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SAKATA MASAHIRO
坂田雅弘 Official Website
作曲 ― 無益な作業ながら日々新たなる極上の愉しみ "…le plaisir délicieux et toujours nouveau d'une occupation"
http://www.ravel.jp/ 

 
パリを歩く・後編
2010 年 ~ 2017 年 執筆
目次
モンマルトル界隈
1  モンマルトルの風景 ブドウ畑とラデの風車
2  サクレ=クール寺院 
パリを一望できる寺院
3  ベルリオーズの家とサティの家 
芸術家の集う地区
4  ダリ美術館(エスパス・ダリ) 
ダリの彫刻
パリの美術館 2
5  モンマルトル美術館 
ルノワールのアトリエ
6  オランジュリー美術館 
モネの《睡蓮》を観る
7  マルモッタン美術館 
モネを主とした印象派絵画
8  ポンピドゥー・センター 20 世紀の近現代美術
9  グラン・パレ, プティ・パレ 
絢爛豪華な美術館
10 ドラクロワ美術館 
ドラクロワのアトリエ
11 ギュスターヴ・モロー美術館 夥しい数の絵画
12 
コニャック・ジェイ美術館 中世貴族の住居跡
パリの公園
13 テュイルリー公園 
優美なフランス式庭園
14 コンコルド広場 
フランス革命後の処刑場
15 リュクサンブール公園 
宮殿や彫像が建ち並ぶ
16 モンソー公園 
コリント式コロネード
17 ビュット・ショーモン公園 
吊橋, 展望台, 人工滝
18 ベルシー公園 バラ園, ブドウ園, 菜園
19 パレ=ロワイヤル 
回廊のある城館と庭園
20 ラ・ヴィレット公園 
未来派志向の科学と音楽
パリ音楽院
21 音楽博物館 
古楽器から現代の楽器まで蒐集
22 フランス国立高等演劇学校 パリ音楽院の初代跡地
23 パリ地方音楽院
 パリ音楽院の二代目跡地
24 パリ国立高等音楽院 
歴史と伝統のある音楽院
25 パリの楽譜店 
音大生が集う楽譜の宝庫
カルティエ・ラタン
26 アンリ四世高校
 エリートが集う名門校
27 パンテオン 
ユゴー, ヴォルテールの廟
28 直筆と書簡の博物館 
作家, 作曲家, 学者の自筆
29 パリの書店 
学術書中心の知識の宝庫
30 ユゴー記念館 
《レ・ミゼラブル》執筆
パリの教会
31 サンテティエンヌ=デュ=モン教会 
デュリュフレのオルガン
32 サント=トリニテ教会 
メシアンのオルガン
33 マドレーヌ教会 
フォーレ『レクイエム』初演
34 サン=シュルピス教会 
映画《ダ・ヴィンチ・コード》の舞台
35 サン=ジェルマン=デ=プレ教会 
デカルトが眠る教会
パリ郊外 2
36 サン=ジェルマン=アン=レー 
ドビュッシーが生まれた家
37 ルーアン大聖堂, サン=トゥアン教会 
ジャンヌ・ダルク終焉の地
38 ルーアン美術館 
充実した印象派絵画
39 リヨンス=ラ=フォレ 
ラヴェルが滞在した家
パリの風景
40 メトロにて 
14 の路線, 500 以上の駅
41 サン=マルタン運河 パリ下町の隠れた名所
42 パッサージュ 美しいアーケード街
43 おわりに 次回の渡仏へ向けて
 

 
モンマルトル界隈
1. モンマルトルの風景
 パリ北部の 18 区に位置するモンマルトルは, パリを見下ろす小高い丘陵地帯にある. 画家や詩人を中心に多くの芸術家が集い居住した地域で, 現在ではパリ有数の観光名所であり, パリ市内の喧騒から隔絶した高級住宅地としても知られている. モンマルトルには雨上がりがよく似合う(太宰治を気取って). 私はこれまでに 3 回この地を訪れたが, いずれも雨模様か雨上がりの新鮮な空気が漂う朝であった. 雨水に濡れた階段や石畳が朝陽をまばゆく反射させており, そこに広がる景観がまことに美しい.
 
 丘陵であるという性質上, 当然ながら坂道や階段が多い. パリ市内からサクレ=クールに向かう遊歩道の階段(右下写真)の脇には, モンマルトル唯一のケーブルカーがあるが, 歴史あるモンマルトルには似合わない現代的なデザインの車体で結構なスピードで昇降するため, 乗車してもさほどの感慨は得られなかった. やはり, 景色を楽しみながら自分の脚で階段を歩く方がよいだろう.

 

朝陽に輝くモンマルトルの住宅街
 

 サクレ=クールに向かう遊歩道の階段
 
 ルノワール, ゴッホ, ロートレック, ピカソ, ユトリロたちが描いた《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》は, 現在はダンスホールではなくレストランになっている. ここにある風車のほかに, 数十メートル西にも文化財に指定された(17 世紀半ばに建設された)風車が存在し, こちらの方が歴史的には価値があるようだが, 手前に生い茂る木々に隠れていてよく見えない.
 

レストラン「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の風車
 

「オ・ラパン・アジル」前の
モンマルトル唯一のブドウ畑
 

 
2. サクレ=クール寺院(Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre)
 モンマルトルには, 閑静な住宅地もあるが, 新宿歌舞伎町のような歓楽街もある. 一般的には, 治安があまりよくない地域として知られているところだ. サクレ=クール寺院の前の階段や広場にも, 観光客を狙った土産物売りや寄付金を募る団体員がウヨウヨといる.
 
 私自身も, 最初にサクレ=クール寺院を訪れた際には, 無言で近づいてきた黒色人種の男に一瞬にしてミサンガを腕に巻きつけられそうになった. 反射神経のよい私はすかさず腕を勢いよく振り払って「触るな!」と(この時は英語で)一喝! ……何事もなく済んだ. 気の弱い観光客ならば, そのままミサンガを巻き付けられて高額な代金を払わされてしまうのだろう.
 
 今やパリの観光名所として有名な
サクレ=クール寺院であるが, 完成したのは 20 世紀に入ってからとのことで, パリの長い歴史から見ればかなり最近の建造物と言えよう. 外壁に用いられたトラバーチンが雨水による炭酸カルシウムを付着させることで白亜の寺院を保持できるのだという.
 

モンマルトルの丘にそびえる白亜のサクレ=クール寺院
 
 
 内部には礼拝堂があり, 国内最大級のモザイクや鐘楼などが見られる. 信者らしき人々の静かに祈りを捧げる姿も見られ, その場の雰囲気から写真撮影を自粛することにした. なお, 建物の脇には天井ドームへ上がる入口がある(こちらへの入場は有料). かなり狭い通路や急こう配の階段を含む長い螺旋階段を登って塔上へ出る. ここから 360 度を一望できるパリの眺望は格別であった.
 

 サクレ=クール寺院の塔上からパリの街並を望む
 

 
3. ベルリオーズの家とサティの家
 サクレ=クールの裏側のサン=ヴァンサン通りを進んだ階段道路との交差点に, ベルリオーズの家がある. 建物自体は後に改築されたものであるから, その面影は壁に架けられたプレートだけである. そのプレートには, 1834 年から 1836 年まで彼が居住した旨と, 交響曲《イタリアのハロルド》および歌劇《ベンヴェヌート・チェッリーニ》がここで作曲された旨が記されてあった. 好んで聴く作曲家ではないが, 生涯を通じてあまり幸福とは言えなかった彼の一生を想いつつ, 私はしばらくそのプレートを見つめていた.
 

ベルリオーズのアパルトマン(13 Rue Saint-Vincent)
 

サティーのアパルトマン(6 rue Cortot)
 
 また, その交差点の階段を登ってモンマルトル博物館へ向かう通り沿いに, サティーの家がある. プレートは他の作曲家のものとは少し異なる風変わりな(サティーらしい)書体で, 1890 年から 1898 年まで彼が居住した旨が記されている. ここで《3 つのグノシェンヌ》や《ヴェクサシオン》などが作曲されたのであろう.
 

モンマルトルの住宅街からサクレ=クール寺院を望む
 
  サクレ=クールを望む上掲の写真はダリダ広場(Place Dalida)から撮影している. モンマルトル墓地にはダリダの彫像を据えた墓標があるが, この広場にも彼女の胸像(ブロンズ製)がある. 美しい容姿に肖ろうと多くの観光客が手を触れるのであろう, 彼女の胸の膨らみの部分だけが観光客の手で磨かれて黄金の光沢を放っていた.
 
 最初にモンマルトルを訪れた際はダリダの何者であるかを知らなかったため, 広場のプレートを見た瞬間,「ダリ美術館」の案内板と勘違いしてしまった. というのは,
モンマルトルを訪れる最大の目的は「ダリ美術館(エスパス・ダリ)」にあったからである.
 

ダリダ広場に向かう遊歩道の階段
 

 
4. ダリ美術館(エスパス・ダリ)(Espace Dalí paris)
 中学生の頃にマグリットやキリコやダリなどをはじめとするシュールレアリズム派の絵画に魅了された私は, 三越美術館〈ダリ展, 1991, 1999〉, 銀座ソニー・ビル〈ダリ展, 1998〉, 上野の森美術館〈MoMA展, 2001〉および〈ダリ回顧展, 2006〉, 国立新美術館〈ダリ展, 2016〉など, 都内で開催された多くのダリの絵画展を観てきた. ダリの彫刻蒐集では国内最大の規模を誇る諸橋近代美術館(福島県)へも複数回にわたって足を運んでいる.
 

ダリ美術館(エスパス・ダリ・モンマルトル)の入口
 
 2017 年に再度モンマルトルを訪れた際には,「ダリ美術館」の入口の看板は新しく取り替えられていた.
 
 展示室は地下にあり, 階段を降りると薄暗い展示スペースの各所にスポットライトを浴びた彫刻群が目に入り, 館内に流れるダリの肉声をサンプリングした曲が聞こえてくる.
《記憶の固執》や《宇宙象》などの彫刻,《不思議の国のアリス》などのリトグラフなどが 300 点以上展示されており, ダリの世界に一気に惹き込まれる空間だ.
 
 絵画や版画の卓抜さもさることながら, これらの彫刻群におけるダリの底知れぬ深い想像力と熟達した高度な技法とに驚嘆させられる.
 

薄暗い展示ルームの各所に照らし出される彫刻群
 

《ロメオトジュリエット》のリトグラフ(1975 年)
 

宇宙象 同じものが諸橋近代美術館にも存在する
 

 
パリの美術館 2
5. モンマルトル美術館(Cathédrale Notre-Dame de Paris)
 ダリダ広場からエスパス・ダリに向かう前に, 蔦が壁一面に這う古い邸宅が連なる小道沿いにあるモンマルトル美術館へ立ち寄った. モンマルトル最古の邸宅で, ルノワールがここに住んで《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》を描き, その後ユトリロ親子が住んでアトリエにした場所として知られる. ピカソやモディリアーニが集まって騒いだ居酒屋「オ・ラパン・アジル」の看板原画, 同じく画家や詩人などが常連として集まったキャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」の宣伝用ポスターなどが展示されている.
 

住宅地の中にあるモンマルトル美術館へ向かう小道
 

ヴァラドンが描いたユトリロの肖像画がある
 
 2017 年に訪れた際には, 館内の入口付近にヴァラドンとユトリロのアトリエが復元公開されていた. 東京都町田市にある西山美術館や箱根にあるポーラ美術館など, 私のお気に入りの美術館でもいくつかのユトリロ作品を鑑賞することができる. 部屋の窓から外を眺めると, 先述したブドウ畑や「オ・ラパン・アジル」が見えた.
 

