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スティーヴ・ライヒの音楽 I Music of Steve Reich Part I
スティーヴ・ライヒの音楽 II Music of Steve Reich Part II
スティーヴ・ライヒの音楽 I Music of Steve Reich Part I
2023年~2024年 執筆
目次 Contents
§1. 1960年代の作品
 カム・アウト / ピアノ・フェイズ / ヴァイオリン・フェイズ
§2. 1970年代の作品
 4台のオルガン / ドラミング / 18人の音楽家のための音楽 /
 大アンサンブルのための音楽 / 管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲
§3. 1980年代の作品
 テヒリーム / エイト・ラインズ / 砂漠の音楽 /
 エレクトリック・カウンターポイント / ディファレント・トレインズ
§4. 1990年代の作品
 ザ・ケイヴ / 名古屋マリンバ / シティ・ライフ / プロヴァーブ
§5. 2000年以降の作品
 カルテット / パルス / 旅人の祈り
 
§0. はじめに
 第二次世界大戦後, 作曲家達の多くはトータルセリーや不確定性など多様な方向性を模索しながら新分野の開拓を試みてきた. その中にあって, スティーヴ・ライヒ (Steve Reich) はミニマリズムを基軸とした新境地を拓き, 現代音楽としては異例と言えるほど多くの熱狂的なファンを獲得した稀有な作曲家であった.
 
 私がライヒの音楽を初めて耳にしたのは1991年の頃であったと思う. 当時, 私はまだ学生であった.
 外出先から帰宅した私は, 何げなく点けたNHK-FMラジオから流れてきた音楽に釘づけになった. 管弦楽曲らしいが耳慣れない新鮮な響きに満ちている. 木管楽器群がシンコペーションをもって短音価の音から成る完全四度や五度の和音列を反復し, 弦楽器群や金管楽器群が長音価の音から成る和音列を緩やかなクレッシェンドやデクレッシェンドをもって繰り返す音楽.
 
 音量の強弱や和声に多少の変化はあるものの, テンポや音色に変化は見られない. 通常の音楽に見られるような旋律や楽曲形式も一向に浮き出てこない. にも拘らず何とも形容しがたい不可思議な響きが強烈な牽引力をもって私を魅了するのである.
 
 聴き始めたのが曲の途中からであったため, 作曲者や曲名は不明なままである. FM放送であるから曲が終われば何らかの情報が得られるであろう. 私はペンとメモ用紙を用意した上で忘我の境地に陥りながら音楽を聴き続けた.
 
 十数分ほど経った頃, 何の予兆も終始感もなく突如として音楽は終わった.「スティーヴ・ライヒ作曲,『管弦楽, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』」とのアナウンスに, 私は弾かれるように慌ててメモをとった.
 「スティーヴ」は聞き取れたが「ライヒ」なる耳慣れない単語が人名なのかどうかが疑わしく, 曲名に至ってはその予想外の長さゆえに一度では聞き取れなかった.
 
 その後, 番組の解説者がたびたび「ライヒ」なる単語を口にするのを聞き, これが人名であることを前後の文脈から理解した. この日の放送はライヒの音楽を特集した番組であったらしい.
 
 『ドラミング』もこの放送の中で初めて聴いた. 冒頭から曲終まで執拗に反復される緊張感に溢れた印象的なリズムと和声は私を夢中にさせた.
 
 番組の最後に放送されたのは『
エレクトリック・カウンターポイント』であった. 放送時間の終了と共に曲はフェイドアウトされてしまったが, 伝統的な西洋古典音楽には存在しない独特な音響感とリズム感に私は強く魅了された.
 
 放送日の翌日以降, 銀座や渋谷の楽器店やCDショップを渡り歩き, ライヒの作品のCDを可能な限り入手した.
 当時, 現代音楽に詳しい複数の知人にライヒに関して尋ねてみたが, いずれも「(ライヒなる者を) 知らない」との回答であった. インターネットが普及していなかった当時, ライヒの人物像や作品群に関する情報源はCD付属のライナーノートに頼る他はなかった.
 
 初期のテープ音楽『カム・アウト』は,
同一の音源を2台 (以上) の再生機で同時再生させた際に徐々に生じてくる音響の差異を活用した作品である. 機械をもってこの差異を発生させることは容易であろうが, 人間が実演するとなると話は別である.
 
 『ピアノ・フェイズ』や『ドラミング』を実演する際は, 各奏者がヘッドフォンを装着し, 他の奏者の発する音を遮断して各奏者が各々異なるテンポに設定されたメトロノームパルスを聴きながら演奏するのであろう. CD鑑賞では演奏時の状況が解らないため, 私はそのように想像していた. さもなければこれが実演できるとは思えなかったからである.
 
 ところが, 事実はそうではなかった.
 
 1996年10月, さいたま芸術劇場にて開催された3日間に渡る公演において, ライヒ本人を初めとするミュージシャン達のライヴ演奏を私は初めて目の当たりにした.『
6台のピアノ』,『18人の音楽家のための音楽』,『名古屋マリンバ』など, CD鑑賞では到底得られない臨場感と緊迫感に圧倒されたことを憶えている.
 
 中でも私を驚愕させたのは, 上述した私の想像を遥かに超えた『
ドラミング』の実演であった. ヘッドフォンを装着することなく他の奏者が発する音を聴きながら奏者間における互いの僅かなテンポの差異を正確に奏出する, ミュージシャン達の強靭な集中力と超人的な演奏技巧には心底から驚嘆させられた.
 
 そのようなライヒの音楽に魅了されたのは, 無論, 私だけではない. この頃から彼の作品に魅了された人は急速に増えていったように思う.
 
 1997年9月に開催された渋谷Bunkamuraにおける『
ザ・ケイヴ』の公演は, チケットの確保が困難になるほどであった. 公演は大好評で, 翌日か翌々日には間宮芳生氏による公演報告が全国紙に掲載されたと記憶している.
 
 2008年5月にも3日間に渡る来日公演で『
18人の音楽家のための音楽』,『プロヴァーブ』,『ダニエル・ヴァリエーション』などが上演された.
 
 また, 2011年1月には, (ライヒ自身は来日してはいないが) サントリーホールにおいて私は初めて『
管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』の実演に接した. 私は, ホール全体に広がる艶やかな立体的音響感に陶酔しつつ聴き入った.
 
 2012年12月には, 東京オペラシティにおいてコリン・カリー (Colin Currie) の率いるグループによる『
マレット楽器, 声とオルガンのための音楽』や『ドラミング』を聴いた. 一体感のある隙のないアンサンブルは, 大変に印象的であった.

 

1996年10月 生誕60年記念 来日公演ポスター
 

2012年1月 コリン・カリーの公演ポスター
 
 2017年3月には, 東京オペラシティにおいてライヒの80歳記念コンサートが開催された.『テヒリーム』における演奏者達の驚異的な演奏技術に舌を巻くと共に, この音楽が放つ光輝で色彩感に溢れた華やかな音響感に酔い痴れた.
 
 この日のライヒは『
拍手の音楽』を自作自演した後, 客席後方部に設置された音響ミキサーの近くで『マレット・カルテット』や『カルテット』の演奏を鑑賞していた. 休憩時間に入るや否や, 私は図々しくもライヒの座席に押し掛けて彼に声を掛け, 直筆のサインを頂くことができた. それを見た他の一般客も彼のサインを求めて私の後ろに列を成し始めたことを憶えている.
 
 2023年4月に東京オペラシティで開催されたコリン・カリーの公演では,『18人の音楽家のための音楽』や『ダブル・セクステット』の他, 本邦初演となる『旅人の祈り』を聴いた. この最新作におけるPA機器を用いた立体的に浮き立つ音響には恍惚とさせられた.
 

2017年3月 生誕80年記念 来日公演ポスター
 
 
2023年4月 コリン・カリーの公演ポスター
 
 ライヒの作品は, 所謂「ミニマルミュージック」に属する音楽として紹介されることが多い. これは, 最少数の音で構成された音型素材を微細な変形を加えつつ執拗に反復する音楽を指す.
 
 テリー・ライリー (Terry Riley) の『イン\(\,\mathrm{\small{C}}\,\)』(1964) はその典型的な例と言えよう. まず, 任意の楽器で下記譜例 (1) のような\(\,\mathrm{\small{C}}\,\)音の連続パルスが奏出される. 続いて, 53種類にも及ぶ譜例 (2)~(6) のような音型素材が, 複数の奏者が担当する任意の異なる楽器によって, 各素材の開始時刻に差を設けた上で任意回数ずつ反復される.
 



ライリー『インC』における音型素材 (抜粋)
 
 演奏に関する指示は音型素材を示した楽譜が全てである. テンポや演奏楽器は奏者に委ねられるため, 演奏時間は十数分程度から1時間以上まで, 奏者によって大きく異なる. その間, 拍子感に多少の変化はあるものの, 調性やテンポや音色に変化はなく, 全体を通じて起伏がない音楽が延々と続く.
 
 有名な作品であるが, 私自身はこの曲に対して全く魅力を感じない. 冒頭に述べた『管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』と同様の特徴を挙げたにも拘らず, である.
 両者において魅力の差が生じる原因は何であろうか.
 
 一般に, 芸術性の高い西洋古典音楽は, 旋律, 和声, リズム, テンポを基本として, 楽曲構造や管弦楽法など音楽を構築する要素が機能的に関連している. 複数の主題や動機を, 音量の強弱やテンポ変化や調性などによるコントラストをもって効果的に浮き立たせるのである.
 
 仮に主題が凡庸であったとしても, それを多種多様に変奏させ組み合わせる熟達した楽曲構成力や, 各楽器が発揮し得る音色や機能を効果的に組み合わせる精緻な管弦楽法によって, 聴者の情感を揺り動かす芸術的な音楽が創造される. 伝統的な西洋古典音楽には, そのような優れた技法が数多く含まれている.
 
 例えば, ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven) のピアノソナタ《ヴァルトシュタイン》の各楽章の主題や, チャイコフスキー (Pyotr Ilych Tchaikovsky) の『交響曲第4番』の各楽章の主題は, (少なくとも私にとっては) 特に魅力的とも思えぬ平凡かつ単純なものである.
 

ベートーヴェン『ピアノソナタ《ヴァルトシュタイン》』Op.53 第1楽章 冒頭部
 

ベートーヴェン『ピアノソナタ《ヴァルトシュタイン》』Op.53 第3楽章 冒頭部
 

チャイコフスキー『交響曲第4番』Op.36 第1楽章 提示部 第一主題
 

チャイコフスキー『交響曲第4番』Op.36 第2楽章 冒頭部
 
 主題は平凡でありながら, 音楽全体としてあれほどまでに見事な芸術作品に仕上げたものは, 彼ら作曲家自身が備えた卓越した作曲技法に他ならない. これこそが, 時代を越えて国籍を越えて多くの人々の心を揺り動かす芸術作品を創造する原動力であり, 彼ら作曲家の名を後世に残す所以となるものである.
 
 ところが, ミニマルミュージックにおいては上記の要素の大半が捨象される. 従って, 主題
(音型素材) が凡庸であれば音楽全体に致命的な瑕疵を与えることになりかねない. 楽曲を構成する音型素材の選び方がその音楽全ての価値を決定するのである.
 
 ライヒは「ミニマルミュージック」の分野に留まった作曲家ではなかった. 厳選された音型素材に対し, 後述するような多彩な手法を付加して未聴感に溢れた新しい音楽を創造したのである.
 
 これは, 音楽の内容とは無関係な未聴感素材だけを羅列する他の多くの現代作曲家達の作品群とは一線を画する.
 この類の作品の場合, その無内容性をカムフラージュするかのように作曲家は往々にして言語による強引な意義づけを付加する. しかし, 音楽自体が聴者の情感を揺り動かす力を備えているならば, 作品について取って付けたような解説は必要ない.
 
 聴者は音楽自体を聴くことでその価値を判断する. 現に, 音楽を専門としない多くの聴者達は種々の音楽を解説なしに堪能していよう.
 例えば, バッハ (Johann Sebastian Bach) の『マタイ受難曲』の場合, その楽譜に込められた作曲者の意図を知ることで一層の味わい深さが得られることは間違いないが, 仮にそれを知らずにこの作品を鑑賞したとしても, 聴者が享受し得る感銘度は些かも損われることはないであろう.
 
 
国境を越え時代を超えて多くの人々に聴く価値を見出される音楽こそ, 真の「芸術」たる価値をもつ. 作曲者や一部の専門家が作品の独自性や存在価値を説明することでその音楽が「芸術」化されるわけではない. 言語説明を要する音楽は作品としての完成度が低いことの証左に他ならない.
 
 さて,
本稿では, 作曲された年代順にライヒの作品を概観しつつ, 彼が如何なる手法を開発し, どのように作品を展開させたのかを分析してみようと思う. それは同時に, 彼の作品の魅力が那辺にあるかを探求することに他ならない.
 
 執筆に際しては多くの文献を参照した (一部を本稿の末尾に掲げた) が, 私は, 言語による文献を渉猟するよりも楽譜を眺める方を好む. 本稿における各作品に関する楽曲構造の分析については, ライヒの作品の楽譜自体に依拠して私自身が考察した結果であり, 他の識者による研究との照合を行っていない. 従って, 誤謬その他を含む可能性も無きにしも非ずであることをお断りしておく.
 

 
§1. 1960年代の作品 1960s Works
 1936年, ユダヤ系の両親の元でニューヨークに生まれたライヒは, 幼少時における両親の離婚により父親が暮らすロサンゼルスと母親が暮らすニューヨークを行き来して育ったという. 14歳からピアノを習い始め, ジャズやポピュラー音楽の影響を受けて後にドラム奏法も学んだらしい.
 
 コーネル大学で哲学を専攻したライヒは, ヴィトゲンシュタイン (Ludwig Wittgenstein) に関する学士論文を書いて卒業した. この哲学者の影響は, 後述するようにライヒの複数の作品の中に現れることになる.
 
 ライヒはその後, 1958年から1961年までジュリアード音楽院で学んだ. ここでジャズピアニスト兼作曲家のオーヴァートン (Hall Overton) に作曲を学び, 1961年以降はペルシケティ (Vincent Persichetti) とバーグスマ (William Bergsma) に作曲を師事することになる.
 
 1962年にミルズ大学に入学, ミヨー (Darius Milhaud) とベリオ (Luciano Berio) に師事し, 1963年に修士号を取得している.
 
 ライヒの最初期の作品としてその存在が確認できるのは次の6点である.
 
. ジュリアード音楽院時代の『弦楽オーケストラのための音楽』(1961)
. ミルズ大学時代の『
4つの小品』(1963)
. 即興性及び偶然性をもつ不確定数の奏者のための『
ピッチ・チャート』(1963)
. ロバート・ネルソン (Robert Nelson) 制作映画用の音楽
 『
ユビュ王』(1963)
 『
プラスチック・ヘアカット』(1963)
 『
オー・デム・ウォーター・メロン』(1965)
. 奏者の即興性に委ねる要素の強い『
2台以上のピアノのための音楽』(1964)
. 楽音のない純粋なテープ音楽としては初作品となる『
ライヴリフッド』(1965)
 
 これらの作品は, ライヒに関する一部の文献では言及されてはいるものの, ライヒ自身の公式サイトにおける「作品リスト」からは除外されている.
 また, これら以外にも, 後に破棄された作品が複数存在することが知られている.
 

 
弦楽オーケストラのための音楽 Music for String Orchestra 1961
 スイスの指揮者兼作曲家パウル・ザッハー (Paul Sacher) がバーゼルに設立した「パウル・ザッハー財団」 (Paul Sacher Foundation) は, 数多くの作曲家の自筆譜を一般公開している.
 ジュリアード音楽院時代の作品『
弦楽オーケストラのための音楽』の自筆稿もその中の一つである.
 
 この作品では12音技法が採用されている. しかし, ライヒにとっての12音技法は彼自身の内発的な動機で採用されたものではなかった. 音楽院生としての, あるいは当時の流行または修得すべき技法として義務的に採用した技法に過ぎなかったのである.
 
 全体で
63小節, 演奏時間にして1分50秒たらずの小品である. ここには, 既成概念の打破を狙った革新的な試みや独自性の衒いなどは全く見られない.
 
