楽しい読書・夏
埼玉県立与野高等学校「図書館だより」掲載
2004年~2009年 執筆
2004年7月
夏目漱石『こころ』岩波文庫, 1989
 太宰治や三島由紀夫も捨てがたいが, 日本の古典的作家の中では夏目漱石にもっとも惹かれる.
 初期の『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』よりも, それ以後の作品 (『虞美人草』,『三四郎』,『それから』,『門』など) の方が,
種々の人間性が内面まで深く描かれている点でおもしろい.
 中でも,『こころ』は, 高校生時代にぜひ読んでおきたい作品である. 作品がもつ
時代背景を反映した登場人物の考え方の奥ゆかしさと合わせ, 漱石特有の類まれなる巧みな心理描写は, 読者を最後まで強く惹きつける力をもつ.
 
 また, せっかくの夏季休暇であるから, これを利用した
日本各地の文学館巡りもお奨めしたい.
 
太宰治記念館 (斜陽館) は青森県五所川原市の金木町に, 三島由紀夫文学館は山梨県の山中湖畔に (徳富蘇峰館も併設), 夏目漱石記念館は熊本県熊本市にある.
 作品を読むと同時に作家自身の生涯も知っておくと, 作品に対する興味や関心はさらに増す.
 
杉山好『聖書の音楽家 バッハ』 音楽之友社, 2000
 あるクラシック音楽雑誌のアンケートでの「孤島へ1曲だけCDを持っていくとしたら」との問いに, J.S.バッハの (1685-1750) の《マタイ受難曲》が第1位に上がったが, まったく同感である.
 
 演奏時間にして3時間を超える大作であるが, 音楽のすばらしさもさることながら, その
楽譜に散りばめられたバッハの巧妙な作曲技法には驚嘆させられる.
 敬虔なキリスト教徒であった彼が,
いかに聖書を深く読み込み, その深い信仰をこの音楽に込めたかが, 本書を読むとよく理解できるのである.
 
 やや専門的ではあるが, 楽譜 (スコア) を読める人には, 磯山雅『マタイ受難曲』(東京書籍, 1994) とスコア (音楽之友社, 1976) とを対照させながら音楽を聴けば, さらに深い感動が得られると思う.
 
ファインマン『ご冗談でしょう, ファインマンさん』(上・下) 岩波現代文庫, 2000
 1965年にノーベル賞を受賞したアメリカの物理学者リチャード・ファインマン (1918-1988) の随筆集.
 子供の頃からの
旺盛な好奇心とユーモア溢れるいたずらっ気に満ちた愉快な経験の数々を読むと, 一人の人物がよくこれだけの多彩なエピソードに恵まれたものだと感嘆させられる.
 原子爆弾の開発やチャレンジャー号爆発事故の解明調査などに携わった彼の
科学の発展に対するの真摯な情熱と種々の業績とは, 今なお多くの人々を感化しつづける.
 
 他にも,『困ります, ファインマンさん』や『ファインマンさん, ベストエッセイ』などがあり, 理工系志望者には (内容はかなり高度であるが)『ファインマン物理学Ⅰ~Ⅴ』(以上すべて岩波書店) などもお奨めしたい.
 
鈴木大拙『新編 東洋的な見方』 岩波文庫, 1997
 禅の研究で知られる仏教学者鈴木大拙 (1870-1966) の随筆集.
 彼が
生涯に執筆した著書は百数十冊にも上り, 在米中に書かれた英文の著書も多いため, 禅は広く西欧世界に知られるようになった. 中国や日本の古今の事象を例として展開される彼の考え方や物の見方には, 読み返すたびに新たな共感をおぼえる.
 
 彼と
同郷の哲学者である西田幾多郎 (1870-1945) の随筆『続・思索と体験,「続・思索と体験」以後』(岩波文庫, 1980) も推薦したいが, 残念ながら現在のところ文庫版は手に入らない (重版未定). 私が所蔵している全集版 (岩波書店, 1989) では第12巻に収められている.
 西田の随筆も,
若き日の不遇や生涯に渡る肉親の不幸に見舞われつつも独自の哲学を築いて世界的に有名になった彼の根本思想が伺える, 味わいぶかい作品である.
 