《ぶらんこ》を描いたとされる「ルノワールの庭」
 

美術館付近にあるセラミック美術館の外壁
 

 
6. オランジュリー美術館(Musée de l'Orangerie)
 ルノワールの作品は, ルーヴル美術館からセーヌ河に沿ってテュイルリー公園を歩くと行き着くオランジュリー美術館でも鑑賞することができる. しかし, 印象派の絵画を中心として展示するこの美術館の目玉となる作品は, むしろモネの《睡蓮》であろう. テュイルリー宮殿のオレンジ栽培用の温室であった建物を, この連作《睡蓮》を展示するために改築したものだという.
 
 《睡蓮》の部屋は 2 部屋あり, いずれも自然光を取り入れた楕円形の部屋を取り囲むように壁一面に 4 点ずつ作品が埋め込まれている. そこに描かれているのは, 紺や深緑などの色合いに濃淡を施した睡蓮の種々の様相だ. 40 歳を過ぎた頃,
パリ校外の村ジヴェルニーに移り住んだモネは, 自宅の庭の池に浮かぶ睡蓮を題材に 200 点以上の絵を描いたという.
 

側面のガラス窓に朝陽を浴びるオランンジュリー美術館
 

壁一面に埋め込まれた連作《睡蓮》
 
 この美術館に収められた 8 点の《睡蓮》を描く頃は, モネは白内障に悩まされていた. 同じ対象物を繰り返し描きつつ, モネは, 対象物の美しさの本質に迫るとともに, 彼自身の心中に潜む寂寥感や孤独感, 焦燥感なども表現していたのではないか. モネ自身は, この連作に対し,「仕事で疲れきった神経は淀んだ水にたたずむ風景に癒されるだろう(les nerfs surmenés par le travail se seraient détendus)」あるいは「平穏な瞑想のための隠れ家(l'asile d'une méditation paisible)」と述べている.
 
 地下に降りると, そこには, J.ヴァルテールと P.ギヨームによるコレクションが数多く展示されている. セザンヌ, マティス, ピカソ, ルソー, ローランサン, ユトリロの部屋もある. その中では, やはりルノワールの実物が目を引く.《
ピアノを弾く少女たち》,《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》,《長い髪の浴女》,《ふたりの少女》など, 優しく穏やかな表情をもつ女性像が細部にわたって間近で見ることができる.
 
 輪郭を廃した淡い柔かな明るさは, 音楽にたとえれば, 明朗で可憐なモーツァルトか温和で瞑想的なドビュッシーと言えようか. 少なくとも, 明確に執拗に思想を主張するベートーヴェンやヴァーグナーとは正反対のものだ. ルノワール自身,「ベートーヴェンは何とも仰々しく自己表現する. 個人的な心情や消化不良をこちらに押し付けてくる.(中略)モーツァルトはベートーヴェンよりも自分の悩みを隠すだけの慎みがあった. 騒々しく嗚咽するベートーヴェンよりもモーツァルトの方が私にはよく理解できる」と述べたという.
 

地下にあるルノワール作品のコーナー
開館と同時に入館したため, 人がほとんどいない

 

ルノワール《ピアノを弾く少女たち》
 

ギヨーム家の内部を再現した模型
 

モンマルトルの風景画を中心とするユトリロの部屋
 

 
7. マルモッタン・モネ美術館(Musée Marmottan Monet)
 マルモッタン美術館は, パリ西端にあるブーローニュの森に近い閑静な高級住宅地ラ・ミュエット(La Muette)にある. メトロ 9 号線の「ラ・ミュエット駅」からラヌラグ公園(Jardins du Ranelagh)の脇をブーローニュの森方面へ歩いて 10 分ほどのところだ. 公園では, 近所の子供たちが賑やかにはしゃぎ回っていた. この美術館では, 美術史家であったポール・マルモッタンの蒐集した美術品が, 邸宅ごと展示されている.
 

パリ司法宮前のリュテス通りはいつも和やかな雰囲気だ
 

ラ・ミュエット駅からブーローニュの森方面へ向かう
 
 美術館の地下には, 《印象・日の出》,《睡蓮》(連作の一部),《サン=ラザール駅》,《ルーアン大聖堂》(連作の一部)などのモネの作品がある. モネの作品は近くでいくら細部を観ても全体像がつかめない. 油絵具が大ざっぱに厚塗りされているのを見せつけられるだけだ. しかし, 少し離れて観ると, 徐々に漠然と対象が浮かび上がってきて, 何が描かれているのかがはじめて分かるのである.
 

美術館入口にある看板
 

建物の外観は, 美術館らしからぬ一件の邸宅にすぎない
 
 マルモッタン美術館から数十メートルほど西へ歩くと, パリ最大の森林公園「ブーローニュの森」(Bois de Boulogne)に行き着く. ここには, バラ園で知られるバガテル公園(Parc de Bagatelle), メリーゴーラウンドのようなアトラクションがあるアクリマタシオン公園(Jardin d'Acclimatation), 競馬やテニスの愛好家が集まるロンシャン&オートゥイユ競馬場(Hippodrome de Longchamp et d'Auteuil)やローラン・ギャロス(Stade Roland Garros)等々がある. しかし, これらの敷地面積はブーローニュの森全体の 3 分の 1 程度にすぎない. 敷地内の多くは下の写真のような樹々が鬱蒼と生い茂った自然のままの状態である. このような場所は, 日中でもまったく人影がなく大変静かだ. 夜は足を踏み入れない方が無難であろう.
 
 一見すると, 日本国内の山林のような雰囲気がただよっている. 小宮豊隆は『巴里滞在記』に「閑静である. なんだか 20 世紀の巴里という気がしない. どうかすると, 武蔵野の櫟林の中をたった一人で歩いているような心持になって来る」と記したが, そこから一世紀近くを経た現在にあってもその状況は変わっていない.
九鬼周造が「ブロオニユの秋の木蔭のうすき日に落葉を聴きてドオデエを読む」と詠ったように, 心の休まる落ち着いた空間だ.
 

 ブーローニュの森
 

人間の手が加わっていない自然状態の森が広がっている
 

 
8. ポンピドゥー・センター(Centre national d'art et de culture Georges-Pompidou)
 パリ 4 区にある国立ポンピドゥー芸術文化センターの中に, 20 世紀美術を中心とする国立近代美術館がある. ガラス張り屋根がチューブ状になったエスカレーターが外壁に備え付けられており, 建設中の建物よろしく鉄パイプが格子状に側面を覆っている. このエスカレーターのチューブの中は, 風が通らない上に直射日光が激しいため, 夏はかなり暑く感じる.
 
 私自身は,(絵画および音楽のいずれについても)前衛芸術や抽象芸術を好まない. 知識や教養を目的として観たり聴いたりすることはあっても, 心底から繰り返し鑑賞したいとは思わないのだ. しかし, この国立近代美術館は, そのような
一般人に現代美術を開放しようとするコンセプトをもって開館したと聞き、それならばと, 2 度目の渡仏時(2011 年)に訪れてみた.
 

ポンピドゥー・センターの隣にある
ストラヴィンスキー広場
 

ポンピドゥー・センター自体が一つの美術品と言えよう
 
 便器を取り外して床に置いただけのデュシャン《》, 適当を紙を丸めて紐で縛っただけのクリスト《パッケージ》, 赤・青・黄など原色のラインを縦横に引いただけのモンドリアン《ニューヨーク・シティ》, カラフルな不規則模様のピエロを 6 つ描いただけのデュビュッフェ《時計列車》, 女性の顔写真 10 枚を指名手配犯一覧のように並べただけのウォーフォル《10 人のリズ》, キャンバスを濃紺に塗りたくっただけのクライン《モノクローム・ブルー》等々……(上記の形容は皮肉を込めてデフォルメしたものであるから, これらの作品を真に理解する人々からは厳しいお叱りを受けること請け合いである.)
 
 構想の斬新さや観た瞬間のインパクトは否定しない. 音楽の分野から広がったフルクサスの一種とも言えよう. しかし, 繰り返し鑑賞するに値する作品かどうかは疑問である.
時を経て繰り返し鑑賞したくなるもの, そしてそのつど新鮮な発見や感銘が得られるあるものが真の芸術であると考えるからだ.
 
 ……と言いつつ, 2016 年に東京都美術館にて開催された『ポンピドゥー・センター傑作選』も興味深く鑑賞したのだが…….
 

屋上テラスからノートルダム寺院やエッフェル塔を望む
 

ポンピドゥー・センター付近の風景
 

 
9. グラン・パレ, プティ・パレ(Grand Palais, Petit Palais)
 アンヴァリッドからアレクサンドル三世橋を渡って直進すると, 左側にグラン・パレ, 右側にプティ・パレがある. いずれも 1900 年に開催された第 5 回パリ万博の際に建造されたものだ.
 
 
グラン・パレは, パリ万博の際にメイン会場として建設され, た全長 240m, 高さ45mの宮殿である. 正面にはギリシャ・イオニア風の列柱を配し, 鉄骨と彩色ガラスを張り巡らしたアール・ヌーヴォー様式の天井が特徴だ. 内部に伽藍堂のような巨大な空間(内部からガラスの天井を見上げたときの圧巻とも言える光景は, ここ以外で体験することはできない)を抱くこの建造物は, 当初は展覧会や見本市の会場などに使われていたようであるが, 現在では, 国際的企画展や特設展示, パリコレクションの会場として用いられている. 非常に存在感があり, パリ市内の多くの場所からこのガラス屋根を見ることができる, パリを象徴する建物の一つと言えよう.
 

グラン・パレ 遠方にアンヴァリッドが見える
 

入口両サイドに,
《技の実現》,《美への感動》なる彫刻がある
 
 プティ・パレは, ネオ・バロック風のファサードをもつ美術館で, 19 世紀後半のフランス絵画や 16 ~ 17 世紀のオランダ絵画のほか, 彫刻や陶磁器, 家具や工芸品などを蒐集している. 建物全体も美術品と言えよう. アール・ヌーヴォーの工芸品やエミール・ガレの花瓶などが展示されているエントランス・ホールの床には, モザイクのタイルが一面に敷かれ, 天井にはフレスコ画と緻密な彫刻がどこまでも施されている.
 

グラン・パレ側から見たプティ・パレ美術館の正面
 

入口付近の周囲に施された細かい彫刻が見事だ
 
 ここで鑑賞できる絵画は, クレランの《サラ・ベルナールの肖像》(パリ時代のミュシャにも有名なベルナールの肖像ポスターがあるが, ベルナールはクレランの方を好んだという), 端整かつ繊細な画風で知られるブーグローの《聖母子と天使》のほか, モネ《ラヴァクールの日没》, シスレー《モレの聖堂》など, 枚挙にいとまがない. それに加え, ルーヴルやオルセーに比べれば訪れる人がはるかに少ないため, 各作品を落ち着いて鑑賞できるのもこの美術館の魅力であろう.
 

ガラス張りの明るく広い空間をもつエントランス・ホール
 

アール・ヌーヴォー様式で作られた螺旋階段の手すり

 
 円柱を配した建物に周囲を取り囲まれた中庭に出ると, 南国を想わせるエキゾティックな植物がところ狭しと生い茂っている. 真夏の光を浴びた樹々や葉が放つ色のコントラストが鮮やかだ. 中庭に面したカフェも比較的すいていて, ゆっくり休める場所になっている. 2 階席に上がれば, 吹き抜けの空間ごしに中庭を眺められるのがよい.
 

 南国や日本を想わせる植物が密集する中庭
 

カフェ プティ・パレの庭(Le Jardin du Petit Palais)
 

 
10. ドラクロワ美術館(Musée National Eugène Delacroix)
 《民衆を率いる自由の女神》,《メデュース号の筏》,《キオス島の虐殺》など, ドラクロワの代表作の多くは, ルーヴル美術館の「フランス絵画の大作」室にある. ダヴィッドやアングルたち他のフランス画家の代表作が展示されているのもこの部屋だ. それらのフランス画家の中で, 国立の個人美術館をもつ画家は, ドラクロワただ一人である.
 