 彼が構成した基本音列

 

 
は, 特定の調性を忌避する元来の12音技法の観点からは問題はなかった. しかし, 作品の冒頭 (音列2巡目まで), すなわち
 


 
から曲終までこの基本音列が単純に繰り返される点に問題があった. 12音技法において作曲者の腕の見せどころとなるはずの, 逆行, 反行, 転置などの手法が意図的に排除されていたのである.
 
基本音列の単純反復により, ライヒは密かに12音技法にあるまじき調性音楽を紡ぎ出そうと試みたのであった.
 
 ミルズ大学修了時の作品『
4つの小品』(Four Pieces, 1963) も12音技法をもって書かれている. これは, ジョン・ギブソン (Jhon Gibson) によるアルトサクソフォンを想定し, トランペット, ピアノ, ベース, ドラムを加えたジャズコンボである.
 
 ライヒの本心を見抜いた
ベリオは言った.「調性音楽を望むならば調性音楽を書けばよい」と. 固よりライヒの狙いはそこにあった.
 
 ベリオからセリーを学んだライヒがそこから得たものは, この技法は放棄すべき無益なものであるという教訓であった. 得られたものを強いて挙げるならば, 最小限の素材 (=12音) の反復から音楽を構成するという「ミニマリズムの断片」くらいであろうか.
 
 ミルズ大学を卒業したライヒは, ベリオの『テンピ・コンチェルタンティ』(Tempi concertanti, 1959) に触発された図形楽譜音楽『
ピッチ・チャート』(Pitch Charts, 1963) を書いた. 奏者ごとに異なる様相を呈する不確定性をもつ作品であるが, 実演における雑多な手法とその混沌とした音群はライヒを少なからず失望させたようである.
 

 
プラスチック・ヘアカットのための音楽 Music for Plastic Haircut 1963
 この時代のライヒは, 特定の分野に限定することなく種々の実験的作品を制作して自身の音楽の方向性を模索していた.
 前衛的映画監督ロバート・ネルソンが政治劇を中心演目とするサンフランシスコ・マイム一座 (The San Francisco Mime Troupe) の舞台『
ユビュ王』(Ubu Roi, 1963) の映画版を制作した際, ライヒは室内楽編成 (クラリネット, ヴァイオリン, カズー) による音楽を提供している.
 
 また, ネルソンが上映時間にして15分ほどのモノクロ短編映画『
プラスチック・ヘアカット』を制作した際には, 人間の声の録音素材を用いたしたサウンドコラージュを制作した.
 
 映画自体はピエロ姿の二人の登場人物が小道具を持って荒唐無稽な行為を繰り広げ, 映画製作者との模擬面接がこれに続くという「ダダに触発されたパフォーマンス」である. この作品で, ライヒは会話を構成材料としたテープ録音を採用したのであった.
 
 ここで用いられた音響素材は, 彼自身が幼少時に耳にした「スポーツにおける偉大なる瞬間」という録音であった. 著名アスリートの声が多数録音されており, その断片を組合せ反復するように繋ぎ合わせることで全体が構成されている.
 
 映画の最後に "Sound by Steve Reich." なる台詞が流れるが, この映画に音楽や楽音らしきものは存在しない. 聴者が耳にするものは, 統括的な意味や会話の流れを排除した言葉の断片のみである.「あらゆる種類の要素が執拗に現れるシュールレアリズムのロンド」と彼自身が形容するこの手法は, その後, 言葉の意味と抑揚がもつ音楽性とテープループを用いた作品構成の手段を彼自身の中に覚醒させることとなった.
 
 とは言え, 楽器以外の音を構成材料とする録音を用いるアイディアはライヒ自身の発案ではない.
 シェフェール (Pierre Schaeffer) は『5つの練習曲』(Cinq études de bruits, 1948) においてこの手法を採用しているし, 機械音や電子音ではなく人声を素材とする手法についてもシュトックハウゼン (Karlheinz Stockhausen) の『若者の歌』(Gesang der Jünglinge, 1956) などにその前例がある.
 
 ライヒの手法は, これらの前例に見られるような器楽や声楽により構成される楽音を全て排除し,
純粋なる話言葉のみを音として捉える点に特徴があった. これは, 後に『イッツ・ゴナ・レイン』や『カム・アウト』などの作品で結実していく手法となる.
 

 
2台以上のピアノのための音楽 Music for Two or More Pianos 1964
 この作品はピアノ独奏者と録音されたピアノ演奏を並奏するオーヴァーダビング (Over Dubbing) の演奏形態も想定されているため,『ピアノとテープのための音楽』(Music for Piano and Tape) と呼ばれることもある.
 
 『
ピッチ・チャート』に引き続き, ライヒはこの作品でも不確定性を採り入れた. ただし, 図形楽譜ではなく, 明確な楽音とその奏法について厳密な規定を施した点が前者とは大きく異なっている.
 
 この作品のスコアは「奏法の説明」と9種類の和声から構成される「和音列」の2ページから成る.
 

 
 奏者達はこの9種の和音を各和音ごとに任意回数ずつ繰り返し演奏できる. 各和音をパルスとして反復してもよいし, アルペッジョにしても単音に分割してもよい. 和音内の任意個の音を選択して反復してもよい.
 ただし, 各和音は (1)~(9) の順に全てが演奏されなければならず, 前の和音と次の和音の並奏も禁止されている. (9) の和音を演奏した後に再び (1) の和音へ戻ることは可とする. この9種の和音列セットのループ回数も任意である.
 
 テンポ, リズム, アーティキュレーション, 音量の強弱変化や音色の変化についても奏者に委ねられる. 演奏団体ごとに全く異なる様相を呈する作品であり, 聴く者には非常に興味深い.
 
 この曲で採択された上記の和音は, 特定の調性を意図したものではない. 一方, 12音技法による音列とも無関係である. 謂わばライヒの嗜好あるいは癖とでも言うべき和声であり, 同種の和音列は後に多くの作品にも現れる.
 また, ここに見られるような
複数の和音で構成される和音列をループさせる手法は, やがて『18人の音楽家のための音楽』や『砂漠の音楽』などの作品において高い音楽的効果を発揮することになるのである.
 

 
ライヴリフッド Livelihood 1964
 ミルズ大学を卒業したライヒは音楽のみで生計を立てることが敵わず, 郵便局員やタクシードライバーを職業としていた時期があった.
 もっともこれはライヒに限ったことではない. ライヒのジュリアード音楽院在学中, やはりここに在学していたフィリップ・グラス (Philip Glass) も40歳を過ぎる頃までは配管工やタクシードライバーなどの仕事を続けていたという.
 
 この頃のライヒは『
プラスチック・ヘアカット』を起点として, 言葉がもつ抑揚から得られる音程やリズムをもとに新たな音楽を構築するという創作スタイルを見出し始めていた.
 
 ライヒはこの頃, ソニー製700型テープレコーダーを購入し, 自身が運転するタクシーの車内にレコーダーを設置した. そこで録音された雑音 (特定の目的なしに収集された未加工の素材) をコラージュした作品が, この『
ライヴリフッド』である.
 
 これは『
プラスチック・ヘアカット』と異なり, 映像をもたない純粋なテープ作品である. 一方, 明確な楽音が現れない点については『プラスチック・ヘアカット』と異なるところはない.
 
 聞こえてくるものは, 乗客による目的地を告げる声, 何かモノを食べた感想, 世間話や笑い声, 料金の確認や謝辞, 何かに頭をぶつける音や唸り声, ドアの開閉音, バイクやトラックの走行音, パトカーや救急車のサイレン, 等々……. これらの録音の断片が継ぎ接ぎされた, しかし日常の活き活きとした雰囲気を伝える3分弱のサウンド集である.
 
 
無目的に収集した録音素材で作品を構成するアイディアは, 一つの作曲手法としては面白い. とは言え, これのみで作品に一定レヴェルの音楽的価値を与えることは難しい.
 翌年に作曲される『
イッツ・ゴナ・レイン』においては, 言葉自体が内包する音の高さ, すなわちピッチ (pitch) を利用することで作品に一層高い音楽的効果を加えることになるのである.
 

 
オー・デム・ウォーターメロンのための音楽 Soundtrack for Oh Dem Watermelons 1965
 ロバート・ネルソン制作の短編映画『オー・デム・ウォーターメロン』は, アメリカにおける人種差別の慣習に対する批判であり, 黒色人種を模したスイカが受けた虐待や差別の様子を描いている.
 
 映画の冒頭ではフォスター (Stephan Foster) の『主人は冷たい土の中に』(Massa's in De Cold Ground, 1852) が男声三部合唱でハミングされ, その後1分半の間, 芝生上に置かれたスイカの映像が無音で続く.
 再び同曲がテンポアップされて男声二部合唱で始まり, スイカが蹴られるところからライヒの音楽が始まる.
 
 映像の中のスイカは, フットボールのように蹴られ, 転がされ, 投げられ, 落とされるのみならず, 割られ, 踏みつけられ, 刃物で切り刻まれ, 重機で押し潰され, 内臓?を抉り出され, 散々な目に遭う. 目まぐるしく被写体が移り替わる緊迫したグロテスクな映像 (時に短時間の静止画像を含む) と共に, ピアノによる単調なパルスを伴うカノン風の男声合唱が執拗に反復される.
 

 

 
 \(\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の七の和音と属七の和音を混合させたこの部分は, 三和音に解決することなく次第に声部を加え, 最後には五部合唱にまで厚みを増して "watermelon" のフレーズを約8分間も執拗に反復するのである.
 
 その後, トニックの長音価をもって音楽は終わる. 西洋古典音楽であれば一般的な終始形と言えるが,
ライヒの作品において, 終止形の存在は極めて珍しい.
 
 一見 (一聴?) すると軽妙でコミカルな雰囲気を醸し出す映画である. しかし, この映画のもつ思想と映像の中身に鑑みると, この音楽はかなり不気味でグロテスクに感じられよう.
 

 
イッツ・ゴナ・レイン It's Gonna Rain 1965
 私が中学生であった頃, 2本のカセットテープを同時再生できる (一方から他方へ録音をコピーできる) ダブルプレーヤーが存在した. 同一の音楽を録音した2本のカセットテープを同時に再生することもできた. テープの回転速度 (位相速度) の僅かな差異が, 再生される音楽に徐々にずれ, すなわち「漸次的位相変移」(gradual phase shifting) を引き起こす. 当時の私は, その影響で紡ぎ出される不思議な音響感に魅せられたのであった.
 
 これと同様の経験について, ライヒ自身もジョナサン・コット (Jonathan Cott) によるインタヴューの中で語っている.『イッツ・ゴナ・レイン』は彼自身のこの経験を元に制作された作品である.
 
 素材は, サンフランシスコのユニオンスクエアで録音したウォルター牧師によるノアの洪水に関する説教の録音である. この中でウォルター牧師は, ノアが神の言葉に従って箱舟を建設する中で彼が如何に周囲の者達の嘲笑を受けたかを情熱的に語る.
 
 ライヒは, 牧師が発した "
It's gonna rain." (今に雨が降る) というフレーズのみをコピーした2本のテープを同時再生して, 位相変移 (フェイズシフト) がもたらす独特の魅惑的な感覚を経験したのであった.
 
 ユニゾンから始まるこのフレーズを執拗に反復する中で, 徐々に音の流れに差異が生じてくる. 再生を続けるうちに次第に残響効果的な現象が生じ, 室内で聴いているかのようなモノラルな響きから, 大ホールで聴いているかのような立体的な響きへと変移する. やがて音響の差異が減少して次第にユニゾンに回帰し, 曲の最後には再び室内で聴いているかのような単調な響きに戻るのである.
 
 全体で18分ほど長さを有するこの作品は, 途切れることなく前半部と後半部とが接続される.
 
 前半部 "
It's gonna rain."では, 純粋な形でこのステレオ効果が演出される.
 冒頭では, 類似したフレーズが長短を交えて
  
It's gon rain / It's gon / It's gon r / It's gon rain / rain / It's gon r / It's gon / It's gon r /
  It's gon rain / It's g rain / It's rain / rain / It's gon rain / It's gon r / It's gon / It's gon rain /
  It's gon rain rain / It's It's gon gon rain rain

のように断片的に執拗に反復される.
 
 定型ループに入ると次第に位相変移が現れ, その結果, 複合的音響が生じる. これを録音したものを元のループ音に並行再生することで音響の差異は声部数を四声から八声へと増幅させていく.
 
 ここでは言葉の内容はほとんど意味をもたない.
言葉の抑揚がもつ歌に近いピッチの反復が純粋な音響となって一つの音楽作品を構成するのみである.
 
 "
It's gonna rain" の3語は, ピッチとして \(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{F}}\!\:\!\:\sharp\,\)音の3音を成す.
 

 
 このような言葉の抑揚からピッチやリズムを抽出する手法は, 後年の『ディファレント・トレインズ』や『シティ・ライフ』などの作品において大いに活用されることになる.
 
 後半部 "
Knocking upon the door, let’s showing up, Alleluia, God, I didn’t see you." (戸を開けよ, 現れよ, アレルヤ, 我汝を目にする能わず) では, ウォルター牧師の興奮した発声を誇示するように音源にリヴァーブと音質加工が施される. 最終的には言葉自体が全く聞き取れないような混沌とした音響の渦中に聴者を巻き込みつつ, 音をフェイドアウトさせていくのである.
 
 
短い録音素材の単純なるループ再生とその位相変移を基軸として独創的な音楽作品を創出したライヒの手腕には心底から感嘆させられる.
 

 
カム・アウト Come Out 1966
 イッツ・ゴナ・レイン』と同様, この作品においても録音素材のコピーを同時再生することで生じる「漸次的位相変移」が楽曲の核心を成す.
 
 1964年, ニューヨークのハーレムにおいて些細な原因から白色人種の男性と黒色人種の少年が諍いを起こし, 騒ぎを聞きつけた白色人種の警官が少年を射殺するという事件が起きた. 少年が通っていた高校の黒色人種の生徒達がこれに抗議して騒動を起こし, やがてハーレム全体に人種差別に対する抗議としての大規模な暴動に発展した. その中で逮捕された6人の少年の再審を請求する募金コンサートのために作曲されたのが, この『
カム・アウト』である.
 
 ここでは, 警官の圧力に対して "
I had to open the bruise blood come out to show them." (意図的に傷口を開いて血を奴等に見せつけねばならなかった) と証言する少年の言葉が録音素材として用いられる.
 
 この録音自体はライヒ自身によるものではなく, 公民権運動家として活躍していたトルーマン・ネルソン (Truman Nelson) の依頼によるものである. ネルソンから受け取った20時間にも及ぶ録音テープ素材から, 上述した僅か数秒程度の箇所を選んでライヒは作品を構成したのであった.
 
 上述した台詞が冒頭で3回反復され, 以後 "
Come out to show them." のみが執拗に反復されていく.
 『
イッツ・ゴナ・レイン』と同様, この語句からピッチやリズムを聴き取ることは難しくはない. 実際, この語句は\(\,\mathrm{\small{E}}\!\:\!\:\flat\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{C}}\,\)音の3音から成る楽音をもち, 十六分音符7個分の音価の中でリズムを構成する.
 

 
 やがて2本の録音テープの同時再生から位相変移が生じ, これにリヴァーブが加わる. この音響の差異を録音した複数のテープを同時再生することで更にに複雑な位相変移を発生させる. 音楽が進むに連れて言葉や発音は次第に混沌とした状態になり, 聴く者を複雑な音響の渦へと巻き込んでいくのである.
 
 終結部付近では, "
come out" 及び "to show" の (ピッチをもたない) 子音部分が同時並行かつハイスピードで連呼され,
  
…… / come ou / come ou / come ou / come ou / come ou / ……
  …… / to sho / to sho / to sho / to sho / to sho / ……

の混合した音響が独特のリズムとメロディーを形成しながら音をフェイドアウトさせていく.
 
 最終的に聴者の耳に残るのは言葉 (あるいはその意味) ではない. 上記譜例の斉唱 (旋律線=メロディーライン) とドラムで奏出しているかのような一定のパルスのみである. このような
言葉自身がもつ抑揚を楽音に見立てたライヒは, これを「スピーチメロディー」(speech melody) と称した.
 