 
2005年7月
ロンゴス『ダフニスとクロエー』 岩波文庫, 1987
 2世紀後半から3世紀前半に書かれた古代ギリシャ小説の中の一つ.
 幼なじみである男女の恋心の芽生えから愛の成就までを描いており,
牧歌的雰囲気をもつ美しい自然描写と相まって読む者を温かく和ませる作品である.
 いくつかの邦訳版が知られているが,
P.ボナールの柔和な挿絵がちりばめられた岩波文庫版をお薦めする.
 
 この物語に題材を得た,
J.F.ミレーの絵画 (国立西洋美術館蔵, 山梨県立美術館蔵) や, M.シャガールの40枚以上もの連作版画, 三島由紀夫の『潮騒』などもよく知られている.
 
 また,
M.ラヴェルの同名のバレエ音楽は (バレエ自体は国内ではほとんど上演されないが), 現存するすべての管弦楽作品の中でも屈指の名作であり, 本書の読了後には, ぜひ, 全曲を鑑賞して頂きたい.
 
森村誠一『悪魔の飽食』三部作 角川文庫, 1983
 三部作とは, 『悪魔の飽食』(1983),『新版 悪魔の飽食』(1983),『悪魔の飽食 第3部』(1985) を指す.
 
 森村誠一は, 私が中学生時代に比較的よく読んだミステリー作家の中の一人であるが, この著書については大学生になって初めて読み, その内容の凄惨さに衝撃を受けた.
 
関東軍第731部隊において, 軍医石井四郎の指揮の下, ロシア人, 中国人など約3000人の捕虜を対象に, 細菌を用いた非人道的な生体実験を行ったというものである.
 
 小説ではなくノンフィクションとして発表されため, 発表当時は物議を醸し, 信憑性の問題などを含んで賛否両論が飛び交った.
 著者自身は反対派から種々の抗議や嫌がらせを受け, 警察による身辺警備や防弾チョッキを着ての外出まで余儀なくされたという. その意味では高校生に推薦して良いものか否かは躊躇するものであるが, 極限状態の人間を描いた作品の一つとして紹介しておく.
 
小平邦彦『ボクは算数しか出来なかった』 岩波現代文庫, 2002
 調和積分論でフィールズ賞 (数学界のノーベル賞) を受賞した数学者, 小平邦彦 (1915-1997) の自伝的エッセイ.
 
 本書を読むと, 夏目漱石の『夢十夜』に登場する運慶のように
興味のおもむくままに研究を進めながらも新しい有益な理論を次々と「掘り出した」彼の底知れぬ才能に驚かされる.
 プリンストン時代の種々の学者たち ――
朝永振一郎やヘルマン・ワイル, アンドレ・ヴェイユなどの個性的な逸話も大変におもしろいし, ショパンのバラードなどのピアノ曲を弾きこなし, 家族で室内楽演奏を楽しんだという小平自身の音楽に対する造詣の深さにも強く惹かれる.
 東大紛争の最中, 小平たち教授連を「専門バカ」と罵倒した学生らに,「
専門バカでない者はただのバカ」と切り返したという逸話もここに記されている.
 
 他の著書にも,
東大の小平グループの高弟である飯高茂 (学習院大学教授, 本校採用教科書の代表編者) との対談を収めた『怠け数学者の記』や, 中学生でも理解できる『幾何への誘い』(ともに岩波現代文庫) など, すばらしいものが多い.
 
三木清『読書遍歴』 新潮文庫, 1974
 戦時中に治安維持法違反で検挙され, 終戦直後に獄死した三木清 (1897-1945) の随筆集『読書と人生』に収められた読書論.
 
 巷に昨今見られるような安易な読書論とは異なり, 彼が
哲学者への道を歩む過程で邂逅した書物が, 私のような専門外の者でも興味をそそられるように巧みに紹介されていく.
 述懐される旧制一高の雰囲気や京都学派に属する教授たちとの人間的な関わり, 留学先でのハイデルベルク詣でについても感慨ぶかく回想されており, その
純粋で長閑な学問的状況は読者に強い憧れの念を抱かせるものである.
 
 学生時代に私が読んだこの文庫版は, 現在では残念ながら手に入らない (重版未定). 私が所蔵する全集版 (岩波書店, 1951) も現在は絶版であるが, 幸い,
本校の図書室にはこの全集版が揃っている!(本校に赴任してきた当初に発見して驚いた.)
 パスカル『パンセ』を読了した後であれば, 三木清の『パスカルにおける人間の研究』(全集 第1巻 所収, 岩波文庫版は重版未定) も新鮮に読めると思う.
 