 それは, 6 区の
サン=シュルピス教会から徒歩 10 分たらずの位置にあり, ドラクロワが晩年に居住し, アトリエを構えた邸宅である. 晩年の彼は,《ヤコブと天使の闘い》 などに代表されるこの教会の壁画や天井画の制作に没頭するため, 教会にほど近いこの邸宅を居住地に選んだのであった. 一帯は閑静な住宅地で, 周辺には, カフェやブティック, ジュエリーや洒落た土産物屋, 画廊や骨董品店などが軒を並べている.
 

案内板に気づかないと入口が分からない
 
 この美術館は, 過去にたびたび運営上の困難に遭遇しつつも少しずつ蒐集品を増やし, 現在では, ドラクロワのパステル画やリトグラフ, 素描, 書簡などのほか, 愛用品のパレットや手帳や家具類にいたるまで, 数多くの展示品がある.
 
 外階段を降りると四方を建物に囲まれた中庭を散策できる. こじんまりとした敷地で, 植込と砂利の中に椅子やテーブルが置かれている. 時代の趨勢から遅れたと見なされ, 社交界からも顧みられず孤独な生涯を過したドラクロワを想いつつ, 私はしばらく庭に佇んでいた.
 

邸宅内にあるドラクロワのお気に入りの庭
 

 
11. ギュスターヴ・モロー美術館(Musée national Gustave-Moreau)
 ショパンが住んだオルレアン広場の近く, 閑静な住宅街の一画にあるモロー美術館は, アトリエと展示室を兼ねたモローの邸宅である. 聖書や神話を題材とした神秘的で幻想的な画風で知られるモローの作品群(油彩画・水彩画・デッサン)が, 各部屋の壁一面にギッシリと架けられている. その数は 8 千点以上にも及ぶという. ほとんどがモローの指示通り彼の生前と同じ状態で展示されているらしい. 小雨が降る日の昼頃に入館したためか館内にはほとんど人影はなく, 館内は静かで落ち着いた雰囲気に包まれていた.
 

9 区, ラ・ロッシュフーコー街の一画に静かに佇む美術館
 
 階段を上がって最初に書斎に入る. マントルピースの前にアンティークな机と椅子, 豊富な蔵書を収めた書棚などがある. リビングルームには, 同じくアンティークな食器や鏡や肖像画が青系の壁に架けられ, 金色の布を張ったアンピール様式の長椅子がいくつも置かれていた. これらの各部屋は決して広くはなく, むしろ狭く感じられた. モローは小柄な体格だったのか, 寝室に置かれたベッドも(われわれ日本人から見ても)かなり小さい. 壁一面には絵画や写真が架けられ, ベッドの脇には陶器の壺や燭台などが置かれている.
 

肖像画, 写真, 装飾品, 調度品が凝縮した寝室
 
 3 階の展示室に入ると天井の高い広い空間が目に入り, 先ほどまでの部屋とのギャップに驚く.
 
 当時流行していた印象主義や写実主義から距離をおいた独得の画法から, 先駆者や後継者をもたない孤高の存在として知られるモロー. 大型の作品のほか, パステル画や素描, 彫刻類も展示され, 展示しきれない水彩画やデッサンのたぐいは, 引き出し式の棚に収納されている(これらも自由に引き出して観ることができる).
 
 モロー自身の発案で造設したという,
4 階に上がる螺旋階段の曲線や装飾も大変に美しい.
 

濃いオレンジ色の壁一面に隙間なく架けられたモローの絵
 

サロメを題材にした油彩《出現》
 

 
12. コニャック・ジェイ美術館(Musée Cognacq-Jay)
 「ラ・サマリテーヌ」の創設者コニャック夫妻が蒐集した 18 世紀の西欧美術品を展示する邸宅は, 歴史的建造物の多いマレ地区(Le Marais)にある. 当時の貴族生活を彷彿とさせる高雅なインテリア, 絵画, 家具, 陶磁器など, フランス・ロココ様式の美術品の宝庫だ.
 

キャプシーヌ大通りの一画に静かに佇む美術館
 

タペストリー, 椅子, テーブル等の調度品,
陶器類などを展示
 
 
 展示されている美術品を少し挙げてみると……,
 
〔装飾品〕
*セーヴル製の「振り子雷鳥」
*「タッセ・リトロンカップとソーサー」
〔絵画〕
*ヴァトー《若い娘とメズタン》
*ボードワン《母親と口論する農婦》
*プリュードン《不実の愛を追う若い妖精》
*レンブラント《預言者バラムのロバ》
*ブーシェ《音楽のレッスン》,《狩から戻るディアナ》
*L.J.ワトー《庭園での集い》
*カナレット《サンタ・キアラ, ヴェネチアの運河の眺望》
〔ミニアテュール〕
*美しい装飾を施した「ヴァイオリン形のノート」
*黄金に輝く「香水銃」
*王族肖像画を施した「宝石箱」
〔家具〕
*繊細な装飾の「ドレッサー」,
*光沢レースの付いた「天蓋付きポーランド製ベッド」
*ポワズリーが施されたテーブル
〔彫刻〕
*カフィエリ《ボルゲーゼ荘のファウヌス》
*P.J.ミッシェル《バスキュール》
*C.A. デセイン《愛と誠実》
*J.A. ウードン《フラスカティの農民》
*J.P.A. タッサール《薔薇の花びらの上に座るヴィーナス》
 
等々……. いずれも観る者を和ませる柔和で優雅な雰囲気の上品な美術品ばかりだ.
 

水色の壁に架けられた 18 世紀絵画
 

ルイ・ジョゼフ・ワトー《庭園での集い》 
 

 
パリの公園
13. テュイルリー公園(Jardin des Tuileries)
 パリ市内には 400 を超える数の公園が存在し, その多くの場所でスポーツやレジャーを楽しむパリ市民の姿が見られる. パリ中心部に位置するテュイルリー公園は,(ヴェルサイユ庭園を手がけた)ル・ノートルの造園による左右対称のフランス式庭園だ. 噴水や花壇や彫刻類が美しく配置されており, それ自体が一つの美術品と言えよう.
 
 テュイルリーと聞いて私が想起するのは, 小学生の頃から親しんできた《展覧会の絵》の第 3 曲『テュイルリーの庭 ―― 遊んだ後の子供たちの喧嘩』だ. 音楽から想像していたのは田舎の町中にある中央広場のような庭であった(ハルトマンの原画でも庭の様子は分からない)が, 実際のこの公園は, セーヌ河の右岸に沿って, 奥行き約 1km, 幅 350m ほどの広さをもつ大庭園であった.
 

色鮮やかな花々を散りばめた花壇が点在する
 

少し早い秋の装いが寂寥感を漂わせていて趣深い
 
 ルーヴル美術館からカルーゼル凱旋門(L'arc de triomphe du Carrousel)を経てテュイルリー公園に入ると, 色鮮やかな花々を散りばめた花壇や古典的な白亜の彫像(A.ルベックや A.カンなど)があちらこちらに点在しているのが目に入る.
 

ナポレオンの軍事的勝利の象徴 カルーゼル凱旋門
 

公園内には遊園地のような観覧車が設置されている
 

 
14. コンコルド広場(Place de la Concorde)
 写真の観覧車グラン・ルー(Grand Roue)は, 年や季節によって設置場所が移り変わる. 最初(1993 年)に設置されてからしばらくの間は冬の風物詩であったようだが, 私が訪れた 2010 年から 2017 年には, 夏であったがつねに存在した. これは, テュイルリー公園またはコンコルド広場に設置されている.
 
 この観覧車からは, テュイルリー公園はもちろん, パリの全景が一望できる(エッフェル塔に比べれば高さはかなり劣るが, 360 度を一度に見渡せるのがよい). 1 回の乗車で 1 周という日本の常識に反し, そのまま 2 周目に突入したときは驚いた. 私が乗車した際, この観覧車は
1 回の乗車で 3 周した. さらに, 高さにして 60 ~ 70m(時季によって変化する)もあるにもかかわらず, その回転のスピードは日本の観覧車と比較してかなり速い. これは, なかなかのスリルを味わえる. 絶叫系のアトラクションが大好きな私には, すこぶるおもしろい経験であった.
 
 しかし, 本音を言えば, 観覧車に絶叫系の要素はいらない. 観覧車は, ゆっくりと景色を楽しつつ乗りたいものだ. その点, お台場の「パレットタウン大観覧車」, 横浜の「大観覧車コスモクロック 21」, 葛西臨海公園の「ダイヤと花の大観覧車」など(いずれも太平洋を望める)の方が格段に優れていると言えよう. ところで, パリの
この観覧車は, 歴史的景観の保護を理由に 2018 年の夏以降は撤去される(2017 年の秋にパリ市議会にて決定)とのこと.
 

一度の乗車で 3 周! 回転スピードも速い!
 
 コンコルド広場は, 革命時代に断頭台が設置され, ルイ 16 世やマリー=アントワネットをはじめ, 1,343 人が処刑された場所として知られている. 中心部にルクソール神殿(エジプト)のオベリスクがある, パリで最大の面積をもつ広場だ. その北と南には, サン=ピエトロ大聖堂(ローマ)の噴水を模した噴水がある. 脇の道路は交通量が多く, ひっきりなしに観光バスが往来している.
 

テュイルリー公園の西端からコンコルド広場を望む
 

 
15. リュクサンブール公園(Jardin du Luxembourg)
 リュクサンブール公園と言えば, ジャン・ヴァルジャンと散歩に来たコゼットをマリウスが見初める場所, 菩提樹の陰でエンマ夫人にレオンが想いを寄せる場所, ―― フランス文学にたびたび登場する公園として知られている. 左岸の 6 区にある広大な敷地をもつこのフランス式庭園では, 多くの観光客や市民が, 食事や談笑や昼寝, 読書やボール遊びに興じている.
 
 園内の
随所に彫像や記念碑や噴水が設置され, ジョルジュ・サンド像, ヴェルレーヌ像, マスネ像, ショパン記念碑, ベートーヴェンの胸像, ドラクロワの胸像など, 相当な数になる.
 

マルコ・ポーロの庭にある「天文の泉」
 

園内で最も美しいと言われるドラクロワの胸像
 
 永井荷風はパリを去る最後の一日をここで過ごしたらしい.「春の午過を毎日のやうに読書と黙想に耽つたあの公園の木陰メヂシ(メディチ)の噴水(中略)に近い木蔭のベンチに腰を下し, 今目に入るものは尽く(中略)心の底に彫込んで置かうと思ひ(中略)目を閉つて黙想した」("ADIEU "(わかれ))と記している. そのベンチについて「冷たい鉄の椅子に腰かけ(中略)考えていると, 不意に婆さんが肩を叩いて, 腰かけ料をくれと云ふ.」と報告したのは横光利一の『欧州紀行』だ. 当時は本当に有料だったのか, 単に横光が婆さんに騙されただけであったのか…….
 
 少々歩き疲れたので, 私も木陰のベンチで休むことにした. 折しも日曜日で, 両側を並木が覆う芝生では, 休暇を楽しむ大勢のパリ市民が寛いでいる. 日本人と休暇の過ごし方がやや異なり,
フランス人は休暇を「何もせずに」過ごす.「フランス人はヴァカンスのために働く」というくらい, 集中して働き, ヴァカンスを楽しむという. 見ると, 彼らは真夏の日差しを浴びながら寝転んでまどろみ, 気が向くと隣人とおしゃべりを楽しむ. その周りを子供たちが騒ぎながら遊び回っている.
 