 初演後,『
カム・アウト』は「ハーレム・シックス事件」という歴史的政治的事件の象徴的作品となり, コンサートで得られた資金は6人の少年の訴訟費用に宛てられたという. 同時に, ライヒは現代音楽作曲家として注目を集め, その名を世に知られるようになるのである.
 

 
リード・フェイズ Reed Phase 1966
 この曲は, 当初はサクソフォン奏者ジョン・ギブソンのために作曲され,『サクソフォン・フェイズ』(Saxophone Phase) のタイトルで初演された.
 
 あらかじめテープ録音された2種類のソプラノサクソフォンの音源に沿って生身の奏者がソプラノサクソフォンを並行実演するという,
単独奏者による多重録音演奏 (オーヴァーダビング) の形態をとる最初の楽曲である. テープ録音を用いる作品であるが,「漸次的位相変移」を目的とするものではない.
 
 後にこの曲は, 3人のリード楽器奏者で演奏する『
スリー・リーズ』(Three Reeds) として改訂された. この場合のリード楽器は任意であり, ライヒ自身は, クラリネット, オーボエ, アコーディオン, リードオルガンなどの楽器を例として挙げている.
 
 ライヒはこの曲においても『
イッツ・ゴナ・レイン』や『カム・アウト』と同様の「
漸次的過程としての音楽 」(Music as a Gradual Process) の手法を採用したのであった.
 
 前の二者と異なる点は, 機械再生によるテープ音楽ではなく生身の人間が実演する点, 楽器を用いた特定の旋律を奏出するために楽譜が存在する点である.
 
 この曲における
基本音列は民謡音階風の5音であるが, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音が重複しているため, 実質的には\(\,\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{G}}\,\)音, \(\mathrm{A}\,\)音, \(\mathrm{\small{C}}\,\)音の4種の音で基本音型が構成される.
 

 
 まず, リードの第1奏者がこの基本音型を一定のテンポで反復する. 第2奏者がこれに完全に重なるように同一のフレーズを反復し始め (譜例 (1)), 譜例の点描部分において僅かにテンポを上げてこれを反復, 二奏者間の音の差異を緩やかに遷移させながら, 第1奏者と八分音符1個分の音価だけ変移 (シフト) させた場面に移行する (譜例 (2)). 以下同様に, 特定回数分だけ同一テンポで各場面を演奏し, やがて僅かにテンポを上げて次の場面へ移行していく.
 

 
 第3奏者が同様に途中から演奏に加わる (譜例 (3)). この奏者はテンポを一定に保持したまま反復音型をひたすら反復し続け, ある時点まで演奏した後は演奏を停止する.
 
 第2奏者は, 再び開始点 (譜例 (1)) に回帰するまでシフトを反復し, 最初の場面に戻ることで突如として演奏を終えるのである.

 

 
 この曲は実演が困難である. 理由は明白であろう.
 曲の開始から終了までの数分間, 息継ぎのための休符がない.
奏者は常に循環呼吸を強いられる.
 また, 第2奏者が上記譜例の点描部分でテンポを上げる際, できるだけ緩やかに次の場面に遷移することが求められる (ライヒ自身による指示). それゆえ, 奏者はこれを聴き分ける鋭敏な耳と演奏をコントロールする精密な技術を求められるのである.
 
 ミニマルミュージックの典型的な例ではある. しかし, リズムや和声などの点から見て基本動機が単調に過ぎ, 音響や色彩に関して効果的な音楽とは言いがたい.
 ライヒ自身もこの点をもの足りなく感じたのであろう. 初期の6作品 (前述) に加え, この作品も彼自身のサイトには掲載されていない.
 

 
メロディカ Melodica 1966
 『メロディカ』も『イッツ・ゴナ・レイン』や『カム・アウト』と同様,「漸次的過程としての音楽」としてのテープ音楽である.
 
 メロディカとは, 我が国の小学校における教育楽器として用いられる金属製のリードをもつ「鍵盤ハーモニカ」を指す. ライヒ自身が「おもちゃの楽器」と形容する楽器である.
 
 テープ音楽か実演可能な器楽作品かの差異はあるものの, この作品も実質的には前作『
リード・フェイズ』と同様の構造をもつ.
 
 基本音型 (譜例 (1)) は前作よりも更に単純で, \(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音の僅か3音のみで構成される. しかし, 前作よりもリズムにやや変化が与えられ, 位相変移による音響効果が高められている.
 

 
 二人の奏者が (1) を同時に演奏し始め, 第1奏者 (上向き符尾) は曲終まで同一のテンポでこれを反復し続ける. 第2奏者 (下向き符尾) は (1) を一定回数だけ反復した後, 譜例の点描部分において僅かにテンポを上げてこれを反復, 2奏者間のフレーズを複合的音響へと遷移させながら第1奏者と十六分音符1個分の音価だけシフトさせた場面に移行する (譜例 (2)).
 
 同様にして (3) まで移行すると, 録音テープは (4) (実質的に (3) と同一音型) に切り替わる. これに第2奏者が加わり (譜例 (5)), 第2奏者は同様のフェイズシフトを繰り返す.
 (6) まで移行してしばらくこれを反復した後 (実質的には (7) と同一音型), 音楽は突如として終わるのである.
 
 『
リード・フェイズ』と『メロディカ』は,「漸次的過程としての音楽の発端となる実験的作品であるが, ライリーの『インC』と同様, 基本動機が単純に過ぎるため, 音楽的な魅力は乏しいと言わざるを得ない.
 その点, 次作の『
ピアノ・フェイズ』では, 技法において画期的とでも言うべき飛躍を見せることになるのである.
 

 
ピアノ・フェイズ Piano Phase 1967
 この作品も『リード・フェイズ』や『メロディカ』と同様, 手法としては「漸次的過程としての音楽」である. 前者2作品が音楽的な魅力に欠けるのと対照的に,『ピアノ・フェイズ』は豊穣な音響世界を展開し, 聴者を一気に魅了するだけの要素をもつ.
 
 この
差を決定づけるものは, 基本音型 (ピッチ, リズムの双方を組み合わせた音型素材) の優劣に他ならない. ここで採用された基本音列

 

 
は, 実質的には5種類のピッチをもつ十六分音符12個の音 (ただし12音技法とは無関係) から構成される.
 
\(\mathrm{\small{E}}\,\)ドリアを構成するこの5種類のピッチと12音の配列は, 絶妙かつ最良の組み合わせと言えよう. 基本音列として他のピッチや配列が採択されていたならば, 作品の魅力は半減していたであろう.
 
 上向き符尾の音を右手で, 下向き符尾の音を左手で奏するよう指示された基本音列の演奏は, 奏者にとっては容易であろう.
 第1奏者がこのフレーズを指定された回数の範囲内で反復演奏し, 続いて第2奏者がこれにユニゾンで並奏 (フェイドイン) するところから音楽は始まる.
 

 
 以後の進行は『リード・フェイズ』や『メロディカ』と同様である. 第2奏者が僅かにテンポを上げてこのフレーズを反復させつつ, 第1奏者のフレーズに対して十六分音符1個分の音価だけシフトさせた次の場面 (下記譜例) へ移行する.
 
基本音列自体の演奏は容易であるとは言え, これを奏者二人が一定の割合で僅かずつフェイズシフトさせるとなると, 相当の熟練を要する至難の業となる.
 

 
 フェイズシフトにより生じる和音パターンは, 冒頭部の基本音列を (1) とすれば下記の12通りになる (だたし, この譜例における符尾の向きは単に上声部か下声部を区別するに過ぎず, 実際の奏法とは無関係である).
 


 
 長短二度を構成する不協和音が頻繁に生じるが, 部分的には連続した協和音が現れる (譜例 (3), (7), (9), (11)).
 楽譜に拍子の記載はないが, (1) は6拍子系を感じさせ, 下声部の\(\,\mathrm{\small{E}}\,\)音や\(\,\mathrm{\small{F}}\!\:\!\:\sharp\,\)音の配置の影響で (4) や (7) は4拍子系を感じさせる.
 このような
変化に富んだ響きが聴く者の注意を引き, 魅了し続ける
効果をもたらすのであろう.
 
 音楽がこれらのパターンを経て冒頭部 (譜例 (1)) に回帰すると, 音楽は途切れることなく突如として4拍子系の音列に切り替わり (下記譜例左), 第2セクションに入る.
 
 第2セクションでは, 第1奏者がこの基本音型を指定された回数の範囲内で反復演奏し, 続いて第2奏者が別のフレーズ (下記譜例右) のフェイドインを始める.

 
 
 
 第1奏者は常に一定のテンポで基本音列を反復するが, 第2奏者はこのフレーズをもとにフェイズシフトを続けることになる.
 
この音列は律旋法風の十六分音符8個から構成され, 第1セクションの基本音列よりも短い. 従って, フェイズシフトにより生じる和音パターンも減少し, 次の8通りになる.
 

 
 やがてこれらのパターンを経て最初のパターンに回帰すると, 第1奏者は演奏をフェイドアウトし, 音楽は途切れることなく第2奏者によって次の第3セクションを開始する.
 

 
 これは陽旋法あるいは律旋法風の十六分音符4個から構成される音列であり, フェイズシフトで生じるパターンは次の4通りである.
 

 
 これらのパターンを経て最初のパターンに回帰すると, 第1奏者の合図をもって音楽は突如として途切れるように終わる. そこには, クレッシェンドやリタルダンドなどのような, 終始を暗示させる如何なる要素も存在しない.
 
 演奏楽器がピアノであるから循環呼吸は要求されないものの,
互いの演奏を聴き合いながらフェイズシフトを繰り返す実演が困難を極める点においては『リード・フェイズ』と大差はない. ライヒ自身も「二人の奏者が漸次的位相変移過程を実行することは不可能に思えた」と回想している.
 
 その一方で,「ライヴミュージシャンが
実演する変移過程 (フェイジングプロセス) ほど興味深いものは想定できなかった」という.
 記譜法による楽譜を演奏するわけであるから, この作品は, 即興性には欠けるものの, 奏者は互いに聴くことに集中しながら感覚的かつ知的な「パフォーマンスに対する心理的要求」に応え得る内容をもつ. 従って「奏者はこの作品の演奏自体を愉しむことができる」とライヒは述べている.
 
 僅か2ページのスコア (Universal Edition, 1980) には, 反復音型のリピート回数の程度や演奏時間の目安, 演奏方法やリハーサル時に関するアドヴァイス, 2台のピアノまたはマリンバの配置など, ライヒによる指示が細かく記されている.
 
 私はこの作品を特に好んで聴く. 基本動機が織り成す\(\,\mathrm{\small{E}}\,\)ドリアが醸し出す音響感の素晴らしさは言語に尽くしがたい.
聴く者にある種のノスタルジックな感情を誘発させ, 潜在的で原始的な感覚を覚醒させる音楽と言えよう.
 この種の作品の存在が私がライヒの音楽に惹かれる主たる理由であるが, 実はライヒと言えどもこの種の作品は決して多くはないのである.『
ピアノ・フェイズ』は,
彼の作品群における初期の傑作と言ってよい.
 
 余談であるが, 1967年2月にニューヨーク大学で演奏されたこの曲に感銘を受けた一柳慧(Ichiyanagi Toshi)は, 翌年, 武満徹(Takemitsu Toru)との共同開催による音楽祭《オーケストラル・スペース》においてこの曲の日本初演を企画したという.
 実際, この曲の日本初演は, 1968年6月に日経ホールにて一柳慧と土屋幸雄(Tsuchiya Yukio)による演奏で行われている.
 

 
ヴァイオリン・フェイズ Violin Phase 1967
 この曲も『ピアノ・フェイズ』と同様, 基本音型のフェイズシフトによる構成をとる.
 前作と異なる点は, 基本音型に (開放弦を用いた)
重音が採り入れられている点, フェイズシフトにより生成された音楽から特定の音型を浮き立たせる手法を加えた点である.
 
 実演では,
あらかじめ録音された複数のセクションに合わせて一人の奏者が並奏する多重録音演奏の形態と, 全てのセクションを異なる奏者が実演するアンサンブル演奏の形態「オーヴァーダビング」のいずれかが選択される.
 
 曲は, まず第1奏者が, 第6音を欠く\(\,\mathrm{\small{fis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の和音を用いた6拍子系の基本音型を指定回数の範囲内で反復演奏し, 続いて主要奏者がこれにユニゾンで並奏 (フェイドイン) するところから音楽は始まる. 第1奏者は常に一定のテンポで基本音型を反復するが, 主要奏者はこの音型を元にフェイズシフトを続けることになる.
 

 
 以後の進行も, 主要奏者が僅かにテンポを上げて第1奏者の基本音型と八分音符1個分の音価だけシフトさせた次の場面へ移行するというプロセスを繰り返す.
 

 
 4回のフェイズシフトを経た後, 主要奏者のパターンは第2奏者に引き継がれ, 主要奏者は演奏を一旦フェイドアウトさせる.
 
 このとき, 第1, 第2奏者達により奏出されている音楽を注意深く耳を傾ければ, 下記譜例 (※) の音型を聴き取れるであろう.
音の集合体から一部の音型が立ち昇って聞こえてくるのである. そこで, ライヒは主要奏者によりこのフレーズをフェイドインさせ, 聴く者にこれを明確に意識させるように仕向ける.
 この部分は, ほぼ開放弦による奏出である点に加えて運弓の指示も的確であり, 優れた音響効果を発揮していると言えよう.
 
 このフレーズでは全ての奏者においてフェイズシフトはしばらく休止され, 同一音型が指定回数範囲内で反復された後, 主要奏者の音型はやがてフェイドアウトされる.
 

 
 ここにおいて浮き出て聞こえる音型は一意的ではない.
 ライヒは, 上記譜例と
同一の音楽から異なる音型を浮き立たせることを試みている (下記譜例 (※)).
 

 
 主要奏者によりこの音列が強調されると, これがフェイドアウトした後であっても聴く者の耳にはこのフレーズが耳に残るのである.
 
 再び主要奏者はフェイズシフトを開始し, やがて第3奏者が加わった後もフェイズシフトを繰り返す. その都度, 新たな音型を浮き立たせていくようにして音楽は進行する.
 
 曲の最後部には下記譜例 (※) のような息の長いフレーズの浮き立たせが現れる. 基本音型の位相変移により新たに浮き立ってくる音型をライヒは「
代替結果パターン」(alternate resulting pattern) と称した.
 

 
 基本音型は「6拍子系」であると先述した (ただし, ユニヴァーサル版のスコアに拍子の記載はない). ここでは, 第1, 第2, 第3奏者は同一音型を互いに2拍ずつ差異を設けて奏出するため, 聴く者には2拍子系の巡回音型と受けとれる.
 主要奏者が奏する音型 (上記譜例 (※)) は計16拍である. すなわち6拍子系とは拍の合計が揃わない (16は6の倍数ではない). しかし, 他の奏者が奏する音型が2拍子系の反復であるから, 聴く者には特に違和感は生じないのである.
 
 この作品に見られるようなフェイズシフトから得られた音型を強調 (増幅) させる手法は, 後に『
ドラミング』,『マレット楽器, 声とオルガンのための音楽』などへと受け継がれていくことになる.
 

 
スローモーション・サウンド Slow Motion Sound 1967 
 この作品は現存しない. しかし, ライヒの著書 "Writing on Music 1965-2000" (Oxford University Press, 2002) にはこの作品に関するメモが残されている.
 音声などの録音テープは再生スピードを落とせば通常はピッチは下がるが, ライヒは
ピッチを下げずに音声の長さ (音価) のみを延長 (オーグメンテーションを採用) しようと考えた.
 
 この作品では, ガーナの女性教師と英文を暗記する女子生徒の音声録音をテープループ素材として用いている. 教師が "My shoes are new." と言い, 生徒がこれを復誦する. このとき, \(\mathrm{\small{E}}\), \(\mathrm{\small{C}\!\:\!\:\sharp}\), \(\mathrm{\small{A}}\), \(\mathrm{\small{H}}\,\)の4音による「
スピーチメロディー」が生じる.

 

 
 このループでは, ピッチを下げることなく最終的には元の音価の10倍にまで延長されたという.
 