 
2006年7月
新渡戸稲造『武士道』 岩波文庫, 1938
 若き日に「太平洋の架け橋」たることを志した新渡戸稲造が, 愛国心をもって日本人の精神的基盤を世界に知らしめた, 彼の代表作である.
 彼自身は敬虔なキリスト教徒であったが, 宗教教育のない
わが国における道徳教育の根幹を武士道に見出し, その意義をていねいに説き明かした. 武士道精神が現代にそのまま通ずるものではないにしても, 今なお, 読む者に生きる意欲や新たな指針を与えてくれる名著であると思う.
 
 近刊を含めて少なくとも数種類の訳書が存在するが, 味わいぶかいのは,
新渡戸の旧制一高校長時代の教え子である矢内原忠雄の翻訳 (岩波文庫, または, 教文館の新渡戸稲造全集第1巻) であろう. 矢内原自身も, 内村鑑三門下のキリスト教精神に則り軍国主義に抗して「国家の理想」を訴えつづけた, 優れた人物である.
 原著 (新渡戸稲造全集第12巻) の格調高い英文は, 高校生には決して読みやすくはないものであるが, 矢内原の名訳と対照すれば良い勉強になるであろう.
 
野崎昭弘『詭弁論理学』 中公新書, 1976
 標題は難解な印象を与えるものであるが, 本書は, 日常的な会話や話題を中心に, 詭弁・強弁を弄するものたちへの対策をユーモアを交えて説く, 比較的読みやすい啓蒙書である.
 水俣病問題で企業側の責任の分散を謀った巧みな詭弁, 中世の魔女狩りにおいて, 為政者に恣意的に用いられた強弁やレッテル貼り, また, 落語・映画・漫画などからの軽妙な引用など,
具体例が豊富で読む者を飽きさせない. 1976年の初版から現在にいたるまで毎年のように版を重ねるゆえんであろう.
 
 高校生時代に本書を読んだ私は,
随所に散りばめられるパラドックスの例や数理パズル等に惹かれ, (数学が不得手で, 高校での3年間は文系クラスに所属していたが) 数学一般に対する眼を啓かれた.
 
 理系を目指す生徒ならば, 本書と同じく, おもしろい話題に富み, かつ「ゲーデルの不完全性定理」など本格的 (数学的論理学的) な内容を含む『逆説論理学』(中公新書, 1980) も, 本書の姉妹編として興味ぶかく読めるはずである.
 
立原道造『立原道造詩集』 岩波文庫, 1976
 立原道造の詩の魅力は, そのすべての詩に音楽が付けられ, 歌曲, 合唱曲として今なお多くの人々に歌われつづけていることからも如実に伺えよう.
 
本校の校歌の作曲者 高田三郎も, 彼の詩に基づく美しい歌曲を作曲している. 同じく本校の校歌の作詞者 神保光太郎は, 生前の立原とは親しい間柄にあった.
 
 大学で建築学を専攻した立原は, 神保の住む浦和に自家製住宅「ヒヤシンスハウス」を建設することを夢見ていたが, 実現せぬまま肺結核で夭逝した. 死の直前,
見舞いに来た友人に「何か欲しい物は?」と問われ,「5月のそよ風をゼリーにして……」と答えたという逸話も, 詩人立原を偲ばせる.
 
 私が所蔵するのは
角川書店の全集版 (全6巻) であるが, 同じものが本校図書室にも (第4巻までであるが) 置いてあるので, ぜひ, 気軽に手にとって頂きたい.
 夏季休暇中に, 浦和別所沼公園内の「ヒアシンスハウス」(2004 年建設) や
東大弥生門前の立原道造記念館を訪れてみることもお薦めである.
 

 
2007年7月
藤原正彦『数学者の言葉では』 新潮文庫, 1984
 12年前, 上智大学で開催された, 数学者河田敬義の生前の業績を記念するシンポジウムにおいて, 飯高茂・加藤和也など著名数学者の講義とともに, 数論に関する藤原正彦の講義を聴いた.
 質疑応答の際の彼の風貌や口調は,
内向的な生真面目さを感じさせ, 上掲の著書から思い描いていた彼の印象とはかなり異なるものであった.
 
 最近は, NHK『数学者列伝』への番組出演, 小説『博士の愛した数式』への題材提供, ベストセラー『国家の品格』出版前後からのマスコミへの登場など, 意欲的な活動を見せる彼であるが, その
思想の本懐は, 上掲書をはじめとする一連の随筆集 (現在, 新潮文庫版で全8冊) に尽くされていると思う.
 
