分に影響する. これまでのライヒの作品群は, 上記の関門を経て多くの聴者の心を掴んだものと言えよう.
 
 ライヒは, 絶妙かつ最良の音型素材を採択し, これに (西洋古典音楽とは異なる) 種々の手法を加えることで, 単調に陥りがちな反復音楽に様々な彩りを添えてきた.

 ここに言う種々の手法とは, 前節までに述べた「
スピーチメロディー」,「オーヴァーラップライン」,「離散型 / 連続型フェイズシフト」などに他ならない. 結果として, 彼の音楽は様々なジャンルに渡る多くの音楽ファンを獲得したのであった.
 
 一般論として言えば, 小説家や作曲家など創作に携わる者が独創的あるいは魅力的な作品群を発表し続けることは容易ではないであろう.
 若い頃に発表した斬新な作品で知名度を得た作曲家は, 次第に委嘱による作曲が増加する. 時には, 本人の創作意欲の限界を超えたり本人が納得するだけの充分な創作素材が得られなかったりする中で作品を制作せざるを得ない状況が生じてくる.

 創作を重ねる中で作曲技法の腕前は熟達するが, その一方, 未開拓のアイディアを創造する能力は次第に衰退してくる場合が少なくないのである.
 
 1990年代に発表された9作品の中には, 大作『
ザ・ケイヴ』を筆頭に,『二重奏』,『名古屋マリンバ』,『プロヴァーブ』,『シティ・ライフ』など, これまでの作品とは異なる魅力を放つ作品が存在する.
 『
ザ・ケイヴ』は映像を伴うオペラという新たな分野を開拓した作品であるが, 他の作品は, 優れた音型素材を巧妙に構築することで得られた, 熟達した作曲技法の成果であった.
 
 以下, 個々の作品を作曲順に概観することにしたい.
 
昨日の午後 Yesterday Afternoon 1991
 1991年以降, 今年 (2024年) に至るまで, NTT主催のインターコミュニケーションセンター (ICC) は, 科学技術と芸術の融合を試みる多くのイヴェント (ワークショップ, パフォーマンス, シンポジウムなど) を開催してきた.
 その最初期に当たる時期 (1991年3月) に開催された「電話網の中の見えないミュージアム」展は, コミュニケーションをテーマにした語りや朗読や音を素材とした作品を, 首都圏
(東京, 神奈川, 千葉, 埼玉など1都7県) の電話回線を通して鑑賞するという, 斬新な企画であった.
 
 この企画の中の一つ「ヴォイス&サウンドコレクション」のコーナーに登場したのが, 音声素材録音を用いた昨日の午後』である.
 これは, ピアノ, サンプリングキーボード,
ネヴィル・チェンバレン (Neville Chamberlain) の声を用いた作品であり, 録音音声と共にピアノの音がコンピューターにより同期されている.
 
 用いられた音声素材は1938年に制作されたパブリックドメインのアーカイブ録音であり, チェンバレンがその直前に訪問したヒトラー (Adolf Hitler) との対談である.
 内容は, 歴史上有名なチェンバレンの融和政策に関するものであった. ヒトラーはドイツがチェコスロバキアのズデーテン地方さえ占領できればそれ以上の政策は計画しないと彼に保証し, チェンバレンはこれに同意して「我々の時代に平和を」と述べたのであった.
 
 『
昨日の午後』で用いられた音声素材はその中の一部
 "
Yesterday afternoon, I had a long talk - and I am satisfied now."
  (昨日の午後, 私は長時間に渡って対談した. そして私は今満足している.)
である.
 
 ライヒは「現代においてもこの件から学ぶべきことがあるだろう」と述べている.
 『
ディファレント・トレインズ』において彼と出自を同じくする人々がホロコーストの犠牲者となった歴史を作品を通じて表現したライヒは, より広範な視座から争いの歴史を直視した作品を発表したのであった.
 

 
ザ・ケイヴ The Cave 1993
 ライヒの出自に関する視座を『昨日の午後』よりも更に広範あるいは深奥にまで深めた作品が, オペラ『ザ・ケイヴ』である. これは, 異なる宗教間の, あるいは異なる民族間の長い争いの歴史に焦点を当て, 彼自身の思想を作品を通じて表明する試みであった.
 
 この作品を, ライヒは映像作家ベリル・コロット (Beryl Korot) との最初の共同制作品として発表した.
 上演に2時間ほどを要する3幕から成る
音楽劇であるが,
舞台上に生身の役者は現れない. 演奏者以外の登場人物は全てスクリーン映像の中で台詞を発するのみである.
 
 上演の際は, 指揮者のほか, 木管楽器奏者2人 (第1奏者はフルート, オーボエ, クラリネットを持ち替え, 第2奏者はフルート, コールアングレ, クラリネット, バスクラリネットを持ち替え), 打楽器奏者4人 (第1, 第2奏者はヴィブラフォンとクラッピング, 第3奏者はキックドラム, クラヴェス, タイピング, 第4奏者はキックドラム, クラヴェス, バスドラム, タイピング), ピアノ2(タイピングを兼ねる), サンプラー (タイピングを兼ねる), 混声四部独唱者 (いずれもタイピングを兼ねる), 弦楽四重奏者が舞台上に配置され,
後方部の背景のスクリーンにコロットが設計した5つのモニター映像が投映されるという演奏形態をとる.
 
 オペラに映像を採り入れる手法自体はライヒが初ではない. よく知られた例として, ベルク (Alban Berg) の未完のオペラ『ルル』(LuLu, 1935) の第2幕におけるサイレント映画が挙げられよう.
 
 
標題の「洞穴」は, 現在のパレスチナ自治区ヘブロン市にある (ユダヤ教徒, キリスト教徒, イスラム教徒から神聖視される) 史跡「マクペラの洞穴」を指す.
 
 キリスト教の旧約聖書「創世記」にはアブラハムの生涯に関する記載がある (第11章~第25章).
 アブラハム (イスラム教ではイブラーヒム) は人類救済を目的として神に祝福され選ばれた予言者であり, ユダヤ教, キリスト教, イスラム教の信仰者から崇拝される人物である.
 アブラハムには二人の息子すなわち侍女ハガルの子イシュマエルと正妻サライの子イサクがいた. アブラハムの死後, 異母兄弟の二人は協同して彼をマクペラの洞穴に葬ったのであった.
 
 『
ザ・ケイヴ』は, 4000年も前 (紀元前17世紀) の聖書の物語を現代の文脈に据え置く作品で, 作曲された1989年から1993年当時の中東の政治情勢を窺わせる作品でもある.
 ライヒは,「
イサクとイシュマエルは協力して父アブラハムを埋葬した. これは両者が和解した印である. それならばアラブとイスラエルも和解できるということだ」と述べている.
 
 ライヒはこの作品を制作するに際し, 質問に答える「語り」がもつ「
スピーチメロディー」に, 声楽,器楽,手書き文字,リズミカルなタイプ音を伴う「創世記」の言葉などの映像が同時進行させることを試みた.
 上演中,
人の顔,発話者の衣服の断片, モスクや洞窟内部の映像などが, スクリーンに投映される. 奏者を含めた叙事詩的な舞台空間を現出するのがこの作品の特徴である.
 
 ライヒとコロットはまず西エルサレムへ赴き, イスラエルのユダヤ人を取材した. 次に東エルサレムとヘブロンにてパレスチナ人のムスリムを取材, 最後にニューヨーク市とテキサスへ赴いてアメリカ人を取材し, 映像素材を得た.
 
 コロットは, これらのインタビューの映像素材をもとに静止画像や動画像を断片化して映像を制作したのであった. ライヒが作曲家として音声素材に対して「
サウンドコラージュループ」の手法を採用したのに対し, コロットは映像作家として映像素材に対してこの手法を採用したのである.
 ライヒは, 映像素材の中の発話者が紡ぎ出す音声から「
スピーチメロディー」を音楽の出発素材として抽出し, 複製し, 融合させている.
 
 彼らは,
音楽とドキュメンタリーの性質を持つ種々の映像を組み合わせたヴィデオオペラとして, 新たなタイプの音楽劇を確立したのであった.
 
 ライヒは, 録音した音声から使用可能な箇所を探し, 語りがもつメロディーを五線紙に書き出した. 内容的には素晴らしい語りであっても音楽的でない (平坦で単調な) ものは不採用にしたという. ライヒはこの事情について「音楽の創作と同時に台本も創作された」と述べている.
 
 とは言え, この作品における全ての旋律が「
スピーチメロディー」で構成されるわけではない. 教典 (創世記, コーラン, ミドラシュ) からの引用部分には, 各々固有の旋律や和声が施されている.
 
 この曲は, 初演後に少し改訂された形跡がある. ブージー&ホークス版のスコアの記載に従えば, 次のような構成をもつ.
 
【第1幕 西エルサレム / ヘブロン】(取材時期:1989年5月,6月)
 第1場 タイピング・ミュージック (創世記第16章)
 第2場 アブラハムとは誰か? (映像)
 第5場 全てを捨てて
 第6場 創世記第12章5節
 第7場 サラとは誰か?
 第8場 創世記第16章 (映像)
 第8場Cハガルとは誰か?
 第8場Dタイピング・ミュージック (創世記第16章)
 第9場 イシュマエルとは誰か?
 第10場 イサクの誕生 (創世記第18章)
 第11場 イサクとは誰か?
 第12場 創世記第21章
 第13場 イシュマエルとハガルの追放
 第14場 創世記第23章 (映像)
 第16場 ドキュメンタリー:洞穴の外観
 第17場 マクペラの洞窟 (ヘブライ語による詠唱)
 第18場 創世記第25章
 第19場 洞穴の内部
 (スコアには, 第3場, 第4場, 第8場A,B, 第15場の記載はない.)
 
【第2幕 東エルサレム / ヘブロン】(録音時期:1989年6月, 1991年6月)
 第1場Aスーラの章3 (アラビア語による詠唱)
 第1場 イブラヒムとは誰か?
 第3場A予言者と王の歴史 (アラビア語による詠唱)
 第3場 ハガルとは誰か?
 第4場 犠牲――イシュマエルとイサク
 第5場 車に乗る
 第6場 ドキュメンタリー:エル・ハリール
 第7場 エル・ハリール
 第8場 洞穴の内部
 (スコアには, 第2場の記載はない.)
 
【第3幕 ニューヨークシティ / テキサス州オースティン】 (録音時期:1992年4月,5月))
 1小節~  アブラハムとは誰か?
 385小節~ サラとは誰か?
 406小節~ 創世記第12章
 611小節~ ハガルとは誰か?
 849小節~ イシュマエルとは誰か?
 1064小節~縛られたイサク
 1300小節~マクペラの洞穴
 1421小節~創世記第18章
 1533小節~ミドラシュ R.エリエゼルの章36
 (第3幕は, 場の設定は存在せず, 途切れることなく演奏される.)
 
 3幕とも, 同一の質問「アブラハムとは誰か?」「サラとは?」「ハガルとは?」「イシュマエルとは?」「イサクとは?」によるインタヴューという形態で音楽と映像が構成されている.
インタヴューの対象者は, 第1幕ではイスラエル人 (イスラム教徒), 第2幕ではパレスチナ人 (ユダヤ教徒), 第3幕ではアメリカ人 (キリスト教徒) である.
 すなわち, 一つの物語が3回, 異なる3つの文化圏の視点から語られるという形態を採るのである.
 
 以下, 第1幕を中心に作品を概観することにしよう.
 
 第1幕第1場「タイピング・ミュージック」は, 歌詞 (台詞) が割り当てられているものの, 可聴的な音声をもっていない. 聴者が聴き取れるものは, 打楽器 (タイプ3, クラッピング2, クラヴェス2, キックドラム2) による八分音符によるパルス音のみである.
  

 
 これは創世記第16章にある記述 (英訳) に即した変拍子を伴うリズム音型で構成される音楽である.
 「
アブラハムと妻サライは嫡子に恵まれず, サライの奨めで彼女の侍女ハガルを娶ると彼女はイシュマエルを産んだ. 子を持てないことでハガルに蔑まれたサライはハガルを追放したが, ハガルは戻ってサライに従うよう神に諭された. 続けて神はサライにアブラハムとの間に子孫繁栄を約す.」なる趣旨の言葉が, 1音につき1音節 (1単語) ずつ音楽の進行に沿ってタイプライターの活字としてスクリーンに投映されるのである.
 
 第1場すなわち「タイピング・ミュージック」の演奏が終わると演奏者にはタチェットの指示が出される. 会場が静寂に包まれる中で, 3つのスクリーンには各々 "Who", "is", "Abraham?" の文字が手書きで描かれる様子がスクリーンごとに相異なる動画をもって同時に投映される (第2場).
 
 続いてエフラム・アイザック (Ephraim Issac) なる学者 (プリンストンにあるセム族研究所の所長) の「アブラハムとは誰か?」に対するインタヴュー映像が1つのスクリーンに投映され, 他の4つのスクリーンには, アイザックが答えた言葉をそのまま文字化した字幕が単語や文節ごとに同時通訳のように表示される.
 「
アブラハムは私個人の祖先だと教えられてきた. その子孫 (12部族) 全ての名も教わった. アブラハムは先祖代々の連鎖だ.」なる主旨のアイザックの語りは, スコアによれば約1分半ほど続く.
 
 語りが終わると3つのスクリーンに各々 "
Who", "is", "Abraham?" の文字が手書きで描かれる動画が流れる. この間, 音楽は静止したまま (無音) であり, 会場には紙の上にペンを走らせる音のみが微かに響くのである.
 
  次に「
彼は全てを捨て, 荷物を纏めると名も知らぬ国へと歩き出した.」と話す4名の人物 (女性1名, 男性3名) による音声と映像が流れる (第5場).
 これは, サンプラーによる長音価のハーモニー上で, 台詞がもつ「スピーチメロディー」を基本動機がヴィオラとチェロにより反復されることで構成される音楽である. テンポや調性もこれに沿って設定されている.
 

 
 なお, ブージー&ホークス版のスコアでは第3場及び第4場はカットされており, 私が所有するCD
 

『ザ・ケイヴ』CD
(Nonesuch WPCS-5021)

 
では第3場から第5場までが全てカットされている.
 
 因みにこの場面は, 3名の「語り」が投映された後にテノールとバリトンの二重唱により創世記第11章27節が歌われ, 続いてユダヤ教の「ミドラシュ・ラバ」による「語り」が挿入される.
 次にテノールとバリトンの二重唱により「創世記第12章1節」が歌われ, 続いて第6場で歌われる情景に関する6名の「語り」が挿入されるのである.
 
 続く第6場「創世記第12章5節」は, ソプラノとアルトによる二重唱をもって, カナンの地に着いたアブラハム一族に神が彼らと子孫の繁栄を約する情景 (第13章14~18節, 第15章1~5節) が歌われる.
 実演では, これらの歌詞は単語ごとに音楽の進行と併行してスクリーンに次々と活字で投映される.
 
 \(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)で始まった変拍子の音楽は, 神の言葉
 "
Raise, now, your eyes, and look from the place where you are, North, and South, and East, and West." (汝の目を挙げて汝の居る処より西東北南を望め)
なる箇所で \(\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に転調し, 見知らぬ土地で途方に暮れていたアブラハム達に対して音楽は希望の光を与えるかのような雰囲気を醸し出す. タイピング, 2台のピアノによる軽妙なリズムの上で, サンプラー及び弦楽による長音価のハーモニー, 二重唱にヴィブラフォンが並奏するという,『
テヒリーム』を髣髴とさせる華やかな音楽である.
 以後, \(\,\mathrm{\small{Des}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)と\(\,\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の転調を繰り返し, 神の言葉が終わると再び\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に戻る.
  

 
 とは言え, この箇所における神の言葉と調性との関係は単なる偶然であろう. 曲終 (創世記第16章1節) の
 "
And Sarai, Abram's wife, bore him no children." (アブラムの妻サライ子を産まざりき)
については, 神の言葉ではないにも拘らず\(\,\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)のままである (\(\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に戻らない) からである.
 
 『マタイ受難曲』において, バッハがキリストの言葉と他の台詞との間に明確な音楽的差異を設けたことは広く知られていよう.
 ライヒのこの作品の場合は如何であろうか. なるほど, 他のシーンについては, 台詞がもつ「
スピーチメロディー」を旋律とする点に鑑みて言葉と調性の関連づけは困難であろう. しかし, 教典を引用した箇所の旋律は (先述したように)「スピーチメロディー」ではない.
 これらは謂わばオペラにおける「アリア」に該当しよう. 作曲者が意図すれば, 調性や楽器法などをもって音楽的差異を設けることは可能であったはずである. ところが実際には, ライヒ自身がこの点に関して何かを意図した形跡は見られない.
 
 第7場では「サラとは誰か?」の手書き文字映像が3つのスクリーンに投映され, 木魚を想わせるクラヴェスによるパルスと共に
  (i) "
Abraham's first wife" (アブラハムの最初の妻)
  (ii) "
His wife Sarah was barren." (彼の妻サラは子に恵まれなかった)
  (iii) "
She's beautiful." (彼女は美しい)
などと話す6名の人物 (女声2名, 男性4名) による音声と映像が流れる.
 
 この作品においてインタヴューに応じた55名の人物 (イスラエル人12名, パレスチナ人16名, アメリカ人27名) は, いずれも各分野で活躍する著名人である.
 例えば, 上掲の言葉は,
  (i) ヘブライ大学の生化学者イェシャーヤ・リボヴィツ (Yeshayahu Leibowitz)
  (ii) バル=イラン大学の聖書学部教授ウリエル・シモーヌ (Uriel Simone)
  (iii) ベツァルエル芸術アカデミーのユダヤ美術学者ナディーヌ・シャンカール (Nadine Shenkar)
による (いずれもインタヴュー当時における役職).
 
 弦楽による基本音型は, これらの台詞による「
スピーチメロディー」に基づいている.
 
 その後, 再び演奏者にはタチェットの指示が出され, 会場が静寂に包まれる中で3つのスクリーンに上掲した創世記第16章の内容を記述する手書き文字が描かれる様子 (相異なる映像) が投映される (第8場).
 スコア及びCDではカットされているが, まず創世記第16章2~4節が手書きで描かれる映像が流れる.
 
 3つのスクリーンに投映される映像は同一ではない. スコアには, 各々,
英・独・仏の三ヶ国語の活字を投映するように指示されている.
 ドイツでは国民の過半数がキリスト教徒であり, 多民族国家であるフランスやアメリカでも国民の3割強から4割強がキリスト教徒で占められている. 作曲者が英語圏の者である点から英語については理解できるが, インタビューで採用したユダヤ教徒 (ヘブライ語圏) やイスラム教徒 (アラビア語圏) の言語が指定されていない.
 もっとも, この作品の委嘱者がフランクフルト歌劇場 (Oper Frankfurt) であったことに鑑みれば, 独語を含めることは (作曲意図とは別の理由ながら) 理解し得なくはないが…….
 

 続いて「ハガルとは誰か?」と手書き文字の動画で表示される. スコア及びCDではカットされているが, その後にシャンカールとアイザックによる「語り」が挿入されるのである.
 
 次の「ハガルとは誰か?」(第8場C) は, 緩やかなテンポ (♩=74) で一定の連続パルスをもたない音楽である. クラリネットとバスクラリネットによるスピーチメロディー」に沿った\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の旋律と弦楽及びサンプラーによる気怠い雰囲気のハーモニーと併行して,
 "
Hagar 'rose her nose.' So I won't judge Sarah so severely."
  (サラを見下したハガルを思うとサラを責める気にはなれない)

 "
It was very daring of her, to let another young woman into the bed of her husband."
  (若い娘を夫の寝床に送り込むサラは極めて大胆)

などと話す3名の著名人物 (女性2名, 男性1名) の音声と映像が流れる.
 
 次の「タイピング・ミュージック」(第8場D) では, 第1場のそれと同様, 創世記第16章の記述の抜粋が音楽の進行に沿って1音につき1音節 (1単語) ずつ文字がスクリーンに投映される. これは, 第1場の音楽の短縮型に過ぎない.
 
 第9場「イシュマエルとは誰か?」では,
 "
The first son of our ancestor Abraham. A relative."
  (我々の祖先アブラハムの最初の息子. すなわち親族だ.)

  "
He's our relative. He's different."
  (彼は我々の親族. だが我々とは異なる.)

などと話す6名の著名人物 (女性1名, 男性5名) による音声と映像が流れる. ヴィブラフォン, ヴィオラ, チェロによる低音旋律は「
スピーチメロディー」によるものである.
 
 続く「創世記第18章」(第10場) は, 年老いたアブラハムとサライに子が授けられるであろうと通りがかりの男達が予言し, 一笑に付すサライを神が諫め, 後に事実その通りになってイサクが誕生するという経緯が歌われる.
 これは, サンプラーによる長音価のハーモニーのみを背景に, アルトとテノール, オーボエとコールアングレ, ヴァイオリンとヴィオラによる二重唱 (二重奏) で奏出されるアリアである.
 

 
 「イサクとは誰か?」(第11場) は, 複数の人物による台詞, 例えば
 "
The second son of Abram." (アブラハムの二人目の息子)
 "
His name means, 'He will laugh.' " (イサクという名は「彼は笑う」を意味する)
 "To continue――what his father has done." (父親の行為を引き継ぐ)
などの台詞と映像が用いられ,「スピーチメロディー」による基本動機は弦楽, オーボエ, コールアングレにより奏出される.
 この曲の後半部に現れる "
Continuity" (215小節以降) におけるサンプラーが奏出するコード\(\,\mathrm{\small{A}}\!\:(\small{9},\small{11})\,\)は大変に幻想的であり, 私の好む部分である.
 
 第12場「創世記第21章」では, イサクの成長とサライによるハガルの追放, 神によるイシュマルの救済が歌われる. タイピング, ヴィブラフォン, 2台のピアノが連続パルスを奏出する中で, ソプラノとテノールによる二重唱が (オーボエとコールアングレ, ヴァイオリンとヴィオラによる二重奏を加えて) 華やかに展開される.
 後半部において神がハガルの子イシュマエルの命を救う箇所 (122小節以降) では\(\,\mathrm{\small{H}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の希望の光に満ちた音楽が現れ, 曲終における
 "
And God was with the boy and he grew; and he lived in the desert and became an archer."
  (そして神はその子と共にあって子は成長した. 子は砂漠で暮らし弓の達人となった.)
の箇所の輝かしいソプラノの高音域も大変に印象的に響くであろう.