 『
スローモーション・サウンド』では, テープループとして話言葉を採用したがゆえに興味深い結果は得られなかった. しかし, これを楽音に応用することで, 後に『4つのオルガン』や『マレット楽器, 声とオルガンのための音楽』などが作曲されることになるのである.
 
 なお, ライヒの作品ではないが, この作品のアイディアを純粋に電子音楽として再現した例が存在する.
 私がかつてライヒの作品のCDを収集する中で入手したクリス・ヒューズ (Chris Hughes) のアルバム『シフト』(Shift) には,『ドラミング』,『ピアノ・フェイズ』,『ヴァイオリン・フェイズ』などが, 電子的に構成されたフェイズシフトをもって再構成されている.
 

C.ヒューズ『シフト』CD
(Fontana 518 843-2)

 
 このCDには, これらの作品の他にヒューズのオリジナル作品『スローモーション・ブラックバード』(Slow Motion Blackbird) が収録されている. 僅か3秒ほどの鳥の囀りを基本ループとして, これを徐々に音価を延長しながらテンポを下げていくという構成をもつ作品である.
 鳥の囀り自体は非楽音ともとれるが,「
スピーチメロディー」を敢えて書き起こしてみると,

 

 
となる. 演出時間にして6分弱の中で基本音型は合計17回奏出され, 17回目では基本音型は50秒の長さにまで延長されている. 曲終付近における鳥の囀りは, さながら断末魔の呻きのように聞こえるであろう.
 
 音価を徐々に延長していくというアイディアのみで聴く者を最後まで惹き付け続けることは容易ではない. しかし,
ヒューズが採択した基本音型と和声はこれに堪え得るだけの魅力を十分に備えている. 実際, 私はこの音楽を好んで聴く者である.
 

 
マイ・ネーム・イズ My Name Is 1967
 ピアノ・フェイズ』や『ヴァイオリン・フェイズ』などの名作は, テープ作品の機械再生によるフェイズシフトのアイディアを器楽による実演に採り入れることで創作された.
 これらの作品では, 奏者ごとに演奏ニュアンスの差 (種々のヴァリエーション) が生じる. ライヒが「ライヴミュージシャンが実演する変移過程ほど興味深いものは想定できなかった」と述べた所以であろう.
 
 その一方で, 録音素材を用いた実験的作品も散見される.
 
 ライヒは, フィラデルフィアのギャラリーオーナーからの依頼でテープ作品『
Buy Art, Buy Art』(1967) を制作した. これは, 文字通り「アートを買え」と言う28人分の声を収録した音声素材により構成されたテープ作品である.
 
 このときの声の録音者の一人でニューヨーク公園局長であったフィリス・ヤンポルスキー (Phyllis Yampolsky) は, セントラルパークを市民に開放する無料イベントに向け, ライヒに新たな作品を依頼した.
 これを受けて, ライヒは『
Buy Art, Buy Art』のアイディアを『マイ・ネーム・イズ』に採り入れた. 数人の観客の声を録音素材として聴衆参加型の作品を制作したのであった.
 
 パウル・ザッハー財団のライヒ・コレクションには, テンプル大学における1967年5月の公演の録音が残されている.
 これは, 男性22名, 女性27名, 計49名の聴衆が自分の名前を紹介するところから始まる. 会場の騒めきの中, 司会者の挨拶と参加者たちの中の珍しい名前について紹介される. この日, 最終的にライヒが採用した声は, 女声は AllaとAnne の2名のみで残りの9名 (Jonathan, Arno, JC, David, Stuart, Jack, Dave, Terry, George) は男声であった. これらの声を反復あるいは重複させることで, 作品全体は2つのセクションから構成される.
 
 なお, この曲には, 管弦楽を付加したドイツ語改訂版『マイン・ナーメ・イスト』(Mein Name Ist 1981) が存在する.
 1981年にドイツのシュトゥットガルトで開催された「スコラ・カントゥルム (Schola Cantorum) の肖像」における公演用の作品で, あらかじめ録音された合唱団 Stuttgart Schola Cantorum の声のピッチをもとに長音価の和音 (ハーモニー) を奏出するオーケストレーションをライヒ自身が施したものである.
 
 最初に, 男性9名 (Clytus, Ewald, Lionel, Manfred, Richard, Paul, Karl, Wolfgang, Urlich), 女性8名 (Hannah, Ingrid, Barbara, Monika, Hildegard, Elisabeth, Dietborg, Gisela), 計17名の自己紹介があり, 続いて Ingrid, Hannah, Karl の自己紹介のフェイズループが反復される. そこに管弦楽が3種類のハーモニーをフェイドインやフェイドアウトを伴って奏出するのである.

 

 
 ミキシングにおける技術的な問題が原因であろうが, 強奏における管弦楽の音量は自己紹介 "Mein Name Ist ..." の声量を凌駕する. 管弦楽のハーモニーが声のピッチをもとに作成されているか否かは, 少なくとも私には判別しがたい.
 引き続き自己紹介のフェイズループが聞こえ始め, やがて管弦楽が新たな3種類のハーモニーを奏出する (下記譜例 (1)). 以下, 第1セクションでは2パターン ((2), (3)) のハーモニーが登場し, 第2セクションでは5パターン ((4)~(8)) のハーモニーがフェイドイン, フェイドアウトを繰り返す.
 ただし, 第1セクションはフェイドアウトすることなく突如として途切れる. やや間があって, 第2セクションが始まるのである.

 


 
 ここに見られるハーモニー及びフェイドインやフェイドアウト奏法は, この作品が生まれる2年前に作曲された『管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための音楽』における金管楽器群の奏法から派生したものと考えられる.
 管弦楽部分は, ペーテル・エトヴェシュ (Eötvös Péter) 指揮, シュトゥットガルト放送交響楽団により演奏された.
 
 ライヒ自身はこの改訂版の演奏効果には何も言及していないが, 原典版にせよ改訂版にせよ, 音楽的に魅力ある作品とは言えない. 要は, この録音素材による「
スピーチメロディー」は, 音楽を構成する要件としては不充分であったということであろう.
 

 
振り子の音楽 Pendulum Music 1968
 ここで再び, 特定の楽音をもたない作品が制作される. とは言え, 録音素材を用いたテープ作品とは趣を異にする.
 
 マイクをスピーカーの前に通過させたときに瞬間的に生じるハウリング (howling) を偶然に耳にしたライヒは, これを複数のマイクとスピーカーで実践することで新たな
音響彫刻 (audible sculpture) を構成しようと考えた.
 
 \(n\,(\geq\!2)\) 台のスピーカーを床上に等間隔で同方向に (真横または真上に向けて) 置く. 長さ \(l\,(>\!0)\) のマイクコードをもつ\(\,n\,\)本のマイクを天井から吊り下げ, 各マイクは各スピーカーに繋いだアンプに接続する. \(n\,\)本のマイクはスピーカーの真横または真上を通過するように設置し, マイクコードが鉛直下向き方向に対して角 \(\theta_{0}\,\displaystyle{\left(0\!<\!\theta_{0}
\!\leq\!\!\displaystyle{\frac{\pi}{\,2\,}}\!\right)}\) を成すように各マイクを持ち上げ, 同時刻にこれらのマイクを解放することで演奏が開始される.
 
 一般に, 単振動の周期\(\,T\,\)は, 重力加速度\(\,g\,\)とマイクコードが鉛直下向き方向に対して成す角\(\,\theta\,(\!\:0\!<\!\theta\!\leq\!\theta_{0})\) を用いて
\(T=\displaystyle{2\sqrt{\frac{2\!\:l\,}{g\,\,}}\!\int_{0}^{\theta_{{}_{0}}}\!\!\!\!
\frac{1}{\!\sqrt{\cos\theta\!-\!\cos{\theta_{0}}}}\,d\theta}\)
で与えられる (\(\,T\,\)の様相は\(\,2\,\)定数 \(l,\:\theta_{0}\,\)のみに依存する) ことが知られている. 従って, この条件を正確に実行した場合, \(n\,\)本のマイクは常に同時刻にスピーカーの真横または真上を通過し, 常に\(\,n\,\)個分の同時かつ等間隔のパルスを発生させることになる. 音楽としては単調極まりないものになるであろう.
 
 無論, ライヒはそのような結果を狙って作品を創作したわけではない. 彼が述べる「ライヴミュージシャンが実演する」云々の真意は, ここにおいて発揮されるのである.
 
 彼自身の指示によれば,「演者達は, マイクを引っ張って掲げてから同時にこれを解放する. マイクがスウィングする過程でこれらの位置関係に種々の変化が現れる. 演者はこの振り子の様子をその場で見たり聴いたりする. マイクは, 最後にはスピーカーの真横または真上で静止してドローンを生成する
.
 
 人間達 (\(\not=\,\)機械) が実演する限り, \(n\,\)本のマイクコードの長さ \(l\,\)や開始角\(\,\theta_{0}\,\)を完全に一致させることは不可能であろう. 最大で各々\(\,n\,\)通りずつの差異が生じ得る.
 さらに, 振り子に対する空気抵抗による振り幅の減衰差や, 振り子振動の影響で支点が僅かに揺れ動く可能性も無視できない. 天井ではなく床上に設置されたマイクスタンドに支点がある場合は共振が起こり得る. これらの状況を考慮すれば, 各マイクの周期 \(T_{i}\,(\,i\!=\!1,\,\cdots,\,n\,)\) を完全一致させ得る確率は限りなく\(\,0\,\)に近い.
 結果として,
各マイクにより生じるパルスは, 全体として偶然性に左右されるフェイズシフトを演出することになるのである.
 
 なお, ライヒ自身はハウリングが生成するピッチについては特に言及していないが, 各マイクごとに異なる楽音が発生するように設定し, 振り子のコードの長さに差を設けると, 興味深い結果が得られることがある.
 
 例えば, ハーヴァード大学自然科学講義のサイトには, 紐の長さが等差数列を成すように設定された15本の振り子の波の映像がある. ミルトン・マーミキデス (Milton Mermikides) は, この映像における振り子の各々に3オクターヴの音域に渡る5音音階

 

 
のピッチを付与することで, アルペッジョやオクターヴユニゾン, 複数種類の協和音など, 独特の音響効果を演出することに成功している.
 
 この作品のように反復音型の構成音の音価を徐々に延長する (ドローンへと漸近する) 楽曲構成の手法を, ライヒ自身は「
漸次的持続拡大」(gradual aurumentation of duration) と称した.
 この手法は, 後に『
4台のオルガン』や『マレット楽器, 声とオルガンのための音楽』などに用いられるようになる.
 

 
パルス・ミュージック Pulse Music 1969
 ライヒは,『振り子の音楽』におけるフェイズシフトのアイディアを元に, 位相シフトやパルスゲートの位相を制御する機械を用いた電子音楽『パルス・ミュージック』を制作した.
 この作品には, パルスゲートをコントロールする者以外の演者を要しない. 連続可変周波数を生成できる複数の
波動オシレーターによるピッチやリズムパターンを, パルスゲートを介してアンプに供給することで作品が構成される.
 
 一つの固定和音 (第6音を欠く\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\)) を構成する各音のパルス間隔のテンポをフェイズシフトさせることで, 次第にアルペッジョのように音が分散していく. 徐々にテンポを上げ, 最後には冒頭部の2.5倍以上まで加速させながら反復継続することで, 再び冒頭部の和音に終結していくのである.

 



 
 実演を伴わないこの種の音楽は, 文字通り機械的で単調極まりない. 和声, 音量, 音色など, 音楽を構成する重要な要素に一切の変化がなく, 聴者の感情や琴線に全く触れないからである.
 
 このパルスゲートの開発に1年半を費やしたにも拘らず, ライヒ自身も
, 機械的で無機質なこの音楽に不満を抱いたらしい. 結局, この作品も後に破棄されることになるのである.
 

 
4つのログドラム Four Log Drums 1969
 では, 実演を伴う『4つのログドラム』の場合は如何であろうか.
 この作品では4人の奏者各々が対になったログドラムを演奏する. その際, テンポを制御するリズムビートはオペレーターから奏者のヘッドフォンに送信され, テンポをシフトさせることで, メロディックラインが第6音を欠く\(\,\mathrm{\small{a}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)のハーモニーに遷移するという効果が演出される.

 

 

 
 ところが, ライヒはこの作品も後に破棄する羽目に陥った. メトロノームマシンの制御による演奏は, 奏者には不評であった.
 実際の演奏において,
ヘッドフォンに送信されるビートではなく互いに奏出する実音を聴き合っていることを知ったライヒは, 以後, この手法を完全に放棄せざるを得なくなったのである.
 
 本稿の冒頭部で述べたように, ライヒの音楽を聴き始めた最初の頃の私には,ピアノ・フェイズ』や『ドラミング』などの音楽は, 奏者にヘッドフォンを装着してテンポ制御を与えることなしには演奏不可能と思えた. しかし, ライヒによれば, これらの音楽はその
演奏困難性ゆえに奏者には却って練習ないし演奏する喜びを与えるものであったという.
 
 1970年代以降, ライヒはこれらの経験を踏まえ,「
漸次的位相変移過程」を実演させる (高度な演奏技術を要する) 作品を次々に創作していくことになるのである.
 

 
§2. 1970年代の作品 1970s Works
 音楽界に「ミニマリズム」の概念を採り入れたマイケル・ナイマン (Michael Nyman) は, 次の5つのプロセス, すなわち
 1. 作曲家が創出した構造で決定される
偶然の決定プロセス "Chance determination processes"
 2. 指定された素材間を独自のテンポで変移できる
人間のプロセス "People processes"
 3. 予測不能な状況と音楽の連続性から生じる変数に依存する
文脈対応プロセス "Contextual processes"
 4. 音楽の進行は延長や反復により生成される
反復プロセス "Repetition processes"
 5. 音楽全般は電子デヴァイスの利用により決定される
電子プロセス "Electronic processes"
を提唱した.
 
 ライヒの作品においても上記5項目に該当するものは少なくない. 一方, これらの項目に留まらない作品も数多いのである.
 本稿では, ライヒが種々の実験的作品を通じて開発した技法について, (上記の項目とは無関係に) 私の独自の視点で見ていくことにしたい.
 1960年代の作品において採択された技法を整理すると次のようになる. なお,「 」内の用語は本稿における便宜上, 私が暫定的に命名したものである (ただし,「
スピーチメロディー」についてはライヒ自身による命名をそのまま借用した).
 
[1] 12音技法から発想を得た
基本音列を反復させる 「メロディーループ」(melody loop)
例『
弦楽オーケストラのための音楽
 『
オー・デム・ウォーター・メロン
 『
リード・フェイズ
 『
メロディカ
 『
ピアノ・フェイズ
 『
ヴァイオリン・フェイズ
 
[2] その発想の派生である
和音列を反復させる 「ハーモニーループ」(harmony loop)
例『
2台以上のピアノのための音楽
 
[3] 物音や話声の
録音素材を切断, 接続して反復させる 「サウンドコラージュループ」(sound collage loop)
例『
イッツ・ゴナ・レイン
 『
カム・アウト
 『
マイ・ネーム・イズ
 
[4]
言葉の抑揚がもつピッチを楽音として利用する 「スピーチメロディー」(speech melody)
例『イッツ・ゴナ・レイン
 『
カム・アウト
 
[5] 複数の
基本音型の一部を連続的に位相変移させる 「連続型フェイズシフト」(continuous phase shift)
 (ライヒはこれを「
漸次的位相変移」(gradual phase shifting process) と呼ぶ.)
例『
リード・フェイズ
 『メロディカ
 『ピアノ・フェイズ
 『ヴァイオリン・フェイズ
 
[6]
基本音型の位相変移により生成された新たな音型の一部に楽器や声を重ねるオーヴァーラップライン」(overlap line)
 (ライヒはこれを「
代替結果パターン」(alternate resulting pattern) と呼ぶ.)
例『
ヴァイオリン・フェイズ
 
[7]
一人の奏者があらかじめ録音した複数のパートを同時再生してソロパートの実演を加えるオーヴァーダブプレイ」(overdub play)
例『
2台以上のピアノのための音楽
 『
リード・フェイズ
 『
ヴァイオリン・フェイズ
 
[8] 振り子の様相から発想した
偶発的なリズムパターンを創出する 「ランダムパルス」(random pulse)
例『
振り子の音楽
 
[9] その派生である
音価やパルス間隔を徐々に延長させる 「拡大型フェイズシフト」(expanded phase shift)
 (ライヒはこれを「
漸次的持続拡大」(gradual aufumentation of duration) と呼ぶ.)
例『振り子の音楽
 『
スローモーション・サウンド
 
 無論, これらは他のミニマルミュージックの作品にも見られる技法であり, 必ずしもライヒが独自に開発したものではない.
 