 著名作家である両親 (新田次郎・藤原てい) の影響下で,
ウィットやユーモアを多く交えた文才を発揮しており, 学問を志す条件, 論理と情緒とのバランス, 結婚や家族に関する日常的な話題など, 現代人に対する示唆に富んだ内容は, 高校生にもぜひお薦めしたいものである.
 
中野雄『丸山眞男 音楽の対話』 文春新書, 1999
 高校生時代, 現代文の授業で学んだ『「である」ことと「する」こと』 (岩波新書『日本の思想』所収) に共感を覚えたのが, 日本政治思想史家丸山眞男の名を知った最初である.
 同じ頃,
現代文の入試問題集 (河合塾) に収録されていた『盛り合わせ音楽会』(岩波書店『丸山眞男集』第8巻所収) が偶然目に留まり, その独特の視点によって彼の名はさらに印象づけられた.
 
 上掲書『音楽の対話』では,
彼の古典音楽への造詣の深さが興味ぶかく紹介されている. 高価なオーディオ機器を海外から取り寄せ, 数百冊におよぶ所蔵スコア (オーケストラ曲の楽譜) には詳細な作品分析を書き込み, さらには, 専門分野で「執拗低音」を方法論として用いたり, バイロイト音楽祭に詣でたりするほどの, バッハやヴァーグナーへの心酔.
 
 『自己内対話』や『丸山眞男の世界』(以上, みすず書房) を通じて彼の人間性にふれてみれば, 他の著作 (『「文明論之概略」を読む』(岩波新書) など) にも興味が湧いてくると思う.
 
永井均『〈子ども〉のための哲学』 講談社現代新書, 1996
 子どもの頃,「自分とは誰なのか」を考え込んだ時期があった. なぜ, 今, この時代, この国で, この身体の中に「自分」がいるのか. 多くの子どもたちが疑問に感じ, しかし解決できず, やがて考えなくなってしまう疑問.
 
永井均は, 執拗にこの問題を追いつづける数少ない哲学者である. 彼自身, (他の著書も含めて) 問題を解決してはいないが, 本書で主張される「自分の問題として執拗に考える姿勢」を, 高校生にはぜひ薦めたい.
 
 関連書を読む際には, 浅薄な「自分探し」や, 一般的な「独我論」,「認識論」などに論点を吸収されないよう, 自分の立脚地を見失わずに批判的に読んで頂きたい.
 実際, ハイデッガー, ヴィトゲンシュタイン, 廣松渉などを読んでみると, その独特の視点ゆえに問題の解決を期待させるのであるが, やはり肝心の部分には答えてくれない (考える上での新たな視点はつかめるが……).
 
 いずれにせよ,
権威に惑わされたり安易に解決を求めたりせず, 自分の問題として考えつづけることが大切である.
 

 
2008年7月
内田百閒『ノラや』 ちくま文庫, 2003
 漱石を師とする百閒が愛したもの ――「故郷」(ペンネーム由来),「琴」(作曲家宮城道雄は親友),「汽車」(紀行文『阿房列車』シリーズ), 晩年には「猫」がこれらに加わる.
 
 ある日わが家を訪れた野良猫「ノラ」に関する詳細な描写は, 頑固な老人百閒の,
次第にノラに魅了されていく様子を物語る. ノラが突如姿を消した後の百閒の取り乱し方が尋常ではない.
 毎日涙に明け暮れ, ラジオ放送や新聞広告による必死のノラ探し. 失踪の1年後の日記には,「庭の彼岸桜の枝に薄色の花が 2, 3 輪咲きかけてゐるのを見ようとしても, その下でノラが遊んでゐた姿を思ひ出し, 花びらがうるんでよく見えない」と書く.
 悲しみを癒すように現れたもう一匹の愛猫「クル」が病死するシーンも涙なしには読めない.
 
 
猫好きの人 (のみ?) が心を揺さぶられる一冊である.
 
都留重人『近代経済学の群像』 岩波現代文庫, 2006
 日本経済学界の重鎮, 都留重人 (一橋大学名誉教授) による文庫改訂版である.
 「
経済学上の着想は逆境の所産である」と述べる著者が, 若い頃その謦咳に接した J.A.シュンペーターをはじめとする何人かの経済学者について, その学説がいかなる境遇の中で培われてきたかを, 略伝を交えて興味ぶかく紹介している.
 J.M.ケインズや I.N.フィッシャーなど,
高名な経済学者の経歴と学説を開陳するその簡潔で明解な文体は, 経済学方面への進学希望者でなくとも一気に読了させるだけの魅力をもつ.
 