 

 
 次の「イシュマエルとハガルの追放」(第13場) は,
 "The decision comes from Sarah." (決めたのはサラだ)
 "She was just protecting her turf.' (彼女は自分の領域を保護したに過ぎない)
 "And Ishmael, to the desert." (イシュマエルも一緒に砂漠へと追い出した)
 "
He was kicked out, will constantly right." (彼は追放された. 生涯, 闘い続けることになる)
などの台詞と映像が用いられ,「スピーチメロディー」による基本動機は弦楽とヴィブラフォンにより奏出される.
 
 その後, 第14場「創世記第23章」において再び演奏者にはタチェットの指示が出される. 会場が静寂に包まれる中, スクリーンには埋葬用洞穴の映像と共に創世記23章の記述すなわち「
サラはヘブロンで127年の生涯を閉じ, エフロンから入手したマクペラの洞穴にサラを葬った.」なる主旨のナレーションが入るのである.
 
 合間には, 先述したナディーヌ・シャンカールの他, リヴカ・ゴネン (Rivka Gonen, イスラエル博物館の民俗学部門学芸員) やガブリエル・バルカイ (Gabriel Barkay, イスラエルの考古学者) による, 聖書の記述を補足する台詞と映像も挟まれる.
 所要時間は (スコアによれば)「約2分2秒」であるが, CDには収録されていない.
 
 更に, これに続く第14場A(車と周囲の雑音の映像) 及び第15場 (4名の人物による台詞と「
スピーチメロディー」及び映像) は, スコア及びCDのいずれにおいても削除されている.
 
 続く第16場「ドキュメンタリー:洞穴の外観」も演奏者に対してタチェットの指示が出され, マクペラの様子, 壁の穴, 建物 (塔), ジープ, 周囲の音などが映像のみで流れる. これに加え, ナディーヌ・シャンカールやリヴカ・ゴネンなどが「
マクペラの洞穴はユダヤ人にとっては族長を埋葬する神聖なる土地. アブラハムの死後, イシュマエルとアブラハムはここで会い, 父親を埋葬した.」なる主旨のナレーションを挟むのである.
 
 次の「マクペラの洞穴」(第17場) は
 "
The Midrash says that Adam and Eve were buried there."
  (ミドラシュによればアダムとイヴもそこに埋葬されている)
 "There is great power attached to this place."
  (この場所には大いなる力がある)
などと語る4名の人物 (女性1名, 男性3名) による音声と映像が流れる. 微かに響くパルスとサンプラーのハーモニーを背景に「
スピーチメロディー」の手法による弦楽合奏が断続的に響く音楽である.
 
 第18場「創世記第25章」は, 約1分半に及ぶ, 先述したエフラム・アイザックによる詠唱である. 創世記第25章の記述「
175年に及ぶ生涯を終えたアブラハムはイサクとイシュマエルによりマクペラの洞穴に埋葬された. サラと共に葬られている.」をヘブライ語で詠唱するのである.
 この箇所はチェロ奏者以外はタチェットである. アイザックが詠唱する間, チェロ奏者は\(\,\mathrm{\small{A}}\,\)音のドローンを奏出し続ける. この音は第19場まで途切れることなく続く.
 

 
 第1幕の終曲「洞穴の内部」は台詞がなく映像のみである. 5つのスクリーンに洞穴に併設された建物の内部の映像が投映される. そこには複数の人物の姿が垣間見え, 人々の囁きや物音の反響などの静かなさざめきが漂っている.
 時間にして4分半弱の間, 演奏者は
演奏時間を指定したスコアに沿って歌詞をもたないドローンを奏出するのである.
 

 
 取材の際, 洞窟の上に建つモスクに入ったライヒは石の壁面に反響する雑多な音を聴いた. ユダヤ教徒の呟くような祈祷, 床に座ってコーランを読むムスリム達, その間に立つイスラエル兵達のお喋り……. その音調が\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であったことから, 録音素材より\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の台詞を探し, 第1幕, 第2幕共に\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)で終わらせたという.
 
 以上が第1幕の概要である.
 
 第2幕第1場Aは,
コーランから「スーラの章3」の記述がアラビア語で詠唱される. スクリーンにはアラビア語, 英語, 独語, 仏語の4ヶ国語でテキストが表示される.
 第1場「イブラヒムとは誰か?」においては後半で混声四部独唱が現れ, 第2場「偶像の破壊」はスコア及びCDではカットされているが, いずれも「
スピーチメロディー」による演奏と「語り」の人物の映像が投映される.
 第3場A「予言者と王の歴史」は再びアラビア語による詠唱である. テキストはいずれも上掲の4ヶ国語による.
 第3場「ハガルとは誰か?」及び第4場「犠牲――イシュマエルとイサク」も「
スピーチメロディー」の手法によっている. ここで用いられる語りはリズムやハーモニーにおいて統一感がなく, 無調, 変拍子で抑揚のない音楽が続く. これは第7場の音楽についても同様である.
 
 第5場「車に乗る」は約17秒間の映像 (演奏者はタチェット), 第6場「ドキュメンタリー」ではエル・ハリール (ヘブロンのアラビア語名) の様子が3分強に渡って語られる. この箇所の台詞の一部は第7場の台詞と重複する.
 第7場「エル・ハリール」は, 微かに響くパルスとサンプラーのハーモニーを背景に「スピーチメロディー」の手法による弦楽合奏が断続的に響く.
 第8場「洞穴の内部」の音楽は, スコア上は第1幕の終曲と同一のもの (\(\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)のドローン) である.
 
 第3幕「アブラハムとは誰か?」(1~292小節) は, 録音素材から得た「
スピーチメロディー」の他にメロディアスな旋律を豊富に付加した音楽になっており,
 "
I have no idea whi Abraham is or what he represents."
  (アブラハムが誰で如何なる意味を有するのか私は知らない)
のように印象的な場面も多い (下記譜例).
 この "
I have no idea" の台詞は,「語り」の人物の映像と併せて手書きによる文字の動画も投映され, 後半の「マクペラの洞穴」にも全く同一の言葉が現れる. いずれも \(\mathrm{\small{es}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\) の同一音が与えられている.
 

 
 また, ヴィブラフォンやピアノの打楽器的な扱いや部分的に現れるカノンなどは, 1980年代以前のライヒ作品を想わせる. 112~124小節におけるフルート及び弦楽四重奏による軽妙なフレーズ
 

 
を初めとして, 聴く者の心に訴える印象的なフレーズが随所に現れるのである.
 
 「サラとは誰か?」(385~610小節) は, インタヴューの回答に「
スピーチメロディー」が用いられ,「創世記第12章」の記述の箇所にはメロディアスなフレーズやハーモニーが宛てられる.「ハガルとは誰か?」(611~848小節),「イシュマエルとは誰か?」(849~1065小節),「創世記第22章:縛られたイサク」(1064~1299小節) についても同様である.
 
 
インタヴューに対する回答は, エルサレムにおけるそれよりも多種多様であり, コロットが「ロールシャッハ・テストのようだ」と述べた状況が如実に現れている. ライヒによれば「アブラハムやイサクなる人物は現在を生きている人の心の中においてのみ存在する. 中東の一部の人々にとっては彼らは現在でも活き活きとしているが, 他の人々 (主にアメリカ人) にとっては忘却されたり他の感心事に転用されたりしている.」という.
 
 「マクペラの洞穴」(1300~1420小節) 以降は微かに響くパルスとサンプラーのハーモニーを背景に音楽が展開される. 台詞部分は全て「
スピーチメロディー」の手法が採られている.
 「創世記第18章」(1421~1532小節) 及び「ミドラシュ R.エリエゼルの章36」(1533~1753小節) では, インタヴューの回答部分は「
スピーチメロディー」が用いられ, 創世記やミドラシュからの引用はメロディアスなフレーズが混声四部独唱がフルートと弦楽を伴って奏出されるのである.
 
 
第3幕には場の設定は存在しない.「語り」や「詠唱」を含まないため, 一つの音楽として途切れることなく演奏される. 全般的にドラマティックな音楽的昂揚や起伏は現れず, 曲終ではハーモニーとパルスがフェイドアウトするように消えていく.
 
 この作品は, フランクフルト歌劇場とオランダ音楽祭の共同委嘱によって作曲された. 1993年の5月にベルリンで初演された後, オランダ (6月), ロンドン (8月), ブルックリンとパリ (10月) と, 短期間の間に世界各地で上演され, 各地でその斬新な演出が話題となった.
 
 ライヒ自身は, 斬新な演出を全面に打ち出したかったわけではない. 彼は, 先述した通り「
イサクとイシュマエルは協力して父アブラハムを埋葬した. これは両者が和解した印である. それならばアラブとイスラエルも和解できるということだ」と作曲の趣旨を述べている.
 
 現実はどうであったか.
 
 パレスチナ問題の歴史に鑑みると, ライヒの意図や理想とは裏腹に, 事はそう簡単に片づく問題ではないことは明らかであろう.『
ザ・ケイヴ』初演の翌年 (1994年) には, マクペラ洞穴内でユダヤ教徒によるムスリム29名の射殺事件が発生した. 2023年にはハマスによるイスラエルへの越境攻撃とイスラエル軍によるガザへの侵攻が始まり, 現在 (2024年) においても凄惨な闘争が継続する状態にある.
 

 
デュエット (二重奏) Duet 1993
 2つのヴァイオリン独奏と弦楽アンサンブルのための『二重奏』は, ユダヤ系ヴァイオリニストのメニューイン (Yehudi Menuhin) の委嘱で作曲され, 彼とエドナ・ミッシェル (Edna Michell), グシュタード祝祭管弦楽団の演奏により初演された.
 この弦楽アンサンブルは, ヴィオラ4, チェロ3, コントラバス1という楽器編成から成る.
 
 演奏時間にして僅か5分程度の小品であるが, \(\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\) を基調とする
牧歌的かつノスタルジックな雰囲気を湛えており, 聴いていて心地よく親しみ易い.
 
 独奏ヴァイオリンは, 終始
 

 
のような基本音型の二声カノンを奏する. 基本音型は類似したものも含めて数種類あるが, カノンにおける両者の拍の差異は音価にして八分音符で2~3個分に過ぎない.
 
 弦楽アンサンブルは, 終始
 

 
のような和音をもつ長音価のハーモニーを奏出する (上の数字は当該和音が開始される小節番号). ただし, 中途から (87小節以降) 八分音符による連続パルスが, 第1, 第2ヴィオラ奏者とコントラバス奏者により加わる (部分的に第4ヴィオラ奏者や第3チェロ奏者もパルスを並奏する).
 
 178~275小節においては\(\mathrm{\small{A}}\!\:\flat\,\)音が現れ, やや不穏な雰囲気の \(\,\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)と温和な雰囲気の\(\,\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)が交錯する.
 同時に, 独奏ヴァイオリンによる奏出される基本音型に (部分的ではあるが)「
拡大型フェイズシフト」が見られるようになる.
 
 276小節以降は一貫して前半部と同様\(\,\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)が続き, トニックのまま僅かにクレッシェンドを掛けて音楽を終えるのである.
 
 『
ザ・ケイヴ』のようなシリアスな大作と二重奏』のような爽やかな小品が同じ時期に発表されるという事実もなかなか興味深い.
 

 
名古屋マリンバ Nagoya Marimbas 1994
 先述した通り, ライヒの作品においてはピアノに次いでマリンバの使用率が高い. 発音の鮮明さと音色の柔らかさ, 適度な音響 (特に低音の深い響きと余韻) など, マリンバ特有の魅力が聴く者の心を特に強く捉えるからであろう.
 
 2台のマリンバのための『
名古屋マリンバ』は,『6台のマリンバ』に続く純粋なマリンバ作品である. 標題の由来は, 名古屋市にある「しらかわホール」の落成記念コンサートのために委嘱, 初演されたことによる.
 
 スコア (ブージー&ホークス版) で4ページ, 演奏時間は5分ほどの小品であるが, 基本音型の反復,「離散型フェイズ・シフト」,「離散型ディゾルヴ・シフト」のような, ライヒの初期作品に見られた効果的な手法が再び採用されている.
 
 冒頭部は, 第1マリンバによる基本音型が提示され, 第2マリンバにより上記のシフト奏法が現れる. 基本音型の反復回数を指定するリピート記号を用いた表記も, ライヒの初期作品を想い起させるであろう.
 

 
 記譜上は\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であるが, この箇所は\(\,\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{G}}\,\)音, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音によるペンタトニックで構成されるため, 聴者に \(\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)を知覚させる. 23小節に至って初めて \(\mathrm{\small{F}}\,\)音が現れることで, \(\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)ではない (調性が変わった) ことに気づかされる. 39小節において導音が現れ, 47小節で初めてトニックが現れることで, 記譜上の調性がようやく聴者に認識されるのである.
 
 この曲における
基本音型の選び方及び離散型フェイズ・シフトのタイミングは絶妙であり, 音楽全体の魅力を強力に浮き立たせる. ライヒの初期作品が多くの聴者の心を掴んだように, この作品も初演から現在に至るまで高い人気を保持し, 多くのコンサートで演奏され続けている.
 
 とは言え, 演奏には高度な技術を要する. 1小節内で2人奏者が3オクターヴ以上もの幅広い音域を互いに交錯する箇所もある (59~60小節).
 

 
 曲は66小節目に入って \(\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に転調する. この箇所は \(\mathrm{\small{H}}\,\)が根音であるが \(\mathrm{\small{C}}\,\)音が含まれることから他の調性と混同することはない. 実際は直ぐに (70小節において) トニックに至り, 以後ハーモニーを変えることなくクレッシェンドを掛けて曲を終えるのである.
 

 
 この曲における基本動機の反復の回数は2~4回の範囲で全てスコアに指定されているが, 初稿 (初演時) には, 上記の楽譜に更に2小節ほど付加されており,7回の反復回数を指定された16分の10拍子の反復音型が存在したという.
 
 余談であるが, 委嘱の契機となった「しらかわホール」は, 経営不振を理由に今年 (2024年) の2月に惜しまれつつ閉館されたようである.
 

 
プロヴァーブ Proverb 1995
 楽音としての「声」を用いたライヒの作品は3種に分類される.
 
 \(\,\,(\mathrm{i})\) 日常会話の一部や断片的な文言から楽音を構成する「
スピーチメロディー」としての「声」
イッツ・ゴナ・レイン
 『
カム・アウト
 『
ディファレント・トレインズ
 『
ザ・ケイヴ
 『
シティ・ライフ
 『
3つの物語
 『
WCT 9/11
 
 \(\,(\mathrm{ii})\) 反復音型から特定の音列を浮き立たせる「
オーヴァーラップライン」としての (歌詞のない)「声」
ドラミング
 『
マレット楽器, 声とオルガンのための音楽
 『
18人の音楽家のための音楽
 『
大アンサンブルのための音楽
 
 \((\mathrm{iii})\) 明確な意味 (歌詞) をもつ「歌」としての「声」
例『
テヒリーム
 『
砂漠の音楽
 『
ザ・ケイヴ
 『
汝の上にあるものを覚えよ
 『
ユー・アー
 『
ダニエル変奏曲
 『
旅人の祈り
 
 5人の独唱 (ソプラノ3, テノール2), ヴィブラフォンと電子オルガン各2台のための『
プロヴァーブ』は, (\(\mathrm{iii}\)) に属する作品である.
 
 ブージー&ホークス版のスコアによれば, この曲は
イギリスのBBCが主催する「プロムス」(Proms) の100周年記念としての委嘱作品であり, ペーテル・エトヴェシュ指揮, アンサンブル・モデルン (Ensemble Modern) の演奏により1995年9月にロンドンで一部分のみ初演され, ポール・ヒリアー (Paul Hillier) 指揮, シアター・オヴ・ヴォイス (Theatre of Voices) により1996年2月にニューヨークで全曲が初演されたという.
 

『プロヴァーブ』スコア
(Boosey & Hawkes, 2015)
 
 周知の通り,「プロムス」は毎年7~9月に開催される大規模なクラシック音楽祭である. この曲が初演された1995年には, 7月21日から9月16日までの期間に全70公演に及ぶ (全て異なる曲目から構成された) コンサートが開かれている.
 『
プロヴァーブ』は,『シティ・ライフ』と並んで60公演目 (9月7日) のコンサートの演目として採り上げられた (ただし, 後者は初演ではない).
 
 音楽祭の委嘱作品でありながら, この『
プロヴァーブ』に祝祭的要素は全く見られない. 終始, 中世の聖歌を想わせるような内省的で崇高な様相を呈する音楽である.
 
 採用された歌詞は, 哲学者ヴィトゲンシュタインのメモ "
How small a thought it takes to fill a whole life!" なる一文から構成される.
 
 このメモの出典は, "Culture and Value" なるタイトルの (邦訳版は『反哲学的断章』なる標題で知られる) 書籍である.
 ライヒは若い頃からユダヤ系の哲学者ヴィトゲンシュタインの思想に傾倒していたのであろう. コーネル大学において哲学を専攻したライヒの卒業論文がヴィトゲンシュタイン関係のものであったことは既に述べた.
 余談ながら, この『反哲学的断章』は,『論理哲学論考』や『哲学探究』と並んで私自身も日頃から好んで繙く書籍である.
 
 ただし, この書籍自体はヴィトゲンシュタイン自身が纏めたものではない. 彼の死後, 膨大な遺稿の中から宗教や音楽などの文化的問題に関する断片集とキェルケゴール (Søren Kierkegaard) の哲学に関するメモを元に, フィンランドの哲学者フォン・ライト (Georg Henrik von Wright) が編纂して "Vermischte Bemerkungen" (雑言集) として1977年に出版したものである (各断片が書かれた日付を追加した改訂版は1984年に出版された).
 
 ライヒが引用した "Culture and Value" は, このドイツ語原典版をイギリスの哲学者ペーター・ウィンチ (Peter Winch) が英訳した版 (初版, 1977年) と思われる. スコアの第1ページに "Blackwill Publishers" 及び "Copyright ©1977" という記載があるからである.
 
 
"Culture and Value" (Blackwell Publishers, 1977)
『反哲学的断章 -
文化と価値 』(青土社, 1999)
 
 『プロヴァーブ』に採用された上記の歌詞は, この原典版によれば
 "Welch ein kleiner Gedanke doch ein ganzes Leben füllen kann!"
  (
人生は何と些細な思想で満たされ得ることか!)
である (1946年2月9日の日付をもつ).
 
 この一文のみを歌詞として採用した理由をライヒ自身は述べていないが, 前後の文言には
 "Wie man doch sein ganzes Leben lang dasselbe kleine Ländchen bereisen kann, und meinen, es gäbe nichts außer ihm!"
  (一国内の旅を以て他国は無いと断ずるとは!)
があり, 同じ日付の文言として
 "Um in die Tiefe zu steigen, braucht man nicht weit reisen; Du brauchst dazu nicht Deine nächste und gewöhnliche Umgebung verlassen."
  (深みへ到達するには遠方への旅は不要, 身近な環境を離れる必要はない.)
なるものも見られる.
一語句ごとに味わい深い箴言が並んでいる.
 
 
ヴィトゲンシュタインの家系は音楽に関しても造詣が深かった.
 ピアニストであった母親はブラームス (Johannes Brahms) やマーラー (Gustav Mahler) と交友関係にあり, 彼らを自宅に招いて定期的にコンサートを開いたという.
 
 また, 兄の一人パウル (Paul Wittgenstein) もピアニストであった. 彼が第一次世界大戦で右手を失ったことから, ヒンデミット (Paul Hindemith), プロコフィエフ (Sergei Prokofiev), ブリテン (Benjamin Britten) などの作曲家に「左手のためのピアノ協奏曲」を委嘱することになったのである. この件については, 拙稿『ラヴェルを聴く』(1995) において既に記したことである.
 
 無論, ヴィトゲンシュタイン本人も音楽に対する関心度は高く, この『反哲学的断章』にも, バッハ, ハイドン (Franz Joseph Haydn), モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart), ベートーヴェン, シューベルト (Franz Peter Schubert), メンデルスゾーン (Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy), ブラームス, ブルックナー (Anton Bruckner), マーラー, ヴァーグナー (Richard Wagner) に関する記述が随所に見られる.
 
 閑話休題, ヴィトゲンシュタインの哲学に関する詳述は他日を期するとして, 稿を先へ進めよう.
 
 プロヴァーブ』の構成を調号で分類すれば, \(\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{es}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の3つのセクションからなる.
 
 第1セクションは,『
テヒリーム』と同様, ソプラノ独唱により開始される. 後者がタンボリンによるパルスを伴っていたのに対し, 前者は完全なる独唱であってパルスの伴奏をもたない. 厳密に言えば電子オルガンとのユニゾンであるが, オルガンの音量は抑制されている.
 

 
 この基本音型が一巡すると第2ソプラノが開始拍の位置に差を設けて同一の音型を重ねる二声の平行カノンが始まる. もの寂しげな\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の旋律によるカノンは, ライヒによれば中世の作曲家ペロタン (Pérotin) のオルガヌムを範とするものであるという.
 歌唱部分及び電子オルガンに対して "non-vibrato" なる規定が設けられている所以であろう.
 
 二声のカノンが一巡すると第3ソプラノが同じく開始拍の位置に差を設けて今度は三声の平行カノンが始まる. 基本音型は「
拡大型フェイズシフト」により次第に音価を拡大していく.
 
 三声のカノンが一巡すると, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音と\(\,\mathrm{\small{F}}\!\:\sharp\,\)音の完全四度 (または完全五度) ハーモニーが持続する中, 2人のテノールにより息の長い間奏がメリスマをもって奏でられる. と言ってもテノールに割り当てられた言葉は歌詞とは言えず, "
thought" の母音部分 "ough" のみである.
 


 
 テノール二声のヴォカリーズが終わると, 第1ソプラノから再び基本音型が奏出される. とは言え,「拡大型フェイズシフト」は一段と進行し, 上記譜例のように僅か8小節で構成された基本動機は, ここでは45小節間 (90~134小節) に及んでいる.
 この基本音型の開始と共に, 2台のヴィブラフォンによる八分音符の不規則なリズムをもつパルスが始まる.
 

 
 最初と同様に第3ソプラノまでの息の長い三声のカノンが一段落すると, テノール二声も加わって\(\,\mathrm{\small{H}}\,\)音と\(\,\mathrm{\small{F}}\!\:\sharp\,\)音の完全四度 (または五度) のハーモニーが持続する中, 2台のヴィブラフォンにより上記テノールと同様の間奏がカノンをもって奏出される.
 