入口の右脇に掛けられたデュティユーのパネル
 

宮殿の側面 簡素かつ荘厳な外観だ
 
 私自身の休日はと言えば, 大抵は, どこかの文学館か美術館か温泉か演奏会に出かけて過ごす. 自宅にいるときは, 読書か執筆か数学か作曲かピアノを弾くかのいずれかだ. いずれにせよ, 何らかの目的をもって活動するのであり, のんびりと何もしない休日というものは決して考えられない. もし, そんな日がくるとしたら, 長期にわたる入院時以外にはないだろう. 幸い, この年齢まで健康に恵まれている私は, 病院に足を向けることさえ滅多にないが……. パリ市民の様子を眺めながら, そんなことを考えた.
 

 
16. モンソー公園(Parc Monceau)
 パリ北西部に位置するモンソー公園は, ルイ王朝末期に英国式庭園として造設された鑑賞用の庭園である. 園内には, ロタンダ(rotunda)といわれるドーム付きの円柱建物や, コロネード(colonnade)といわれるコリント式円柱のほか, ミュッセやグノーなど作家や作曲家たちの彫像も見られる. モネがこの公園を題材にたびたび描いたことはよく知られていよう.
 

ローマ風の池ノーマシー(naumachie)を囲むコロネード
 
 『ふらんす物語』には, モンソー公園について「緑深いモンソーの公園, ここは能く先生がお書きになった通り, 今でも午後には近処の乳母が芝生の周りに遊んでいる幼児を番して居ます.」という記述が見られる.「先生」とはすなわち永井荷風が崇敬するモーパッサンにほかならない.
 
 荷風自身, 渡仏した際に園内にあるモーパッサンの彫像と対面し, 園内で見られる長閑な光景を目の当たりにしたはずである. 私が訪れた際にも, 園内ではジョギングをする人々や散歩をする近隣の幼稚園児たちで賑わっていた.
 

公園内の西端に位置するショパンの像
 

 
17. ビュット・ショーモン公園(Parc des Buttes-Chaumont)
 現在のパリ音楽院の近く(19 区南部)にあるビュット・ショーモン公園は,「はげ山」とあだ名された採石場の跡地を, オスマン知事によるパリ大改造の際に手を加えて造園したものである. 高低差のある広大な地形に人工的な自然が整備され, イギリス式庭園, 滝, 鍾乳洞, 吊り橋, 人工池, 展望台などがある.
 

高低差のある園内は, 橋が架けられ, 道が交差している
 
 2014 年にここを訪れた際には大雨の日で, 人をほとんど見かけない寂しい雰囲気の公園であったが, 2017 年に再訪した際は日差しのまぶしい晴天日で, 園内の舗装道路をジョギングする人がひっきりなしに往来していた. また, 散歩をしたりベンチや芝生に腰を下ろして寝転がったり景色を楽しんだりする家族やカップルも散在していた.
 
 ふと見ると, 芝生の上で寄り沿って座る二人の後ろ姿が目に入った. 一方が他方の腰に手を回しているので若い男女のカップルかと思ったが, よく見ると両人とも男性のようだ. やがて二人は顔を近づけて#$%&!!! ……日本ではあまり見かけないこの種のカップルをパリでは頻繁に見かける. 多人種・他民族のフランスでは, このようなカップルもごく自然に受け入れられるような文化的土壌ができているのであろう.
 

真夏の青空の下をジョギングする人々
 
 公園の中央部にある湖は, 近くにあるサン=マルタン運河から水を引いており, 白鳥や鴨が優雅に泳いでいる. その中ほどに「ベルヴェデーレ島」がある. ラヴェル博物館やプティ・トリアノンの名称と同様,「展望台」の意味だ. 頂上は 30m ほどの高台になっており, そこに「巫女の神殿」と呼ばれる建造物がある. イタリアのウェスタ神殿を模したコリント式のコロネードがそびえ立つ. この展望台からのパリ市街やモンマルトルの丘への眺望は見事だ.
 

コリント式コロネードをもつ「巫女の神殿」
 

「巫女の神殿」からサクレ=クール寺院を望む
 

公園中央の人工湖に架けられた吊り橋
 

園内中央の高台から公園内を見下ろす
 
 ビュット・ショーモン公園の東側を通るマナン通り(Rue Manin)を渡ったところに小高い丘がある. ここに到達するには急な勾配の階段を上がらなければならない. 散歩中らしい白髪の老人が息を切らしながらこの階段を登っていたが, その様子では健康体になるどころか寿命を縮めかねない. 彼は明日から散歩コースを変えるべきだろう. ―― もし, ここの住人であるならば, 彼は住居の選択を誤ったのだというほかはない. ご愁傷様である.
 
 それはともかく, その丘の上に広がる住宅地の突きあたりにあるジョルジュ・ラルドノワ通り(Rue Georges Lardennois)に出たところから見える眺めは大変にすばらしい. この一帯は映画《
のだめカンタービレ 最終楽章後編の後半部のシーンのロケ地となった高級住宅街で, パリ市内はもちろん, 遠方のサクレ=クール寺院のあるモンマルトルの丘の頂上まで見渡せる.
 

 

ビュット・ショーモン公園付近
ジョルジュ・ラルドノワ通り(Rue Georges Lardennois)
 
 ……ふと見ると, 住宅内の一画から猫が現れた. サビ模様の雑種らしいが, 細身で毛ヅヤがよく, 歩く姿にもどことなく品がある. さすが高級住宅地に住む猫だ. おそらく「血統書つきの雑種」であろう. なぜか私のあとをつけてくる. はじめは少し離れた位置をウロウロとしていたが, 私が姿勢を低くしてカメラのレンズを向けると, 人なつこく足元にすり寄ってきた. もしかしてエサが欲しいのか.
 

 映画《のだめカンタービレ 最終楽章》後編のロケ地
をウロウロする猫

 

 

近所の飼い猫なのか, 私の後をつけてきて
人なつこく足元にすり寄ってくる
 
 そこで, 軽食用にと持ち歩いていた美味しいクロワッサンを一切れだけ猫にやってみた. ……が, 匂いを嗅いだだけで食べようとしない. メニューが気に入らないのか, 見知らぬ人間からもらったものを食さぬよう教育されているのか. 高級住宅地にお住まいになる「お猫樣」をクロワッサンごときで餌づけしようとしたのが間違いであった.
 

 
18. ベルシー公園(Le Parc de Bercy)
 パリの東南の 12 区にあるベルシー地区には, ブドウ畑やワインの貯蔵庫が多く残っている. 近年になって開発が進み, 屋内競技場アコーホテルズ・アリーナ(AccorHotels Arena), 映画資料館シネマテーク・フランセーズ(Cinémathèque française), フランス国立図書館(Bibliothèque nationale de France)などが次々と建設された.
 
 セーヌ河に出ると, 対岸(左岸)に,
ワニのような緑色の流線形状のチューブ型通路が側面に張りついた建造物が目に入る. ポンピドゥー・センターのチューブ型エスカレーターよりも異様な光景だ. これは, 2012 年に建設されたレ・ドック・シテ・ドゥ・ラ・モード・エ・デュ・デザイン(Les Docks Cité de la Mode et du Design)で, ゲームやアニメなどを中心とした芸術スポット, アール・リュディック(Art Ludique)を含む複合施設になっている.
 

ブドウ棚の下の通路は心安らぐ場所だ
 
 ベルシー・ヴィラージュ(Bercy Village)は, ワイン貯蔵庫であった煉瓦造りの建物を改築したショッピング街だ. 中央を通る道は石畳でかつて貨物車が往来した線路が現在でも残っている. ブティックやカフェやスーパー・マーケットがあり, いずれも多くのパリ市民で賑わっていた. その近くにあるベルシー公園は, パリ市内の他の公園と同様, 市民の憩いの場だ. 園内は美しく簡素に整備され, 果樹園や菜園やバラ園などの庭園のほか, 鴨が泳ぐ池もある.
 

両サイドに庭園が広がる中を石畳の小道が直線状に続く
 

 
19. パレ=ロワイヤル(Palais-Royal)
 ルーヴル美術館から歩いてすぐの位置にあるパレ=ロワイヤルは, もとはルイ 13 世の宰相リシュリュー卿の館であった. 宮殿も庭園もそれほど広くはないが, その均整と調和のとれた空間は大変に美しい.
 
 特に,
歴史的建造物と現代アートが共存する宮殿の中庭は目を引く. ここには, D.ビュランのストライプをモチーフとした円柱を配列したインスタレーションや, P. ビュリーによる十数個の銀製の球体を寄せ集めたキネティックがある.
 

庭園内の噴水周辺でのどかに寛ぐ人々
 

中庭に均等に配置された「D.ビュランの円柱」
 
 ビュランの作品は,『二層大地』を正式名称とし, 高さの異なる 260 本の円柱から構成される. 広場を歩くと, 地面に金網が張られた部分が見つかる. その下に見える水が流れている部分が地下第二層で, われわれが歩いている広場の地面が第一層だ. 夜には青や赤の光でライトアップされ, これまた実に美しい.
 

庭園内に建ち並ぶ樹木が真夏の斜陽に鮮やかに輝く
 

 人の気配がない回廊は非常に神秘的に映る
 

 
20. ラ・ヴィレット公園(Parc de la Villette)
 パリ最大の公園であるラ・ヴィレットは, パリ北東部 19 区に位置する. ここは, パリにおける音楽と科学の拠点だ. 音楽については, 後述するパリ音楽院, 音楽博物館, フィラルモニー・ド・パリのほか, 6 千人を収容できるロック・コンサート用ホールのゼニット(Zénith Paris)がある.
 
 
公園の中央をウルク運河(Canal de l'Ourcq)が横断している. 東京の東雲運河や豊洲運河と雰囲気は似ている. ちょうど, 大勢の観光客を乗せた遊覧船 "Paris Canal" がゆったりと運河を進んでいくのが見えた. ここから 2 時間半以上もの時間をかけて, サン=マルタン運河(Canal Saint-Martin)を経由してパリ中心部のオルセー美術館へ向かう遊覧船だ.
 

ウルク運河を進む遊覧船を園内から望む
 
 また, 科学については, プラネタリウム, 水族館, 科学関係の展示や科学書を中心とする図書館, ガラス張りの 3 つの温室のある「生態学的ファザード」などに代表されるシテ科学産業博物館(Cité des Sciences et de l'Industrie)がある.
 
 毎年 500 万人もの人々が訪れるこのエリアは, 科学技術の知識を青少年に普及させるために開発されたという. かなり遠方からでも目に入るオムニマックス・シアターの直径 36m のシルバー球体は, 正三角形状のステンレススチール鏡面 6,433 枚を用いて構成されているという. その脇には, アルゴノート(Argonaute)と呼ばれる海軍の潜水艦も展示されている.
 

周囲を池に囲まれたシテ科学産業博物館

オムニマック・シアター  ラ・ジェオード(La Géode
 

シテ産業博物館内の水族館は子供たちで賑わっていた
 

 
パリ音楽院
21. 音楽博物館(Cite de la musique)
 ラ・ヴィレット公園内にある音楽博物館では, 17 世紀以降 20 世紀にいたるまでの楽器の変遷の歴史を垣間見ることができる.
 
 17 世紀のイタリア・バロック時代の華麗な装飾を施されたチェンバロやリュートやマンドリン, 18 世紀の啓蒙主義時代のフルートやギターやハープ, 19 世紀のロマン派時代のストラディヴァリウスを模したヴァイオリンやプレイエルおよびエラールのピアノ, ヴィヨームのオクトバスなど, 珍しい楽器が目白押しだ.
 
 20 世紀のコーナーでは, テルミンやオンド・マルトノなどの電子楽器, 琵琶や尺八や三味線など日本をはじめとする各国の民族楽器もある.
 

初期のオーボエやホルン
 

ショパンが愛用したプレイエル社製のピアノ
 
 パリの中心部からははずれた位置にあるためか, 館内にはほとんど人影はなく, 各コーナをゆっくりと見学できるのがよい. オーディオ・ガイドを利用すれば, 各楽器の音色を楽しむことが可能だ. 各時代の文化的社会的背景を反映した楽器を鑑賞できるここは, いくたび訪れても興味深い博物館である.
 