 著者自身の留学時代を回想した「
ハーヴァード黄金時代」も, 当時のアカデミックな雰囲気を生き生きと描写しており, 読んでいて実におもしろい. 続編として書かれた『現代経済学の群像』(岩波現代文庫, 2006) と併せて一読をお薦めする.
 
数学のたのしみ編集部『数学まなびはじめ』 日本評論社, 2006
 本書の執筆者として名を連ねるのは, その著書を通じて私自身が学生時代から憧れを抱いてきた錚々たる数学者たちである.
 複素多様体の小平邦彦や代数幾何の森重文 (ともにフィールズ賞受賞者), 同じく代数幾何の上野健爾, ゼータ関数の黒川重信, 可換環の永田雅宜, 位相幾何の松本幸夫, 数論の彌永昌吉, ……等々.
 
 
生い立ちから業績に至るまでが自由に語られた略伝風エッセイであり, 関連してふれられるプリンストン高等研究所の著名数学者の逸話や研究も大いに興味をそそられる.
 本書で複数の数学者たちが挙げている古典的名著 ―― 高木貞治『
近世数学史談』(共立出版) や『谷山豊全集』(日本評論社) も, 私自身, 学生時代に (後者の論文は難しすぎて理解できなかったが, それでも) 繰り返し読み, そのつど数学に対する勉学意欲を新たにさせられたものである. 理科系諸君には併せてお薦めしたい.
 
池田潔『自由と規律』 岩波新書, 1963
 英国精神を述べた本書は, 以前にこの欄で紹介した新渡戸稲造『武士道』と同様, 示唆に富んだ意義ぶかい名著である.
 
パブリックスクールの学生は, 運動競技を通じて規律を身につけ, 個人を犠牲にして全体の益に供するスポーツ精神を学ぶ. 私情を捨て正当な主張を貫く彼らは,「自由は規律を伴い, そして自由を保障するものが勇気であることを知る」.
 
 小泉信三の序文「個人の自由は最高度に尊重せられつゝ, 而も規律といふものに対して人が黙々として服従」,「教師の権威を問ふことを許さぬものとせられゝ, 而も生徒は是非の意見を憚るところなく言ひ, 教師も亦たよく之を容れる」も, わが国の旧制高校 (ナンバースクール) を彷彿とさせ, 含蓄が深い.
 
私と公, 個と社会, 権利と義務, 自由と規律のバランスが問われている現代, あらためて精読すべき内容をもつ書籍である.
 
竹田青嗣『現象学入門』 NHKブックス, 1989
 眼の前にリンゴが在る. このリンゴは, 何を根拠にその存在を保証されるのか, 見て触って食べ, リンゴを実感したとしても, その存在が保証されたことにはならない.
 実際, われわれの五感はしばしば錯覚を起こす. ある人の
脳に意図的に特殊な電気刺激を与えれば, 存在しないリンゴを実感させることも可能だ. とはいえ, 日常のわれわれは, 見て触れる眼の前のリンゴの存在を疑わない. では, リンゴ (事物) の存在を確信する条件とは何か.
 
 現象学は, これを求める作業から始まる. 現象学に関する理解や解釈は専門家でも異論があるが (誤解による批判は論外),
本書における著者の主張は, E.フッサール現象学の解釈としては強い説得力をもつように思う.
 
誰でも一度は疑問にもつ問題を徹底的に追究する姿勢 ―― 本書は, これを充分に追体験させてくれる.
 

 
2009年7月
ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』 岩波文庫, 2003
 作家を目指していた小学校高学年から高校初学年の頃, 国内外の文学作品を読み漁った. L.v.ベートーヴェンをモデルにしたとされるこの作品を (母が所蔵していた片山敏彦の名訳で) 最初に読んだのは, 中学生の頃であったと思う.
 
 ノーベル賞受賞者である
ロランは, R.シュトラウスやタゴールやガンディーらをはじめとする幅広い交友関係で知られ, 芸術に対する深い造詣を示しただけでなく, 民族擁護運動や反戦活動など国際社会的にも偉大な足跡を遺した. その生涯は,『ジャン・クリストフ』や『魅せられたる魂』に描かれる人物スケールに匹敵するものである.
 