  
 ヴィブラフォンによる二声のカノンが終わると, 第2セクションに入る.
 すなわち\(\,\mathrm{\small{es}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に転調し, ソプラノ三声とテノール独唱による (一単語ごとに音価を引き延ばされた) 基本動機が示される.
 

 
 この基本動機 (譜例 (2)) の最上声部は, 冒頭部の基本動機 (譜例 (1)) の反行形になっている.
 続けて「
拡大型フェイズシフト」をもってソプラノ三声による基本音型のカノン (二巡目) が始まる. これは, "takes" まで歌われた後, 2人のテノールにより更に息の長い間奏がメリスマをもって奏でられる. テノールに割り当てられた言葉は, やはり歌詞とは言えず, "takes" の母音部分 "ekes" または 母音 "a" のみである.
 

 
 その後, "to fill a whole life!" が更に音価を引き延ばされて歌われ, 最後に2台のヴィブラフォンにより上記テノールと同様の間奏がカノンをもって奏出される構成は\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の部分と同様である.
 
 第3セクションでは再び\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に回帰し, 第1ソプラノが基本動機 (譜例 (1)) を「
拡大型フェイズシフト」をもって奏出する.
 この箇所において, 各単語は母音を強調するように分割されている. "
small" の直後に "all" が付加され, "thought" に続いて "ought" が, "takes" に続いて "akes", "to" に続いて "oo", "fill" に続いて "ill", "whole" の後に "ole", "life" の後に "i (fe)" が付加される. 母音を用いて音価を延長する奏法により, 歌詞を一巡するまでに (381小節から548小節までの長きに渡って) 基本音型が大幅に拡大されるのである.
 
 第1ソプラノとは開始位置に差異を設けつつ, 第2, 第3ソプラノも同様に音価を引き延ばされた基本音型を奏でる. 二声のテノールによるメリスマはこの三声のカノンに重ねられて音楽は進行するのである.
 
 終結部は, ソプラノによる透明感のあるハーモニーをもって新たな音型 (下記譜例) が2回反復される. 最後に, 第1ソプラノの独唱により, (最上声部のみ) 3回目の反復を奏出して静かに曲を閉じるのである.
 
 
 
 終始, 神秘的で静謐な雰囲気を湛えた音楽であり, 途中でヴィブラフォンによる連続パルスが奏出されるものの, (歌詞を顧慮せず純粋な音楽として聴く限りでは) 現世から隔離された遥かな過去または遠い異国に対する幻想を描いた音楽のようにも聴こえる.
 三声のソプラノによるカノンは単語一語に割り当てられた音価が次第に引き延ばされていくため, ハーモニーの遷移も次第に緩やかになり, 各奏者が任意のタイミングで発音しているような錯覚を与えるのである.
 
 実際には奏者による任意性や偶然性が入り込む余地は全くない. 比較的速いテンポ (♪=132) 及び変拍子 (5拍子や7拍子が頻発する) が指定される中で, 正確なタイミングでの発音を要求される. スコアを参照しつつ音楽を聴けば, 奏者は神経を研ぎ澄ませ, 細心の注意を払って演奏していることに驚かされるであろう.
 
ライヒの音楽は, 高度な技術に長けた奏者なしには奏出し得ないものである.
 
 

 
シティ・ライフ City Life 1995
 1996年10月にさいたま芸術劇場にて開催された3日間に渡るライヒの来日公演を聴いた件については, 本稿の冒頭部で述べた. そこで演奏された作品の多くは既にCDをもって熟知していた作品であったが,『名古屋マリンバ』はこの公演で初めて聴いた曲であった. その独特な音響効果に感銘を受けた私は, この曲が収録されたCDをホワイエの展示販売展示所で見つけ, 即日に購入した.
 
 CDにはこの曲の他に (この公演では演奏されなかった)2作品『プロヴァーブ』,『シティ・ライフ』も併録されており, やはり新鮮な感銘をもって繰り返し聴いた憶えがある. これらは, 1990年代におけるライヒの「傑作」と言ってよい.
 

『シティ・ライフ』CD
(Nonesuch 7559-79430-2)

 
 楽器編成は, フルート2, オーボエ2, クラリネット2, ピアノ2, デジタルサンプラー・キーボード2, ヴィブラフォン2, シンバル, スネアドラム, バスドラム2, 弦五部となっている.
 
 曲は5つ楽章から成り, スコアによれば所要演奏時間は約24分である.
  第1楽章 "
Check it out" (精算を頼む)
  第2楽章 "
Pile driver / alarms" (杭打ち機 / 警報)
  第3楽章 "
It's been a honeymoon - can't take no mo'" (蜜月は終わった - もう我慢ならぬ)
  第4楽章 "
Heartbeats / boats and buoys" (鼓動 / ボートとブイ)
  第5楽章 "
Heavy smoke" (酷い煙だ)
 各楽章は, 他のライヒの作品と同様, 途切れることなく続けて演奏される. ここには『
砂漠の音楽』や『六重奏』のような構造上のシンメトリーや関連性は見られない.
 
 前節の冒頭で述べたライヒの声楽作品の分類において,『
シティ・ライフ』をスピーチメロディー」としての「声」を用いた作品として分類した.
 この分類における「声」は,
あらかじめ録音された音声素材を元に, それ自身を楽音として採用するか, 独唱または合唱により「オーヴァーラップを併奏するか, の手法が採られている.
 
 実は,『
シティ・ライフ』は上記のいずれにも該当しない. この曲では, 録音素材をデジタルサンプラー・キーボードを介して任意のテンポやピッチに加工して再生するという手法が採られる. すなわち, 或る一つの素材は複数箇所において各々異なるテンポやピッチをもって再生されるのである.
 
 ところで, 非楽音素材を楽曲に持ち込むアイディア自体はライヒ特有のものではない. ブージー&ホークス版のスコアに記載された「作曲者のノート」には,
 \(\,\,(\mathrm{i})\) ガーシュウィン (George Gershwin)『パリのアメリカ人』(1928) における4種のタクシーホーン (Taxi-horn)
 \(\,(\mathrm{ii})\) アンタイル (George Antheil)『バレエ・メカニック』(1924) における2種のプロペラ音 (The airplane propellers sound)
 \((\mathrm{iii})\) ヴァレーズ (Edgar Varèse)『イオニザシオン』(1931) における2種のサイレン
などの先例が挙げられている.
 

『シティ・ライフ』スコア
(Boosey & Hawkes, 1998)
 
 『シティ・ライフ』において採用された非楽音素材は, これらの先例に比して多種多様である. 採り入れられた非楽音素材を初登場の小節番号順に列挙してみると,
 
【第1楽章】
  25小節 ドアが勢いよく閉まる音 (door slam)
  29小節 バスの発車時のエア音 (bus air)
  30小節 男性の話し声1"
check it out" (精算してくれ)
  32小節 地下鉄の発車時のエア音 (subway air)
  38小節 車のエンジン音 (car motor)
  42小節 車のクラクション (car horn)
  95小節 車がマンホール上を通過する音 (car over manhole)
  104小節 地下鉄のチャイム音 (subway chime)
  179小節 タイヤのスリップ音 (tire skid)
【第2楽章】
  223小節 杭打ち機の打込音 (pile driver)
  239小節 車の警報音1 (car alarms)
  296小節 車の警報音2 (car alarm)
【第3楽章】
  419小節 男性の話し声2"
It's been a honeymoon" (蜜月は過ぎた)
  528小節 男性の話し声3"
Can't take no mo'" (もはや堪えられぬ)
【第4楽章】
  583小節 心臓の鼓動 (heartbeat)
  585小節 ボートの警笛 (boat horns)
  603小節 打鐘ブイの鐘 (buoy bell)
【第5楽章】
  709小節 消防車のサイレン (fire engine horn)
  710小節 女性の話し声1"
heavy smoke" (酷い煙だ)
  716小節 女性の話し声2"
stand by" (スタンバイ)
  719小節 男性の話し声4"
it's full a'smoke" (煙が充満している)
  728小節 男性の話し声5"
urgent!" (緊急!)
  806小節 短いサイレン (short siren)
  807小節 男性の話し声6"
Guns, knives, or weapons on ya'?" (銃やナイフの所持は?)
  808小節 男性の話し声7"
Wha'were ya' do-in?" (何をやっていた?)
  822小節 長いサイレン (long siren)
  876小節 男性の話し声8"
Be careful" (注意しろ)
  881小節 男性の話し声9"
where you go" (何処へ行く)
 
となっている. これらの素材の多くが, 箇所ごとに異なるピッチで (時には重音で) 複数回ずつ奏出されるのである.
 
 以下, 各楽章を概観することにしよう.
 
 第1楽章 (1~212小節) は, 調号で分類すれば, (1) \(\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), (2) \(\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), (3) \(\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), (4) \(\mathrm{\small{cis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), (5) \(\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\), (6) \(\mathrm{\small{d}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\), (7) \(\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の7つのセクションから成る.
 
 (1) は5種類の和音から成る器楽コラールをもって開始される (譜例 (1)).
 

 
 ここにはサンプラーによる音声素材や加工音は一切現れない. やや重厚感のあるハーモニーが奏出されるのみである.
 
 次に, 歌詞 "
chack it out" による「スピーチメロディー」が提示される (下記譜例 (1)).
 この基本音型は, まず第1ヴィブラフォンと第1ピアノにより奏出され, 次に第2ヴィブラフォンと第2ピアノにより「
離散型ディゾルヴシフト」をもって半拍分だけ遅らせて奏出される. 結果として二声のカノンが生じるのである.
 転調した後も同様の手法をもってこれらは反復される (下記譜例 (2)~(7)).
 


 
 "check it out" はサンプラーにより奏出される. 記譜上では, 例えば, (1) については\(\,\mathrm{\small{G}}\,\)音または\(\,\mathrm{\small{A}}\,\)音が割り当てられ, (2) については\(\,\mathrm{\small{E}}\,\)音または\(\,\mathrm{\small{F}}\,\)音が割り当てられている.「スピーチメロディー」は各々異なるピッチが与えられている.
 
 また, 街中の物音もサンプラーにより奏出される (下記譜例, 89~92小節).
 

 
 (7) では冒頭部の器楽コラール (譜例 (1a)) が再び現れ, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音を根音とする暗い音色の不協和音 (譜例 (8)) を響かせながら第2楽章へと移行する.
 
 第2楽章は, 長音価の4種類の和音により構成され (譜例 (8)~(11)), この「
ハーモニーループ」は計3回反復される. その間, \(\,\mathrm{\small{H}}\,\)音から\(\,\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\,\mathrm{\small{F}}\,\)音, \(\,\mathrm{\small{As}}\,\)音と, 根音を短三度ずつ変移させながら次第に迫り来る緊張感を演出するのである.
 

 
 ハーモニーが二巡目に入ると車の警報音が加えられ, 木管楽器とピアノにより三度及び五度の音程から成る焦燥感を醸し出すようなフレーズが挟まれる (譜例 (12)).
 3巡目のハーモニーでは2拍子系であったパイル・ドライヴァーのパルスが3連符に変わり (木管楽器とピアノによるフレーズも同様), タムタムが荘厳な響きを加えることで更に不気味な雰囲気を募らせる (譜例 (13)).

 

 
 突如として衝撃音が鳴り響き, 切羽詰まったような大声で "It's been a honeymoon" なる文言が叫ばれる. 第3楽章が開始されたのである.
 
 この楽章は聴者に強烈なインパクトを与えるであろう. 1小節単位で構成される基本音型はリズミカルなシンコペーションであり, このリズムはこの楽章全般を通じて執拗に繰り返される.
 

 
 調号は, 前半は\(\,\mathrm{\small{A}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), 後半は\(\,\mathrm{\small{G}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)であるが, 実際には3つのセクションから成る.
 
 第1セクションでは "
honeymoon" の一部が反復される. \(\mathrm{\small{A}}\,\)音, \(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音の順に音が加わり, \(\mathrm{\small{A}}\:\mathrm{\small{sus}}\!\:4\,\)が完成すると, 以下41小節に渡ってこの音型が執拗に反復される (下記譜例参照. ただし, ブージー&ホークス版のスコアでは反復記号は一切使われていない.)
 

 
  弦楽器が長音価のハーモニーを奏で, やがてピアノも上記譜例の反復音型を併奏し始める. 次に木管楽器が\(\,\mathrm{\small{A}}\,\)音と\(\,\mathrm{\small{G}}\!\:\sharp\,\)音をもって同一のリズムを奏出する. これは極めて軽妙な昂揚感を演出するものである.
 

 
 第2セクションは, 拍子が16分の7拍子に変わり, 羽詰まったような大声が再度響き渡る箇所から始まる. 直ぐに3拍子に戻り, 第1サンプラーが歌詞の一部 "been a been a oo" が「スピーチメロディー」として反復を開始し, 第2サンプラーは「離散型ディゾルヴシフト」の手法をもって第1サンプラーに対して1拍分だけ遅らせた開始位置によるカノンを形成する.
 

 

 
 その後の構成は第1セクションと同様である. ただし, 木管楽器の軽妙な昂揚感を演出する音型は, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{F}}\,\)音, \(\mathrm{\small{G}}\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音の5音から成る.
 
 第3セクションでは, やはり拍子が16分の7拍子に変わり, "It's been a honeymoon" が叫ばれる. 続いて "
Can't take no mo'" が叫ばれ, 以後, その一部である "take mo'" が「スピーチメロディー」として執拗に反復されるのである.
 調号は\(\,\mathrm{\small{G}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に変えられ, 以後, 最後まで属七の和音が継続される.
 

  

 
 その後の木管楽器の軽妙な音型は, \(\mathrm{\small{G}}\,\)音, \(\mathrm{\small{F}}\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{C}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音の4音から成る.
 
 第4楽章は, テンポを落とし (♩=68), 第2楽章の冒頭部と同一のハーモニーが長音価で持続される. 以後のハーモニーの変遷も第2楽章と同一であるが, 第2楽章では「
ハーモニーループ」が3回反復されたのに対し, この楽章では反復は見られない.
 
 終始, 重厚な低音に心臓の鼓動音とボートの警笛が静かに鳴り響く. そこに時折ブイの鐘が聴こえる.「
スピーチメロディー」を構成する歌詞は存在しない. 弦楽器が分散和音を静かに奏出するのみである.
 
 やがて, 2台のピアノによる倦怠感を漂わせる和音のカノンが始まる.
 

 
 音楽が進むに連れて次第にテンポを上げ, 根音を短三度ずつ変移させながら徐々に焦燥感を煽るような雰囲気を醸し出していく構成は, 第2楽章と同様である. ピアノの和音にヴィブラフォンが加わり, やがて木管楽器群による分散和音も加わって, 音楽は一層の昂揚感と緊張感を高めていくのである.
 
 第5楽章ではテンポが急速に上がる (♩=153). 消防車のサイレン, 弦楽やピアノによる属九の和音が持続する中,「
スピーチメロディー」が開始される.
 

 
 "Wha' were ya' do-in?" の箇所に現れる3連符は, 弦楽器及び木管楽器により緊迫感と焦燥感を醸し出しながら執拗に反復される.
 
 やがて "
Be careful" なる歌詞すなわち \(\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\) に回帰する箇所では, それまでのリズムやパルスを中心とした音楽から再びハーモニーを中心とする音楽に戻る. ここで交互に登場するのが, 第1楽章冒頭部の和音と第5楽章冒頭部の和音である.
 
 終結部 (961小節) に入ると根音が主音に落ち着き, 以後はピアノを中心とする長音価のハーモニーがデクレッシェンドしながら譜例 (14) の6種の和音を反復する.
 最後に譜例 (15) の和音を奏出して静かに音楽を終えるのである.
 

 
 『シティ・ライフ』は, アンサンブル・モデルン, ロンドン・シンフォニエッタ, アンサンブル・インターコンタンポタン (Ensemble InterContemporain) の共同委嘱により作曲され, デイヴィッド・ロバートソン (David Robertson) 指揮, アンサンブル・インターコンタンポタンの演奏で初演された.
 なお, この曲にはフィウマラ (Anthony Fiumara) 編曲による吹奏楽版 (2005) も存在する.
 

 
トリプル・カルテット (三群の四重奏) Triple Quartet 1998
 この曲は,『ディファレント・トレインズ』と同様, クロノス・カルテットの委嘱で作曲され,「オーヴァーダブプレイ」すなわち事前に録音した二群の弦楽四重奏の演奏にライヴによる弦楽四重奏を並奏させるか, または三群の弦楽四重奏 (奏者12名) の実演によるかのいずれかの演奏形態が想定されている.
 
 急-緩-急のテンポをもつ3楽章構成の作品であり, 所要演奏時間は約15分である.
 
 第1楽章は規則正しいパルス (譜例(1)) と拍感を崩すシンコペーション (譜例 (2)) による前奏から始まる. 調号が記載されているが, 長七度あるい短九度を含む不協和音により調性は曖昧にされている.
 

 
 続いて第1弦楽四重奏 (実奏) により基本動機 (下記譜例) が提示される. 記譜上は\(\,\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であるが, 臨時記号を付された\(\,\mathrm{\small{E}}\:\!\!\:\flat\,\)音の存在により, 調性を判ずることは難しいであろう.
 

 
 この動機は若干の変奏を加えつつカノンを含めて4回反復される.
 その後, 突如として調性と拍子を変え, 新たな基本動機 (下記譜例) が提示される.
 

 
 これも同様に変奏とカノンをもって反復されるのである.
 
 第1楽章は, 以下4種の基本動機が提示され, 記譜上の調性は各々,\(\,\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{g}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{b}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{cis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)である. 主音が短三度または増二度の音程をもって変移する転調は,『
ダンス・パターンズ』や『ヴィブラフォン, ピアノ, 弦楽器のための変奏曲』など, 後の作品に頻出する手法となる. ただし, 各調においてトニックは現れず, 大半がドミナントである.
 調性は上記の順に転調を二度繰り返して第1楽章を終える.
 
 第2楽章は単位音価を倍に増やしてテンポを下げる (♩=72). 第1楽章と同一のハーモニーで始まり, \(\mathrm{\small{e}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の短九の和音 (\(\mathrm{\small{e}}\!:\!\mathrm{\small{V}}_9\,\))上で気だるい雰囲気の基本動機によるカノンを形成する.
 
 第3楽章は, 再びテンポを戻し (♩=144), 規則正しい強拍及び弱拍のパルスをエネルギーに満ちた打楽器的奏法をもって掻き鳴らす. \(\mathrm{\small{g}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の短九の和音\(\,\mathrm{\small{g}}\!:\!\mathrm{\small{V}}_9\,\)から始まり, 以後, \(\,\mathrm{\small{b}}\,\)-\(\,\mathrm{\small{g}}\,\)-\(\,\mathrm{\small{b}}\,\)-\(\,
\mathrm{\small{cis}}\,\)-\(\,\mathrm{\small{b}}\,\)-\(\,\mathrm{\small{g}}\,\)-\(
\,\mathrm{\small{b}}\,\)-\(\,\mathrm{\small{cis}}\,\)-\(\,\mathrm{\small{e}}\,\)の順に頻繁に転調する. これは (多少の不協和音は含まれるものの) 全てドミナントを基本とするハーモニーである.
 
 
曲終になって初めてトニックが現れ, 僅かにクレッシェンドを掛けて曲を終える.
 
 『
6台のピアノ』の稿で述べた通り, ピアノやオルガンによる重奏は音色変化や音響的魅力が乏しくなり易い. では, 弦楽四重奏が三群という編成は如何であろうか.
 
基本動機に強力な魅力があるか, 弦楽器特有の奏法で色彩感にコントラストを付すか, 何らかの要素が加わらなければ, やはり聴者に単調な印象を与える可能性は否めない.
 
 ライヒは, バルトークの『弦楽四重奏曲 第4番』第5楽章からインスピレーションを受けてこの曲を作曲したという.
 
 確かに
バルトークの弦楽四重奏曲は, いずれもその独特のハーモニーやリズム, 神秘的な静謐感とエネルギッシュで圧倒的な音圧に加え, 弦楽器の魅力を多種多様に引き出す魅力的な音響に充ちており, 聴く者を飽きさせない.
 
 特に (私が好んで聴く)『第3番』では, 開放弦, ミュート, 全弓奏法, プンタ・ダルコ, マルテラート, グリッサンド, ハーモニクス, コル・レーニョ, スル・タスト, スル・ポンティチェッロ, トリルを模したヴィブラートなどが, 各所において「効果的」に使用される (もちろん,『第4番』におけるバルトーク・ピチカートやアルペッジョ・ピチカートも高い演奏効果を発揮するものである).
 
 ここで誤解のないように願いたいのであるが, 私は, 内容の薄いコンテンポラリー音楽にありがちな「特殊奏法の羅列」を忌み嫌う者である. 音楽を構成する上でその奏法が「効果的」または「必要不可欠」である場合に限り, 必要最小限度に抑えて使用すべきであろう.
 拙稿『ラヴェルを聴く』(1995) において既に詳述したことであるが, この件に関する手腕においてモリス・ラヴェル (Maurice Ravel) の右に出る者はない.
 
 この『三群の四重奏』は, 特殊奏法の有無はともかく, バルトークの作品に比べて主題や音色における表現の多様性に乏しく, (少なくとも私にとっては) それほど魅力的な音楽とは思われないのである.
 

 
汝の上にあるものを覚えよ Know What Is Above You 1999
 ライヒが1週間ほどの短期間で作曲したという, 演奏時間にして3分ほどの小品である.
 ソプラノ3, アルト1, (チューニングされた) タンボリン2という編成をもち, ユダヤ人の伝統的な
格言集「ピルケイ・アボット」(Pirkei Avot) の一部汝の上にあるものを覚えよ. 見る目, 聞く耳, 汝の行為は書物に記されている.」が謳われる.
 
 最初に2人のソプラノにより基本動機が示される.
 

 これに\(\,\mathrm{\small{D}}\,\)音のタンボリンが不規則なパルスを伴奏する.『テヒリーム』の冒頭部を想起する聴者は少なくないであろう. 両者の雰囲気は酷似している.
 
 基本動機の2巡目以降は「
拡大型フェイズシフト」によるカノンが始まり, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音のタンボリンも加わる.
 