 肝要なことは, 上記のいずれの場合も,
基本となる音型, 和音列, 録音素材を如何に選択するかである.
 『
カム・アウト』,『ピアノ・フェイズ』,『ヴァイオリン・フェイズ』が発表直後からすぐに人口に膾炙した所以は, 素材の選択が優れていたからに他ならない.
 これらの作品において僅かでも異なる素材が選択されていたならば, 音楽の魅力は半減していたであろう.
 
 1970年代以降の多くの作品において, 上記の技法は単独あるいは並行して採用され, より洗練された形で応用されることになる.
 また, 以後の作品においては新たな技法も追加されることになるが, それらについては後述する.
 
 それでは1970年代の作品を見ていくことにしよう.
 

 
4台のオルガン Four Organs 1970
 この曲は,「拡大型フェイズシフト」の手法を採用した実演用 (機械再生ではない) 作品である.
 通常のアンサンブルにおいては, テンポを維持するために主要奏者が必要箇所でキュー (cue) を出すか指揮者を立てることが多い. ここでのライヒはそのいずれの方法も採らず, マラカスを用いたパルスを採用した.
 
 すなわち, ライヒはここで新たに
[10] 実演で必要な
指揮や指示を演奏者自身が奏出するパルスをもって司るパルスコンダクター」(pulse conductor) の手法を導入したのである.
 
 ライヒはこの曲について「最初の17小節は (3+8) 拍子, 21小節までは (4+4+3) 拍子, 22小節は (4+3+4) 拍子である. 23小節目で1小節内の八分音符は増え始め, 八分音符で265個分の音価になる42小節目まで増え続ける. 延長された音価の持続時間を正確にカウントするためにはオルガン奏者達にマラカスの音が明確に聞こえなければならない.」と述べている.
 
 マラカスが八分音符の音価で構成されるパルスを開始する. マラカスは上下に一振りするごとに2個の音を発するため, 実演では十六分音符の音価で各音が発せられる. 4台のオルガンによって\(\,\mathrm{\small{A}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)における属十一の和音 (\(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{G}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{F}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音) が八分音符の音価で反復演奏され, 次に\(\,\mathrm{\small{G}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音, \(\mathrm{\small{F}}\!\:\!\:\sharp\,\)音の順に, 八分音符の音価だけ音が延長されていく.
 

 
 その後, 各の音価が徐々に引き延ばされていき, \(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音, \(\mathrm{\small{F}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{G}}\!\:\!\:\sharp\,\)音の順に息の長い音が重ねられ, 最後に属十一の和声が鳴り響くようになる.
 

 
 スコアを見ると, ここに至るまでのフェイズシフトの様相は, 従来のような点描記法ではなく全て五線を用いた楽譜で正確に記されている. すなわち, フェイズシフトのプロセスに奏者の任意性が入り込む余地はなく, 楽譜によって厳密に制御されているのである.
 
 この間, マラカスは終始パルスを奏出し続ける. 全曲を通してテンポや和声に変化は一切ない. この曲で用いられる和音は1種類 (\(\mathrm{\small{A}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)を成す7種の音から\(\,\mathrm{\small{C}}\!\:\!\:\sharp\,\)(第三) 音を除外した和音) のみである.
 
 曲終では, 音価の長い属十一の和音から\(\,\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{F}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{G}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音, \(\mathrm{\small{E}}\,\)音の順に音が消えていき, 主音である\(\,\mathrm{\small{A}}\,\)音のみの単音が残されて終わる.
 演奏時間にして20分弱ほどの作品である.
 
 余談であるが, マイケル・ティルソン・トーマス (Michael Tilson Thomas) が当時新進気鋭の作曲家であったライヒに管弦楽作品を依頼したところ, 初演時に好評であったこの『
4台のオルガン』を提案されたという.
 
 1973年1月, カーネギーホールにおける演奏会において, J.C.バッハ (Johann Christian Bach), リスト (Franz Liszt), バルトーク (Bartók Béla) の管弦楽曲と並んでこの作品が演奏されると, 聴衆の歓声と罵声とで『春の祭典』初演時のような騒ぎになったらしい. 当時の「ニューヨークタイムズ」(The New York Times) は, この時の状況を「聴衆は爪の下に真赤な針で刺されたかのような反応を示した」と, やや大袈裟な表現で報じている.
 
 前衛的な聴衆は熱狂したであろうが, 私には非難した側の聴衆の心理も理解できる. 非難の原因は, 他の曲目と同種の編成をもつ管弦楽作品を期待していたにも拘らず, それとはほど遠い, 延々と続くドローンを伴うポップな曲調の室内アンサンブルを聞かされたことに対する不満であったのではないか.
 
 かつて学生時代の私は, ショパンのピアノ曲のみをプログラムとする著名な外国人ピアニストのコンサートを聴きに行ったことがある. どの曲も素晴らしい演奏であったが, それまでの演目が全てショパンのピアノ曲であったのに対し, アンコールの2曲目としてジョン・ケージ (John Cage) の『4分33秒』が始まった際には少なからず違和感や失望感を味わった.
 
 たしかに『4分33秒』は, プログラムに記載されないアンコール曲として披露されてこそ作曲者の意図が発揮される作品ではあろう. しかし, この日の私はショパンのピアノ曲を聴きに来たのであって, 時代も作風も異なる甚だ場違いなケージの作品を, 何の脈絡もなく予告なしに強制的に聴かされたこと (演奏自体は無音であったが) に不満を覚えたのであった.
 
 要するに, トーマスとライヒは『
4台のオルガン』を披露するタイミングと相手を誤ったのである. とは言え, この騒動を契機として, ライヒの名は急速に世の中に広まったのであった.
 

 
フェイズ・パターン Phase Patterns 1970
 『4台のオルガン』の直後に作曲されたこの曲も, 前作と同様に4台のオルガンのために書かれている.
 ここでは「
拡大型フェイズシフト」は現れず, 部分的に「連続型フェイズシフト」が採用されるのみである.
 
 ライヒはこの作品において調性をもつ打楽器としてオルガンを扱い, かつて彼自身が学んだというドラム奏法の一つであるパラディドルを用いた和音のパルスを反復させる (このリズムは後に『
ディファレント・トレインズ』にも現れる). これは十数分間に渡る演奏中, 終始変わらない. この間, 提示されるハーモニーは2種類のみである.
 

 
 第2奏者が第1奏者に対して八分音符1個分の音価だけフェイズシフトすると, 2拍目の強拍以外は常に同一の和音 (\(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{F}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音, \(\mathrm{\small{E}}\,\)音, \(\mathrm{\small{G}}\,\)音) のパルスが連続的に奏出される.
 そこへ, 第3, 第4奏者により, 特定の旋律をなぞって浮き立たせる
オーヴァーラップライン」が現れるのである . この「オーヴァーラップライン」は様々なパターンで現れては消えていく.

 

 
 再び「連続型フェイズシフト」を経て後半部に入る.
 後半部も, 和音がやや変わるのみで (\(\mathrm{\small{C}}\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\,\)音が付加される),「
連続型フェイズシフト」を繰り返して「オーヴァーラップライン」が現れる点は前半部と同様である.
 
 音楽的な効果は如何であろうか. エレクトリックオルガンは音量の増減には便利であるが, 複数台を同時演奏する場合は, 奏者自身が音楽に沿って音色変化を施さない限り, 音楽全体が同一色に染まりやすい.
 ライヒ自身は音色変化に関しては何も示唆しておらず, 音楽的にも適切な切り替え箇所は見当たらない.『
4台のオルガン』,『フェイズ・パターン』は, その意味で音響的変化に乏しい作品に陥ってしまっていると言わざるを得ない.
 

 
ドラミング Drumming 1971
 1970年, ライヒは西アフリカのガーナ大学に5週間滞在し, ドラム奏法を修得したという.
 ライヒはここで,
楽器や声による演奏が機械音や電子音による演奏よりも豊穣な響きをもたらすことを明確に認識するに至った.
 
 ガーナの伝統的音楽が12の約数を基本とした短いビートをもつ反復パターンで構成されていることを知ったライヒは, その独特なリズム構造に加え, 固有の音楽編成や対位法, 各奏法を口頭と実演で伝承するなど, ここで修得した手法を『
ドラミング』に採り入れた. ただし, フェイジングに関してはアフリカのドラム奏法には見られなかったという.
 
 1987年に出版されたCD
 

『ドラミング』CD
(Elektra Nonesuch WPCC-4088)
 
のライナーノートにおいて, ライヒ自身は, この曲における唯一のリズムパターンとして
 

 
を掲げている. すなわち, 3種類のピッチをもつ上記12個の八分音符や八分休符から成る基本音列がこの曲の定型リズムとなる. パウル・ザッハー財団のライヒ・コレクションには, この定型リズムを決定するまでのライヒの試行錯誤の過程が分かる興味深い資料が保存されている.
 
 また, スコアに記載されたライヒ自身の解説によれば, 彼はこの基本音列に対して次の3つの手法を採り入れているという.
 (i) 継続的に反復されるリズムパターン内で,
音符を休符に漸次的に替え, 休符を音符に漸次的に替える.
 (ii)
楽器が奏出する音を人の声で正確に模倣する.
 (iii)
リズム, ピッチを変えずに音色 (楽器) を漸次的に変化させる.
 以下, これらの手法を少し詳しく見てみよう.
 
 『ドラミング』は, 4つのセクションから構成される, 演奏時間にして1時間前後を要する大作である. とは言え, スコアにはこれらを区別する表記はない. 実演では, この4セクションは休止することなく連続で演奏される.
 
 具体的には, 音律を調整されスタンドに固定された4組のボンゴを4人の奏者がスティックで演奏する第1セクション, 3台のマリンバを用いた9人のマリンバ奏者と2人の女性ヴォーカルが演奏する第2セクション, 3台のグロッケンシュピールを用いた4人のグロッケンシュピール奏者と口笛及びピッコロで演奏する第3セクション, 奏者全員で演奏する第4セクションから構成される.
 
 第1セクション冒頭部では, 上記の基本音列の中の一音を第1奏者が指定回数の範囲内で打ち, 第4奏者がこれを模倣する形で一音ずつ打ち鳴らす音を増やしていく. 上記の手法 (i) である.
 

 
 
 16小節目で基本音型が完成すると, 第2奏者がこれを模倣する形でフェイドイン, 第4奏者がフェイドアウトしていき, 第2奏者は「連続型フェイズシフト」(上記手法 (iii)) を開始する. この曲では, フェイズシフト部分のパターン反復は回数ではなく時間で指定される.
 

 
 第2奏者が八分音符の音価で2個分だけシフトすると, ここで生成された複合音型を第3奏者が浮き立たせる「オーヴァーラップライン」手法が現れる.
 

 
 以下, 第1~第3奏者のボンゴ演奏が続き, この間, 第2奏者が「連続型フェイズシフト」, 第3奏者が「オーヴァーラップライン」の手法を繰り返す.
 
 102小節目で第3奏者が「
連続型フェイズシフト」に入り, その後生成された複合音型を第4奏者が「オーヴァーラップライン」を施すことで音楽は進行していく.
 126小節目では第2~第4奏者が別々のテンポで同時にフェイズシフトを始め, 奏者4人が全員で基本音型を奏出する.
次々と変幻自在なリズム変化が現れるところに第1セクションの魅力があると言えよう.
 
 その後, 第2, 第4奏者は演奏をフェイドアウトし, 第1, 第4奏者のみで冒頭部の基本音型を反復させつつ, 一音一音の音符を一つずつ徐々に休符に替えていく (上記手法 (i)). 本稿では, この手法を
[11]
漸次的に音符と休符を置き換える離散型ディゾルヴシフト」(discrete dissolve shift)
と呼ぶことにする. ライヒ自身はこの手法を「
漸次拍休交代過程」(process of gradual subsituting pulse to rest / rest to pulse) と称した.
 
 音楽も徐々に音量を下げ, 最弱音部分で各奏者にスティックを持ち替えるよう指示が出される. 持ち替えのタイミングは奏者ごとに異なるため, 聴者には
徐々に音色が変化していくように聞こえるのである (上記手法 (iii)).
 

 
 リズムパターンがやや変化したように聞こえるが, 音符が増えるに連れて冒頭部の基本音型のリズムに戻る. ただし, 奏法 (奏者の打法の手順) が変わり, 前半部は右手が\(\,\mathrm{\small{C}}\!\:\!\:\sharp\,\)音を奏出していたのに対し, 後半部は右手が\(\,\mathrm{\small{H}}\,\)音を奏出するように指示される.
 
 冒頭の力強い硬めの音色から穏やかで柔らかな音色に変わり, 再び「
離散型フェイズシフト」(休符が一つ一つ音符に移り替わっていく) が現れる.
 以後, 音量変化に伴う音色変化が交互に現れ, 第1セクションの最後は柔らかな音色に遷移しつつ, マリンバがフェイドイン (ボンゴがフェイドアウト) することで第2セクションに「遷移」する.
 

 
 ここで「遷移」と表現したのは, セクション移行の際に
[12]
楽器群別にフェイドアウトとフェイドインが並行する「連続型ディゾルヴシフト」(continuous dissolve shift) が用いられているからである.
 
 第2セクションに入ると, 基本音型の組合せ (上記譜例) から「
連続型フェイズシフト」を経て, ライヒの作品としては最初となる, 人声による「オーヴァーラップライン(上記手法 (ii)) が登場する.
 

 
 女声によるこの箇所の「オーヴァーラップライン」は大変に印象的である. ここに現れる歌詞 "du" や "bu" に特に意味はないが, 聴いている間にこれが様々な (意味のある) 言葉に変容して聞こえてくる. それは, 例えばダリ (Salvador Dalí) の特定の絵画に見られる「メタモルフォーゼ」の様相に類比的である.
 ライヒによるリズムパターンとピッチの選択は極めて効果的であると言えよう.
 
 例えば, 271~321小節まで, マリンバによる奏出パターンは変化しない.

 

 
 ライヒは, このパターンから種々の「オーヴァーラップライン」を新たに創出していくのである.
 


 
 この後もマリンバ奏者を追加して次々と複合音型を創出し, その都度「オーヴァーラップライン」を紡ぎ出す.
 私はこの部分を特に好んで聴く.
何か原始的な感覚を目醒めさせる, あるいは記憶の彼方にある懐かしい郷愁を呼び醒ます要素を多分に含んでおり, 聴く者を徐々にトランス状態へと引き摺り込むのである.
 
 『
ドラミング』は,『ピアノ・フェイズ』に続く, ライヒの「傑作」と言えよう.
 
 第2セクションの後半部 (406~410小節, 下記譜例) において, マリンバの演奏は次第に音域を高音域へと移行していく. 9人のマリンバ奏者が少しずつ演奏をフェイドアウトしていき, グロッケンシュピール奏者が演奏をフェイドインさせる「連続型ディゾルヴシフト」をもって第3セクションへ移行する.

 

 
 第3セクションに入ると, 先と同様に「連続型フェイズシフト」を経て口笛とピッコロによる「オーヴァーラップライン」が登場する.
 
 まず下記譜例 (1) の反復音型に対して口笛奏者が (3)~(4) のラインを浮き立たせ, 次に (2) の反復音型に対してピッコロ奏者が (5)~(8) のラインを浮き立たせる.

 

 

 
 

 
 
 第3セクション最後部から第4セクション冒頭部に掛けては「離散型ディゾルヴシフト」によりグロッケンシュピールの音が徐々に減少し, ボンゴやマリンバなどの音が徐々に増加していく.
 
 各楽器が個別に「
連続型フェイズシフト」を経て, 589~607小節までは一貫して同一のパターンを繰り返す. これに沿って, 女声とピッコロが「オーヴァーラップライン」を奏でるのである.
 