 また, 併設された
ミュージック・ショップでは, CD や音楽関係書籍が豊富に揃えられている. ケージ, ブーレーズ, カーター, リゲティ, ノーノ, ヴァレーズ, クセナキスに関する書籍や, メシアンの『リズム・色彩・鳥類学概論』(リュデュック版)なども置いてあった. 作曲家や楽曲分析や和声分析に関する書籍が多いのもパリ音楽院の学生が多く利用するためであろう.
 

テルミンやオンド・マルトノも間近で見ることができる
 

音楽館に併設されたミュージック・ショップ 
 

 
22. フランス国立高等演劇学校(Conservatoire national supérieur d'art dramatique)
 歴史あるパリ音楽院は, 1795 年にパリ 9 区(2 Rue du Concervatoire)に設立された. ドビュッシーやラヴェルはもちろん, ベルリオーズ, フランク, フォーレ, ケックラン, ブーランジェ, オネゲル, ミヨー, デュリュフレ, メシアン, デュティユーなどを輩出した由緒ある音楽学校だ. フォーレが院長であった 1911 年にその大部分が 8 区に移転され, 現在ではこの校舎は「フランス国立高等演劇学校」として機能している.
 
 ここで初演されたベルリオーズの代表作 4 作品(『幻想交響曲』,《レリオ》,《イタリアのハロルド》,《ロメオとジュリエット》)が入口付近のプレートに明記されてあった.
 

パリ国立高等音楽院の初代校舎の入口
 
 
 かつてドビュッシーやラヴェルがここに通っていたことを想い, 校舎の外観を眺めながら北に向かって歩くと, 古い教会に辿り着いた. この教会は聖ウジェーヌ・聖セシール教会(Paroisse Saint-Eugène Sainte-Cécile)といい, 19 世紀の半ばに建設されたものらしい. フランス語(9 時 45 分~)とラテン語(11 時~)の双方でのミサが執り行われる珍しい教会のようだ.
 
 折しも日曜日の午前で, これからミサが始まるらしい. プロテスタントのクリスチャン家系に育った私は, カトリックにおけるミサなるものを知らない. 入口でパンフレットを受け取り, ステンドグラスが美しい堂内の椅子の最後部に遠慮がちに腰を下ろした. 500 席ほどある会堂内にわずか 30 名程度の信者しかいない.
 

2 種類の言語でミサが行われる
聖ウジェーヌ・聖セシール教会
 
 9 時 45 分になると, 背後の上方部よりカテドラル全体にパイプオルガンの音色が響き渡った. すばらしい響きだ. その重厚かつ荘厳な雰囲気に鳥肌が立つ. 堂内にマイクを通した男声が響き始めた. 恐らく入祭唱であろう. パンフレットを見ると,
 
*Entreé(入祭唱), Kyrie(キリエ)
*Gloria(グローリア), Alléluia(アレルヤ)
*Credo(クレド), Sanctus(サンクトゥス)
*Agnus Dei(アニュス・デイ)
 
という, クラシック音楽における典型的なミサ曲に見られる項目の合間に,
 
*Prière(祈り)
*Lecture du Prophète Isaïe(「イザヤ書」朗読)
*Psaume 137(讃美歌 137番)
*Lecture de la lettre de Saint Paul Apôtre aux Romains(「聖パウロよりロマ人への書」朗読)
*Evangile de Jesus Christ Selon Saint Matthieu(「マタイによる福音書」朗読)
*Communion(聖餐)
*"Chez nous soyez Reine"(聖歌のタイトル)
 
などが挿入されている.
 
 前方の祭壇あたりに白衣を纏った複数の人物が現れた. 司祭と 3, 4 人ほどの弟子たちであろう. 讃美歌を歌う際に参加してよいのかどうかも分からなかったが, 適当にハミングして合わせておいた. それでも, プ
ロテスタントの礼拝とは様相がかなり異なる「ミサ」というものに初めて参列できて満足であった. ミサが終わって教会を出ると, 出口付近に物乞いをする貧困層の人々の姿が目に入り, 華やかなパリの裏側をここでも垣間見ることとなった.
 

 
23. パリ地方音楽院(Conservatoire à rayonnement régional de Paris)
 フォーレが院長を務めていた 1911 年, パリ音楽院は 8 区にある現在のパリ地方音楽院の場所に移転となった. すでにドビュッシーやラヴェルは卒業していたから, ここで学んだのは, オネゲル, メシアン, デュリュフレなどである. 日本人留学生として, ピアニストの原智恵子や安川加寿子, 作曲家の池内友次郎, 矢代秋雄, 黛敏郎などもここで学んだはずだ.
 
 2010 年に訪れたときは, 入口のドアが開いていて誰でも出入りが自由であった(これは, 以前に訪れたモスクワ音楽院も同様であった)が, 2017 年に訪れたときは,(頻発するテロに対する警戒からか)入口に警備員がいた. "Bonjour." と挨拶して堂々と建物に入っていくと,「ちょっと待って」と声をかけられた. やはり部外者は立入禁止なのかと思って振り返ると, " Leçon?"と尋ねてくるので "Oui." と答えたら, うなずいて OK の合図をくれた. こちらに都合のよい勘違いをしてくれたおかげであっさりと入館できたが, 警備員としては彼は失格であろう.
 

旧パリ音楽院(現パリ地方音楽院)の校舎
 
 折しも夏休みで学生はほとんどいない. 静かな館内では, 誰かが練習をしているらしいショパンの《黒鍵のエテュード》が断続的に聴こえてくるのみだ. 人影のない廊下の掲示板には, コンクールの案内や試験の課題指示などが貼付されてあった.
 
 ここには練習室が 50 室あり, 視聴覚ホールやパイプオルガン・ホール, リサイタルホールなどが設置されている. 図書館は, 音楽を中心とする書籍が 5 万冊, 楽譜が 1 万冊, CD やレコードなどが 1 万枚所蔵されているという. 1,700名の学生が在籍する名門音楽院だ.
 

エントランスのある吹き抜け構造の空間(2 階部分)
 

 
24. パリ国立高等音楽院(Conservatoire national supérieur de musique et de danse de Paris )
 現在のパリ音楽院は, 映画『のだめカンタービレ 最終楽章』の舞台となった場所である. フランスにおける最高峰の音楽教育機関であり, 最も歴史が深い. 名実ともに優れた権威ある音楽家たちを教授陣に揃え, その伝統と実績は世界的に見ても最高の水準を誇っている音楽院である.
 

真夏の日差しに輝くパリ国立高等音楽院の建物全景
 
 とはいえ, 講義は日本の大学ほど過密ではなく, 長い夏休み(ヴァカンス)を経て, 9 月に始まるはずの新学期も休校や欠席者が多く, 10 月を迎える頃にようやく教授や学生たちが揃い出す, といったこともあるという. わが国におけるかつての帝国大学に見られた旧き良き時代の伝統が, パリ音楽院には今でも残っているらしい. 入学試験も高倍率で厳しいというが, 私自身は入試の様子を見聞したことがないため, 実際のレヴェルのほどは分からない.
 

音楽院の入口, 夏休み中は固く閉ざされたままだ
 
 実は, 私自身も「できごころ」で東京の国立市にある私立の音楽大学(作曲学科)を受験したことがある.「できごころ」と記した理由は, 受験直前の冬頃になってから音大を受けてみようと急に思いたち, いわば一時的な思いつきで願書を提出したためだ. 今考えるとかなり無鉄砲であったが, 受験に何が必要なのかが分からず, ほとんど何の準備もしないで受験してしまった. 一応は, 市販されている音大入試問題集で過去問を調べておいたのであったが, 自由な作曲ができるわけではなく, ソプラノ課題なるものが課されるらしい, といった程度のことしか把握していなかった.
 
 試験は 4 日間連続で行われ, 初日が和声学(ソプラノ課題・バス課題), 2 日目が聴音(四声)と新曲視唱, 3 日目がピアノ演奏(指定された課題曲と初見演奏), 4 日目が学科試験(英語・国語)であったと思う.
 
 試験初日, ソプラノ課題用の五線紙が配布されたとき, これをどう書けばよいのか(声部ごとに 4 段に分けるのか大譜表でよいのか)が分からず, 試験開始直前に隣の受験生に尋ねたことをおぼえている. 試験の合間の休み時間に話を聞いてみると, 他の受験生はみな,
ピアノはもちろん, 和声学や楽典, 聴音なども習ってきており, 音楽大学が主催する夏季講習会や冬季講習会にも参加してきたとのこと. これには本当に驚いた. ピアノは習っていたが, 音大受験のためにそこまで準備が必要だとは……. 他の受験生は逆に, 私が何の準備もせずに受験しに来たことに驚いていた. とは言え, 聴音や新曲視唱や学科試験に関しては言えば, それほど難しくは感じなかったが…….
 
 入学願書には師事した先生の名を記入する欄があったのだが,(作曲を師事したことがない私は)そこを空欄にして提出していたため, 試験後に呼び出され,「(記入漏れではなく)本当に誰にも作曲を師事していないのか」と問い正された. 何の準備もせずに受験したことを大学側に知られてしまったわけだ.
 
 その時点で私は不合格を確信したのであったが, 数日ほど経ってから(当時, 学長であった海老澤敏氏の学長印が押印された)合格通知が届いた. 焦った私は, 入学後の苦労を予想してただちに『和声 理論と実習』すなわち(島岡譲氏を執筆責任者とする)いわゆる「芸大和声」を入手して勉強を始めたのであった. ……とは言え, 実際には, この書籍の内容は感覚的には「当たり前」と思われるものが多かったが……. たしか, 初日の和声学の試験監督の一人は(当時, 教授を務めていた)島岡譲氏ではなかったかと思う.
 
 その後, 当時師事していたピアノの先生に音大合格を報告すると,(事前に相談せず無断で受験したことを含め)「音大へ行っても就職はできません. 絶対に(進学は)やめなさい!」と強く叱られた. 東京の市ヶ谷にある私立大学(法学部)にも合格していたが, その音楽大学に入学金を収めてしまった後だったので困っていたところ, その後, 運よく国立大学に合格できたため, 結局はその音楽大学へは進学せずに済んだのであった.
 
 パリ音楽院の建物を眺めながら, そのような私自身の受験生時代のことを想い出した.
 

 
25. パリの楽譜店
 ラ・ヴェレット公園内のパリ音楽院の近くには, 音楽博物館に併設されたミュージック・ショップ以外にも「ウッドブラス(woodbrass)」という楽器店がある. ギター・音響機器・ピアノの店舗は, 音楽院の正面(路を挟んだ反対側)にあり, 管楽器・打楽器・楽譜の店舗は, 音楽院の西側にある. 楽器よりも楽譜に興味がある私は, 楽譜の店舗を訪れた.
 
 
パリの楽譜店も品揃えは豊富だが, 東京の楽器店とほとんど変わらない. 楽譜について言えば, 銀座七丁目にある「ヤマハ(YAMAHA)銀座店」にある楽譜の冊数の方が「ウッドブラス」のそれよりも多いように見える. 余談だが, 私が学生であった頃は, ヤマハ銀座店の楽譜販売コーナーは地下 1 階にあり, そこは現在の店舗のそれよりも広かったように思う.
 

音楽院の正面にあるピアノを扱う店舗
 

音楽院の脇にある楽譜を扱う店舗の内部
 
 「ウッドブラス」には特に注目に値すべきものはなかったが,《画家マティス》のオペラ全曲版《展覧会の絵》のストコフスキー編曲版(「プロムナード」の冒頭部の 5 拍子が, 3 拍子と 2 拍子の小節に分割されている!)などは初めて目にするものであったし, ベルリオーズの『管弦楽法』(Traité d'Instrumentation et d'Orchestration), デュボワの『和声法 理論と実践』(Traité d'harmonie théorique et pratique), メシアンの『わが音楽語法』(Technique de mon langage musical)などの原書も初めて目にするものであった. しかし, これらは, わざわざパリに赴かずとも, 現在ではインターネットによる注文が可能だ.
 