 
 ライヒはこの格言集を重視して次のように述べている.
 「このテキストは
我々は孤独な存在ではなく永遠の存在が我々に目を向けていること, 我々の全ての思考や言動が我々の性格や魂や周囲の人々の魂に影響を及ぼすことを示唆する. 大切なことである.」
 

 
§5. 2000年以降の作品 2000s Works
 本稿の冒頭に述べたように, ライヒは, 現代音楽としては異例と言えるほど多くの熱狂的なファンを獲得した稀有な作曲家であった. 実際, ライヒは, 同時代 (今現在) を生きる作曲家の中で, 各国のコンサートホールでその作品が頻繁にプログラムに採り上げられる数少ない作曲家である.
 
 ところで, ライヒの作品のみに限定した場合, 各曲の演奏頻度は如何であろうか.
 ライヒの公式サイトにおける21世紀 (2001年) 以降の演奏記録を見てみよう.「一部」なる断り書きは全てのコンサートを網羅しているわけではないことを意味する. それにも拘らず,
2023年末の時点 (計23年間) において6,600曲以上の演奏記録が掲載されているのである. 同時代の作曲家でライヒに匹敵する演奏記録をもつ者が他に幾人存在するであろうか.
 
 この記録を元に演奏回数を集計してみると, まず, 20世紀 (2000年以前) に作曲された作品で演奏頻度の高い方から順に列挙すると,
 『18人の音楽家のための音楽』(430回)
 『
ドラミング』(410回)
 『ニューヨーク・カウンンターポイント』(390回)
 『ディファレント・トレインズ』(340回)
 『エレクトリック・カウンターポイント』(330回)
 『三群の四重奏』(310回)
 『ドラミング Part I のみ』(300回)
 『二重奏』(250回)
 『拍手の音楽』(200回)
 『木片の音楽』(190回)
 『六重奏』(180回)
 『ヴァーモント・カウンターポイント』(170回)
 『ピアノ・フェイズ』(170回)
 『エイト・ラインズ』(170回)
 『テヒリーム』(160回)
 『ヴァイオリン・フェイズ』(150回)
 『シティ・ライフ』(150回)
のようになる (括弧内の数は2001年以降のコンサートで上演された回数の概数).
 演奏回数が多さと音楽自体の優劣が直結するわけではない. 編成上あるいは演奏技法上の点から, 優れた音楽であっても実演が困難な場合もあれば, 実演が容易であるが故に演奏頻度が上がる場合もあるからである.
 
 21世紀 (2001年以降) に作曲された作品については,
 二群の六重奏』(230回) [2008年初演]
 『マレット・カルテット』(140回) [2009年初演]
 『チェロ・カウンターポイント』(120回) [2003年初演]
 『レディオ・リライト』(90回) [2013年初演]
 『WTC 9/11』(90回) [2011年初演]
となる.
 
 楽器編成や舞台装置の観点から実演に困難を伴うオペラや管弦楽曲の中では,
 『
ザ・フォー・セクセションズ』(100回)
 『3つの楽章』(70回)
 『砂漠の音楽』(60回)
 『3つの物語』(60回)
の4曲が上位を占めている.  
 
 以下の項で採り上げる2000年以降の作品には,『3つの物語』,『WTC 9/11』,『パルス』,『ランナー』,『旅人の祈り』など広く知られた作品も多いが, それ以前の作品と同種の手法の再現あるいは改訂に留まる作品が増え, 独創的あるいは魅力的な作品は減少傾向にあると言えよう.
 主題を展開する種々の手法の再現が要因なのではない.
絶妙かつ最良の主題 (音型素材) の創造に精彩を欠くようになったことに最大の要因があるように思う.
 
 以下, 引き続き個々の作品について作曲順に概観することにする.
 
 

 
3つの物語 Three Tales 2002
 21世紀最初の作品『3つの物語』において, ライヒは20世紀における3つの出来事を採り上げた.
 \(\,\,(\mathrm{i})\) 1937年にアメリカにおいて発生したドイツの飛行船「ヒンデンブルク号」の爆発炎上事故
 \(\,(\mathrm{ii})\) 1946年から1958年に掛けてアメリカが実施した「ビキニ環礁」における原水爆の核実験
 \((\mathrm{iii})\) 1996年にスコットランドにおける世界初の哺乳類クローンである雌羊「ドリー」の生成
 
 この作品は,ザ・ケイヴ』に続く2作目のヴィデオ・オペラとしてライヒとコロットにより共同制作された. 指揮者を含めた16名の演奏者に加え, その背後に設置された巨大スクリーンにドキュメンタリー映像や写真あるいは関係者のインタビューやテキストの静止画等を投映させるという上演時の手法は, 前作とほとんど変わらない.
 
 技術面における差異としては,『ザ・ケイヴ』では5つのスクリーンを要したのに対し,『3つの物語』では一つのフレーム内に写真, 映画, 静止画の全ての組み合わせを可能にしたプログラムを用いた点であろう. インタヴューに答える人物の映像のみならず, 中継映像や報道紙面により事件が生々しく伝わってくる後者は, 一層の見応えがある作品に仕上がっている.
 
 ライヒは,『
ザ・ケイヴ』では現代における3つの民族間の意識の差異や対立の構造を聖書上の重要人物像を主軸として描き,『3つの物語』では航空機開発, 核兵器開発, 遺伝子操作という20世紀を象徴する現代科学技術における功罪を描いたのであった.
 

 第1幕「ヒンデンブルク」(Hindenburg) は, 演奏時間にして約16分, 4場から成る音楽である.
 
 第1場「技術的な問題ではなかった筈だ」(It could not have been a technical matter) では, まず「ニューヨーク・タイムズ」の記事
 "
Hindenburg burns in Lakehurst Crash; 21 known dead, 12 missing; 64 escape"
  (ヒンデンブルク号がレイクハーストの事故で炎上, 少なくとも死者21名, 行方不明者12名, 64名が脱出)
がスネアドラム及びキックドラムによるパルスに併せて一語ずつ (タイプライターで打鍵するように) 順に投映される.
 
 テノール三重唱によるカノンが
 "
It could not have been a technical matter" (技術的な問題ではなかった筈だ)
を奏出し始めると, 実際の事故現場を撮影した生々しい映像が始まる. 併行して緊迫した状況を伝えるアナウンサーの声
 "
It flashed, it flashed and it’s crashing..." (点滅, 点滅してクラッシュ...)
が「
スピーチメロディー」として映像内で奏出されるのである (下記譜例).
 

 
 これらは「拡大型フェイズシフト」の手法で徐々に音価が延長され, 飛行船が全焼し崩れ落ちていく様子がスローモーションを掛けた映像で投映される.
 長音価の和音が持続する中, ドラムによる不規則なパルスがデクレッシェンドをもって曲を終える (映像も同時に終わる). スコアに記載された「5秒間の沈黙の後に第2場を始める」なる指示は, この沈黙の間に第1場において投映された凄惨な内容を視聴者に一層色濃く印象づけることになるであろう.
 
 第2場「ニーベルングのツェッペリン」(Nibelung Zeppelin) は,「ヒンデンブルク号」を含む多くの巨大飛行船を製作したドイツの商業航空会社「ツェッペリン社」を指す. ナチ党の台頭と共にこの巨大飛行船は党の広告塔として使われ, ツェッペリン社は国から多額の資金援助を受けたのであった.
 
 この場面では, アンヴィル及びヴィブラフォンにより奏出される基本音型の反復音 (譜例 (1)) と共に「ヒンデンブルク号」の製造過程の映像が作業者達のシルエットと共に投映される. 飛行船の下部に取り付けられた垂直尾翼にはハーケンクロイツ (Hakenkreuz) が見える.
 

 
 ナチ党の党大会は毎年ニュルンベルクにおけるツェッペリン広場において開催された. この地が開催地に選ばれた理由が, 楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の作曲者ヴァーグナーがナチ党の崇拝の対象であったが故であることは, 広く知られていよう.
 
 とは言え, ニーベルング (Nibelung) はニュルンベルク (Nürnberg) とは別物であり,「ニーベルングのツェッペリン」なる標題に関してライヒが意図するところは不明である.
 
 ただし, 音楽 (
譜例 (1) の基本音型) 自体は「ニーベルング」と関連がある. これは, 楽劇『ラインの黄金』(Das Rheingold) において, 主神ヴォータンが黄金を奪還するために天上界から地底国ニーベルハイムへ降りて行く場面にて現れる「ニーベルング族」のライトモティーフに他ならない (譜例 (2)).
 

R.ヴァーグナー, 楽劇『ラインの黄金』第2場終結部 (1862~1870小節)
 
 第3場「それは忘れ難き光景」(A very impressive thing to see) は, 飛行船の飛行映像と共に, 反ナチス活動家ヘルムート・フォン・モルトケ (Helmuth von Moltke) の妻フレイヤ・フォン・モルトケ (Freya von Moltke) によるインタヴュー映像が挟まれる.
 低周波の飛行音とヴィブラフォンによる等間隔のパルスが静かに響く中, フレイヤによる
 "
it sort of made a humming noise"
  (それはハミングのような音を立てた)
 "
Why have such a cigar, huge silver cigar in the sky?"
  (なぜあのような巨大な銀の葉巻が空中にあるのか?)
などの「
スピーチメロディー」が奏出されるのである.
 
 曲中において, 教会の尖塔の上部を飛行船が通過する映像と併行して鐘の音が鳴り響く場面がある. これは, 2種類の\(\,\mathrm{\small{D}}\,\)音としてスコアに記載されたものである.
 
 第4場「何が起きたのか検討がつかない」(I couldn’t understand it) では, 再度「ニューヨーク・タイムズ」の記事
 "
Captain Ernst Lehmann gasped, 'I couldn’t understand it' as he staggered out"
  (E.レーマン船長は「何が起きたのか検討がつかない」と息を呑んだ)
がスネアドラム及びキックドラムによるパルスに併せて1語ずつ (タイプライターで打鍵するように) 順に投映される.
 
 ヒンデンブルク号が炎上する中, 救助や消火の任務で右往左往する人々の映像が投映され, アナウンサーが
 "
From her ashes will arise the knowledge"
  (ヒンデンブルク号の灰塵から新たな知が得られよう)
と話す. 曲の後半において, この台詞には「
拡大型フェイズシフト」が施される.
 第1場及び第4場の後半部においてアナウンサーによる引き延ばされた母音は, 灰塵へと化していく機体の映像と相俟って憂い嘆く呻き声のように聴こえるであろう.
 
 この
音声におけるスローモーションの手法は, 音声のピッチを変えることなく音価のみを延長するものである. 幻の作品『スローモーション・サウンド』が作曲された当時 (1960年代) は技術的に困難な手法であったが, ライヒは『3つの物語』において初めてこの手法を効果的に採用し得たのであった.
 
 なお, ブージー&ホークス版のスコアには, 第1幕の最後に「1998年4月」なる記載がある. 実は,
全体の完成に先立って, 第1幕のみ1998年に上演されているのである. この時の上演では, 第1場と第2場の間に, ヒトラーとヒンデンブルク将軍に関する映像と音楽が含まれており, 上演時間は (現行のものより8分長い) 24分であったという.
 
 第2幕「ビキニ」(Bikini) は, [A] "In the air" (空中), [B] "The atoll" (環礁), [C] "On the ships" (船上), の3つのシーンを3巡させた後に [D] コーダを付加した, 演奏時間にして約22分の音楽である. スコアにおける小節番号で分類すれば,
 [A1] 空中1   1~ 29小節
 [B1] 環礁1   30~ 97小節
 [C1] 船上1   98~196小節
 [A2] 空中2 197~247小節
 [B2] 環礁2 248~340小節
 [C2] 船上2 341~452小節
 [A3] 空中3 453~507小節
 [B3] 環礁3 508~603小節
 [C3] 船上3 604~691小節
 [D] コーダ   692~743小節
 
となる.
 
 [A] はいずれも\(\,\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の調号をもつ. 終始, 録音されたメトロノーム音が♩= 78 のテンポで静かにパルスを刻む中, テノール三重唱が中心となる音楽である.
 
 [B] はいずれも \(\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の調号をもち, 長音価の和音と弦楽によるもの悲し気な反復音型が緩やかに奏出される. ソプラノ (ニ重唱) とテノール (ニ重唱) による混声四重唱が中心となる音楽である.
 
 [C] はいずれも \(\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の調号をもつが, 不協和音が多い. 音勢の強い三連符や変拍子による不規則なアクセントや反復リズム音型をもち, 中間部ではテンポ変化 (♩=117) を含むテノール三重唱が中心となる音楽である.
 
 [D] は, \(\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の調号をもち, パルスをもたない長音価のハーモニー, ソプラノ (ニ重唱) とテノール (三重唱) による混声五重唱が中心となる音楽である.
 
 以下, 順に少し詳しく第2幕の構成を見てみよう.
 
 [A1] は, B29の映像と飛行音が静かに持続する中, あらかじめ録音されたメトロノームがパルスを奏出し始める. 映像内で「10, 9, ……, 2, 1」の活字が一つずつ色を変え, メトロノームパルスに合わせてカウントダウンを2回反復する.
 
 その後, "Atom Bomb Exploded" (原子爆弾が爆発) なる「ニューヨーク・タイムズ」の「見出し」の活字が一語ずつ, ドラムとヴィブラフォンの弾むようなリズム (下記譜例 (1)) に合わせて投映される. 以下,「見出し」は全てこの手法をもって投映及び奏出されることになる.
 
 続いて, あらかじめ録音された男声により "ten" とカウントされると, テノール三重唱により「ニューヨーク・タイムズ」の「記事」
"I watched it, I watched it climb" (それが立ち昇っていくのを見た) が歌われる (下記譜例 (2)). この台詞の活字は動画の背景に薄く印字されている. 以下,「記事」は全てこの手法をもって投映及び奏出されることになる.
 
 更に, 旧約聖書「創世記」の語句を活字の投映に合わせて, ピアノ, ヴィブラフォン, ドラムにより音勢の強い和音が奏出される (下記譜例 (3)). 以下,「創世記」の語句はこの手法をもって投映及び奏出されることになるのである.
 





 
 第2幕において用いられる台詞 (台本) は以下の通り多岐に渡る.
 
 まず,「ニューヨーク・タイムズ」の「見出し」として,
 "Atom bomb exploded over Bikini fleet" (ビキニ艦隊上空で原子爆弾が爆発)
 "
Two ships are sunk, nineteen damaged out of seventy three" (2隻が沈没, 73隻中19隻が損壊)
 "
King Judah of Bikini witnessed today’s atomic bombing" (ビキニのキング・ジュダ, 原爆投下を目撃)
 "Russia rejects, US Atom control plan" (ロシアが拒否, 米国の原爆抑制計画)
 "
Thirty five march in protest" (35名が抗議の行進)
 "
Bikini still uninhabitable" (ビキニは未だに居住不可能)
などが投映され,「記事」として,
 "a gigantic shimmering mushroom" (巨大に輝くキノコ)
 "
to measure the effects on metal, flesh, air and water" (金属, 肉, 空気, 水への影響を測る)
 "
ever changing, ever changing its form and color, ever changing" (変幻自在, 色形が次々に変わる)
 "
difficult, for the human eye to follow" (人間の目で追うのは難しい)
 "
fruits of the Tree of Knowledge" (知識の樹の果実)
などが重唱をもって歌われる.
 
 旧約聖書「創世記」からは, 第1章27~28節の
 "
"and God created man in His image" (神其像の如くに人を創造り給へり)
 "
and God blessed them and God said to them “Be fruitful and multiply, and fill the earth and subdue it, and rule over the fish of the sea the birds of the air that moves upon the earth"
  (神彼等を祝し神彼等に言給ひけるは生めよ繁殖よ地に滿盈よ之を服從せよ叉海の魚と天空の鳥と地に動くところの諸の生物を治めよ),
 また, 旧約聖書「創世記」第1章7節及び15節からは,
 "
And the Eternal formed the man, of dust of the ground" (ヱホバ神土の塵を以て人を造り)
 "
And placed him in the Garden of Eden, to serve it and to keep it"
  (ヱホバ神エデンの東の方に園を設けて其造りし人を其處に置き給へり)
などの文言が投映される.
 
 その他, 米国及び英国のアナウンサーの録音音声として,
 "
"The atom bomb plane ‘Dave’s Dream’" (原爆飛行機「デイブの夢」)
 "
is starting down the runway" (滑走路を滑走し始めている)
 "
Fifty miles an hour I should say, now sixty" (時速 50 マイル, 今は 60 マイルと言うべきだろう)
 "
Now we’re up to a hundred, a hundred and twenty" (今は 100, 120 まで来た)
 "
The atom bomb is in the air" (原子爆弾が空中にある)
 "
on its way to Bikini" (ビキニに向かっている)
 "
Small and remot, it's just the place, they say" (小規模で辺鄙な場所, 正に原爆投下地だそうだ)
 "
Listen, you hear that rhythmic ticking noise?" (聞け, リズミカルなカチカチという音が聞こえるか?)
 "
so long as you hear it, you’ll know the bomb has not gone off" (聞く限りまだ爆発していない)
 "
you won’t be hearing that metronome much longer now" (そのメトロノームはもう聞こえなくなる)
などの「スピーチメロディー」が奏出されるのである.
 
 更に, 映画製作者の撮影開始の掛け声, 海軍士官や海軍アナウンサーの録音音声なども用いられている.
 
 
これらの台詞は, 意味や会話の流れが通じるようには配置されていない. [A]~[C] が3巡する間に, 各台詞が敢えて隔離するように投映, 発音されるのである.
 「10, 9, ......, 2, 1」のカウントダウンは [A] においては断続的に発せられ, [C3] においてはテノール三重唱によりカウントダウンが奏出される.
 
 さて, 次のシーンである [B] は, 洋上を進む小型帆船や艦艇のスローモーション映像と共に「ニューヨーク・タイムズ」の複数の「見出し」が緩やかに流れる. 音楽は悲壮感の漂う弦楽合奏の分散和音である (下記譜例 (1)).
 
 ビキニ島に暮らす島民の映像と共に, ソプラノとテノールによる四重唱が
 "King Judah of Bikini witnessed" (ビキニのキング・ジュダが目撃)
を奏出する (下記譜例 (2)). そこへ, 海軍士官が島民に
 "
Now then James, tell them please that United States Goverment now wants to take this great destructive power"
  (ジェームズ, 話してくれ. 米国政府は今, 偉大なる破壊力を入手したいと考えている)
と語り掛ける映像が続く.
 

 

 
   [B3] では, 英国のアナウンサーによる
 "
The inhabitants have been taken away, transferred to another coral island, and given new homes"
  (住民は連行され, 別の珊瑚礁に移され, 新たな居住地が与えられた)
なる台詞が発せられ, 帆船に載せられて強制避難 (移住) させられる島民の映像が流れる.
 
映像と弦楽によるもの悲しげな和音が相俟って視聴者は強く心を捉えられるであろう.
 
 合間に「創世記」の語句が断片的に挟まれる. その際の投映手法や音楽は [A] の場合とほぼ同様である.
 
 [C] では, 映像及び台詞は, 混沌とした貼雑細工のような様相を呈する. 音楽も変拍子による不規則なリズムと不協和音に満ちた音楽である (下記譜例).
 

 
 最後の [C3] においては, カウントダウンのアナウンスと併行してテノール三重唱もカウントダウンを始める (数字を羅列した映像が流れる) が, この箇所は全般において構成が通俗的に過ぎるように思う.
 
 [D] コーダは, カウントダウン "ゼロ" の掛け声と共に爆風が草木を吹き飛ばし, 一瞬にして地表を焼き尽くす灼熱のオレンジ色のスローモーション映像が投映される. それまでのドキュメント映像はモノクロであったが, ここでは鮮やかなカラー映像が用いられる. 併行して, パルスをもたない長音価をもつ属九の和音 \(\mathrm{\small{d}}\!:\!\mathrm{\small{V}}_9\) が, 時が停止したような雰囲気を醸し出すのである.
 
 その後, 突如としてモノクロ映像のビキニ姿の女性の映像が現れる.「ビキニ環礁における核爆発における衝撃」と「爆発的な商業的文化的衝撃を生じさせる衣装」との関連であろうが, オペラ全体の構成に鑑みて不必要な演出であるように思う.
 
 最後は, 島を追われて浜辺を進む原住民たちの寂寥感の漂う姿が流れ,「創世記」から
 "
And placed him in the Garden of Eden, to serve it and to keep it"
  (ヱホバ神エデンの東の方に園を設けて其造りし人を其處に置き給へり)
なる文言が下記譜例の旋律に併せて投映され, 静かに音楽を終えるのである.
 

 
 第3幕「ドリー」(Dolly) は, クローンの羊「ドリー」の製造プロセスが複数の学者達によって語られる.
 登場する学者達は,
  DNA分子構造の発見でノーベル賞を受賞した米国の分子生物学者ワトソン (James D.Watson)
  英国の生物学者で進化生物学と創造論批判で知られるドーキンス (Richard Dawkins)
  応用数学や分子生物学の修士号をもつニューヨーク・タイムズの記者コラタ (Gina Kolata)
  HFEA (ヒト受精及び発生学局) の議長として活躍した倫理生命学者ディーチ (Ruth Deech)
  MITで感情を認識するロボット「キスメット」(Kismet) を開発したシンシア (Cynthia Breazeal)
など18名に及ぶ.
 
 彼らによる台詞の一部を抜粋してみよう.
 J.ワトソンは,
 "DNA is script for life." (DNAは生命の台本だ.) 
と述べ, R.ドーキンスが
 "
They removed the nucleus from an egg. No genes in it at all."
  (卵子から核を除去した. もはや遺伝子は存在しない.) 
と述べる. G.コラタによる
 "Frozen udder cell." (凍結した剥き出しの細胞) 
に対し, R.ディーチは
 "
You pop it into your enucleated egg. You then fertilize it – with a little electric shock. It starts growing."
  (除核した卵子に注入. 僅かに電気的刺戟を与える. するとそれは成長し始める.)
と述べる.
 
 ここに登場するR.ドーキンスの名を見て, ふと想い出した.
 
彼の著書『利己的な遺伝子』(日高敏隆/他 訳, 紀伊国屋書店, 1991) は, 我が国でも発売当初に話題になった書籍であり, 私自身, すぐに入手して繰り返し繙いた興味深い科学書であった.
 