 
 音楽は, この音型パターンを執拗に反復し, 最後には僅かなクレッシェンドを加えて突然に終わる.
 ライヒ自身は「ヴォーカル担当の女声が1小節分を指揮をとり, 次の小節の1拍目で一斉に終わる」という指示を与えている.
 
 ライヒは, この作品の
リハーサルの際, ガーナの音楽の手法に従い, 基本パターンやフェイジング方法を自身で演奏しながら他の奏者に教えていったという.
 
 作曲当時, ライヒ自身の
速記法によるメモはあったが, 奏者に楽譜が手渡されることはなかったらしい. 2011年に出版されたブージー&ホークス社版のフルスコア

 

『ドラミング』スコア
(Boosey & Hawkes, 2011)

 
は, 後になってこの曲の奏法を他の演奏者に正確に伝えるために作成されたものである.
 
 パウル・ザッハー財団のライヒ・コレクションにあるライヒ自身のメモによれば, 初演までに67回ものリハーサルが行われたという.
 
 スコアには, ステージ上における各楽器の配置が細かく指示されている. 音響的効果を狙うものというよりも, 効率的なアンサンブル実演を優先させるための配置であろう. この曲には, 1台のマリンバを5人の奏者が向かい合うように演奏する場面が存在する.
 さらに, ボンゴの調律に関する指示, ヴォーカルの発音や音色に関する指示, 口笛奏者とマイクの位置関係の指示, マイクの設置やアンプのミキシングに関する指示なども記載されている.
 
 聴く者にとって,『
ドラミング』が醸し出す絶大なトランス効果は非常に魅力的であろう. しかし, 奏者達は音楽に陶酔している場合ではない. 一時間という長時間に渡って, 一瞬も気を弛めることなく極度の注意力と緊張感とを持続させることを要求されるのである.
 この曲のもつ素晴らしい魅力は, 奏者達の強靭な集中力と高度な演奏技術なくしては決して得られないものである.
 

 
拍手の音楽 Clapping Music 1972
 我が国の学校教育では,「リズム, メロディー, ハーモニー」は「音楽を構成するのに不可欠な三要素」とされている. ところが, この『拍手の音楽』は二人の人間の拍手のみで演奏される. それゆえ, 三要素のうちメロディーとハーモニーは存在しない.
 
 曲は, 2人の奏者が同時に八分音符で6拍子の定型リズム (譜例 (1)) を12回奏するところから始まる.
 以後, 第1奏者はこの定型リズムを曲終まで一切変化させずに反復を続けるが, 第2奏者は次の12回分の演奏では第1奏者の定型リズムと八分音符の音価で1個分だけ拍を前倒しした定型リズムを反復し (譜例 (2)), 以後, 12回ずつ奏するごとに八分音符の音価で1個分だけ拍を前倒しした定型リズムの反復を繰り返す.
 

 
 定型リズムは八分音符の音価12個分から構成されるため, 第2奏者はこの手順で演奏を続けるうちに, 最終的に第1奏者と同一のリズム (譜例 (1)) に回帰することになる.
 
 以下, 2人の奏者が曲頭の定型リズムを12回奏出し, 突如として曲は終わる. 演奏時間は5分程度, スコア (Universal Edition, 1980) は僅か1ページ (13小節) に過ぎない. この間, メロディーやハーモニーに変化がないのは無論であるが (そもそも存在しない), 奏者によって異なるニュアンスづけが可能なはずの,
強弱, テンポ, 音色などの変化も一切なく, 曲のクライマックスや終曲感もない. 楽譜には音楽的な抑揚を禁ずる旨の記載はないが, 抑揚つきの演奏を聴いたことはない. 従って, 聴く者はリズムパターンの変化のみにひたすら耳を研ぎ澄ませ続けることになる.
 
 実演の際は, 第1奏者を見れば第2奏者が奏出パターンを聴き分け (見分け) られるが, CDを鑑賞する場合は, 一瞬でも気を抜くと第二奏者が何を演奏しているのかを見失って (聴き失って) しまう. もっとも, スコアを見ながら聴く場合にはこの困難性はいくらかは解消されるのであるが…….
 
 この作品は, ライヒ自身が漸次的位相変移プロセス」と呼ぶ手法と一線を画する最初の作品である. すなわち, ライヒはここで初めて
[13]
基本音型を最小単位拍分だけ瞬間的にシフトさせる離散型フェイズシフト」(discrete phase shift)
を導入したのである.
 

 
6台のピアノ Six Pianos 1973
 この曲の原題『ピアノ・ストア』(Piano Store) は, ピアノ販売店に置いてある全てのピアノを用いたアンサンブル作品として構想された. その後, 実効性を考慮して『6台のピアノ』に落ち着いたという.
 
 スコア (Boosey & Hawkes, 1992) には, ピアノの配置案 (2台ずつ向かい合わせたペアをステージ奥から客席側向って (第1~第6ピアノの順に) 3セット分並べる) が図示され, ホールの規模によってはアンプによる音量増幅が望ましいというライヒ自身のメモが掲載されている.
 
 ここで採用されている手法は,「オーヴァーラップライン」,「離散型ディゾルヴシフト」及び「離散型フェイズシフト」の一種である.
 「一種」と表現した理由は, ここには位相変移プロセスが存在せず, シフトした結果としての音型が最初から現れることによる.
 
 曲は3つのセクションに分けられる. ただし, これらは途切れることなく連続的に演奏される.
 各セクションは8個の八分音符からなる分散和音 (1小節分) を基本音型とするが, これらは各々, 次の音群で構成される.
 

 
 第1セクションの構成和音 (1) は\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)スケールの構成音を全て含み, 第2セクションの構成和音 (2) は\(\,\mathrm{\small{E}}\,\)ドリア旋法の構成音を全て含む. また, 第3セクションの構成和音 (3) は\(\,\mathrm{\small{h}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)スケールの構成音を全て含んでいる.
 
 第1セクションは, 第1, 第2, 第3, 第6奏者が奏する上記の分散和音によるパルスから始まり, 続けて, 第4, 第5奏者が, 第3奏者による音型を1拍分だけ遅らせた (あるいは3拍分だけ速めた) 音型を「
離散型ディゾルヴシフト」をもって奏出する.

 

 
 そこへ, 下記譜例のような「オーヴァーラップライン」がフェイドインとフェイドアウトを伴って次々に現れるのである.
 これらが明確に聴き取れるか否かは演奏団体の技術の有無に大きく左右されるが,「
オーヴァーラップライン」の全てを正確に聴き取るためには聴者にも相当な集中力が要求される.

 

 
 第2セクションも同様に, 第1, 第2, 第3, 第6奏者が奏する分散和音のパルスから始まり, 第4, 第5奏者が, 第2奏者の音型を半拍 (八分音符の音価) 分だけ遅らせた音型を「離散型ディゾルヴシフト」により奏出する.
 

 
 そこへ, 下記譜例のような「オーヴァーラップライン」がフェイドインやフェイドアウトを伴って次々に現れるのである.
 

 
 詳細は割愛するが, 第3セクションも同様の手法で音楽が展開される.
 
 終結部では, 第6奏者が「
離散型ディゾルヴシフト」によりパターンを完成させると, 他の奏者と音量を揃え, その後, 全員でクレッシェンドを開始して演奏を終える.

 

 
 最後にクレッシェンドを施すことで若干の終結感は出るが, 全員揃って一斉に演奏を終えるためには,『ドラミング』と同様, 何らかのキュー (cue) を要する.
 『
ドラミング』では奏者の一人が指揮をとることでこれを実践したが,『6台のピアノ』におけるライヒの指示は「第1奏者が最後の小節の中で頷く (nod head) のを合図に, プラス2小節分, 演奏した後に一斉に終える」であった.
 
 この作品に限らないが, ライヒの音楽における種々の手法の演奏効果は演奏者によって大きく左右される.
 
 元来, ピアノは独奏楽器として最も効果を発揮するものであり, 連弾用あるいは2台ピアノ用の作品となると, 音の重なりに厚みが出る一方で繊細な音色を弾き分けることが難しくなる場合が多い.
 ましてや6台となると, 各奏者が音量やアクセントや音色やアーティキュレーションなどの点で相補的なコントラストを施さない限り, 音楽全体が曖昧模糊とした面白味のない演奏に陥る危険性が高いのである.
 その意味では,『4台のオルガン』,『フェイズ・パターン』と同様, この曲も音響的魅力に乏しいと言わざるを得ない.
 
 この点を考慮したのであろう, ライヒは後にこの作品を『6台のマリンバ』として, やや改訂を施した上で再登場させることになるのである.
 

 
木片の音楽 Music for Pieces of Wood 1973
 『拍手の音楽』で初めて導入された, 定型リズムを「離散型フェイズシフト」させる手法は, 聴者にとって聴き取りがやや困難であった.
 ライヒ自身は2人の奏者の拍手の質については何も言及していないが, 例えば奏者が大人と子供であれば拍手の音量や音質に差を設けることができよう.
 
 この『
木片の音楽』は, この点を改善することを試みたものと思われる. 音の質に差が生じるよう, 異なるピッチ (高\(\,\mathrm{\small{D}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{H}}\,\)音, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音, \(\mathrm{\small{C}}\!\:\!\:\sharp\,\)音, \(\mathrm{\small{D}}\!\:\!\:\sharp\,\)音) のクラヴェスが演奏楽器として指定されている.
 
 曲は, 異なる拍子をもつ3つの定型リズムを軸とする3つのセクションから構成される.
 

 
 第1セクションは, まず, 第1奏者による高\(\,\mathrm{\small{D}}\!\:\!\:\sharp\,\)音のパルスで始まる (下記譜例 (1)). これは『4台のオルガン』で初導入された「パルスコンダクター」であり, 曲終まで一切変化がない.
 
 そこで, 第2奏者が\(\,\mathrm{\small{H}}\,\)音で『
拍手の音楽』と同一の定型リズムを奏でる (下記譜例 (2)). 続けて登場する第3奏者 (\(\mathrm{\small{A}}\,\)音) は,「離散型ディゾルヴシフト」の手法で第2奏者と同一の定型リズムの一部分を開始する (下記譜例 (3)).
 
 この第3奏者の演奏は, 他の奏者とピッチが異なるのみならず最強音で登場するため, 聴者は容易にこれを聴き取れるであろう.
 

 
 第3奏者が完成させる定型リズムは, 第2奏者の定型リズムと4分音符の音価で3個分だけ前倒しした (あるいは遅らせた) ものになっている (下記譜例 (1)). これは,『6台のピアノ』の場合と同様,「離散型フェイズシフト」の一種と考えられる.
 
 その後, 第3奏者は音量を下げていき, 第4奏者 (\(\mathrm{\small{C}}\!\:\!\:\sharp\,\)音) が最強音で登場する (下記譜例 (2)).
 

 
 第4奏者による「離散型ディゾルヴシフト」は第3奏者のものとは若干異なるが, 完成させるリズムパターンは第3奏者の定型リズムと同一である (下記譜例 (1)). その後, 第4奏者が音量を下げ, 第5奏者 (\(\mathrm{\small{D}}\!\:\!\:\sharp\,\)音) が最強音で登場するのである (下記譜例 (2)).
 

 
 第5奏者が完成させるパターンは第2奏者の定型リズムと同一であり, その後, 第2~第5奏者が一斉にこのリズムを演奏しつつ, 第3~第5奏者は演奏フェイドアウトさせて第2セクションに入る.
 

 
 詳細は省くが, 第2セクション及び第3セクションの楽曲構成も同様である. ただし, 第2セクションの最後が, 第1セクションの最後と同様に第2~第5奏者が同一の定型リズムを奏するのに対し, 第3セクションの最後 (曲終) にはこれがない.
 
 音楽は, 何の前ぶれもなく突如として終わる.
 

 
マレット楽器, 声とオルガンのための音楽 Music for Mallet Instruments, Voices, and Organ 1973
 マレット楽器, 声とオルガンのための音楽』は, 鮮烈な音響的魅力と推進力とで聴者を惹き付けるという点では『ピアノ・フェイズ』ないし『ドラミング』に匹敵する優れた作品である.
 
 聴く者を惹きつける理由は, 前者2作品と同様,
基本音型となる素材 (旋律, 和声, リズム) が優れて絶妙であるところにある. これらを僅かでも他の素材に変更すれば, 音楽全体の魅力は半減するであろう.
 
 楽器編成は, 女声三部, オルガン (or シンセサイザー), ヴィブラフォン, グロッケンシュピール2, マリンバ4であり, これまでのライヒの作品の中では『
ドラミング』に次ぐ大規模な編成となっている.
 
 6台のピアノ』,『4台のオルガン』などは, 複数 (3名以上) の奏者による同種楽器の同時演奏が原因で音響的色彩的な単調感を否めなかった. ピアノやオルガンは重奏には適さないのである.
 逆に, 女声やグロッケンシュピールやマリンバなどは, 重奏することで, オーケストラにおける第1, 第2ヴァイオリンと同様, 独奏では奏出し得ない新たな音響効果が得られることが『
ドラミング』により実証されたのであった.
 この結果を踏まえて, ライヒは『
マレット楽器, 声とオルガンのための音楽』を創作したのである.
 
 この曲は, オルガンと女声二声部で奏出される, 各々単純な和声構造をもつ4つのセクション (下記譜例 (1)~(4)) から構成される.
 なお,『
ドラミング』の場合と同様, 女声部の歌詞に特に意味はない. 発声が容易であるからであろう, ここでは終始 "ee"と発音するのみである.

 
 
 
 
 これらの和声群はこの順に現れるのみで循環的に再演されることはないため, 厳密に言えば先に定義した「ハーモニーループ」には該当しない. とは言え, 個々の和声群は同一セクション内では循環的に反復されることに鑑みて,「広義のハーモニーループ」と捉えることにしたい.
 
 その意味では,『
ピアノ・フェイズ』,『ドラミング』,『6台のピアノ』もこれに該当する.
 
 各セクションの和声は音楽が進むに連れて音価が延長され (
拡大型フェイズシフト), ある程度まで引き延ばされると
[14]
次第に音価を短縮し始める (「拡大型」に対照的な)「短縮型フェイズシフト」(shortened phase shift)
を経て, やがて最初の音価に戻る.
 その後, オルガニストの頷きを合図に次のセクションへ移行する. 最後のセクションまでこの進行方法に変化はない.
 
 各セクションごとに他の奏者は基本音型を反復し続け (下記譜例 (1)), 第3第4マリンバ奏者や第2グロッケンシュピール奏者は「
離散型ディゾルヴシフト」の手法で新たな音型を奏出する (下記譜例 (2)). その後, 第3女声部が「オーヴァーラップライン」をもって複数の音型パターンを浮き立たせ始めるのである (下記譜例 (3)).
 

 

 

 
 この曲以前には見られなかった手法として, 周期性をもつ長い音価をもつ持続音と任意回数の音型パターンの反復の同時進行が挙げられよう.
 
 オルガンや女声二声部による「長い音価をもつ持続音」は, 最長で18小節に及び (第2セクションにおける RM.9), 他の奏者による「基本音型」は1~2小節単位で反復を繰り返す. これらは18小節という周期をもつが, この間, 第3女声による
オーヴァーラップラインは4~10回という範囲で種々のパターンを反復を繰り返すため, 一定の周期性をもたない. それゆえ, 聴く者は変化に富んだ独特の響きを耳にすることになるのである.

 

 

 

 
 この曲のスコアにおいて, 楽曲内で用いられるハーモニーに関して初めてライヒは言及する.
 

『マレット楽器, 声とオルガンのための音楽』スコア
(Boosey & Hawkes, 2014)

 
 彼自身の解説によれば, 第1セクションは「\(\mathrm{\small{F}}\,\)ドリア」, 第2セクションは「\(\mathrm{\small{D}}\!\:\!\:\flat\,\)ドリア」, 第3セクションは「\(\mathrm{\small{b}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)自然短音階」, 第4セクションは「\(\mathrm{\small{A}}\!\:\!\:\flat\,\)ドミナントの十一の和音」であるという.
 