 8 区にある旧パリ音楽院(すなわち現在のパリ地方音楽院)付近には, 楽器店がいくつも点在している. 2010 年に最初にここを訪れたとき, 音楽院にピアノを練習しに来ていた韓国人留学生に楽譜店の場所を教わった. 早速この界隈の楽譜店を巡ってみたが, 開いていたのは「アリオーソ(ARIOSO)」のみで、他は休業中であった. 2014 年時にも同様であったため, 夏休み中は諦めるしかないのかと思いきや, 2017 年に再度ここを巡った際にはすべて営業中であった.
 

ラ・フルート・ド・パン(LA FLUTE DE PAN)の外観
 

広い空間の壁一面に, 分野別に楽譜が陳列されている
 
 「牧神の笛(LA FLUTE DE PAN)」も楽器と楽譜とで店舗が分かれている. ピアノ・室内楽・声楽などのコーナーがあり, 管弦楽(スコア)のコーナーでは, 作曲家別ではなく出版社別に書棚が分けられていた. これはなかなかの壮観であった(下の写真参照).
 
 ベーレンライター版の書棚は, バッハ, モーツァルト, ベート-ヴェン, ブラームスの作品が中心で, 書棚の下の部分には, ヴィーン・ブルックナー協会版のブルックナーの交響曲のスコアが陳列されていた.
 
 オイレンブルク版のスコアは, ヴァーグナー, チャイコフスキーをはじめとする各国各時代の作品があり, 書棚一面の鮮やかな黄色が印象的だ.
 
 また, ウニフェルザル版の書棚は, マーラー, バルトーク, ヤナーチェク, ベルクなどの作品が中心で, 書棚一面が白黒の下地に赤のラインという, これまた印象的な光景が見られた.
 

ベーレンライター版の棚
 

オイレンブルク版の棚
 

ウニフェルザル版の棚
 
 ……とは言え, これらの楽譜についても, 東京の本郷にある輸入楽譜専門店「アカデミア・ミュージック」に行けば入手可能なものがほとんであり, 特に目ぼしいものは見当たらなかった.
 
 「牧神の笛」と同じ通り沿いにある「
アリオーソ(ARIOSO)」も, 楽譜や音楽関係書を中心とする楽譜店だ. 神田の神保町の古書店のように, 店先にセール本が箱に入って並べられている. 実際, 新刊書の中に年季の入った古書(らしきもの)も混入している.
 
 店内を物色すると, デュラン社版『ラ・ヴァルス』のスコアの売れ残りを見つけた(現在, わが国に輸入されているデュラン社版のスコアは, ユニヴァーサル・グループに合併した後のもので, 合併前のかつてのデュラン社版とは表紙の装丁が異なる). 私にとっては, かつての鮮やかな水色の表紙が憧れや懐かしさの対象であって, 現在のやや薄曇りの水色の表紙には何の感慨も湧かないのだ.『ラ・ヴァルス』のスコアはかつての合併前のデュラン版をすでに所有していたため, あらためて購入することはしなかったが…….
 

入口のドアが開放されていて入店しやすい雰囲気だ
 

「アリオーソ」の店内  年季の入った古書もある
 
 他の作品では, デュラン版の興味深い楽譜がいくつかあった. たとえば, フォーレの『弦楽四重奏曲』の自筆スコア, 書き直しや削除した跡がそのまま残っている. あるいは,『トゥランガリラ交響曲』のオンド・マルトノ用のパート譜. オンド・マルトノ協奏曲とも言えるほどこの楽器が活躍する作品ならではの楽譜であろう. パート譜も(演奏用ガイドを含めれば)ほとんど休符がない. これらの楽譜は YAMAHA 銀座店では入手できないので(『トゥランガリラ交響曲』のフルスコアはすでに所有しているが)購入しておいた.
 
 これらの楽譜店とはかなり離れるが, パレ=ロワイヤル近くのサン=トノレ通り(Rue Saint Honoré)に
「アルフォンス・ルデュック(Alphonse Luduc )」がある.『のだめカンタービレ 最終楽章』の後篇のエンディングロールで登場する楽譜店だ. 決して広くはないが, スコアや理論書が豊富に揃っており, ここでも何冊が書籍を購入した(2017 年時には, この店舗はパッサージュ・ヴェルドー付近(10, rue de la Grange Batelière)に移転していた).
 

 
カルティエ・ラタン
26. アンリ四世高校(LYCEE HENRI IV)
 「人は代り時は移り思想は定めなく動いて行っても, 此の街にのみ永遠に変らぬものは青春の夢 ―― 如何なる煩悶にも絶望にさへも自づと一種の力と暖みを宿す青春の夢である」とは, 永井荷風『ふらんす物語』におけるカルティェ・ラタン(Quartier latin)のカフェの描写である. カルティェ・ラタンすなわちラテン地区とは, ヨーロッパ各地から集う学生たちが当時の学問や教会における共通語であったラテン語で話したことに由来する. ここは, 当時の日本人の知識人たちが抱く西欧への憧憬の一つの対象となる地域であった.
 
 実際, ここには, ソルボンヌを含むパリ大学(Université de Paris)や, 高等師範学校やパリ市立工業物理化学高等専門大学などのグランゼコール(Grandes Écoles)などがある.
12 世紀に設立されたヨーロッパ最古の学府の一つであるパリ大学は, 各学界に優秀な人材を輩出してきた. 代数幾何のセール, 超函数のシュヴァルツ, フラクタルのマンデルブルロ, 生の哲学のベルクソン, 構造主義のレヴィ=ストロース, ポスト構造主義のドゥルーズなど, ―― 私自身が学生時代から畏敬していた学者たちがこの大学の出身である. また, 日本人の留学生も多く, かつては吉江喬松や桑原武夫や河盛好蔵などのフランス文学者, 画家の岡本太郎や作家の加藤周一などもここで学んでいる.
 

多くの優秀な人材を輩出しているアンリ四世高校


扉の内部  夏休み中のため, 人影はない
 
 リセ(高等中学校)の名門「アンリ四世高校」は, 2017 年に就任したマクロン大統領の出身校だ. パリ大学でヘーゲルを専攻した彼のみならず, この高校は, ニザン, サルトル, S. ヴェイユ, ジッドなど, 著名な哲学者や文学者が在籍していたことでも知られている.
 

 
27. パンテオン(Panthéon de Paris)
 パリ 5 区のサント=ジュヌヴィエーヴ(Sainte-Geneviève)の丘の上, 古代ローマのパンテオン(万神殿)を模してフランス歴代の偉人たちの廟として建造されたパンテオンは, カルティェ・ラタンの一角にある. フーコーが振り子運動の公開実験により地球の自転を証明した寺院, あるいは, パドルーが《マタイ受難曲》パリ初演(1868)を行なった寺院として知られる.
 
 堂内に入ると, ひんやりとした静寂に包まれる. 白亜の内装は, 細部に渡る緻密な装飾や彫刻が施されていて非常に芸術的だ. 十字架状に 4 つの翼棟が配置され, その交差部にはフーコーの振り子がある. 上部を見上げると, 重さ 1 万トンとも言われる巨大ドームの天井画が目に入った. ナポレオン一世の指示で製作された, A.J. グロによるフレスコ画『聖ジュヌヴィエーヴ礼讃』だ. 一方, 奥のドーム内部には, A.A.E.エベールによるキリスト教関連の絵が見える. 共和主義精神とキリスト教精神が共存する(相応の歴史をもつ)寺院だ.
 

パンテオン  フランスの偉人たちを祀る廟
 

各彫像の装飾は実に細かく美しい
 
 薄暗い地下の納骨堂(クリプト)へ降りてみる. ここには, キュリー夫妻, ユゴー, ゾラ, ヴォルテール, ベルクソン, ルソーなど, 国が認めた業績をもつ人物 80 名あまりが埋葬されている. ヴォルテールの納骨堂には等身大の彫像(全身像)があった. 数学者のラグランジュやモンジュもここに埋葬されているとのことだが, 案内板には明記されていない.
 

H.L. レヴィ『シャルマーニュの戴冠』(下)
 

ユゴー(左)とデュマ・ペール(正面)の墓
 

 
28. 直筆と書簡の博物館(Musée des Lettres et Manuscrits)
 小中学生の頃, 私自身が小説を書いたり音楽を創ったりする中で, プロの小説家や作曲家がどのような原稿を書いているのか, 彼らの直筆の原稿に強い興味をおぼえるようになった. 以来, 直筆原稿にはつねに関心をもち続けている. 私が文学館巡りを趣味とする目的の大半は, 直筆原稿を見るためだ. そこには, 創作の過程や筆者の性格などが如実に現れる. 後から追加された箇所や削除された箇所, うっかりミスや神経質な一面など, 見ていて大変におもしろい.
 
 サン=ジェルマン地区(222, boulevard Saint-Germain)にある
「直筆と書簡の博物館」は, どのガイドブックにも詳しい記載がない. 地図に名称だけ記載されていたのを見つけ, 仏国の芸能人か政治家の直筆でもあるのかと, 何も期待せずに訪れた場所であった.
 

直筆と書簡の博物館 入口
 
 実際に館内に入ってみて驚いた. 政治や歴史上の著名人の直筆はもちろん, 作家・画家・作曲家の直筆の書簡や原稿が展示されていたのだ. その数は膨大なもので, 私が関心のある展示品に限ってみても, 次のような直筆原稿を間近で見ることができた.

〔詩人〕
アポリネール : 肖像画家 K.v.ドンゲン宛の書状(1918)
ヴェルレーヌ :『双心詩集』(Parallèlement)の一部をなす詩集のスケッチ(1887)
 
〔作家〕
ゾラ : 妻アレクサンドリーネ宛の 244 通の書状(1876-1901)
フローベール : 愛人関係にあった女流詩人 L.コレ宛の書状(1852),『感情教育』のスケッチ(1863)
スタンダール : 妹ポーリーヌ宛の書状(1804)
ジッド :『柘榴のロンド』の原稿(1894),『地の糧』の原稿(1895-1897), プルースト宛の書状(1914)
サン=テグジュペリ : 『名の明かされない女性への手紙』(1943-1944)
プルースト : 弟ロバート宛の書状(1918)
ロマン・ロラン : ストックホルム日刊紙 Svenska dagbladet 編集長 H.キー宛の書状(1915)
ドストエフスキー : C.ダニロヴナ(小林秀雄『ドストエフスキイの生活』に登場する)宛の書状(1876)
T. マン : ベルギーの版画家 F.マセレール宛の書状(1949)
トルストイ : 翻訳家 H.カミンスキー宛の書状(1895)
(他に,
モーパッサン, コクトー, トゥルゲーネフ, ヘミングウェイ, ディケンズ, カミュ, C.ブロンテなど)
 
〔思想家〕
ニーチェ : 学友で美術史家であった W.ピンダー宛の書状(1858)
ヴォルテール : 地球物理学者 J.J.ドール・ド・マイアン宛の書状(1736)
J.J. ルソー :『新エロイーズ』第 3 部の原稿(1760-1762)
 
〔画家〕
マグリット : 芸術評論家 S.ガブリック女史宛の書状(1958), フランスの翻訳家 H.パリロット宛の書状(1945)
モネ : 印象派擁護派の美術コレクターである V.ショケ宛の書状(1877), フランスの女優 C.リセ宛の書状(1907), 美術評論家 E.ブレモン宛の書状(1875)
ミロ : Louis Brode 出版社の編集者 L.ブロデ宛の書状(1963)
ゴッホ : ポスト印象派の画家 E.ベルナール宛の書状(1888), オランダの画家A.v.ラッパルト宛の書状(1883)
ゴーギャン : フランスの美術商 A.ヴォラール宛の書状(1897)
シャガール : 美術評論家 J.ゲンヌ宛の書状(1927)
マネ :印象派の女流画家 E.ゴンザレス宛の書状(1880)
ドガ : 画家で彫刻家の P.A.バーソロミュ宛の書状(1884)
(他に,
ミレー, ローランサン, ダリなど)
 