 第3幕におけるインタヴュー映像において, 彼は,
 "
We, and all other animals, are machines created by our genes."
  (我々を含む全ての生物は遺伝子により生成された機械に過ぎない.) 
 "A monkey is a machine that preserves genes up trees, a fish is a machine that preserves genes in the water."
  (猿は木の上に遺伝子を保存し, 魚は水中に遺伝子を保持する機械だ.) 
 "I don’t think there’s anything that we are, that is in principle, deeply different from what computers are."
  (我々は原理的にはコンピューターと何ら差異はない.) 
 "Darwinian natural selection is the key to understanding the whole of the existence of life."
  (ダーウィンによる自然選択説は生命の存在を理解する鍵となる.) 
 "A self replicating molecule really began the origin of life. It replicates, it produces copies and copies."
  (自己複製分子が生命の起源となり始めた. それは次々に生命のコピーを生成する.) 
などと真剣な表情で語っている.
 
 第3幕は, ぎこちなくア・カペラで歌うキスメットの映像から開始される. その歌詞及び旋律は, 上記譜例 (※) と同一のものであるが, 調性は\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に下げられている. ただし, この箇所はスコアには記載されていない.
 
 続いてディーチによる「プロセスは次の通り」なる台詞映像が流れ (スコアにはその「
スピーチメロディー」が採譜されている), ♪=288 のテンポでピアノ2台により, 目まぐるしい科学の進歩を象徴するかのような忙しない雰囲気の音楽が開始される.
 

 
 卵子から核を除去する映像及び除核した卵子に凍結細胞を注入する映像を背景に, ディーチやドーキンス達が語る映像が投映される. ドーキンスの台詞 "are machines" ((全ての生物は) 機械に過ぎない) が執拗に反復される箇所では, 2台のヴィブラフォンによる「スピーチメロディー」に沿って併せ鏡による鏡像のように2つに分割された彼の語り映像が同様に反復される (下記譜例).
 

 
 この箇所で反復される "machines" における "chi" の連発が織り成す独特の音響効果は,「カム・アウト」の "show to them" における "to sho" を想い起こさせるであろう.
 
 このフレーズの直前に現れた G.コラタによる台詞 "
Frozen udder cell." (凍結した剥き出しの細胞) のスピーチメロディー」(下記譜例 (1)) が,「拡大型フェイズシフト」により音価を数倍に引き延ばされて (下記譜例 (2)) ドーキンスの反復映像に重ねられる. この部分は視聴者に対して或る種の恐怖感を煽る効果を狙っているように思う.
 

 
 その後,
 "
First successful cloning of adult mammal, 277 udder cells, 29 embryos yield 1 live sheep"
  (哺乳類初のクローン生成に成功. 277個の乳房細胞, 29個の胚から一頭の生きた羊が得られる)
というタイピング映像と成長する卵子の映像が投映され, ソプラノとテノールによる重唱が奏される.
 
 成長する卵子の映像が投映された後,「ドリーを紹介しよう」という研究員の言葉に続いて生成されたクローン羊の嘶く映像が現れ, 間髪を入れずキスメットが「クローンになりたいか?」と問いかける. この箇所は, スコアでは次のような「
スピーチメロディー」が採譜されている.
 

 
 科学者達が, ある者は淡々と, ある者は嬉しそうに語る様子が音楽と共に投映され, その後, 再びキスメットがア・カペラでぎこちなく呟くように創世記の言葉を歌う. その旋律はやはり上記譜例 (※) と同一のものであるが, 調性は更に\(\,\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)にまで下げられている (下記譜例). その歌声は沈み, キスメットの表情は暗く次第に深刻さを増しているように見えるのである.
 

 
 しかし, その後に続く音楽及び映像は, 更にクローン開発を肯定して研究を加速発展させるかのような科学者達の語りである. ドーキンスによる「(全ての生物は) 機械に過ぎない」や「(自己複製遺伝子は) 次々にコピーを生成する」における "machine", "copies and copies copies" の執拗な連呼と無表情に近い彼の語り映像がそれを物語っていよう.
 スコア上では, "copies and copies copies" のフレーズは, 627~668小節に掛けて僅かな間隙を挟む余地もなく42回も反復されるのである!
 
 その後, 各識者が発する台詞は宗教や神にまで及び, オックスフォード大学の法学教授ゲッツラー (Joshua Getzler) は,
 "
The 20th century was the worst graveyard in human history…and that should give us pause…"
  (20世紀は史上最悪の墓場であった. それは我々を停滞させる筈...)
と述べる.
 ここで音楽は一つの山場に達する. キックドラムと共に変拍子で不規則なパルスを打つピアノは音域を最大限に拡げ, ソプラノ及びテナーによる長音価の重唱の音勢は最高潮に達するのである.
 
 続いて, 音楽は突如としてパルスのない気怠そうな和音に変わる. ここで発せられる台詞は, これまでのものをやや性質を異にする, イスラエルのラビ, シュタインサルツ (Adin Steinsaltz) によるものである.
 "
Every creature has a song – The song of the dogs – and the song of the doves – the song of the fly – the song of the fox. – What do they say?"
  (凡ゆる生物は歌をもつ. 犬の歌, 鳩の歌, 蠅の歌, 狐の歌..., 彼らは何と言っているか?)
 
 直ぐにハイテンポによるシンコペーションが多用された2拍子のリズミカルな音楽に戻るが, ドーキンスが "machine" を連呼する箇所のみ2拍子が崩れる. そこへ, 唐突に
 "
Kismet is my baby" (キスメットは私の赤ちゃん)
という台詞と共に笑うシンシアとキスメットの映像が重ねられるのである (下記譜例).
 

 
 これ以降の台本は, 話者ごとに断片的な (前後の関連性をもたない) 内容が続く. シンシアによる
 "
This, gives me pause" (これは, 私を一旦止まらせる)
なる台詞の部分は変拍子による執拗なループになっている.
 スコア上では, 1134~1258小節に掛けて,
 "
gives me, gives me pau', gives me pause"
のループが20回, 続いて
 "
gives me, gives me pau', gives me pau', gives me pause"
のループが17回, 更に
 "
gives me, gives me pau', gives me pau', gives me gives me pause"
のループが9回, 更に続けて
"
gives me, gives me pau', gives me pau', gives me gives me pau', gives me pause"
のループが8回, 執拗に反復されるのである.
 
 ドーキンスの台詞の場合に比して, この執拗な反復が視聴者に与える心理的効果については, 些か疑問が残るであろう. 主張内容の強調というよりも, 単に "
give" なる言語が有する音響効果に興味があったものと推察される.
 
 曲終では\(\,\mathrm{\small{C}}\:\mathrm{sus}\!\:\mathrm{2}\,\) の長音価のハーモニーの中で赤児のようなキスメットに優しく語り掛けるシンシアの様子が投映される.
 
 キスメットがシュタインサルツと同一の台詞
 "
Every creature has a song, what do they say?" (全ての生き物には歌があるよ. 彼らは何だって?)
と呟く.
 
 赤児の雰囲気を醸し出すキスメットに対し, シンシアが優しく語り掛けていく. 実際, 台本には "To Kismet as her robot baby" なるト書がある.
 
 

 
 "So how’s your day goin’?" (それで, 今日はどう?)
というシンシアからの問いに, キスメットが
 "
Yeah?" (えっ?)
と応答. シンシアが
 "
You got it all planned out?" (何をするか決めたの?)
と二度問いかけた後,
 "
Maybe you’ll play with your yellow toy?" (黄色のおもちゃで遊ぶんでしょ?)
と笑いかけるところで音楽及び映像が終わる.
 
 
深刻な内容に満ちたオペラの最後としては, 何か意味ありげな謎かけ風の終わり方と言えよう. 音楽がフェイドアウトした直後, 視聴者はしばらくの間, この曲終に込められたライヒの意図について考えさせられるのである.
 

『3つの物語』CD
(Nonesuch 79662-2)

 
 一般に, オペラやミュージカルや映画においては, 物語の内容の面白さと併せて音楽がもたらす効果が極めて大きい. 音楽の良し悪しが視聴者の感銘度を多分に左右するのである. ありふれた詩であっても音楽により素晴らしい声楽曲に仕上げられて詩自体も聴者の琴線に響いてくる場合もあれば, 素晴らしい詩であって音楽がこれを台無しに貶めてしまっている場合もある.
 
 その意味では『
テヒリーム』や『砂漠の音楽』は傑作であった. 一方,『ザ・ケイヴ』や『3つの物語』は, オペラとしての手法は斬新であったが, 映像や台詞に重きを置かれて音楽自体は副次的な役割に追いやられてしまっている. 台詞に併せた単調なリズムやハーモニーの延長 (持続) または継ぎ接ぎが多く, オペラとしては興味深いが音楽のみに限って言えば聴者を強力に惹き付ける魅力は不充分であると言えよう.
 

  
ダンス・パターンズ Dance Patterns 2002
 シロフォン, ヴィブラフォン, ピアノを2台ずつ用いた『ダンス・パターンズ』は, ベルギーの振付師ケースマイケル (Anne Teresa De Keersmaeker) のコンテンポラリーダンス用に作曲された作品で, 演奏時間にして僅か6分ほどの小品である.
 
 ブージー&ホークス版のスコアに楽章の設定はないが, テンポ設定上では, 急 (♩=184) - 緩 (♩=92) - 急 - 緩 - 急 のシンメトリー構造をもつ5つのセクションから構成され, これらは途切れることなく続けて演奏される.
 各セクションの調号は\(\,\mathrm{\small{Es}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}
\,\),\(\,\mathrm{\small{Ges}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}
\,\),\(\,\mathrm{\small{A}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}
\,\),\(\,\mathrm{\small{C}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}
\,\),\(\,\mathrm{\small{Es}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)(→\(\,\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}
\)) で, 隣接する楽章の調号は短三度 (または増二度) の音程差をもっている. 先述した通り, これはライヒが好んで採り上げる調号設定であるが, 各セクションの
和声においてトニックが現れることはない.
 
 各セクションは, 2台のピアノによるシンコペーションを含む打楽器的な力強いパルス (下記譜例におけるリズムパターン1~5) をベースとして, 2台のヴィブラフォン及び2台のシロフォンにより基本音型のカノンが形成される.
 
 ピアノに現れるリズムパターンは, 第1セクションでは下記譜例の1~3, 第2及び第4セクションでは1のみ, 第3セクションでは1~4, 第5セクションでは1~5の全てが用いられる (5は,『
3つの楽章』第3楽章において登場したリズムパターンと同一のものである).
 

 

 
 各セクションは3拍子の音楽であるが, 末尾の長音価の和音の部分では2拍子が用いられる. とは言え, この箇所では拍感を打ち出すパルスが停止するため, 聴者が拍子の変更を認識することは不可能であろう. この2拍子は, 実演の際に奏者同士がキューを確認する予備拍用であり, 音楽として必要な拍長を求めた結果ではないと思われる.
 
 旋律らしい旋律をもたず, 不協和音を含む和音を打楽器的に奏出する手法に特に真新しいものは見当たらないが, 各セクションは
過不足のない緊迫感のあるリズム及びハーモニーのパターンで構成されている.
 

 
チェロ・カウンターポイント Cello Counterpoint 2003
 チェロの八重奏曲として作曲されたこの曲は,「オーヴァーダビング」による演奏を想定して, マヤ・バイザー (Maya Beiser) に献呈された.
 
 3楽章から成るこの作品は, 1980年代に作曲されたカウンターポイント三部作とはリズムやハーモニーの点で大きく異なっている.
 古典的な機能和声に沿わない
不協和音を多用し, 三部作には明確に見られた反復音型も曖昧な形にされている. ライヒがカウンターポイントと称するところの同度の平行カノンが見られるのは第2楽章のみである (下記譜例参照. 第1及び第2チェロによる7小節に渡る反復音型を元にカノンが形成される). この箇所における古風なハーモニーは, 我々日本人に幾許かの郷愁性を感じさせるであろう.
 

 
 この曲は,3群の四重奏』と同様, バルトークの『弦楽四重奏曲第4番』を範として作曲されたという.
 とは言え, バルトークの『第4番』は全楽章とも無調であるが各楽章ごとに拍子は固定されている. 一方, ライヒの『
チェロ・カウンターポイント』は各楽章ごとに\(\,\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\), \(\,\mathrm{\small{es}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\), \(\,\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)を基本とする調号 (隣接楽章間の音程差は短三度) をもつが, 拍子は頻繁に移り変わる.
 
 特徴的と言えるのは
第3楽章の中間部における風変わりなリズムであろう. ライヒの作品には珍しく, コケティッシュな民族舞踊を想わせる音楽である (下記譜例. 431~498小節).
 

 
 とは言え, バルトークの弦楽四重奏が有する魅力には敵わないであろう. 1980年代における「カウンターポイント」三部作に比しても聴き劣りする感は否めない. 基本音型の魅力に欠ける上, 楽曲構成や動機の展開における必要以上の変拍子や不協和音により, 演奏時間にして約11分の作品であるが, 音楽全体が冗長に感じられるのである.
 

 
ユー・アー (変奏曲) You Are (Variations) 2004
 4楽章から成るこの曲は, 各楽章ごとに短いテキストが付されている. すなわち,
 第1楽章 "
You are wherever your thoughts are" (汝の思索のある処, それが汝の在る処なり)
 第2楽章 "
Shiviti Hashem L'negdi" (われ常にヱホバをわが前におけり)
 第3楽章 "
Explanations come to an end somewhere" (説明は何れどこかで終わる)
 第4楽章 "
Ehmor m'aht, v'ahsay harbay" (語るを減らし多くを為せ)
であり, CDのライナーノートによれば, 各々, ハディシズム (Hasidism) のカリスマ的指導者ナハマン (Rebbe Nachman) の著書 "‘Likutey Moharan", 旧約聖書の詩篇第16篇, ヴィトゲンシュタインの『哲学探求』, タルムード (Talmud) の中の『ピルケイ・アヴォット』(Pirkei Avot) から引用されているという.
 

『ユー・アー』CD
(Nonesuch 7559-79891-2)
 
 楽器編成は, フルート2, オーボエ, コールアングレ, クラリネット3, マリンバ2, ヴィブラフォン2, ピアノ4, ソプラノ3, アルト, テノール2(スコアには各声部に3名ずつ, 計15名を配置するように指示がある), 弦楽五部である. 全ての奏者に対してマイク及びアンプによる音量増幅が指示され, 弦楽器奏者に対してはクリップ・オン・マイク (lip-on microphone) を用いるよう指示されている.
 
 第1楽章は,『
テヒリーム』や『六重奏』の第1楽章冒頭部と同様, ピアノによる力強く急速なパルス (♩=184) をもって開始される. マリンバによる基本音型の平行カノンやハーモニーの分割パルスによるフェイドイン, フェイドアウトが "du" なる発音をもって歌われる手法なども同様である.
 
 

 
 
 
  
 
 テキストが一巡すると共に変奏に入る. 第2変奏の途中で調号が\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)から\(\,\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)や\(\,\mathrm{\small{A}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に変わり始める.
 
 短い間奏の後に続く第3変奏では, ライヒの解説によれば
14 世紀に流行したフランス民謡「L'homme Armé」(武装した男) を引用しているという. これは (グレゴリア聖歌 "Dies irae" を引用する場合とは異なり) 指摘されなければ気付かないであろう.
 
 実際, ライヒは原曲 (譜例 (1)) に対して極度に長大な「
拡大型フェイズシフト」を施しているのである!(譜例 (2), 129~167小節).

 

 
 以後, 音楽は変拍子と転調を重ね, ハーモニーも次第に複雑さを増して不協和音を交えながら音勢を増していく.
 アタッカをもって続く第2楽章も類似した音楽である. マリンバによるパルスの中, ヘブライ語のテキストが一巡し, その後に変奏が始まる. 終始\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)のままで転調はないが, ほぼ1小節ごとに拍子は頻繁に移り変わる, 変則的なリズムで構成される音楽である.
 
 僅かな休止を挟み (ライヒの作品には珍しく "Not attacca - pause" なる記載がある), 緩徐楽章である第3楽章に入る. ペダリングを駆使したヴィブラフォンとピアノによるシンコペーションも『
砂漠の音楽』における手法と同様であるが, モチーフにせよハーモニーにせよ聴者の注意を引く要素は少ない.
 
 アタッカをもって続く終楽章は再びテンポを ♩=184 に戻し, 短音価の音群から成る緊迫感のあるリズミカルな口調で "Ehmor m'aht" が語られ, 続いて長音価の音群から成る緩やかな口調で "v'ahsay harbay" が語られる. 以後,
テキストに割り当てられたこれらの緩急の差は, 曲終まで変わることなく持続されるのである.
 
  25分程度の演奏時間をもつ曲全体を顧みるとき, 各楽章に付された各テキスト間の関連性については些かの疑問が残る.『
プロヴァーブ』を構成する音楽は当該テキストに相応しいものであったが,『ユー・アー』の場合は如何であろうか.
 
 ライヒ自身はクレッシュマー (Hermann Kretzschmar) によるインタヴュー (2005) の中で次のように述べている.「ナハマン, 詩篇, ヴィトゲンシュタイン, ピルケイ・アヴォットを読むのに半年掛けた. 自宅のPCには他に20ほどの短いテキストが保存されている. テキストは物語を構成するものではないが, まとめて読み, 反復することで確かに意味を構成する.」
 

 
ヴィブラフォン, ピアノ, 弦楽器のための変奏曲 Variations for Vibes, Pianos and Strings 2005
 ロンドン・シンフォニエッタ (The London Sinfonietta) 及び英国の振付師アクラム・カーン (Akram Khan) の率いるコンテンポラリー・ダンス・カンパニー (The Contemporary Dance Company) の委嘱により, 前作に引き続いてもう一つの『変奏曲』が作曲された.
 
  これは, 4台のヴィブラフォン, 2台のピアノ, 3群の弦楽四重奏のための作品で, 演奏時間にして25分ほどの, "Fast"-"Slow"-"Fast" の3楽章で構成される音楽である.
 2006年の9月28日から10月8日に渡ってライヒの古希祝いとして開催されたプロジェクト "Phases: The Music of Steve Reich" の初日を飾るダンス・プログラムの中でロンドンにて初演された.
 
 作品について, ライヒ本人は「伝統的な変奏技法を用いている」と述べているが, 具体的に如何なる事象を指すのか, 少なくとも私にとっては不明である.
 ライヒの「伝統的」とは趣旨が異なるであろうが, この曲が垣間見せる「
1980年代の彼の作風への回帰」は特筆しておきたいと思う.
 
 例えば, この曲の第1楽章には, 断片的な素材が羅列するのみで「変奏曲」の核となる特定の主題がない.
 

 
 この特定の主題をもたない「変奏曲」は, 1980年代に入るの直前の作品『管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』 に前例がある.
 
 また, この第1楽章は変拍子をもたない (3拍子系で統一された) 規則的なパルスをもつ. この点については『
ニューヨーク・カウンターポイント』第3楽章や『エレクトリック・カウンターポイント』第3楽章などに前例がある.
 
 力強い音勢の和音を打楽器的に奏出するピアノによる低音群の不規則なリズムは,『
ザ・フォー・セクション』第2楽章に前例があり, 断片的な素材を僅かずつ変化させ, それと並行して和声も徐々に変化させる手法を「変奏」と称するとすれば,テヒリーム』や『砂漠の音楽』なども同様の「変奏曲」と言えよう.
 
 第2楽章 "Slow" に見られるダンパーペダルを駆使したヴィブラフォンの奏法は,『
六重奏』や『
3つの楽章』の第2楽章にも見られ, 急-緩-急のテンポ構造も『3つの楽章』と同様である.
 
 ライヒがこの作品について具体的に挙げるのは, 調性に関してのみである. すなわち, \(\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\mathrm{\small{As}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}
\), \(\mathrm{\small{H}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\) までを一巡とするサイクル (隣接する部分の調性は互いに短三度または増二度の音程差をもつ) を第1変奏とし, このサイクルをもう一巡させた後, 自由な形で更に2回反復されるという.
 
 実際は, 第4変奏は一巡することなく\(\,\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)で終わり, 続く\(\mathrm{\small{As}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の平行調である\(\,\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の開始と共に第2楽章が開始される.
 
 スコア上に「第〇変奏」なる記載はない.
 ライヒの言う上記の調性はあくまでも記譜上の調号に過ぎない. 実際に用いられる主な和声は, \(\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\) (1~51小節) については\(\,\mathrm{\small{D}}\!:\!\mathrm{\small{II}_{\!\:9}}\,,\mathrm{\small{IV}}_{\!\!\:9}
\,,\mathrm{\small{VI}_{\!\:9}}\,\)であり, \(\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)(52~79小節) については\(\,\mathrm{\small{F}}\!:\!\mathrm{\small{II}_{\!\:9}},\mathrm{{\small{II}_{\!\:7}}^{\!\!2}}
\,,\mathrm{\small{IV}}_{\!\!\:9},\) また, \(\mathrm{\small{As}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)(80~125小節) については\(\,\mathrm{\small{As}}\!:\!\mathrm{\small{II}_{\!\:9}\,},\mathrm{{\small{IV}_{\!\:7}}}
\,,\mathrm{\small{VI}},\,\)であり,\(\,\mathrm{\small{H}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)(126~149小節) については\(\,\mathrm{\small{H}}\!:\!\mathrm{\small{II}_{\!\:9}},
\mathrm{\small{IV}_{\!\:7}},\mathrm{{\small{IV}_{\!\:7}}^{\!\!2}}\,\)であって, ここでもトニックは一切現れない.
 
 第2楽章におけるハーモニー進行は, 第1楽章における調性の平行調をもって展開される. すなわち\(\,\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},\,\) \(\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},
\,\) \(\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},\,\) \(\mathrm{\small{d}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であって, これは一巡で終わる. 用いられる主題と主な和声も第1楽章に準ずるが,
この楽章のメロディーラインのカノンとハーモニー進行が醸し出すアンニュイな雰囲気は, 私が特に好んで聴くものである.
 

 

 
 第3楽章は前楽章の\(\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に続く\(\mathrm{\small{As}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)をもって開始される. 変奏の手法や和声に関して特筆すべきことはない. しかし, 1970年代後半に作曲された『大アンサンブルのための音楽』を髣髴とさせる音楽であり, ヴィブラフォン, ピアノ, 弦楽器群のブレンドされた音色が創出する華麗なる美しい響きは聴者の耳を引くものである.
 

 
ダニエル変奏曲 Daniel Variations 2006
 前々作及び前作に続く「変奏曲」は,『ザ・ケイヴ』や『3つの物語』と同様, 音楽的な魅力や興味深さよりも宗教的あるいは政治的なメッセージ性を優先させた作品である.
 
 約30分の演奏時間を要する4楽章構成の『
ダニエル変奏曲』は, イスラム原理主義者により拉致され殺害された米国人記者ダニエル・パール (Daniel Pearl) を中心主題に置く.
 