 スコアによれば第1セクションの調号はフラット3個 (\(\mathrm{\small{Es}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\)) であり, 構成音 (下記譜例 (1))
には所謂「ドリアの6」に該当する\(\,\mathrm{\small{D}}\,\)音が存在しない. 聴く者は, \(\mathrm{\small{f}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)を聴き取ることはあっても, ドリア旋法を感知することは困難であろう.
 第2セクションの調号は\(\,\mathrm{\small{Ges}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)である (下記譜例 (2)) が, 後半部ではドリア旋法を聴き取ることができよう.
 
 
 
 また, 第4セクションで主に聴き取れるのは, \(\mathrm{\small{A}}\!\:\flat\,\)音を根音とする所謂 "\(\mathrm{\small{A}}\flat\,7\,\mathrm{\small{sus}}\,4\)" (\(\mathrm{\small{A}}\!\:\flat\,\) dominant 7th suspended 4th chord) であろう.
 
 ところで, ドリア旋法はこれまでの楽曲にもたびたび用いられており, ライヒが言うところの, ただし6度を欠く (疑似) ドリア旋法は,『
パルス・ミュージック』や『4つのログドラム』にも見られる.
 一方,『
ピアノ・フェイズ』及び『ドラミング』における正統なドリア旋法は大変に印象的であり, 楽曲全体に格別の魅力を付加していると言えよう.
 

 
18人の音楽家のための音楽 Music for 18 Musicians 1976
 1970年代におけるライヒの最高傑作『18人の音楽家のための音楽』は, これまでの彼の作品の中では最も大規模な作品となった.
 すなわち, クラリネット2(バスクラリネット持ち替え), ヴィブラフォン, シロフォン2, マリンバ3 (マラカス持ち替え), ピアノ4 (マラカス持ち替え), 女声四部 (ソプラノ3, アルト1), ヴァイオリン, チェロという楽器編成をもち, 全曲を演奏するのに約1時間を要する.
 
 これまでの作品で
実験的に採用され開発された種々の手法が, この作品においては極めて効果的に展開されることになるのである.
 
 全曲は11のセクションから成り, 冒頭部において「
ハーモニーループ」の原型和音が提示される.
 各セクションを構成する和声は, "Pulse" と明記された提示部 (1~96小節, 曲の開始から5分間以内に演奏される) において全て現れる (下記譜例参照. 大譜表において全ての実音を示し, 下段の譜表において各和音の構成音を示した).
 なお, この "Pulse" は曲の終結部 (664~748小節) において再び繰り返されることになる.
 
 (1) と (2) の構成音は同一であるが, 互いに転回関係にあって異なる根音をもつため, これらを聴き分けることは容易であろう.

 

 
 マリンバとピアノが「パルスコンダクター」を担う一方で, 各和声は奏者ごとに異なるタイミングで2回ずつフェイドイン, フェイドアウトを繰り返しながら聴者に提示される (下記譜例参照. 第3セクションを構成するハーモニーまで).
 
 
 


 
 「1拍子」と記載された部分では, 聴者には拍子感覚すなわち「何拍子」という感覚は得られない. 拍子感覚を得られない長音価のハーモニーがパルスを伴って提示され, フェイドインとフェイドアウトを繰り返すのみである.
 とは言え,
この部分がもつ音響感は大変に幻想的であり, 聴く者を一気に惹き付ける強烈な魅力をもっている.
 
 ハーモニーの提示が一巡すると, "Sections" と明記された本編に入る.
 
 アンサンブルとしては大規模な作品であるが, 指揮者は想定されていない
. 幸い, テンポについては (全曲を通じて) 一切変化しないため, 同時に演奏を開始するための合図, あるいは次のセクションへ移行するための合図が必要となるのみである.
 
 "Pulse" における和声交替 (セクション移行) は, クラリネット奏者によるキュー (頷き) で開始される.
 "Section" では, ヴィブラフォン奏者によるキュー
, すなわち
[15] 曲中において複数の和声を奏でることで場面移行を促す
ハーモニーコンダクター」(harmony conductor)
の手法が採り入れられている.
 
 一方, 一つの場面の内部における部分的パターンのアンサンブルは, クラリネット奏者によるキュー (頷き) で開始される.
 
 この曲で用いられる女声部は,「
オーヴァーラップライン」を目的としていない. むしろ, パルスを奏出したり旋律や和声を担う楽器の一部として用いられている.
 女声によるパルスは基本的に "doo" と発音されるが, 高音域のパルスの一部で "ah" と発音される (第1セクション, 第7セクション). 音価の長い音は, 前作と同様 "ee" と発音される.
 
 
「18人」の奏者が想定されているが, 1人が複数の楽器を担当する (交替あるいは持ち替える) ことが前提である.
 例えば, 第6, 第8セクションにおける第1マラカスはマレット楽器奏者が担当しなければならず, 第7セクションにおける第2マラカスは女声奏者またはピアノ奏者が担当しなければならない.
 
 第1~第11までの各セクションに関して, ライヒによれば「リズムは同時進行で2種類の基本的なものが挙げられる」といい,「各セクションのパルスは1~3種類の和声をもつ2つの部分から構成される」という.
 各セクションは基本的に「ABCDCBA」というアーチ型の構造を作り,
一つのセクションのパルスや和声は他のセクションとも関連性をもつという.
 
 以下, 各セクションについて少し詳しく見てみよう. 各譜例に記されたアルファベットは, 各セクションにおける上記のアーチ型構造における箇所を示すものとする.
 
 第1セクション (97~165小節) は記譜上は\(\mathrm{\,\small{A}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)であるが, \(\mathrm{\small{G}}\!\:\!\:\sharp\,\)音の代わりに (チェロにより奏出される) \(\mathrm{\small{G}}\,\)音が現れるため, 聴者は\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\) (または\(\,\mathrm{\small{h}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)) を聴き取ることになる.
 冒頭部の "Pulse" にて提示された和声の中に\(\,\mathrm{\small{G}}\,\)音が含まれていないことに対して疑問が生じるが, 終結部の "Pulse" にて再現される和声の中には\(\,\mathrm{\small{G}}\,\)音が含まれていることから, この疑問は解消できよう.
 
 さて, 第1セクションでは, 第1, 第2マリンバ及び第1, 第2ピアノが6拍子系の\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)のパルスを奏出する中, 第3マリンバと第3ピアノによる\(\,\mathrm{\small{h}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の基本音型を (フェイドインをもって) 奏出し始める (下記譜例 (1)). ここで
用いられる定型リズムは
拍手の音楽と同一である. そこへ,
 (A) クラリネットと女声二声部により奏出される連続完全四度のループ音型
 (B) 同一奏者により奏出される連続完全五度のループ音型
 (C) 同一奏者により奏出される連続長短三度のループ音型
 (D) クラリネットにより奏出される, フェイドイン, フェイドアウトを伴う1拍子系のパルスの反復
が順に現れるのである (下記譜例参照).
 
 この (A)~(C) は, 曲中ではヴィブラフォンが奏出する「
ハーモニーコンダクター」と共に現れるため, 聴者がこれを聴き取ることは容易である.

 

 




 

 
  (A)~(C) へと進行するに連れ, 第3女声と弦楽 (ヴァイオリン, チェロ) により奏出されるハーモニーの音価は「拡大型フェイズシフト」の手法で次第に延長される (上記譜例 (2) 参照).
 
 スコアにおけるライヒの解説によれば, ここに見られる
並行オルガヌムや音価の持続拡大は中世におけるペロタン (Pérotin) の作曲様式を模しているという.
 
 以後, 音楽は上記譜例の (C), (B), (A) の順に演奏を続け, 冒頭部の\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)パルスに回帰する.
 この箇所における第3女声と弦楽器群は「
短縮型フェイズシフト」を演出し, 最後にはヴィブラフォン奏者による「ハーモニーコンダクター」 (下記譜例) をもって第2セクションに入る (因みにこの曲で用いるヴィブラフォンについて, ライヒ自身は「(ヴィブラートを掛けるモーターを除去した) メタロフォン」を想定しているようである).

 

 
 第2セクション (166~191小節) では, 第1セクションと同じ奏者による\(\,\mathrm{\small{D}}\,\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)のパルスと\(\,\mathrm{\small{h}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の基本音型 (下記譜例 (1)) で開始され,
 (A) クラリネットと女声二声部による「
離散型ディゾルヴシフト」を用いた連続 (長短) 三度のループ音型
 (B) 第1シロフォンと第3ピアノによる上記手法を用いた高音域のループ音型

 (C) 第2シロフォンと第4ピアノによる上記手法を用いた高音域のループ音型
が順に現れる.

 

 

 

 

 
 上記譜例における (B) が開始される直後から, バスクラリネットと弦楽が中低音域においてフェイドインとフェイドアウトを伴う1拍子系のパルスの反復を開始する.
 上記譜例における (C) のループ音型が完成すると, 女声以外の奏者 (シロフォンやピアノ) も同様の1拍子系パルスを開始する.
 
 
第2セクションはシンメトリーの構造をもたず, ヴィブラフォン奏者による「ハーモニーコンダクター」をもって第3セクションに移行する.
 
 第3セクションは, A,Bの2つの部分から成る.
 
 まず, 第3セクションA (192~260小節) は, \(\mathrm{\small{fis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)のパルスと第3マリンバと第2ピアノによる基本音型で開始され,
 (A) クラリネット, 第1ピアノ, 弦楽により奏出される完全四度や完全五度を用いたループ音型
 (B) 同一奏者により奏出される連続 (長短) 六度のループ音型
 (C) 同一奏者 (チェロを除く) により奏出される完全四度や完全五度を用いたループ音型
 (D) クラリネットと女声二声部による, フェイドインやフェイドアウトを伴う1拍子系のパルスの反復
が順に現れるのである.

 
 
 

 

 
 ここでも『拍手の音楽』と同一の定型リズムが用いられる.
 
 特筆すべきは, 上記譜例 (A)~(C) における低音部のパルスであろう.
 ループ音型において
重厚感のある低音が現れるのは, この第3セクションAと第6セクションのみである.
 第3, 第4ピアノ ((C) においてはチェロも加わる) によるこれらのパルスが形成するシンコペーションは, 大変に印象的であろう.
 

 

 

 
 続く第3セクションB (261~311小節) は, 第3マリンバと第4ピアノによる基本音型の上に,
 (A) 第1シロフォンと第3ピアノが奏出する「
離散型ディゾルヴシフト」によるループ音型
 (A)~(C) クラリネット, 女声, 弦楽による「
拡大型フェイズシフト」による「ハーモニーループ
 (D) クラリネットと女声二声部による, フェイドインやフェイドアウトを伴う1拍子系のパルスの反復
が現れる.
 
 以後, 上記譜例の (C), (B), (A) の順に演奏を続けて次のセクションへ移行する手法は第3セクションAと同様である.
 
 第4セクション以後の進行もほぼ同様であるから, 詳細は省いてこれまでと異なる点のみ挙げておく.
 
 第4セクション (312~349小節) も第2セクションと同様にシンメトリーの構造をもたず, (D) 以後は1拍子系のパルスが続き, ヴィブラフォンによる「
ハーモニーコンダクター」を省略してそのまま第5セクションへ移行する.
 このようにセクション移行の際に「
ハーモニーコンダクター」をもたない箇所は, 他に, 第9セクションから第10セクションに掛けてと第11セクションから最後部の "Pulse" に掛けての2箇所のみ存在する.
 
 聴く者は和声が変わることで第5セクションへの移行を感知できるが, 実演ではクラリネット奏者によるキュー (頷き) を見ることもできよう.
 
 第5セクション (349~391小節) では調号が\(\,\mathrm{\small{cis}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に変わる. これもシンメトリーの構造をもたず, (D) すなわちバスクラリネットや弦楽などによるパルスが現れた後に第6セクションに移行する.
 
 第6セクション (392~471小節) に入ると調号は再び\(\,\mathrm{\small{fis}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)に戻る.
 このセクションのみ, シロフォンが4拍子系のパルスを奏出する. マラカスによる「
パルスコンダクター」はこのセクションから始まり, 第8セクションの最後まで続く. セクション全体の流れは, シンメトリー構造をもつ第3セクションとほぼ同様である.
 
 セクションの最後は4拍子系のパルスの上にマリンバとピアノによる「
メロディーループ」のみが残り, ヴィブラフォンによる「ハーモニーコンダクター」を介して第7セクションへと移行するのである.
 

 
 第7, 第8セクション (472~608小節) には特記すべき事項はない. いずれもシンメトリー構造をもち, セクションの流れは, 前者は第1セクションとほぼ同様であり, 後者は第3セクションBとほぼ同様である.
 
 第9セクション (609~629小節) の調号は\(\,\mathrm{\small{fis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であるが, 臨時記号を用いた\(\mathrm{\small{D}}\!\:\sharp\,\)音が常に現れるため, 聴者はこのセクションにおいては常に\(\,\mathrm{\small{cis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)を聴き取ることになる.
 第1セクションの場合と異なり, 冒頭部及び終結部における "Pulse" にて提示される和声の中にDis音は含まれていない. この矛盾に関するライヒの言及はない.
 
 (C) のループ音型が完成すると, 多くの楽器群が1拍子系パルスを開始する点, シンメトリーの構造をもたない点などは第2セクションと同様であるが, ヴィブラフォン奏者による「ハーモニーコンダクター」なしに第10セクションに移行する点が異なる.
 
 第10セクション (630~635小節) の冒頭では, 第3第4ピアノと女声による基本音型はほとんど聴き取れない.
 フェイドインから開始される女声部が聴き取れないのはやむを得まいが, 第4ピアノの音型 (『
ヴァイオリン・フェイズ』で用いられた基本音型は当初から強奏 (フォルテ) で奏出されているにも拘らず, これを聴き取ることは難しい.
 

 
 その原因は, 第10セクションが, 通常の基本音型に加えて1拍子系のパルスのフェイドインとフェイドアウトを冒頭から展開している点にある. これ自体は第5セクション冒頭部も同様であるが, 第10セクションの場合は, ほぼ全員 (第1女声以外) の奏者による奏出である点, シロフォン奏者とピアノ奏者が高音域における連続打鍵を強奏している点にある.
 
 各奏者のフェイドインやフェイドアウトは互いにタイミングが異なり, 混沌とした様相を呈する. その様子はスコアからも窺い知ることができよう.

 

 
 このセクションの構造は単純である. 上記譜例のように, 他の奏者が1種類または2種類の和声のフェイドイン, フェイドアウトを3回ずつ反復した後, ヴィブラフォンによる「ハーモニーコンダクター」を伴って第11セクションに移行するのである.
 
 第11セクション (636~663小節) は, 調号は\(\,\mathrm{\small{fis}}\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)であるが, 臨時記号を用いた\(\,\mathrm{\small{G}}\,\)音が常に現れるため, 聴者は\(\,\mathrm{\small{D}}\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)を聴き取ることになる. クラリネットと女声二声部による連続 (長短) 六度のループと, 女声二声部や弦楽による「
拡大型フェイズシフト」の手法により音楽が展開され, (D) では, クラリネット, 女声, 弦楽の奏者は1種類または2種類のハーモニーのフェイドイン, フェイドアウトを伴う1拍子系のパルスの反復を3回ずつ反復し, そのままヴィブラフォンによる「ハーモニーコンダクター」を介せず最後のセクション "Pulse" へと移行する.
 
 最後の "Pulse" (664~748小節) は, 第1セクションの和声に\(\,\mathrm{\small{G}}\,\)音が付加される以外は冒頭部の "Pulse" と同一の構造をもつ.
 
 各セクションを構成するハーモニーの提示が一巡すると, 各楽器はフェイドアウトを開始し, クラリネットと女声, ピアノとチェロ, マリンバの順に音が消えていく. 最後の一小節 (1拍子系パルスを9~14回反復せよとの指示あり) を実演するのはヴァイオリンのみであり, \(\mathrm{\small{A}}\,\)音と\(\,\mathrm{\small{E}}\,\)音の重音パルスをもって微かな余韻を醸し出しながら次第に音を遥か彼方へと遠ざけていくのである.
 
 『
ピアノ・フェイズ』,『ドラミング』,『18人の音楽家のための音楽』の3曲は, その優れた音型素材の選択と過不足のない緻密な楽曲構成とにより, 聴く者を時間制約の無い恍惚状態に陥らせる音楽であり, 1960年代, 1970年代におけるライヒの作品の中でも特に私が好んで聴くものである.
 