〔作曲家〕
モーツァルト : ソプラノ独唱のための『シェーナとロンド』スケッチ(1786)
ラヴェル : ローマ大賞応募作品, M.ロン宛の書状,《古風なるメヌエット》管弦楽編曲,《ジャンヌの扇~ファンファーレ》の二台ピアノ用楽譜,《ロンサールここに眠る》
ドビュッシー :『ビリティスの歌』作詞者 P.ルイス宛の書状(1894), ピアノ連弾曲《昔のロス伯爵家の人びとの行進曲》のスケッチ
(他に,
ビゼー, ベルリオーズ, ショパン, リムスキー=コルサコフ, ストラヴィンスキー, シューマン, R.シュトラウス, ベートーヴェン, シューベルト, ブラームス, ヴァーグナーなど)
 
〔科学者〕
アインシュタイン : 一般相対性理論に関する計算メモ(1913-1914), 物理学者 E.ギヨーム宛の書状(1921)
ヴォルタ : ドイツの化学者 C.H.プファッフ宛の書状(1802)
(他に,
ポアンカレ, アンペール, プランクなど)
 
 
エディソンの電球の構造や配線に関するスケッチ(1886)やアメリカの商社マン J.I. ベッグス宛の手紙(1887), フロイトによるオーストリアの評論家 S. ツヴァイク宛の書状(1932)などもあった.
 

アインシュタイン『一般相対性理論』に関するメモ
 

オランダの画家 A.v.ラッパルト宛のゴッホの手紙
  

ラヴェル『ジャンヌの扇~ファンファーレ』
二台ピアノ用楽譜
 
 幸い, 撮影は禁止されていなかったため, 時間の経つのも忘れ, 念入りに眺めながらその多くを撮影して回った.
 
 私自身のように作家や作曲家の自筆原稿に興味をもつ人は少ないのか, 館内はほとんど人影もなく静かであった. 来客が少なさが影響したのか,
2014 年時に訪れたこの博物館は, 2017 年時には閉館となっていた. 誠に残念なことである. 
 

 
29. パリの書店
 書店巡りは私の趣味の一つである. 作家を目指していた中学生時代以降, 丸善や紀伊國屋や三省堂やジュンク堂はつねに私の憩いの場になっている. これらは, 京都や大阪や金沢など地方に赴いた折にも(やや回り道をしてでも)必ず立ち寄る書店だ.
 
 パリにも数多くの書店が存在する. 移動途中, 街で書店を見掛けるたびに立ち寄って書籍を物色した. 日本でいう丸善や紀伊國屋に相当するのは老舗書店
ジベール・ジューヌ(Gibert Jeune)であろう. 新刊書や古書のほか, 学術書や画集や漫画など, 豊富な種類の書籍が揃っている. また, サン=ジェルマン=デ=プレ界隈のラ・ウーヌ(Librairie la hune)やレキューム・デ・パージュ(L'Ecume des pages)も一見の価値がある. 文芸や小説をはじめ, 哲学や歴史などの人文関係, 美術や音楽などの芸術や建築関係の書籍が豊富だ.
 

サン=ジェルマン=デ=プレ教会付近 L'Ecume des pages
文芸書や画集の他, 学術書も豊富だ
 

L'Ecume des pages 内の哲学書のコーナー
S. ヴェイユ, ベルクソン, ヴィトゲンシュタインなど

 
 カルティェ・ラタン界隈には専門書店や古書店が多い. その中の一つ, ラルマタン(L'Harmattan - Librairie Internationale)は, アフリカ, アジア, 中南米に関する書籍を中心とする学術書の出版社である.
 
 店頭に並べられた書籍を見ると,『カミュの現在』,『審美的想像力 ~フェルメールの視点から~』と題する書籍などとともに, J. ルブラン『
音と音響の空間 "No hay caminos Hay que caminar... Tarkovskij, per 7 cori" の楽曲分析』が並べられているのには驚いた. ノーノのこの作品だけで一冊分を書く努力は敬服に値するが, これを出版したところで売れる見込みがどの程度あるのか…….
 

ラルマタン(16, rue des écoles)
アフリカ系統を中心とする学術書の出版社
 

古書店 L'amour du NOIR(11, rue du Cardinal Lemoine)
推理小説, SF, ファンタジー, 映画関係書などが中心
 
 「ゆりかもめ」(La Mouette Rieuse) はマレ地区にある書店で, 書籍のほか, ファーバーカステル(Faber-Castell)製の色鉛筆やクレヨン, ワインや果物ジュース(バー・カウンターもある), ジャムやマグカップ, 観光客向けのパリ周辺のガイドブックや土産品が置いてある.
 
 書籍は, 画集や文芸書が中心だ. 古典文学を中心とする
folio classique Le Livre de Pocheわが国の岩波文庫や新潮文庫に相当する)も多い. 書棚を見ると,
 
*バルザック『
ゴリオ爺さん』(Le Père Goriot)
*バルザック『幻滅』(Illusions Perdues)
*バルザック『シャベール大佐』(Le Colonel Chabert)
*バルザック『
谷間の百合』(Le lys dans la vallée)
*バルザック『二人の若妻の手記(Mémoires de deux jeunes mariées)
*バルザック『
あら皮』(La Peau de chagrin)
*バルザック『ウジェニー・グランデ』(Eugénie Grandet)
*フローベール 『
ボヴァリー夫人』(Madame Bovary)
*フローベール『3 つの物語』(Trois contes)
*フローベール『ブベールとペキュシェ』(Bouvart et Pécuchet)
*フローベール『
感情教育』(L'Éducation sentimentale)
*デュマ『
三銃士』(Les Trois Mousquetaires)
*デュマ『
モンテ・クリスト伯』(Le Comte de Monte-Cristo)
*デュマ『
王妃マルゴ』(La Reine Margot)
*デュマ・フィス『
椿姫』(La Dame aux camélias)
*ジッド『法王庁の抜け穴』(les Caves du Vatican)
*ジッド『
贋金造り』(Les Faux-monnayeurs)
*ジッド『
田園交響楽』(La Symphonie pastorale)
*ジッド『
地の糧』(Les Nourritures terrestres)
*ユゴー『クロード・グー』(Claude Gueux)
*ユゴー『 93 年』(Quatrevingt-Treize)
*ユゴー『
死刑囚最後の日』(Le Dernier jour d'un condamné)
*ユゴー『
レ・ミゼラブル』(Les Misérables)
*ヴォルテール 『ミクロメガ』(Micromégas)
*ヴォルテール『馬鹿正直』(L'Ingénu)
*ヴォルテール『
キャンディード』(Candide ou l'optimisme)
*ヴォルテール『ザディーグまたは運命』(Zadig ou la Destinée)
*スタンダール『
赤と黒』(Le Rouge et le Noir)
*スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』(Vie de Henry Brulard)
*スタンダール『
パルムの僧院』(La Chartreuse de Parme)
*ボードレール『人工楽園』(Les Paradis artificiels)
*ベルトラン『
夜のガスパール』(Gaspard de la nuit)
*バタイユ『
マダム・エドワルダ』(Madame Edwarda)
 
などのフランス文学をはじめ,
 
*トルストイ『
幼年時代』(Enfance)
*トルストイ『
少年時代』(Adolescence)
*トルストイ『
青年時代』(Jeunesse)
*トルストイ『
復活』(Résurrection)
*トルストイ『
アンナ・カレーニナ』(Anna Karénine)
*ゴーゴリ『
死せる魂』(Les Âmes mortes)
*ゴーゴリ『ペテルスブルグ物語』(Nouvelles de Pétersbourg)
*ゲーテ 『
若きヴェルテルの悩み』(Les souffrance du jeune Werther)
*ゲーテ『
ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(Les Années d'apprentissage du Wilhelm Meister)
*ミッチェル 『
風と共に去りぬ』(Autant en emporte le vent)
*スタインベック 『
二十日鼠と人間』(Des souris et des hommes)
*スタインベック『
怒りの葡萄』(Les Raisins de la colère)
*スタインベック『
エデンの東』(À l'est d'Éden)
 
など, ロシア文学, ドイツ文学, アメリカ文学も多数揃えられていた. わが国のものでは,
 
*谷崎潤一郎 『
陰翳礼讃』(Éloge de l'ombre, Louange de l'ombre)
*三島由紀夫 『
午後の曳航』(Le marin rejeté par la mer)
*三島由紀夫『
禁色』(Les amours interdites)
*三島由紀夫『
金閣寺』(Le Pavillon d'Or)
*三島由紀夫『
仮面の告白』(Confession d'un masque)
*村上春樹 『ねじまき鳥クロニクル』(Chroniques de l'oiseau à ressort)
*村上春樹『海辺のカフカ』(Kafka sur le rivage), 1Q84
*村上龍 『限りなく透明に近いブルー』(Bleu presque transparent)
*村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(Les bébés de la consigne automatique)
 
などの仏語訳が目にとまった.
 

ゆりかもめ La Mouette Rieuse(17 bis, rue Pavée)
 

三島由紀夫の仏語版の小説(folio classique 版) 
 
 セーヌ河沿いには, 緑の庇(本箱)を特徴とするブキニスト(Bouquinistes)と呼ばれる古書店が立ち並ぶ地区がある. 埃の掛かった変色した古書のほかに, ポスターや写真集なども売られているが, ブキニストが元来「無価値な本」を意味するように, 私が見る限りは特に目ぼしいものはなかった.
 

セーヌ河岸に建ち並ぶブキニスト(古本店)
 
 日本で古書店と言えば, 何をおいてもまず神田の神保町にある古書店街が挙げられよう. 古書店巡りも私の趣味で, 神保町にはこれまでに軽く 100 回以上は足を運んでいる. 専門書を探す目的でない場合には BOOK OFF に立ち寄ることもあるが, これをパリで見つけたときは驚いた.
 
 日本と同様, 作家別, 分野別に書籍が整理されている. 日本人観光客かパリ在住の日本人が売買しに来るのであろう, 全書籍の 4 分の 1 程度は日本語版(わが国の出版社の書籍)だ. 2 階のコミックのコーナーを見ると, その多くが日本のコミックの仏語訳版であった. アニメや漫画は今や日本の文化として諸外国に浸透しつつある.
 

日本ではおなじみの BOOK OFF がパリにもある
(20, rue Saint Augustin)
 
 

 
30. ユゴー記念館(Maison de Victor Hugo)
 ユゴー記念館は, マレ地区のヴォージュ広場(Place des Vosges)の一画にある. 七月革命を記念するオブジェがあるバスティーユ広場(Place de la Bastille)から歩いて数分の所にあり, 18 世紀中ごろまでは上流階級の者が多くする地区であったという. ユゴーはこの家で家族とともに 16 年間 暮らしていた.
 
 『エルナニ』や『リュイ・ブラス』などの戯曲,『死刑囚最後の日』や『ノートル・ダム・ド・パリ』などの小説,『黄昏の歌』や『光と影』や『静観詩集』などの詩で知られるユゴーであるが, その中では, やはり
『レ・ミゼラブル』が群を抜いてすばらしい.
 
 貧困ゆえにパンを盗み(脱獄による再懲役も含め)19 年もの獄中生活で心の荒んだジャン・ヴァルジャンが, 服役後に出会ったミリエル司教の純真な優しさに改心し, 以後, 勇気と慈愛とにあふれた生涯を全うするという,
当時のフランス社会情勢を背景に圧倒的なスケールをもって描いた感動的な文学作品である(フランス文学の最高傑作と言っても過言ではない!).
 