 2002年の1月, ダニエルは, その前年の9月11日にニューヨークにおいて発生したアルカイダによるテロ行為に対する「対テロ戦争」に関してパキスタンで取材していた. ダニエルを誘拐した犯行グループは, 全てのパキスタン人テロリストを米国の刑務所から解放し, パキスタンへの戦闘機輸送を停止するよう米国政府に対して電子メールで要求することになる. そこには手錠を掛けられ銃を突きつけられたダニエルの写真が添付されており, 要求に応じなけければ彼を殺害する旨が添えられていたという.
 
 結局, ダニエルは首を切断されて殺害され, 遺体は細かく切断されたのであった. 犯行グループはその様子を撮影しており, 後日「報道スパイ, ユダヤ人ダニエル・パールの虐殺」と題する約3分半の映像を公開した. 喉を切り裂かれる直前, 映像の中のダニエルは次の言葉を遺していたという.
 
 "
My name is Daniel Pearl. I'm a Jewish-American from Encino, California, USA. My father's Jewish, my mother's Jewish, I'm Jewish. My family follows Judaism."
 (私の名はダニエル・パール. 米国カリフォルニア州のエンシノ出身のユダヤ系アメリカ人だ. 父母もユダヤ人であり, 家族でユダヤ教を信仰している.)
 
 ライヒは,『
ダニエル変奏曲』において, 各楽章ごとに短いテキストを付した (旧約聖書の語句は日本聖書協会発行『舊新約聖書』から引用. 小節番号はブージ&ホークス版のスコアによる).
 
 第1楽章 (1~259小節) 旧約聖書「ダニエル書」第4章第5節から "
I saw a dearm. Images upon my bed and visions in my head frightened me." (我一の夢を見て之がために懼れ卽ち床にありてその事を想ひめぐらしその我腦中の異象のために心をなやませり)
 第2楽章 (260~475小節) 上述したダニエル・パールのメッセージ "My name is Daniel Pearl."
 第3楽章 (476~610小節) 「ダニエル書」第4章第19節から "
Let the dream fall back on the dreaded." (願はくはこの夢汝の敵の上にかゝらん事を)
 第4楽章 (611~917小節) "
I sure hope that Gabriel likes my music when the day is done." (その日が終わればガブリエルは恐らく私の音楽を好んでくれると思う)
 
 終楽章のテキストは他と趣を異にする.
 私が所有するCDのライナーノートによれば, ダニエルの友人による「死後の生をどう思うか」との問に対し, ダニエルは「分からない. 答は見つからないと思うが, ガブリエルは私の音楽を受け容れてくれると思う.」と返したという. ダニエルの遺品の中に彼がファンであったジャズ・ヴァイオリニストであるスタッフ・スミス (Stuff Smith) のアルバムがあり, その3曲目のタイトルが "I Hope Gabriel Likes My Music" であったという.
 

『ダニエル変奏曲』CD
(Nonesuch 7559-79949-4)
 
 ここにライヒは "the day is done." なる文言を付加した. このテキストは聴者にやや意味深長な印象を与えるであろう.
 
 『
ダニエル変奏曲』は, クラリネット2, ピアノ4, ヴィブラフォン4, バスドラム, タムタム, 弦楽四重奏という楽器編成から成る. 4つの楽章は途切れることなく続けて演奏され, 全楽章を通じて, ヴィブラフォンまたはピアノにより, 幾つかのリズム・パターンが小刻みにされたパルスとして速いテンポで奏出され続ける.
 
 各楽章は4つの調号をもつ. すなわち, 第1, 第3楽章は\(\,\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\,\mathrm{\small{g}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\,\mathrm{\small{b}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\,\mathrm{\small{cis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であり, 第2, 第4楽章はそれらの平行調である\(\,\mathrm{\small{G}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\,\mathrm{\small{B}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\,\mathrm{\small{Des}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\,\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)である (ライヒはここでも隣接する楽章の調号を短三度または増二度の音程差で構成している).
 
 第1楽章は, ヴィブラフォンとピアノにより, \(\,\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の属音を根音とする複数の不協和音の強打から開始される. ソプラノとテノールにより奏出される "
I saw a dream ..." は長短二度を含む不協和音を成し, 冒頭から不吉な雰囲気を漂わせる.
 

 
 直後からリズム・パターンが開始される. 歌詞を一巡させると\(\,\mathrm{\small{g}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に転調し, 二巡目には「拡大型フェイズシフト」をもって二声のカノンが現れる. 二巡目の途中で\(\,\mathrm{\small{b}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に移行するが, 記譜上における転調はない. 歌詞が三巡目に入る際に\(\,\mathrm{\small{cis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に転調するのである.
 
 ややテンポを上げ, 第2楽章に入る. ヴィブラフォンとピアノによる複数の和音の強打の後, 弦楽器群が下記譜例 (1) の基本音型によるカノンを奏出し, 続いてテノールの二重唱による "
My name is ..." が奏でられる (下記譜例 (2)).
 

 
 第2楽章におけるソプラノとテノールによる重唱は全曲を通じて最も美しいハーモニーで満たされている. ライヒによれば, ここで用いた歌詞について「パールという非常に傑出した人物を象徴していると感じた」という.
 
 やがて転調し, 弦楽器群と2本のクラリネットによる新たな基本音型のカノンと共に, ソプラノとテノールによる四重唱が始まり, 音楽は一層の華やかさを増す. 続く\(\,\mathrm{\small{b}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の部分では楽器群による同様の演奏形態の中でテノールの二重唱が奏出され, その後に続く\(\,\mathrm{\small{cis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の部分では四重唱により常に四声を同時に発声させる形態でこの歌詞が繰り返される.
 
 第3楽章は第1ソプラノと第1テノールによる二重唱が完全五度を中心とする和音をもって短音価の鋭い発音で "Let the dream fall back ..." の基本音型を奏出し (下記譜例 (3)), 続いて第2ソプラノと第2テノールが同様の音型をもってカノンを形成する. 以後の3つの調性においてはカノンは形成されず, 四重唱により常に四声を同時に発声させる形態で歌詞が反復される.
 
 第4楽章は更にテンポを上げ, 楽器群と声楽群 (下記譜例 (4)) が協奏するように各々がカノンを形成する. 上述した4種の転調を一巡させた後は, \(\,\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)と\(\,\mathrm{\small{G}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)を交互に転調をめまぐるしく繰り返す. いずれも \(\mathrm{\small{Dur}}\,\)という明るい兆しを醸し出す調性である. 事件とは直接的な関わりをもたない歌詞を最後におくことで,
ダニエルに対する追悼の意を表するに相応しい音楽に仕上げているように思う.
 

 

 
 この作品は, 別方面からの委嘱で作曲を始めようとしていたライヒに対してダニエルの父親ジュデア (Judea) から「ダニエルの記憶のために」と依頼されたことにより, 音楽全体の構想がまとまったという.
 前作と同様, ライヒの古希祝いとして2006年に開催されたプロジェクト "Phases: The Music of Steve Reich" において, その最終日にライヒ自身によるPA調整を伴いながら初演された.
 

 
ダブル・セクステット (二群の六重奏) Double Sextet 2007
 二組の六重奏 (フルート, クラリネット, ヴィブラフォン, ピアノ, ヴァイオリン, チェロ) のための音楽であるが, 一組をあらかじめ録音しておく「オーヴァーダブプレイ」の演奏形態も想定されている.
 
 約22分の演奏時間を要し, 急 (♩=164), 緩 (♩=82), 急のテンポをもつ3つの楽章で構成される音楽である. 各楽章は途切れることなく連続で演奏されるが, スコア上では, 第1楽章は1~521小節, 第2楽章は522~705小節, 第3楽章は706~1108小節となっている.
 

『二群の六重奏』スコア
(Boosey & Hawkes, 2011)
 
 第1楽章は, ヴィブラフォンとピアノにより八分音符のみで構成されるアクセント付き和音の連打 (パルス) を反復音型とし, 管弦楽器群がその「拡大型フェイズシフト」として長音価のハーモニーを奏出する.
 冒頭部の調号は\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であるが, \(\,\mathrm{\small{B}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)を交えた短二度音程を含む和音が続き, 調性は曖昧にされている.
 また, リズムも一定ではなく, 変拍子の中の不規則なアクセントは拍子感を喪失させるものである.
 
 やがて\(\,\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に転調し, その後も同様に音楽は進行する. 更に\(\,\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に転調する. 転調はこの順序で二巡する. ただし, 二巡目の調性は一巡目における平行調も含まれている.
 転調直後はいずれも8分音符によるパルスが消えてハーモニーのみとなるが, 直ぐにパルスが復活して同様の展開を継続させるのである.
 
 それまでの力強いエネルギーに充ち溢れた音楽から一転し, 第2楽章には緩やかでもの悲しげな雰囲気が漂う. 明確な\(\,\mathrm{\small{Moll}}\,\)系の和音 (下記譜例) が現れるのは, ライヒの作品には極めて珍しい. なお, 旋律らしい動きが見られるのは全曲を通じてこの箇所のみである. これらは一群と二群との間でカノンを形成する. 後半部は長音価のハーモニーが続くのみで, 特に耳を引く部分はない. 楽章内に現れる転調は第1楽章と同様である.
 

 
 第3楽章の第1楽章とほぼ同じ楽曲構造をもつ. 転調の順序についても変化はない.
 曲終では音勢を増してエネルギーに溢れた長音価のハーモニーと打楽器的な連続パルスがひたすら続き, \(\,\mathrm{\small{D}}\,\mathrm{\small{sus}}\!\:4\,\)を継続させたまま音楽を終えるのである.
 
 なお, この作品をもってライヒは「ピューリツァー賞」を受賞した (2009年). 受賞理由は "A major work that displays an ability to channel an initial burst of energy into a large-scale musical event, built with masterful control and consistently intriguing to the ear." (冒頭部からエネルギーを発散させて壮大な音楽を引き出す力を見せ, 優れた楽曲構成で聴者を惹きつける大作) であった.
 
 この作品の独創性や音楽的効果はそれほど高くは見積もれない. 理由は先述した通り, 1980年代以前のライヒの作品に見られたような「
厳選された音型素材」と「それを巧妙に展開する多彩な手法」に関して精彩を欠くからである.
 
 不協和音や変拍子に必然性が感じられず, 編成や楽器法に難があるため音色変化が乏しい. その結果, 音楽を単調かつ冗長なものに陥らせてしまっているように思う.
 このような私自身の感想はCDのみによる鑑賞が原因かと思われたが, 2023年に来日したコリン・カリー・グループによる実演を鑑賞した際にも同様の思いを払拭できずじまいであった.
 

 
2×5 2x5 2008
 ライヒ自身が「ロック楽器のための室内楽」と称する『2×5』のタイトルは, 二組の五重奏 (ギター2, ベース, ドラム, ピアノ) のための音楽であることに由来する. とは言え, 前作と同様, 一組をあらかじめ録音しておく「オーヴァーダブプレイ」の演奏形態も想定されており, 実際, バング・オン・ア・カン (Bang on a Can) による初演では後者の形態が採用されている.
 
 ライヒは「ロック楽器のための」と称したが, この作品を「ロック」であるとは認めていない. 本質的な相違は,
クラシック音楽のように記譜されるか, ロックあるいは民族音楽やジャズのように記譜されないか, にある. ライヒは, この異質な二者の「対話」はルネサンス時代から存在し, クラシック音楽は古くから舞踊形式や民謡やジャズを採り入れてきたことを指摘する. ギター, ベース, ドラム, サンプラー, シンセサイザーのような電気音響処理装置などは今や記譜された音楽の一部となり,「対話」は続いていると述べている.
 
 曲は演奏時間にして約27分の音楽であり, 急-緩-急のテンポ構造をもつ3つの楽章が続けて演奏される. 因みに, この曲を含め,
ライヒの作品における「急」は,「緩」のちょうど2倍速のテンポになっている場合が大半である.
 
 第1楽章の冒頭部は, 第二群のピアノとベースにより,『
拍手の音楽』や『木片の音楽』に現れた親しみのある反復リズム音型が奏出され (下記譜例), 以後,『二群の六重奏』と同様に種々のリズムパターンを組み合わせた反復音型が持続される. その後, 直ぐに第一群のピアノとベースによって僅かに異なるリズムパターンが並奏されるのである.
 

 
 ピアノとベースの音色のコントラストは効果的である. ベースの動きが単純なリズムパターンに豊かな彩りを与えているのである.
 やがて2本のギターにより長音価の力強い和音がカノン風に奏出される. 少し後に加わる
ドラムも音楽に新たな彩りを加え, 聴く者を強力に惹き込んでいく.
 

 
 \(\,\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の調号をもち, \(\,\mathrm{\small{E}}\!:\!\mathrm{\small{II}_{13}}\,\)の和声をもって開始された音楽は, その後\(\,\mathrm{\small{E}}\!:\!\mathrm{\small{IV}_{\!\!\:13}},\,\)\(\,
\mathrm{\small{E}}\!:\!\mathrm{\small{III}_{\!\:\!\!\:13}},\,\)\(\,
\mathrm{\small{cis}}\!:\!\mathrm{\small{I}_{13}},\,\)\(\,
\mathrm{\small{E}}\!:\!\mathrm{\small{V}_{\!\!\:11}}\,\)のようにハーモニーを遷移させ, 突如として\(\,\mathrm{\small{G}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に転調する.
 
 以後もハーモニーを変遷させつつ同様の音楽を展開し, \(\,\mathrm{\small{g}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},\,\)\(\,
\mathrm{\small{Des}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)と転調する中で, 音楽は次第に昂揚感を増していくのである. この転調形態は第2, 第3楽章においても変わらない.
 
 この曲における
ギターやベースによる輪郭の明瞭な連続パルスや華やかで輝かしい音色は大変に魅力的であり, 1980年代の『エレクトリック・カウンターポイント』を髣髴とさせるものである.
 
 第2楽章はテンポを落とし, 各楽器は柔和な音色に変えて聴者を瞑想的な世界へと惹き込む. 奇数楽章における張り詰めたテンションから解放して心を和ませる一種のヒーリング音楽とも捕えられよう. 無論, ドラムはタチェットである.
 
 第3楽章は, 第1楽章と同一のリズムパターンから始まる.「パターン」とは言え,拍手の音楽』や『木片の音楽』のような容易に規則が見えるものではない.
 第1楽章における上記譜例のように, 同一のリズムをもたない小節が次々に羅列され, 同一小節内における第一群と第二群のリズムの組み合わせも同一ではないため, 聴者がその規則性を読み取ることは困難であろう.
 
 \(\,\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の調号の中で, これらのリズムパターンは\(\,\mathrm{\small{E}}\!:\!\mathrm{\small{IV}_{\!\!\:13}},\,\)\(\,
\mathrm{\small{E}}\!:\!\mathrm{\small{II}_{\!\:\!\!\:13}},\,\)\(\,
\mathrm{\small{cis}}\!:\!\mathrm{\small{I}_{11}},\,\)\(\,
\mathrm{\small{E}}\!:\!\mathrm{\small{V}_{\!\!\:13}}\,\)のようにハーモニーを遷移させる.
 このハーモニーが二巡目に入ると, 第一群の第1ギターにより新鮮なメロディーラインが奏でられる.
 

 
 これを基本音型として, 以後, 上掲のハーモニーが遷移するごとにメロディーラインには僅かずつ変奏が付加される. 三巡目には第一群の第2ギターが変奏を付加したカノンを奏出するのである.
 
 \(\,\mathrm{\small{G}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に転調すると, ドラムが加わり音楽は一層華やかになる. 音楽的な構造は上述した通りで, 特に変更は見られない.
 
 次の\(\,\mathrm{\small{g}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},\,\)においてはパルスは止み, 長音価のハーモニーのみが奏でられる. 直ちに\(\,
\mathrm{\small{Des}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に転調し, 同様にハーモニーが続く. 以後, \(\,\mathrm{\small{g}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)と\(\,
\mathrm{\small{Des}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)を頻繁に往来し, ギターによるカノンが形成されるのである.
 
 コーダに入ると調号は\(\,\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に回帰する. 以後, メロディーラインは姿を消し, ひたすら連続パルスによるハーモニーが続く. 曲終の和声はトニックであるが, ベース2本により奏出される根音が属音である点は終始感に疑問符が付くであろう.
西洋古典音楽のような明確な終始感を見せないのがライヒの作品の特徴であることは既に述べた通りである.
 

 
マレット・カルテット (マレット四重奏) Mallet Quartet 2009
 2台のヴィブラフォンと2台のマリンバのために書かれた『マレット四重奏』は, 約16分の演奏時間を要する3楽章構成の作品である.
 前作『
2×5』と同様, 各楽章のテンポ設定は急-緩-急であるが, 厳密には前項で述べた原則からやや外れ, 第2楽章の冒頭部のテンポは第1, 第3のテンポ (♩=176-184) の0.5倍速よりも僅かに遅め (♩=82-88) の設定になっている.
 
 ブージー&ホークス版のスコアにあるライヒ自身の言葉によれば, シコンペーションを含むリズムパターンを担当するマリンバが奏出する和声は『
二群の四重奏』などの近作に比して変化 (種類) が僅かであるという. 実際, 第1楽章に現れる和音は
 

 
の12種類に過ぎない.
 
 ライヒの言及は和声に関してのみであるが, 変化 (種類) が僅かであるのは和声に限らない.『
二群の四重奏』や『2×5』におけるリズムパターンの種類は, 聴者が規則性を把握できないほど豊富であったが, 上記譜例における3拍子系の (変拍子ではない) リズムパターンは, (1)~(4) においては各奏者ごとに1種類, (5)~(12) においては各奏者ごとに2種類しか現れないのである.
 
 変化をもたらすものは, 各和音ごとに与えられるヴィブラフォンによるカノンである (下記譜例は上記 (1) に対して与えられたもの).
 

 
 第2楽章については,「緩徐楽章はより薄く, 透明な書法で書かれ」るが「全曲の中でも予想外に魅力的」とライヒ自身は述べている. 中間部における (『チェロ・カウンターポイント』第2楽章とは質の異なる) 静寂の中に漂う古風なハーモニー (232~239小節) は, やはり我々日本人に幾許かの郷愁性を感じさせるであろう.
 

 
 第3楽章は1小節ごとに拍子をめまぐるしく変えて不規則なリズムパターンを演出する活気ある音楽である. 各和音ごとにヴィブラフォンによりカノンが奏出され, 最後は\(\,\mathrm{\small{G}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の調号をとりつつも属音と根音とする\(\,\mathrm{\small{A}}\,\mathrm{\small{sus}}\!\:4\,\)をもって曲を終えるのである.
 
 この作品も『
二群の六重奏』と同様,厳選された音型素材」と「それを巧妙に展開する多彩な手法」に関して精彩を欠いている. 洗練された音色や和声の変化, 耳を引く旋律及び音型素材は, 前作『2×5』の方が豊富であった.
 

 
WTC 9/11 WTC 9/11 2010
 『ダニエル変奏曲』について,「音楽的な魅力よりも宗教的あるいは政治的メッセージ性を優先させた作品」と先述した. これは, 2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件に端を発する作品であった.
 『
WTC 9/11』もこの事件を扱った作品であり, 当時の関係者の肉声録音をスピーチメロディーとして構成する手法を採用している.
 
 クロノス・カルテットから「録音済みの音声を用いた作品」を委嘱されたライヒが「9/11」に関する録音を用いる必然性はどこにあったのであろうか. これについて, ライヒは次のように述べる.
 「事件当日, (私達夫婦は偶然にもヴァーモント州にいたが) 私の息子夫婦や孫達はWTCから4ブロックしか離れていない私の自宅にいた. 事件発生から6時間経って, ようやく私の家族達は隣人の車で我々のいる北部へ脱出できた.
我々にとって9/11は報道の中の出来事ではなかった.」
 
 この作品はライヒ自身には深い意味をもつものであろうが, 事情を知らない他者から見れば「悪趣味」と捉えられかねない作品である.
 作品を収録したノンサッチ (Nonesuch) 版のCDに用いられたカヴァー写真に対しても批判が殺到したため, 後に写真は差し替えられたという. ライヒ自身は当初は問題の写真 (下記写真左) の採用に同意していたものの, 聴者にこの曲の本質が歪曲される可能性を危惧して差し替えの提案に応じたらしい.

 
 
『WTC 911』CD (7559-79645-7)
(左:発売当初のもの / 右:現行のもの)
 
 曲は, "9/11/01", "2010", "WTC" なる3つの楽章から成り, 音声録音と3群の弦楽四重奏という編成で演奏される (無論,「オーヴァーダブプレイ」による演奏形態も想定されている).
 
 各楽章における「
スピーチメロディー」がスコアにおいて
 

 
のように記載される点については, 以前の作品 (例えば『ディファレント・トレインズ』や『ザ・ケイヴ』など) と変わりはない.
 言葉の最後の母音を延長する手法を, ライヒ自身は「ストップアクション・サウンド」(stop action sound) と呼ぶ.
 
 用いられる録音は, 北米航空宇宙防衛司令部 (NORAD) の航空管制官, 事件現場のニューヨーク市消防局 (FDNY) の職員, 当時を顧みて語るライヒの友人や隣人, 遺体を収容した検視官事務所の外で徹夜で祈りを捧げていた女性達の声の録音である.
 