これを表出し得るのは演奏家達の高度に熟達した演奏技法において他にはない.
 
 私が所有するCD
 

『18人の音楽家のための音楽』CD
(ECM Records POCC-1505)

 
は「スティーヴ・ライヒと音楽家達」による大変に優れた演奏であるが, 遺憾ながら唯1ヶ所, (第3セクションAにおける六度のループ音型において) 第1クラリネット奏者が\(\,\mathrm{\small{G}}\!\:\sharp\,\)音を奏出すべきところを\(\,\mathrm{\small{G}}\!\:\natural\,\)音を奏出してしまっている. それまで音楽に陶酔してきた聴者は, 一瞬にして陶酔から現実に引き戻されることになる.
 
 CD制作の時点で技術的には修正可能であったと思われるが, 敢えてこれを残した理由は奏者達の強靭な集中力と高度な演奏技術に敬意を表してのことかも知れない. 容易に修正できるとなれば, 奏者達が一時間という長時間に渡って一瞬も気を弛めることなく極度の注意力と緊張感とを持続させて演奏することが無意味になってしまうからである.
 
 
録音時, 奏者達 (S.ライヒと音楽家達) は, ライヒの手書きメモ風のパート譜を用いて演奏していたという (ライヒ自身はフルスコアを書いていなかった). 詳しい経緯については, 2000年に出版されたスコアにライヒ自身の記述がある.
 

『18人の音楽家のための音楽』スコア
(Boosey & Hawkes, 2000)
 
 ライヒは複数回のリハーサル時にパート譜のメモと口頭説明をもって奏者達に演奏内容を伝えていた. コーネル大学の院生であったマーク・メリッツ (Marc Mellits) が博士論文を執筆する際に (ライヒのパート譜のメモをもとに) フルスコアを書き下ろし, それが現在の我々が入手できるブージー&ホークス社版の楽譜であるという.
 
 ところで, この曲における冒頭部と終結部の "Pulse" を聴くたびに, 私は鴨長明『方丈記』の冒頭部「ゆく河の流れは絶えずして, しかももとの水にあらず. よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて, 久しくとゞまりたるためしなし.」(岩波文庫より引用) を想い起こす.
 
 
淡く儚く次々に現れては消える音響現象が, 聴く者を現実と幻影の境界へと彷徨わせるのである.
 

 
大アンサンブルのための音楽 Music for a Large Ensemble 1978
 この曲はライヒにとって初の委嘱作品である. 1979年のオランダ音楽祭において, レーウ (Reinbert de Leeuw) 指揮, オランダ管楽アンサンブルにより初演された.
 
 楽器編成は, フルート1, クラリネット2, ソプラノサクソフォン2 (オプション), トランペット4, シロフォン2, ヴィブラフォン, マリンバ2(奏者4人), ピアノ2(奏者4人), 女声二部 (オプション), ヴァイオリン2, ヴィオラ2, チェロ2, コントラバス2であり, その規模は前作『
18人の音楽家のための音楽』を凌駕する.
 
 
初演後, この曲は, ライヒは自身が率いる楽団によるリハーサルを経て中間部が大幅に削除されるなどの改訂が施されている. 現在, 我々が耳にできる作品は, この改訂版の方である.
 
 曲は5つのセクションから成り, 各セクションは原則として「ABCBA」という5つの部分から成るアーチ型の構造をもつ.「原則として」と記した理由は, 第3セクションが改訂による削除の影響で「A」に該当する部分しか残されていない点, 第5セクションが「ABC」に該当する部分しか存在しない点にある.
 各部分間及び各セクション間の移行は, ヴィブラフォンによる「
ハーモニーコンダクター」により明確に聴き分けられるであろう.
 
 各セクションの構造は大同小異であるから, 第1セクションについてのみ簡単に記しておく.
 まず, シロフォン, マリンバ, ピアノが基本音型を奏出し, 続けて「離散型ディゾルヴシフト」により基本音型を構築する.

 

 
 セクション内における5つの部分は, 前半部「ABC」において「拡大型フェイズシフト」, 後半部「BA」において「短縮型フェイズシフト」の手法で弦楽器, ソプラノサクソフォン, 女声二声部により展開される和声と, 同様の手法でフルートにより展開される「メロディーループ」が中心となる.
 

 

 

 
 セクションの中央部「C」では, 第1ヴァイオリンと2本のクラリネットにより八分音符による「メロディーループ」がフェイドインで奏出される.
 

 
 最後に登場するのがトランペットによる「ハーモニーループ」である. これは, 各セクションにおいて, 下記譜例のような2種類または3種類の和音がフェイドインやフェイドアウトをもって4回ずつ奏出される.
 ライヒによれば, 各和音は "one breath" (一呼吸) で奏出するに相応しい音価で演奏されるという.
 

 
 第3セクションは冒頭部の「A」の部分 (スコアで僅か4小節) のみで第4セクションに移行するため, 第1ヴァイオリンによる「メロディーループ」やトランペットによる「ハーモニーループ」は登場しない.
 この第3セクションが短い上に, 続く第4セクションでは, それまで6拍子系で進められてきた音楽が5拍子系に変わるため, この部分は聴く者に新鮮な印象を与える.
 
 第5セクションでは再び6拍子系に戻る. このセクションでは「ABCBA」のシンメトリーの完成を見る前に (すなわち「C」を聴かせた後), 次第にデクレッシェンドしながら
音楽は空中消滅するように突如として終わる (下記譜例).
 リタルダンドもなくフルートによる\(\,\mathrm{\small{As}}\,\)音の単音を最後に曲が終わるため, 終結感が全く感じられない.
続きを錯覚させるような余韻とその後の静寂に対し, 聴く者はしばらく呆然とさせられるのである.
 
 ライヒの作品の中では演奏機会も少なくそれほど人口に膾炙していない作品であるが, 私はこの曲も好んで聴く.
 
 

 
管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲 Variations for Winds, Strings, and Keyboards 1979
 サンフランシスコ交響楽団 (San Francisco Symphony) の委嘱により作曲された音楽は, ライヒにとっては初となる指揮者を要する管弦楽曲であった.
 
 とは言え, 木管楽器はフルートとオーボエが各3本, 金管楽器はトランペットとトロンボーンが各3本にチューバ1本, 弦楽五部, オルガン (シンセサイザー) 3台とピアノ2台という編成であり, 通常のオーケストラで用いられるはずのクラリネットやファゴット, ホルンやティンパニなどは用いられていない.
 
 これまでの作品において主たる演奏楽器であった鍵盤打楽器 (マリンバ, ヴィブラフォンなど) が用いられず, 一方で
オーボエの音色が目立つ点は, ライヒの作品としては珍しい (他の例としては『ザ・フォー・セクションズ』の第3楽章冒頭部くらいであろう).
 
 標題は「変奏曲」であるが, この曲に
「主題」らしきものは存在しない. 全曲を通して一様に続くリズムパターンやハーモニー, 音量や音色を漸次的に位相変化させる手法をもって「変奏」としているのであろう.
 
 
曲は3つのセクション (ライヒ自身は各々「第1変奏」,「第2変奏」,「第3変奏」と称する) から成る.
 第1セクション (下記譜例I) は 6+5 拍子 (11拍子) の反復, 第2セクションは 5+6 拍子を反復する前半部 (下記譜例 IIa) と8拍子を反復する後半部 (IIb) に分けられる. これらの演奏時間は, 前者が2分弱, 後半部が約6分半である. 第3セクションは (下記譜例 III) 4+6+4+3 拍子 (17拍子) を反復する.
 
 これまでの作品群における基本音型は, そのほとんどが比較的親しみやすい6拍子 (3拍子) 系または4拍子系で構成されていたが, この作品では
聴者が拍子を把握しづらい変拍子を採り入れた音型で構成されている点が, これまでのライヒの作品と異なる斬新な印象を与えるのである.
 
 因みにパウル・ザッハー財団のライヒ・コレクションには, 基本音型がこの形に決まるまでのライヒ自身の試行錯誤の過程 (和音列や基本音列のメモ) が資料として保存されている. これらの資料を眺めていると徐々に魅力的な音楽に仕上がっていく様子が伺え, 大変に興味深い.

 


 

 
 

 

 
 

 

 
 各セクションは, 木管楽器, オルガン, ピアノによるリズミカルな基本音型と, オルガン, 弦楽, 金管楽器による長音価のハーモニーとで構成される.
 
 リズミカルな基本音型の音色は, フルートによる部分とオーボエによる部分の2種類である.
フルートとオーボエが同時に演奏されることはほとんど (最後の16小節以外は) ない. 原則としてフルートとピアノは同一の楽譜を演奏するため, ピアノとオーボエが同時に演奏されることも, 最後の16小節以外にはない.
 
 この
木管楽器のフレーズは十数小節から時に50小節以上も休符なしに続くため, スコアには, 音楽的に最も影響の少ない位置におけるブレスのタイミングが指定されている.
 フルート, オーボエによるいずれのフレーズも, 第1及び第2奏者が同一のリズムで三度, 四度, 五度の音程を連続させる基本音型を奏出し
, 第3奏者は, これらから4~6拍分だけ遅れた (あるいは前倒しした) タイミングで第1奏者と同一のフレーズを奏出するのである. この構図は全曲を通じて変化がない.
 
 第1及び第3セクションには, オルガンと弦楽器群による和声 (下記譜例における黒符頭) に加え, 金管楽器群及びコントラバスによる長音価の複数種類の和声 (下記譜例における白符頭) がフェイドインとフェイドアウトを伴って共に現れる. 金管楽器群による
各ハーモニーを一息 "one breath" で演奏するよう指示されている点は,『大アンサンブルのための音楽』と同様である.
 
 第1セクションのハーモニーは\(\,\mathrm{\small{c}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の和音から開始され, 以下, 内声を徐々に遷移させ, \(\mathrm{\small{Des}}\,\)-\(\mathrm{\small{Dur}}\,\)の属音上の長九の和音に至る. 以下, 調号を変えつつ (一部の重複和音を除けば) 50種にも及ぶハーモニーを展開するのである.
 




 
 これは『18人の音楽家のための音楽』に現れたような「ハーモニーループ」とは似て非なるものである.
 ここに見られる手法は,
[16]
和音の中の一つまたは二つずつ音を変化させて次の和音へと遷移させるハーモニーシフト」(harmony shift) にほかならない.
 
 「
ハーモニーシフト」に現れるハーモニーの選び方, 遷移のさせ方は, ライヒならではのものであろう.
 オルガンと弦楽による柔和な音色が僅かずつ音を変えながら和声の変移を繰り返し, 時折, 金管楽器群による輝かしく神々しい音色が音楽全体に華やかさを添える. 聴く者を魅了し最後まで惹き付ける要素が随所に鏤められた名作と言えよう.
 
 第2セクションは, 第1セクションで提示した和声の「
拡大型フェイズシフト」と解釈することもできるが, 調号に関する対応は見られるものの, 個々のハーモニーに関して厳密な対応関係を見ることは難しい.
 







 
 このセクションはリズミカルな音型を司る木管楽器と鍵盤楽器のパッセージを中心に構成されており, 金管楽器群による輝かしい和声は現れない.
 
 第3セクションについても, 第2セクションとほぼ同様の和声進行になっている. これもやはり, 第1セクションにおけるハーモニーの「
拡大型フェイズシフト」と見做すことができよう. とは言え, 厳密な対応関係が見られるわけではない.

 





 
 この曲には, これまでのライヒの作品のような小節単位での反復記号が一切存在しない.メロディーループ」は存在するものの, これを彩るハーモニーが常に新たなハーモニーへのフェイズシフトを続けるからである. これは「ハーモニーループ」とは質を異にする.
 
 これまでのライヒは, それ
以前の作品で実験的に採用した種々の手法をより一層洗練させたり改良させたりすることで新たな作品を創作してきた. ところが, この『管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』ではそれらの手法がほとんど活用されていない.「連続型フェイズシフト」,「拡大型フェイズシフト」,「オーヴァーラップライン」など, これまで頻繁に見られた手法がこの作品には含まれていないのである.
 強いて挙げるならば, 各セクションを構成する11拍子系や17拍子系に見られる
リズムパターンの執拗な反復であろうか.
 
 とは言え, 音楽自体は紛れもなくライヒその人の作品である.
 要するに, ライヒはこの作品において, 以前の手法を明確に分類し得るようには作曲しなかったのである. 手法の開陳よりも
純粋に内発的な音楽性を優先的に表現した作品を構成したのであった. 聴く者を強力な牽引力で魅了し, 最後まで飽きさせない素材と過不足のない素材展開は, ライヒの作品の特長にほかならない.
 
 ところで, 本稿の冒頭に述べた通り, この曲は
何の終結感も予兆感もなく突如として終わる. 最後のハーモニーは\(\,\mathrm{\small{g}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)上の十三の (\(\mathrm{\small{g}}\,\)-\(\mathrm{\small{Moll}}\,\)の自然短音階における全ての音を用いた) 和音であり, リズミカルで旋律的なパッセージはその最後に第7音を印象づけるため, 通常の和声感覚の持ち主であればここで音楽が終わるとは考えられないのである.
 
 終結感を醸し出すものとして強いて挙げるとすれば, 最後に金管楽器群を除く全ての楽器が付点全音符を奏出すること, といった程度であろう.

 

 
 それまで木管楽器群や鍵盤楽器群による軽妙でリズミカルな音型が続いてきた後で, テンポやデュナーミクに何の変化もなくフェルマータなしの音符で音楽が終わることについては, 聴いていてかなり唐突な印象を受ける.
 
 ここまでのライヒの作品で, 18世紀から20世紀における古典的西洋音楽に見られるような終結感を構成する音楽は皆無と言ってよい.
 ライヒの作品における「終結感」を挙げるとするならば,「最後の音に長音価を与える」または「最後にフェイドアウトさせる」のいずれかであろう.
 
 前者に該当するのは『
管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』と初期の『オー・デム・ウォーターメロンのための音楽』,『振り子の音楽』程度であり, 後者に該当するのは『イッツ・ゴナ・レイン』,『カム・アウト』,『マイ・ネーム・イズ』,『18人の音楽家のための音楽』程度である. 他の作品は全て, それまでの音楽的な流れを瞬時に断ち切るように終わるのである.
 
 ところで, この『
管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』は, ライヒの管弦楽作品の中で私が最も好んで聴くものである. 本稿の冒頭部に述べたように, 私が最初に耳にしたライヒの音楽であり, 彼の作品の中で仮にこの曲を最初に聴いていなかったならば, 私が彼の音楽に惹かれることはなかった (少なくともかなり後のことになった) であろう.
 
 私がこの作品を最初に (NHK-FM放送で) 聴いた翌日に入手したCD
 

『管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』CD
(Philips 412 214-2)

 
は, エド・デ・ワールト指揮, サンフランシスコ交響楽団の演奏であり, 木管楽器の扱いに長けたワールトならではの名演であった (放送で使われた録音も恐らくこのCDであったと思われる).
 
 1989年に出版されたブージー&ホークス社版の手書き風スコア

  

『管楽器, 弦楽器, 鍵盤楽器のための変奏曲』スコア
(Boosey & Hawkes, 1989)

 
には, 木管楽器, ピアノ, 弦楽器にアンプについての音量増幅に関するライヒ自身による指示があり, 充分なリハーサルをもってそのバランスを調整するよう注意書きが掲載されている.
 
 現時点 (2024年) において, 他のCDとしてはドイツグラモフォン社版, すなわちシュテファン・アスバリー (Stefan Asbury) 指揮, ロサンジェルス・フィルハーモニックの演奏しか私はその存在を知らない. この演奏と比較すると, やはり
ワールトの演奏の方が各楽器の音色のブレンド具合が素晴らしい (因みにワールトの演奏はライヒの指定したテンポよりも速く, アスバリーの演奏は指定テンポよりも遅い).
 
 本稿の冒頭部でも記したように, 私は幸いにも2012年にこの作品の生演奏に接することを得たが,
現時点では実演される機会も他の作品に比して極めて少ない. 今後, より多くの演奏会で採り上げられることを願いたい.
 
スティーヴ・ライヒの音楽 II へ続く~
 

 
 
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