 また,
彼の生涯の原動力となった芸術家たちが描かれた『ベートーヴェンの生涯』,『ミケランジェロの生涯』,『トルストイの生涯』なども, 伝記の範疇をはるかに超えて, 読者に強い感銘と生きる力とを与えてくれる.
 
 現在, 私が所蔵するものは, 学生時に手に入れた, みすず書房の
全集版である (本校図書室にも旧版が置いてある) が, 岩波文庫版にも豊島与志雄による名訳がある. 感性豊かな高校生時代に読んでおくべき作品である.
 
チェスターフィールド『わが息子よ, 君はどう生きるか』 三笠書房, 1988
 英国政治家として活躍した教養人チェスターフィールド卿が, 社会人になる彼の息子に充てた書簡集である. 学問に励み人格を磨くことを説き, 教養, 礼儀, 友人, 健康, 身なり, 立ち振る舞いなど, 様々な分野にわたる人生案内の書といってよい.
 
 18世紀後半に書かれた英国貴族階級に向けられた内容であるが, 竹内均 (地球物理学者, 雑誌『Newton』初代編集長) の名訳と相まって, その語り口は父から息子への手紙ならではの平易かつ愛情あふれるものになっている.
 
著者一流のユーモアやウィットを織り交ぜた含蓄ある内容は, 昨今の巷にあふれる安価な処世術や啓蒙書とは雲泥の差である.
 
私の高校生時代に出版され, 当時の私自身の愛読書の一つであったものであるから, 現在の高校生諸君にもぜひお薦めしたい.
 
 やや進んだ内容であるが, キンスレイ・ウォード (城山三郎訳)『ビジネスマンの父より息子への30の手紙』や『(同) 娘への25の手紙』(新潮社) も, 同様の観点から興味ぶかく読めるであろう.
 
廣松渉『哲学入門一歩前』 講談社現代新書, 1988
 われわれは, 日常生活の中で「自分の外に存在する物を自身の感覚で認識する」という構図を常識としている. しかし, 存在する物の本質を究明していくと, 最終的には何も残らないことに気づかされ, 認識 (感覚を通じて意識で把握する) 機能を究明していくと, カメラのような撮影機構とは質が全く異なることに気づかされる.
 廣松はこれを「量子の非自己同一性」,「相対論における非同時刻性」などを例に挙げつつ,
われわれの常識としての感覚を覆していく.
 
 比較的初期の著書から「
モノ的世界像からコト的世界観への転換」を説き, 主著『存在と意味』(完成させる前に廣松は世を去ってしまったが) へと集結させていった彼の基本的な思想が, この書籍には凝縮されている.
 
 高校3年生時に初めて読んだが, 入門とはいえ, 内容把握は決して容易ではない. 晦渋で厳格な文体で知られる廣松であるが,『哲学小品集』(岩波書店, 同時代ライブラリー) や『哲学者廣松渉の告白的回想録』(河出書房新社) 等で彼の素顔の魅力を知ってからであれば, その著書もいくらかの親しみをもって読めるのではないかと思う.
 
矢野健太郎『数学のたのしさ』 新潮文庫, 1976
 数学が苦手であった中学生の頃, 題名に惹かれて書店で偶然手にした書籍である.
 「ラクダの分配」や「ダイヤモンドの分配」などの数々の古典的数理パズルや,「アキレスと亀」や「籤引きの順番」など,
深く数学を知らなくとも興味を引かれるおもしろい話題が豊富に採り上げられており, 数学的には大変に内容が深い.
 
 微分幾何学を専門とする
矢野健太郎 (1912-1993) は, 数々の受験参考書の執筆や編集者として受験生に知られただけでなく, 一般の人々に数学の魅力を伝えるべく多くの啓蒙書を書くことに精力を注いだ数学者であった.
 彼が中高生向けに推薦した唯一の漫画『ニャロメのおもしろ数学教室』(赤塚不二夫著, パシフィカ出版, 1981) は, 中学校入学時に私が伯父から頂いた書籍であり (これには, 微分・積分や, 相対性理論で用いられるリーマン幾何も登場する), よく分からないながらも繰り返し読んだ.
 
 この2冊を読んだからといって数学の成績が上がるわけではないが, 私にとっては, 数学に対する興味や関心を高めてくれた思い出ぶかい書籍である. 現在, 両者とも入手は困難であり, 現存するものは多くの図書館の書庫で埃を被っているのであろうが, 是非, 出版社に復刻を望みたい.
 
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