 各楽章における主な台詞は次の通りである.
「第1楽章 "9/11"」
 "They came from Boston. Goin' to L.A. and they're headed South." (ボストン発ロサンゼルス行きが南に向かっている)
 "They're goin' the wrong way" (進路を誤っている)
 "
no contact with the pilot whatsoever" (パイロットの応答なし)
 "Plane just crashed into the World Trade " (旅客機がWTCに激突した)
 "There's been a major collapse" (大規模な崩壊が起きている)
 "I'm trapped in the rubble" (瓦礫の中に閉じ込められた)
 "the second plane" (2機目の旅客機だ)
 "I can't breathe much longer" (私はもう息ができない)
 "Other tower just collapsed" (もう一つの建物も倒壊した) 
「第2楽章 "2010"」
 "the first plane went straight went straight over our heads and into the building" (最初の飛行機が一直線に我々の頭上を飛んで建物に突っ込んだ)
 "one of the towers just in flames" (建物の一つが炎上している)
 "we all thought it was an accidentr" (我々は皆, 事故だと思った)
 "Then the second plane hit" (そして2機目の飛行機がぶつかった)
 "It was not an accident" (事故ではなかった)
 "People jumping from the building" (人々が建物から飛び降りている)
 "it was chaos" (カオスだった)
 "The ground started shaking" (地響きが起こり始めた)
 "The building came down" (建物が倒壊した)
 "Suddenly it was black outside" (突如として外が真っ暗になった)
 "Debris engulfed everybody" (瓦礫が皆を呑み込んだ)
「第3楽章 "WTC"」
 "The bodies were moved to large tents large tents" (遺体の数々が巨大テントへ運ばれた)
 "On the east side of Manhattan" (マンハッタンのイーストサイドで)
 "I would sit there and recite Psalms all night" (そこに座して一晩中「詩篇」を詠唱しよう)
 "HaShem yi-shmar tzayt-chah u-vo-eh-chah may atah va-ahd olahm"
  (ヱホバは今よりとこしへにいたるまで汝のいづると入るとをまもりたまはん ) 
 "Hinay ah-nochi sho-lay-ach malach l'fa-nay-chah l'shmar-chah ba'darech va'laha-via-chah el ha-makom asher ha-kinoti"
  (視よ我天の使をつかはして汝に先だたせ途にて汝を守らせ汝をわが備へし處に導かしめん)
 
 最後のヘブライ語の2句は旧約聖書からの抜粋であり, 各々の出典は, 詩篇第121篇8節, 出エジプト記第23章20節である.
 
 第1楽章における事件当初に関わる場面では, 緊迫感を醸し出す連続八分音符による不協和音の定型パルスが弦楽四重奏により奏出され続ける.
 これは曲終においてフェイドアウトするが, その後, 四分音符で2拍分の全休符が4小節に渡って記譜されるにも拘らず, アタッカの指示で第2楽章に入るのである.
 

 第2楽章の冒頭部は「スピーチメロディー」及び長音価のハーモニーにより構成され, やがて弦楽による八分音符ののパルスが強い音勢で開始される.
 "
Totally silent" (完全なる静寂)
という台詞以降は再びパルスは停止し,「
スピーチメロディー」及び長音価のハーモニー平穏な音楽に変わる. 第1楽章と同様, 曲終では全休符をもつ小節が3小節に渡って続いた後, アタッカの指示で第3楽章へ入ることになる.
 
 終楽章は\(\,\mathrm{\small{C}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)による美しいハーモニーで始まる.
 「詩篇」による典礼音楽をチェロ・カウンターポイント』初演者であるイスラエル出身のマヤ・バイザーが詠唱する. この箇所では緩やかに揺蕩う平行五度のカノンが現れ,
神秘的な雰囲気を醸し出している (下記譜例 (1)).
 続く「出エジプト記」の詠唱部分におけるハーモニー及びカノンがもつ崇高な響きは, ライヒの作品の中でも格別のものと言えよう (下記譜例 (2)).
 

 

 
 この「出エジプト記」の詠唱の直前に付された
 "The world to come, I don't really know what that means"
  (来たる世が何を意味するかは知らない)
なる歌詞は, ライヒの友人である作曲家デイヴィッド・ラング (David Lang) のチェロアンサンブル曲『来るべき世界』(
World To Come, 2003) から得ており,『WTC 9/11』には「世界貿易センター」(World Trade Center) と併せて二重の意味が込められている (因みに, 終楽章ではラング自身の音声録音も聞こえる).
 
 ユダヤ教では, 死後から埋葬まで死者に付き添い, 埋葬時まで魂に寄り添うという. ライヒはその創作活動において, この事件に関して何らかの姿勢を示さずにはいられなかったのであろう.
 
 2011年,「ロサンゼルス・タイムズ」のケヴィン・バーガー (Kevin Berger) に対するインタヴューによれば, ライヒは「9/11のような事件から芸術を創出する際の危険性を承知している」という. しかし「感情の炎の中で個人的な物語を語りながら作曲すること」を重んじ,「感情の激しさをもたない音楽は長続きしない」と語っているのである.
 

 
レディオ・リライト Radio Rewrite 2012
 2010年にポーランドの音楽祭で出会ったグリーンウッド (Jonathan Greenwood) の演奏はライヒの注意を引いたらしい. その後, 彼が所属するロックバンド「レディオヘッド」(Radiohead) の音楽を聴き, その中の2作品 "Everything in Its Right Place", "Jigsaw Falling into Place" を元に作曲した5楽章から成る作品が『レディオ・リライト』である.
 
 ライヒによれば, 前者は偶数楽章に, 後者は奇数楽章に採用され, その旋律や和声の断片が引用されているという.
 

『レディオ・リライト』CD
(Nonesuch 7559-543123-2)
 
 両者を聴き比べたところで, 特に互いの関連性を想起するような共通点は見出せない.
 例えば, "Jigsaw" 冒頭部のコード進行は
  \(\mathrm{\small{Bm}},\,\) \(\mathrm{\small{F}}\sharp\!\:/
\mathrm{\small{A}}\sharp,\,\) \(\mathrm{\small{D}}\!\:\mathrm{\small{maj}}7,\,\) \(\mathrm{\small{D}}6,\,\) \(\mathrm{\small{G}}\!\:\mathrm{\small{maj}}7,\,\) \(\mathrm{\small{G}}6,\,\) \(\mathrm{\small{D}}\!\:\mathrm{\small{maj}}7\!\:/\!\:\mathrm{\small{F}}\sharp,\,
\cdots\cdots\)
であって拍子は4拍子である. また, "Everything" 冒頭部のコード進行は
  \(\mathrm{\small{C}},\,\) \(\mathrm{\small{D}}\flat\!\:\mathrm{\small{maj}}13,\,\) \(\mathrm{\small{Cm}}\!\:/\mathrm{\small{E}}\flat,\,\cdots\cdots\)
であって拍子は4拍子と6拍子を交互に繰り返す.
 
 一方,『
レディオ・リライト』は, 第1, 第5楽章は一貫して\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であり, 前者は変拍子, 後者は3拍子である. 第2楽章の調号は\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},\,
\)\(\,\mathrm{\small{d}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であり, 長音価のハーモニーのみで拍感はない. 第3, 第4楽章の調号は\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},\,
\)\(\,\mathrm{\small{d}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},\,\)\(\,
\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}},\,
\)\(\,\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)(隣接部分間の調号は短三度または増二度の音程差) である.
 
 楽曲構造全体は『
マレット四重奏』とほぼ同様である.『マレット四重奏』の項において, 第1楽章における和音の変化は僅かであると述べた.『レディオ・リライト』の第1楽章においてピアノが奏出するリズムパターンは更に少なく, 僅か8種類である.
 
 ライヒは, この曲のスコアにおいて『
レディオ・リライト』は「レディオヘッド」の楽曲の「変奏曲」ではないと述べている. 無論,「編曲」でもなかろう.
 ライヒはこのような「リライト」は西洋古典音楽の中にも古くから現在に至るまで存在すると指摘し, 20世紀における例としてストラヴィンスキー (Igor Stravinsky) のバレエ音楽『プルチネッラ』(Pulcinella) を挙げている.
 
 興味深いことに, ライヒは続けて彼自身の作品『
帽子を描き終えたら』(Finishing the Hat - Two Piano, 2015) に言及するのである.
 

 2015年にノンサッチからリリースされたピアノ曲集「ソンドハイム・ピアノ再想像」(Re-Imagining Sondheim) において, ライヒはソンドハイム (Stephen Sondheim) の作詞作曲によるミュージカル『日曜日には公園でジョージと共に』(Sunday in the Park with George) の第1幕の中盤に歌われるアリア『帽子を描き終えたら』(Finishing the Hat) に基づく2台ピアノ版を書いたのであった.
 

『ソンドハイム・ピアノ再想像』CD
(ECM 4811780)
 
 これも「変奏曲」や「編曲」とは異なるであろう. 原曲の旋律 (譜例 (1)) をモチーフとしたリライト版 (譜例 (2)) である.
 

 

 
 レディオ・リライト』の場合よりも互いの関連性は明白である. 共に\(\,\mathrm{\small{Ges}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)であり, メロディーラインも明瞭に読み取れる.
 
 上記譜例において, 第2ピアノによる連続パルスはライヒの作品に特徴的な音型である. これをスーラ (Georges Seurat) の点描画法の暗示と見做すのは穿ち過ぎであろうか. 実際, このミュージカルは, スーラの代表作「グランジャット島の日曜の午後」に纏わる物語である.
 
 その意味では帽子を描き終えたら』は
評価できる作品であるが, ライヒが例に挙げた『プルチネッラ』の完成度に鑑みると手放しで賞賛するわけにはいかないであろう.
 『プルチネッラ』も編曲作品ではないが, ペルゴレージ (Giovanni B.Pergolesi) 等による
原曲の魅力が, 斬新な和声及び巧妙な管弦楽法により原曲以上に引き出されているからである.
 
 その観点で見ると,『
帽子を描き終えたら』については, やはり優れた管弦楽法をもって美しく仕上げたソンドハイムによる原曲の方に軍配を挙げざるを得ないであろう.
 

 
カルテット (四重奏) Quartet 2013
 西洋古典音楽の分野では,「四重奏」と言えば多くの場合は「弦楽四重奏」であり, 次いで「ピアノ四重奏」となる.
 ライヒの作品における「四重奏」は, オルガン四重奏を用いる『
4つのオルガン』や『フェイズ・パターン』, 弦楽四重奏を用いる『ディファレント・トレインズ』や『トリプル・カルテット』や『WCT 9/11』に加え, ヴィブラフォン2台とマリンバ2台のための『マレット・カルテット』がある.
 

『四重奏』スコア
(Boosey & Hawkes, 2017)
 
 この『四重奏』は, ヴィブラフォン2台とピアノ2台のためのアンサンブル作品である. カーネギーホールやジュリアード音楽院など複数の団体による委嘱で作曲され, コリン・カリー・グループにより初演された. ライヒは, 長年に渡って彼の作品を演奏してきたコリン・カリーに敬意を表して『四重奏』を彼に献呈している.
 
 急-緩-急の3楽章構成, 変拍子による不規則なリズムパターンと頻繁な転調, 打楽器的な奏法により展開されるその作曲手法は, 2000年以降の多くの作品に見られる手法と大差はない.

 
 ただし, 第1楽章の独特のリズムやハーモニーは耳目を惹くであろう. 多くの作品に見られるような連続した八分音符による規則的なパルスは持続されず,
開始直後に長音価の和音により音楽の流れが一旦中断されるのである.
 

 
 ここに現れるハーモニーは\(\,\mathrm{\small{D}}\!:\!\mathrm{\small{II}_{\!\:9}}\,\)及び\(\,\mathrm{\small{F}}\!:\!\mathrm{\small{II}_{\!\:9}}\,\)である. これらは『ヴィブラフォン, ピアノ, 弦楽器のための変奏曲』に現れたハーモニーであるのみならず, 以後に現れる調性が \(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\mathrm{\small{As}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}
\), \(\mathrm{\small{H}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)である点についても共通している.
 
 第1楽章は,
ハーモニーが頻繁に移り変わる点, 短音価と長音価の音符が混合する点, ダイナミクスの変化による音色の差異が生じる点, などにより聴く者を惹き付ける要素に富んでいると言えよう.
 
 なお, 第2, 第3楽章の構造も『
マレット四重奏』や『二群の六重奏』などとほぼ同様である.
 第2楽章には特に注意すべき点は見当たらないが, 第3楽章はその頻繁なるハーモニーの変移が聴者に新鮮な印象を与えるであろう.
 中間部に, 幾許かの旋律らしきものがヴィブラフォンにより奏出される.
 

 
 曲終では上記の第1ピアノに見られる変拍子のリズムが4奏者により継続され, ハーモニーは徐々に\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)のトニックへと収斂するように見える. 最後の和音は長音価であるが, 属音を根音とする\(\,\mathrm{\small{A}}\!\:\mathrm{\small{sus}}\!\:4\,\)であるため,『2×5』と同様, 終始感には疑問符が付くであろう.
 

 
パルス Pulse 2015
 同一音価の音符や休符の連続奏出により構成される「パルス」は,『ドラミング』,『拍手の音楽』,18人の音楽家のための音楽』などを初めとして, 多くのライヒの作品に見られる特徴の一つである.
 「パルス」を特徴とする作品のほとんどが, 近作の2×5』や『マレット四重奏』に至るまで, 漲るようなエネルギーを有している.
 
 しかし, この『パルス』は, 敢えてタイトルに掲げられているにも拘らず
極めて控えめな「パルス」に留まり, レガート奏法によるメロディーやハーモニーを聴かせる作品になっている.
 
 実際, この作品における編成は, 柔和な音色をもつ楽器により構成される.
 すなわちフルート2, クラリネット2, ピアノ, エレクトリック・ベース, 第1ヴァイオリン2, 第2ヴァイオリン2, ヴィオラ2であり, これまで「パルス」を担う主要楽器であった筈の打楽器 (マレット楽器) が一切含まれていない.
 
 ライヒのアンサンブル作品は, 西洋古典音楽に見られるような一般的な楽器編成をもたない. それゆえ, 彼の作品のスコアの多くには楽器配置図が掲載されている. これは,「音響効果上」ではなく「実演上」において必要とされる配置であり, 例えば『
パルス』のスコアには下図が掲載されている.
 

 
 アンサンブル作品とは言え, ライヒの作品の場合は指揮者を立てる場合がある.
 『
パルス』は約16分の演奏時間を要する単一楽章の作品であり, 曲頭から曲終まで拍子やテンポは全く変わらない. 「パルスコンダクター」の手法が採れるならば指揮者は不要である.
 しかし, 打楽器や鍵盤楽器に対して音の立ち上がりが鈍い弦楽器やリード楽器を用いている点, 肝心の「パルス」が極めて控えめである点が, この作品において指揮者を要する所以であろう.
 
 単一楽章であるが, ブージー&ホークス版のスコア (2018) にはセクションの記載がある.
 \(\mathrm{\small{I}}\) (1~49小節) \(\mathrm{\small{II}}\) (50~81小節) \(\mathrm{\small{III}}\) (82~123小節) \(\mathrm{\small{IV}}\) (124~153小節)
  \(\mathrm{\small{V}}\) (154~181小節) \(\mathrm{\small{VI}}\) (182~239小節) \(\mathrm{\small{VII}}\) (240~276小節), 
 \(\mathrm{\small{I}}\) (277~337小節) \(\mathrm{\small{II}}\) (338~402小節) \(\mathrm{\small{III}}\) (403~464小節) \(\mathrm{\small{IV}}\) (465~524小節)
  \(\mathrm{\small{V}}\) (525~609小節) \(\mathrm{\small{VI}}\) (610~688小節) \(\mathrm{\small{VII}}\) (689~745小節), 
 \(\mathrm{\small{I}}\) (746~787小節)
 

 スコア上における調号は, \(\mathrm{\small{I}}\,\)のみが\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)で他は全て\(\,\mathrm{\small{fis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)である. ライヒによれば,「頻繁な転調を見せた前作の『四重奏』に対する反動」であるという.
 ただし, これはあくまでも記譜上の調号に過ぎない. 実際には, 臨時記号により幾種類にも移調されるからである. 例えば聴者は, 1回目の\(\,\mathrm{\small{III}}\,\)においては\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)や\(\,\mathrm{\small{Es}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)を, 2回目の\(\,\mathrm{\small{III}}\,\)においては\(\,\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)や\(\,\mathrm{\small{cis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)を聴き取るであろう.
 
 第1フルート, 第1クラリネット, 第1ヴァイオリンにより基本主題が提示される冒頭部 (\(\mathrm{\small{I}}\)) は, 長音価によるハーモニーが付随するのみでパルスは現れない.
 

 
 次に, 第2フルートと第2クラリネットによりこの基本主題は1拍分だけ開始を遅らせて併奏され, 二声のカノンが形成される. ここでピアノにより連続八分音符によるパルスが静かに開始される.
 
 

 
 基本主題の3巡目は2本のフルートと第1クラリネットにより三声のカノンが奏出され, ベースによるパルスも加わる. 4巡目は第2クラリネットが加わって四声のカノンが形成されるのである.
 
 以下, 簡潔に楽曲構造を記しておく.
 
 \(\mathrm{\small{II}}\,\)は三声のカノンであり, 臨時記号による\(\,\mathrm{\small{C}}\,\)音が現れ, 部分的に\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)が聴き取れる.
 
 \(\mathrm{\small{III}}\,\)は前半は二声のカノンでり, ピアノは八分休符を含めてややリズミカルなパルスを奏出し始める. これは3小節 (下記譜例) を1セットとして反復される.
 因みに, ピアノによるパルスは, (この曲全体を通して) 休符を含む場合とそうでない場合で音量 (音色) に差異が生じるように指示されている.
 

 
 後半は四声のカノンであり, ピアノは連続八分音符のパルスに戻る.
 
 \(\mathrm{\small{III}}\,\)は完全四度または五度の二声の基本主題で二声のカノンが奏出される. ピアノによるパルスは休符を含むリズミカルなものである.
 
 \(\mathrm{\small{VI}}\,\)も同様の二声のカノンで, ピアノによるパルスは連続八分音符である.
 
 \(\mathrm{\small{V}}\,\)は三度または六度を含む二声のカノンで, ピアノによるパルスのみ (ベースは休止) となるが, \(\mathrm{\small{VI}}\,\)は二声の基本主題による二声のカノンで, ベースによる連続八分音符のパルスのみ (ピアノは休止) となる.
 
 \(\mathrm{\small{VII}}\,\)も同様の二声のカノンであり, ピアノ及びベースによる連続八分音符のパルスが奏出される.
 
 二巡目の\(\,\mathrm{\small{I}}\)~\(\mathrm{\small{VII}}\,\)は謂わばこの曲の展開部に相当する.
 臨時記号を伴う種々の調性が現れ, \(\mathrm{\small{IV}}\,\)においては調性を崩壊させるかのような不協和音が頻出する.
 また, 基本主題の「
拡大型フェイズシフト」が形成され, 例えば\(\,\mathrm{\small{VII}}\,\)においては, 4本の木管楽器が相異なる開始位置をもって長音価の音を奏出することでペダリング効果を得ている.
 
 曲終の\(\,\mathrm{\small{I}}\,\)では, ベースのみ (ピアノは休止) による連続八分音符のパルスを伴い, 第1フルートと第1ヴァイオリンによりユニゾンの基本主題 (拡大型フェイズシフト) が1回だけ静かに奏出される. 最後の4小節はベースによるパルスも消え, 弦楽器群による\(\,\mathrm{\small{h}}\!:\!\mathrm{\small{III}_{\!\:9}}\,\)のハーモニーを笙のように微かに響かせながらフェイドアウトするのである.
 
 歌詞は存在しないが,
控えめなパルスと伴う静謐な雰囲気を漂わせる聖歌と言えよう. 系列としては,『二重奏』(1993) から『旅人の祈り』(2021) へと至る階梯的な作品である.
 

 
ランナー Runner for big ensemble 2016
 この作品の冒頭部分は, 2024年現在, 毎週日曜日の朝に放送されるNHK-FMの番組「現代の音楽」のオープニング及びエンディングで使用されている.
 
 私がこの番組の放送を聞き始めた学生時代以来, 助川敏弥 (Sukegawa Toshiya) の「NHK現代の音楽テーマ曲」(1989), ケヴィン・ヴォランズ (Kevin Volans) の「ホワイトマン・スリープス」(White Man Sleeps, 1986), トーマス・アデス (Thomas Adès) の「イン・ゼヴン・デイズ」(In Seven Days, 2008) など, そのテーマ曲として採用された音楽は聴者の耳を惹く優れた作品ばかりであった.
 ライヒの『
ランナー』もこれらの音楽に比肩する音楽であり, 番組のオープニングでこの曲が始まると, 聴者は (少なくとも私自身は) 心理的に番組内容への期待感を昂揚させられるのである.
 
 ライヒによれば, この標題は「
急速なオープニングと, ランナーのようにペースを適切に調整しながら音楽を進めることを意識した」ことによるものであるという.
 
 この作品は, 二群のアンサンブルから構成される. 各グループは, フルート, オーボエ, クラリネット, ヴィブラフォン, ピアノ, ヴァイオリン2, ヴィオラ, チェロという編成をもち, 第二群はこれらに加えてコントラバスが付加されている.
 
 約16分の演奏時間を要する作品であり, 全体は連続して演奏される5つの楽章
 I - Sixteenths
 II - Eighths
 III - Quarters
 IV - Eighths
 V - Sixteenths
から成る. CDジャケットに記載されている楽章ごとのタイトルは, スコアには記載されていない.
 
 
『ランナー』CDとスコア
(Nonesuch 4943674364176, Boosey & Hawkes, 2021)
 
 これらのタイトルは, ライヒ自身による「第1, 第5楽章は十六分音符, 第2, 第4楽章は不規則なアクセントの8分音符, 第3楽章は極めて緩やかなガーナのベルパターン」なるコメントに由来するものであろう.
 
 これまでのライヒの作品において現れる連続パルスは, 同一音の連続による (あるいは二種の音を二奏者が交互に奏出することで同一音の連続を錯覚させる) 場合が多かった.
 
 この『
ランナー』以降,『アンサンブルと管弦楽のための音楽』及び『ライヒ/リヒター』の3作品に現れるパルスは, ピアノ奏者が二種の和音を交互に奏出する構造をもつ (譜例 (1)).
 ここに, フルート及びヴァイオリンによる十六分音符の細かな動きを基本主題とする二声のカノンが形成されるのである (譜例 (2)).
 

 
 
 
 『パルス』と対照的に, 転調は頻繁に行われる.
 \(\,\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)で開始された音楽は, 以後, \(\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{B}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)へと遷移する.
 
 ここに現れる
オーボエの音色 (50小節以降) は『管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための音楽』や『ザ・フォー・セクションズ』以来であり, 聴者には新鮮に響くであろう.
 

 
 その後も, \(\mathrm{\small{b}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{Es}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{g}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)のように転調が続く.
 
 第2楽章に入るとピアノにより休符を含むやや穏やかなパルスが始まるが, テンポに変化はない. 第3, 第4楽章に至るまで頻繁な転調のもとに種々のカノンが続く. 第3楽章では音価の長い緩やかなパルスが奏出される. 第4楽章の後半ではカノンは消失し, 連続パルスの奏出に管楽器も加わる. このパルスが全体として華やかなハーモニー進行を紡ぎ出すのである.
 
 第5楽章は再び第1楽章と同様に輪郭の明確なパルスが復活し, 十六分音符による細かな動きもつ基本主題が提示される.
 その直後 (379小節以降) に, 弱拍にアクセントをもつ耳新しい響きが現れる. これは, 主に第1フルート, 第1オーボエ, 第2ピアノと2台のヴィブラフォンにより奏出されるものであるが, 各楽器の音色がバランスよく調和されて生じる
オーケストレーション効果と言えよう.
 

 
 これは, 他のライヒの作品には見られない, 独特の美しさをもっている.
 
 曲終では弦楽器群が長音価によるハーモニーを持続する中, 木管楽器群は個々に異なる2音のトリルを順次奏出し始める. 2本のフルート, 2本のクラリネットが, 互いに開始位置に差異を設けてこのトリルによる反復音型をフェイドイン, フェイドアウトさせ,「
連続型ディゾルヴシフト」を構成する. 同時に, 徐々にハーモニーが遷移する「ハーモニーシフト」の手法も現れるのである.
 このトリルを用いた書法はライヒの作品としては初登場であるが, 後に『
アンサンブルと管弦楽のための音楽』や『ライヒ/リヒター』の曲終においても採用されることになる.
 
 \(\mathrm{\small{e}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)のハーモニーの中で, 寂寥感を漂わせながらフェイドアウトするように音楽を終えるのである.
 

 
ボブのために For Bob 2017
 1964年に創業した米国のレコード会社ノンサッチ (Nonesuch Records) は, これまでライヒの多くの作品を世に送り出してきた. 30年以上の長きに渡ってその運営に携わってきたロバート・ハーウィッツ (Robert Hurwitz) は, 2017年に社長職を退いて名誉会長に就任したのであった.
 
 ロバート (愛称ボブ) の長年の友人であるジョン・アダムス (John Coolidge Adams) は, 彼の名誉会長就任に祝意を表すために,
彼と親しく仕事を共にしてきた作曲家達にピアノ独奏曲の作曲を提案したのである. それは「ピアノを嗜むボブ自身が演奏するための曲」なる条件付きであったという.
 
 この提案に賛同した作曲家は, アダムスの他, グラス (Philip Glass), アンドリーセン (Louis Andriessen), アンダーソン (Laurie Anderson), アンドレス (Timo Andres), デネヒー (Donnacha Dennehy), メルドー (Brad Mehldau), マーリー (Nico Muhly), メセニー (Pat Metheny), ニューマン (Randy Newman), そしてライヒであった.
 
 数少ないライヒのピアノ独奏曲であるが, 楽譜は市販されていない. 上記作曲家の作品と共に1枚のアルバム "I still play" がノンサッチから出版されているのみである.
 

"I still Play" CD
(Nonesuch 7559-79891-2)

 
 この録音において『ボブのために』を演奏したティモ・アンドレス (Timo Andres) は, この作品について「電気処理や事前録音を用いないソロ・パフォーマー用として書かれた極めて珍しい作品」と述べている.
 
 頻繁に転調するが, 現れる調性は主に\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}},\) \(\,\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}},\) \(\,\mathrm{\small{B}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の3種類である.
 
 ジャズの影響を滲ませた密集和音と変拍子のパルス, テンポを緩めての解放的で即興的な\(\mathrm{\small{B}}\!\:\mathrm{\small{m}}\!\:\!\:1\!\!\:1\,\)の分散和音. 近作に多く見られたような (
スピーチメロディーとは無縁の) 不合理な変拍子や, 一貫性のない連続不協和音を含む冗長な音列が, そこには一切ない. 過不足なく簡潔に書かれた逸品である.
 
 アンドレスはCDのライナーノートにおいて「曲終には『六重奏』のそれのような輝かしい梯子を昇るような明るさがある」と述べている.『
ボブのために』の曲終は\(\,\mathrm{\small{G}}\,\)\(\mathrm{\small{sus}}\,2\) のパルスで音勢を強め, 長音価による最後の和音で聴者に解放感をもらたすものである.
 
 

 
アンサンブルと管弦楽のための音楽 Music for Ensemble and Orchestra 2018
 『アンサンブルと管弦楽のための音楽』は, フルート2, オーボエ2, クラリネット2, ヴィブラフォン2, ピアノ2, 第1ヴァイオリン2, 第2ヴァイオリン2, ヴィオラ2, チェロ2, コントラバス1, エレクトリック・ベース1から成るアンサンブルと, トランペット4, コントラバスを除いた弦楽四部から成るオーケストラという編成をもつ.
 
 ライヒによれば, この作品は「ソリストが 1 人以上存在するバロック時代のコンチェルト・グロッソの延長」であるという.
 
 ライヒ自身が「ランナー』をモデルとしている」と述べる通り, この作品は『
ランナー』と極めて似た楽曲構造をもっている. これらの2曲は共に前掲のCD (Nonesuch, 4943674364176) に収録されており, 5つの楽章に付された楽章ごとのタイトルも『ランナー』のそれと全く同一である.
 
 『
ランナー』の項で述べた通り, この作品と同様, 冒頭部はピアノ奏者が二種の和音を交互に奏出する (譜例 (1)).
 ここに, フルート及びヴァイオリンによる十六分音符の細かな動きを基本主題とする二重カノンが形成されるのである (譜例 (2)).
 

 

 
 『ランナー』においてはオーボエの音色に新鮮味があった. この曲ではトランペットの音色聴者には新鮮に響くであろう. いや, それ以上に, エレクトリック・ベースやコントラバスなど低音域楽器部による十六分音符の短い音価で奏出されるオブリガートが耳を引くであろう (53小節以降).
 

 
 第2楽章に入るとピアノにより休符を含むやや穏やかなパルスが始まるが, テンポに変化はない. 第2, 第4楽章は弱拍にアクセントをもつ上行型のユニゾンで奏出されるパルスが印象的である.
 第5楽章の後半でやや不規則性が現れるが, 全楽章とも\(\mathrm{\small{fis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{C}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\), \(\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{dis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の順に調性を変移させる.
 
 曲終では『ランナー』と同様, 弦楽器群が長音価によるハーモニーを持続する中, ヴィブラフォン及び木管楽器群は, 個々に異なる2音のトリルを順次奏出し始める (586小節以降).
 フルート同士やクラリネット同士が互いに開始位置に差異を設けてこのトリルによる反復音型をフェイドイン, フェイドアウトさせ,「連続型ディゾルヴシフト」を構成するのである. 同時に緩やかにハーモニーを遷移させる「ハーモニーシフト」も聴かれるであろう.
 

 

 
 『ランナー』と同様の手法であるが, この作品の方が美しさに加えて儚さを感じさせるであろう.18人の音楽家のための音楽』の項で持ち出した『方丈記』を想い起こさせるのである.
 

 
ライヒ/リヒター Reich/Richter 2019
 この曲は,『ザ・ケイヴ』,『3つの物語』と同様, 映像に附随する音楽として作曲された. ただし, オペラではない.
 ドイツの画家ゲルハルト・リヒター (Gerhard Richter) とドキュメンタリー映画監督コリ-ナ・ベルツ (Corinna Belz) の共同制作動画 "Moving Picture (946-3)" (2017) に附された音楽である.
 
 リヒターは, 自身の著書『パターンズ』(Patterns, 2011) において, 彼自身が制作した抽象画 "Abstract Painting [CR: 724-4]" を縦に二つに分割, それを更に二つに分割し, 次々と細分化していく手法をもって238にも及ぶパターンを制作した.
 
 『
ライヒ/リヒター』は, 補色調和を特色とする彩度の高い抽象画 "Abstract Painting [946-3]" (2016) を元に同様の手法をもって制作された動画と共に上演される.
 
 原画を二つに分割し, それを更に二つに分割し, その中の二つを反転 (鏡映化) して対称に配置, これを次々に細分化鏡映化していく. 分割数は2の冪乗を成し, やがては 4096本 (2の12乗) もの細長い帯状のデザインにまで分割するのである.
 
 そのプロセスは緩やかなアニメーションで示される. 元が抽象画であるから漸次的に現れる映像が何か特定の被写体を表すわけではない. 目の前で色鮮やかなデザインが緩やかに変化していく映像はロールシャッハ・テストのような形状を想わせ (ライヒは「生き物」と形容する), 音楽と相俟って視聴者を忘我の境地へと惹き込んでいく.
 
 2020年に出版されたCD
 

『ライヒ/リヒター』CD
(Nonesuch 7559-791189-3)
 
のカヴァージャケットには, 赤と黒で構成された横縞模様がデザインされている. 上演された約37分間の動画では無数の色の帯が動く映像が投映され, 映像は分割されて次々と不可思議なデザインを緩やかに展開していくのである.
 
 上掲のCDは, 全曲を次の4つのトラックに分けている.
 I: Opening 9'08" (1~323小節)
 II: Paterns & scales 10'03" (324~661小節)
 III: Cross fades 12'53" (662~1072小節)
 IX: Ending 4'34" (1073~1229小節)
 ただし, スコアにはこのような記載はない.
 
 この作品は, ニューヨークにある芸術センター「ザ・シェッド」(The Shed) において,「ライヒ・リヒター・ペルト」(Reich Richter Pärt) の一部として初演された.
 
 観客は, リヒターの絵画を鑑賞中, 観客と一緒に部屋の中に分散している合唱団員がアルヴォ・ペルト (Arvo Pärt) の合唱曲『ファティマの3人の羊飼いの子供達』(Drei Hirtenkinder aus Fátima) を歌うのをフラッシュモブのような感覚で聴くことになる.
 
 その後, 観客は隣の部屋に移動し, 待機していた演奏者による『
ライヒ/リヒター』の音楽と共にスクリーンに投映される動画を鑑賞することになるのである.
 
 楽器編成は, フルート2, オーボエ2, クラリネット2, ヴィブラフォン2, ピアノ2, 弦楽四重奏である.
 "Opening", "Paterns & scales", "Cross fades", "Ending" の4つのセクションから成るが, 実演上は分断されることはない. 冒頭部からピアノによる連続十六分音符のパルスから開始される点は前2作品と同様である.
 

  
 以下, フルート, クラリネット, ヴィブラフォン, ……のように, 各楽器が十六分音符で構成される異なる2音のトリル (ライヒは「振動」と称する) を順次奏出し始める. これは,『ランナー』や『アンサンブルと管弦楽のための音楽』の曲終で採用された手法に他ならない.
 
 \(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)で開始される冒頭部において現れる「振動」は
 


 
 
の14種類である (Fl.1→Cl.1は, 同一音型が第1フルート奏者から第1クラリネット奏者へと引き継がれることを表す).
 
 旋律は全く現れず, この「振動」をフェイドイン, フェイドアウトをもって反復しながら「ハーモニーシフト」の手法をもって徐々に和声を変遷させていくのである.
 
 最初の転調で\(\,\mathrm{\small{d}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に至ると, 2音間のトリルは姿を変え, 4個の十六分音符で構成される基本音型の反復が始まる.
 

 
 この音型は木管楽器にも受け継がれ, より息の長い8個の十六分音符で構成される基本音型となる. 分散和音とも旋律とも解釈し得る音型が次第に増えていく.
 

 
 基本音型を構成する十六分音符の個数は4の倍数個なる条件を保持しながら増えていく. その後に現れるバロック音楽を想わせる反復音型は耳を引くであろう (下記譜例).
 

 
 とは言え, 大局的にはハーモニーの変遷である. 木管楽器や弦楽器による長音価のハーモニーを中心としつつ, ヴィブラフォンまたはピアノによるパルスが附随するのである.
 
 全曲を通じて, 弦楽器が旋律やパルスを奏することはない. 部分的に旋律らしきフレーズを担当する部分もあるが, 多くはハーモニーのみを奏出する. その間, 強い音勢 (メッゾフォルテやフォルテ) が指示されることはほとんどなく, 大半は弱奏 (ピアノまたはメッゾピアノ) である.
 
 唯一の例外として, 上記譜例の音型が現れる直前に, チェロにより
僅か2小節 (6拍) 間でピアノからフォルテッシシモに至るクレッシェンドが現れる (176~177小節). 他のパートは弱奏のまま前後変わらず淡々と奏出する中をチェロのみが突如として最強音の\(\,\mathrm{\small{E}}\,\)音を奏出するのである (178~183小節). ライヒはこの点に関しては (スコア及びCDのライナーノートにおいて) 何も言及していない.
 
 『
管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』と同種の「ハーモニーシフト」が『ライヒ/リヒター』には存在する. 前者はフェイドイン, フェイドアウトを伴う長音価によるハーモニーであったが, 後者は上掲した譜例のように十六分音符による分散和音として現れるため, 前者よりも複雑な遷移の仕方を見せることになるのである.
 
 やがて, 分散和音とは言えないフレーズが現れる.
 2回目の\(\,\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\)への転調部分 (261小節~) において, ピアノ及び弦楽器により奏出される\(\,\mathrm{\small{gis}}\!:\!\mathrm{{\small{I}_{\!\:\!\:\!\:9}}^{\!\!\!\,1}}\,\)のハーモニー上で, フルートにより奏出される
 

 
は, もはや分散和音ではなく旋律と見てよいであろう.
 
 また, 同種のハーモニー (\(\mathrm{\small{gis}}\!:\!{\mathrm{\small{I}}_{\!\:9}}\)) 上でその直後に現れるオーボエ及びクラリネットによる上行形の連続八分音符
 

 
は, 旋律ではない. 分散和音というよりも (自然短) 音階と言うべきであろう.
 
 記譜上では, 幾種かの調号が用いられている. 原則として, \(\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{d}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\), \(\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の4種の調号 (隣接部分間の音程差は短三度または増二度) が中心であるが, 例外的に
 \(\,\mathrm{\small{C}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\) (537~556小節, 642~649小節, 1122~1125小節)
 \(\,\mathrm{\small{E}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\) (624~637小節)
 \(\,\mathrm{\small{c}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\) (650~661小節)
の3種の調号が現れる.
 ライヒが好んで用いる短三度 (増二度) の音程差で構成される原則の4種の調号は, ハーモニーを遷移させる便宜上から設定されたものに過ぎず, 音楽全体の調性を特徴づける (あるいは纏まりを付ける) 性質のものではない. 例外的に現れる調号も然りである.
 
 ピアノ及びヴィブラフォンによるパルスが消えてハーモニー遷移のみとなる部分 (814~951小節) では, ライヒの作品には珍しく低音域のみのフレーズが現れる (下記譜例 (1)). ただし, これは, 旋律とは言えず, 特殊な分散和音または長音価によるパルスとも解釈し得るであろう.
 同時に奏出される木管楽器群及び弦楽器群のハーモニーは, 各楽器ごとに奏出開始位置に差異を設けて各々がフェイドイン, フェイドアウトを繰り返すことで「
連続型ディゾルヴシフト」を形成している (下記譜例 (2)).
 

 

 
 上掲したCDにおけるセクションIVに入ると, ヴィブラフォン及びピアノによるパルスが復活し, 十六分音符による分散和音も再開される. 4の倍数個の構成音を保持しつつ, 次第に基本音型は短くなっていく. 曲終では2音から成る「振動」に回帰するのである.
 
 最後は\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)のハーモニーの中で各楽器が音勢を強めつつ, 映像の終了と同時に突如として音楽を終える.
 

 
 上掲の譜例のように, スコアにおける各小節の上部には小節番号が記載され, 更にその上部には演奏開始からの経過時間が記載されている.
 これは, 映画やテレビドラマなどの劇伴に特有の数字である. 音楽と映像との間に時間的差異が生じないようにするための指揮者への指示に他ならない.
 
 『
ライヒ/リヒター』のスコアには, 約37分間に及ぶリヒター&ベルツの映像作品に沿って, 曲頭1小節目の「0.0"」から曲終1229小節目の「36'50.4"」に至るまで, 全小節に「1.8秒」刻みで各小節の開始時刻が記載されているのである. 一貫して「4分の3拍子」及び「♩=100」であり, 全曲を通して拍子やテンポに変化はない.
 演奏時間にして正確に36分52.2秒 (=1.8秒×1229小節) を要する音楽であり,「♩=100」なるテンポ指示もこれに基づいて設定されている.
 
 余談であるが, 同一の映像には英国の作曲家レベッカ・サンダース (Rebecca Saunders) もダブルベル・トランペットと電子音響装置用に "Moving Picture 946-3" (2019) なる音楽を付けており (所要演奏時間はライヒの作品と同様で約37分), こちらは京都で初演されている.
 

 
旅人の祈り traveler's prayer 2021
 この作品に「スピーチメロディー」は用いられない. 歌詞に相応しい旋律や和声を施された純粋なる声楽作品である.
 
 歌詞は, ヘブライ語の祈祷書にある『旅人の祈り』に追加される3篇
 "
Hinay ah-nochi sho-lay-ach malach l'fa-nay-chah l'shmar-chah ba'darech va'laha-via-chah el ha-makom asher ha-kinoti"
  (視よ我天の使をつかはして汝に先だたせ途にて汝を守らせ汝をわが備へし處に導かしめん)
 "
L'shua-te-cha Kiviti HaShem, Kiviti HaShem L'shua-te-cha, HaShem L'shua-te-chah Kiviti"
  (ヱホバよわれ汝の拯救を待てり)
 "
HaShem yi-shmar tzayt-chah u-vo-eh-chah may atah va-ahd olahm"
  (ヱホバは今よりとこしへにいたるまで汝のいづると入るとをまもりたまはん) 
から採られている.
 
 これらの句は旧約聖書からの抜粋であり, 各々の出典は, 出エジプト記第23章20節, 創世記第49章18節, 詩篇第121篇8節である (上掲の訳は日本聖書協会『舊新約聖書』から引用). この内, 最初と最後の句は『
WTC 9/11』において既に採用されたものである.
 
 ライヒの言う「ヘブライ語の祈祷書にある『
旅人の祈り』」とは, ユダヤ教において自分達の居住区を離れる時に唱える『テフィラト・ハデレフ』(Tefilat Haderech) を指す.
 「我らの神, 我らの父なる神よ, 汝の御心の侭に, 平穏の内に我らを導き, 歩みを導き, 我らを支え, 生命の喜びと平穏の内に我らの目的地に到達させ給え. 旅の途中で遭遇する敵や待ち伏せ, 強盗や野獣から, そして世界に襲来する全ての懲罰から我らを救い給え. 我らの業に祝福を与え, 汝の目と我々を見る全ての人の目に私に恵みと慈悲と憐れみを与え給え. 我らに豊かな慈悲を与え, 我々の祈りの声に耳を傾け給え. 汝は全ての人の祈りを聞き給う. 祈りに耳を傾け給う神に祝福のあらんことを.」
 
 ライヒによれば, この祈りは「
この世からあの世への旅にも当て嵌まる」という.
 1936年10月の生まれのライヒは,『旅人の祈り』を完成させた2020年5月には83歳という年齢を迎えていた. 折しもパンデミックが全世界に拡がっていた. これらの要素が作曲中のライヒを内省的, 瞑想的な方向へと向かわせたことは想像に難くない.
 
 ソプラノ独唱2, テノール独唱2, ヴィブラフォン2, ピアノ, 弦楽器 (ヴァイオリン4, ヴィオラ2, チェロ2) という, 11人の奏者と4人の独唱者のための作品である. 所要演奏時間は約16分, 上記の3篇の歌詞により3つのセクションに分かれるが, 全曲は途切れることなく続けて演奏される.
 
 この曲にはライヒの音楽に特徴的な「パルス」が一切現れない. 息の長いメロディーと温和なハーモニーで構成される音楽である.
 
 第1セクションは\(\,\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の基本動機がテノール独唱により (前奏なしで) 厳かに奏出される.
 

 
 この基本動機において, 四分音符以上の音価をもつ音は各音ごとに弦楽器群により音を延長される. これは, アミアン大聖堂やケルン大聖堂のような広大な空間の中に響くペダリング効果をもたらす. 冒頭部から聴く者を荘厳で厳粛な雰囲気へと引き込むであろう.
 
 基本動機の二巡目 (40小節~), 三巡目 (115小節~), 四巡目 (217小節~) は, 二声のテノール奏者による基本動機の変奏であり, 個々の音の音価は延長される傾向をもっている.

 
 
要所々々で響くピアノによる控えめな和音は大変に美しい. 第1セクションは厳粛でありつつも, 聴く者の心を浄化する天上の音楽と言えよう.
 一方で, パルスをもたないこの曲においては, このピアノにより奏出される和音は他の奏者にとっては一種の「
パルスコンダクター」の役目も担っているという. これまでの作品では主にヴィブラフォンが担当した役目であるが, 第1セクションにおいてはヴィブラフォンは全く使用されていない.
 
 第2セクションは僅かにテンポを上げ, \(\,\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の基本動機がテノールの二重唱により奏出される. ただし, 主旋律は第1テノール (及び第1ヴィブラフォン) により奏出され, 第2テノール (及び第2ヴィブラフォン) はその変奏 (逆行や反行を含む) を奏出するのである.
 

 
 基本動機の二巡目 (363小節~) は\(\,\mathrm{\small{gis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に転調し, ソプラノ二重唱も加わって主題の反行を含む変奏が完全四度及び完全五度を用いた乾いた響きをもって奏出される. 三巡目 (414小節~)は\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に転調し, 更に基本主題に束縛されない自由な変奏が現れる.
 
 第3セクションにおける調性は再び\(\,\mathrm{\small{F}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)に戻る.
 

 
 二巡目 (487小節~) では第2ソプラノにより音価を増幅した基本動機がの変奏が奏出され, 第1ソプラノによりその反行形を含む変奏が奏出される. 三巡目 (543小節~) においては第2テノールによる基本動機の変奏に第1テノールによる反行形が奏出される.
 四巡目 (589小節~) では第2ソプラノ及び第2テノールにより主題の変奏が奏出され, 第1ソプラノ及び第1テノールにより反行形を含む変奏が奏出される.
 
 傾向としては『
プロヴァーブ』に近い作品であるが, パルスや強弱変化やテンポ変化が見られない点に鑑みて前作よりも更に厳粛な精神性を醸し出す音楽と言えよう.
 
 昨年 (2023年) に東京オペラシティにおいて開催されたコリン・カリーによる日本初演の際, ライヒは次のようなコメントを残している.
 「
晩年において聖句に曲を施した作曲家は多い. 死と正面から向き合い, 死を迎える準備をするわけだ. 生死の問題はどの国の文学にも必ず存在する. この作品では祈祷書「旅人の祈り」からの引用はない. 祈りの際に付加される聖句3篇に音楽を施した. これら3篇の言葉は人生の終末に聞くと安らかな気持ちになる. 曲中では語順を変えつつ繰り返す. 祈りを叶えるために.」
 

 
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