 小学生の頃に子供向けの《ああ無情》に感動して以来, 学生時代に繙いた豊島与志雄の訳(岩波文庫版『レ・ミゼラブル』)まで, 読みうる限りの翻訳で読み続けてきた. folio classique 版の原書も所有している(これは, 学生時代に, 妻が(当時はまだ結婚前であったが)フランス旅行のお土産の一つとしてくれたものだ)が, 残念ながら原書でこれを読破できるほどの語学力は私にはない.
 
 『レ・ミゼラブル』の執筆年から判断して, この家でその後半部分を書き上げたと思われる.
 

ヴォージュ広場のアーケード
 

ユゴーの著書を飾った表紙や挿絵が数多く展示されている
 
 ここには, ユゴーの胸像やその家族の肖像画に直筆の手紙, ユゴーの小説に登場する人物や場面を描いた絵などが展示されている. 壁一面に食器が架けられた中国風のサロン, 中世ネオ・シック様式の食堂, 一面が赤で彩られたサロンと寝室, 書籍や勲章などが飾られた書斎など, 全部で 7 つの部屋がある.
 
 いずれの部屋もユゴーのデザインによるもので, その
インテリア・コーディネートの能力と, 展示されているユゴー自身の手による数多くの器用なデッサン, ……その多才ぶりには心底から驚かされる.
 
 ジッドは「フランスで最も偉大な詩人は?」と尋ねられ,「ユゴーだ. 残念ながら!」と答えたという.
 

中国風のサロンには壁一面に食器が飾られている
 

赤を基調としたユゴーの寝室
 

 
パリの教会
31. サンテティエンヌ=デュ=モン教会(Église Saint-Étienne-du-Mont de Paris)
 カルティェ・ラタンを訪れた目的は, パンテオンやアンリ四世高校ではなく, その隣で荘重な佇まいを見せるサン=テティエンヌ=デュ=モン教会にあった. デュリュフレが 1930 年から専属オルガニストを務めた教会で, そのオルガンを一目見たいという想いがあった. パリの守護聖人ジュヴィエーヌのほか, 劇作家ラシーヌや哲学者パスカルが埋葬されていることで知られる教会だ.
 
 正面ファサードは, 三層のペディメントに後期ゴシックや古典主義が折衷されており, 背後にある時計塔の上に立つ鐘楼がひときわ高い位置にある. 正面入口の両脇には, 聖エティエンヌと聖ジュヌヴィエーヴの像があり, 内部にもキリストや洗礼者ヨハネの彫刻が置かれている. 大きさはそれほどではないが,『
受胎告知』,『最期の晩餐』,『神秘的な酒槽』,『ノアの方舟と教会の舟』などを描いたステンドグラスが目を引く.
 

教会全景 ―― 右側の建物はアンリ四世高校
 
 この教会の特長と言えば, 螺旋階段室, 手すりの透かし彫り, 人物の浮き彫りがある中央アーチである. 身廊と内陣を隔てるジュベ(Jubé)は橋のように交差しており, パリの教会では唯一のものだという.
 

ステンドグラスやジュベ(内陣正面の仕切り)が美しい
 
 デュリュフレが弾いていたオルガンは, パイプの上下に細かい装飾を伴う木製りの彫刻が施され, 天上を舞うかのような天使たちの像が印象的であった. 次に来ることがあれば, 日曜日に訪れて, 是非その音色を聴いてみたいものだ.
 

専属オルガニストとして
デュリュフレが演奏していたオルガン
 

教会の近くにあるヴェルレーヌのアパルトマンとカフェ
 

 
32. サント=トリニテ教会(Église de la Sainte-Trinité de Paris)
 サン・ラザール駅から東へ 500m ほど歩くと左手にサント=トリニテ教会が現れる. 19 世紀半ばに建造されたゴシック・ルネサンスの両様式を折衷した建築で, 正面入口が南を向いている珍しいタイプの教会だ. 特に歴史的特徴や意義のある教会ではないが, メシアンがオルガニストを務めた教会として知られており, そのオルガンを一目見たいと思って立ち寄ったわけだ. ベルリオーズやビゼーやモローの葬儀もここで行われたという.
 
 市内の教会は平日でも 8 時くらいから開いていることが多いが, 最初に訪れた際にはすべての扉が閉まっていて入れなかった. 日を改め, 時刻を変えて訪れると, 正面玄関は開いていなかったが, 東側の小さな扉が開いていた.
 
 堂内に入ると, 柱や梁を一切もたない, は奥行き 90m, 幅 30m あまりの壮大な空間が目の前に開ける. 高い天井から吊るされた豪華なシャンデリア, 床一面に整然と並べられた椅子. 聖母マリアの彫像の背後には, 受胎告知やキリストの誕生, 東方三博士の礼拝, 聖母被昇天を描いたステンドグラスが美しい輝きを放っていた.
 

正面の彫像三体は Sainte-Trinité(三位一体)を象徴する
 

柱や梁がないため, 堂内には壮大な空間が広がっている
 
 見ると, 入口付近の壁に純白のパネルが架けられており,「オリヴィエ・メシアン(1908-1992)の記念に / 1933 年から 1992 年にわたる聖トリニテ教会の偉大なるオルガニスト」とある.
 
 礼拝を行なう身廊部分と入口の上部にある楽廊部分の 2 箇所にオルガンがある. メシアンが弾いたオルガンは上部の楽廊にあるものだ.
彼が奏楽を務める時は, 礼拝参列者が格段に増えたという. 若い頃の即興演奏をもとに作曲された『聖霊降臨祭のミサ』をはじめ,『栄光の御体』や『主の降誕』などの大作はここで創作されたのであろう.
 

メシアンが弾いたオルガンは入口上部に配備されている
 

オルガニストとしてのメシアンを記念するパネル
 

 
33. マドレーヌ教会(Église de la Madeleine)
 パリの中心部付近にあるこの寺院の周辺には, 高級装飾品や化粧品の店, レストランなどが立ち並ぶ. ところが堂内へ一歩踏み入れた途端, 外界の喧騒は断ち切られ, 天井からの採光のみという薄暗さ, 冷えびえとした空気が漂う厳かな雰囲気に包み込まれる.「周囲は繁華な人馬の最も激しい場所だが, この会堂の中の静けさは全くの別天地」と吉江喬松が表現する通りだ.
 
 マドレーヌ教会は,
コリント式列柱に見られるギリシャ神殿風の建物, 正面の上部を飾る「最後の晩餐」のレリーフ, 聖マグダラのマリア像やステンドグラスをはじめとする壮麗な内装が印象的である. サン=サーンスやフォーレがオルガニストを務めたというパイプオルガンの音質の良さも有名だ. ここで執り行われたショパンの葬儀の際はモーツァルトの『レクイエム』が演奏されたという. また, フォーレの『レイクエム』はここで初演され, フォーレの葬儀の際にもここで再演されている.
 

朝陽に輝いてそびえ立つマドレーヌ教会
 
 ある夜, 午後 8 時半頃にマドレーヌ教会の前を通りかかった. 列柱がライトアップされる中, 入口に近づくと, 間もなくコンサートが開かれるというので, チケットを購入して堂内へ入った. アルビノーニ『アダージョ』, パッヘルベル『カノン』, サン=サーンス《白鳥》, グノーやシューベルトの《アヴェ・マリア》, グリーグ《ソルヴェーユの歌》, モーツァルト『アレルヤ』, マスネ《タイスの瞑想曲》, ヴィヴァルディ《四季》という, クラシック音楽の初心者向けの演目であったが, 残響の強い心地よい響きはこの建物ならではのものであった.
 

室内楽の調べが広い堂内に心地よく響きわたる
 

 
34. サン=シュルピス教会(Église Saint-Sulpice)
 映画『ダ・ヴィンチ・コード』で一躍有名になったこの教会は, ノートルダム大聖堂に次ぐ規模をもつ パリ 6 区にある建造物である. 堂内右手の最初の礼拝堂内には, ドラクロワの天井画『悪魔を撃つ大天使ミカエル』や巨大な壁面画『天使と戦うヤコブ』がある.
 
 他にも, ブーシャルドンによるキリスト磔刑像, J.P. ピガールの聖母子像, F. ルモワーヌの「聖母被昇天」などの絵があり, 美術館以外の場所でこのような芸術品を鑑賞できるるのもパリならではと言えよう.
 

教会前にある L.ヴィスコンティ「4 人の枢機卿の噴水」
 
 パリではノートル=ダム大聖堂に次ぐ広さをもつ教会で, 設置されているオルガンも国内最大級の規模を誇るという. 堂内の一角には日時計グモノン(Gnomon)があり(映画ではここを通る子午線を「ローズライン」と称している), 夏至や冬至の日には差し込む日差しを受けて影を作るようだ.
 

映画の影響か, 堂内には多くの人々がいた
 

 
▷35. サン=ジェルマン=デ=プレ教会(Église Saint-Germain-des-Prés)
 バルザック『人間喜劇』に登場する「フォーブル・サンジェルマン(Faubourg Saint-Germain)」すなわち 7 区にあるサン=ジェルマン界隈は, 上流階級貴族が住む高級住宅地として描かれている. そこに暮らすのは高級官僚や一流の芸術家たちであり, 夜は華麗な装いをもって豪奢な馬車でオペラ座のボックス席へ通うといった身分であった.
 
 サン=ジェルマン=デ=プレ教会付近には, サルトルやボーヴォワール, ピカソやヘミングウェイ, ダリやコクトーが集ったという, カフェ「
レ・ドゥ・マゴ(Les Deux Magots)」および「カフェ・ドゥ・フロール(Café de Flore)」があり, 現在でもつねに大勢の人々で賑わっている. グラン=ゼコール(Grandes Écoles)の学生たちも周辺に集まっていたため, 洗練された上品で知的な文化が花開いた拠点地として知られている場所だ.
 

11 世紀初頭に建造されたパリ最古の鐘楼
 
 最古のロマネスク様式建築教会であるサンジェルマ=デ=プレ教会は, 6 世紀中頃に建造され, その後 10 世紀頃に再建された教会である. 革命時に大部分が破壊され, その後再建された部分も多いが, 入口の真上に立つ鐘楼は 11 世紀初頭に建造された当時のものだという.
 
 堂内の一角に,
"Memoriae Renati Descartes" というラテン語で表記されたデカルトの墓碑があった. 高校生の頃,『方法序説』をはじめ, 『省察』や『情念論』を(理解できないながらも)何度も繙いたことを想い出す. 学生時代に現象学に惹かれてからはデカルトは興味の対象ではなくなってしまったが…….
 

派手な装飾をもたない堂内には厳粛な雰囲気が漂う
 

 
パリ郊外 2
36. サン=ジェルマン=アン=レー(Saint-Germain-en-Laye)
 ドビュッシーの生家は, RER A 線の終点, パリから 20 分ほどのサン=ジェルマン=アン=レーにある. 駅を出ると, サン=ジェルマン=アン=レー城(Château de Saint-Germain)の広大な敷地が目の前だ. 12 世紀頃に城塞として建造され, ヴェルサイユ宮殿建設中にはルイ 14 世がここに居住したという. ヴェルサイユ宮殿と同様, 庭園はル・ノートルが手がけたものである. また, 城内にある国立考古学博物館には, 旧石器時代から 5 世紀頃までの石器, 青銅器, ガラス製品, 家具や調度品などさまざまな美術品が展示されており, なかなか興味深い.
 

サン=ジェルマン=アン=レー城
城内には国内屈指の規模を誇る国立考古学博物館がある

 

城内の庭園
樹々や花々が整備され, 人々の憩いの場となっている
 
 駅からサン=ジェルマン教会(Église Saint-Germain)の前を通り過ぎてから右折すると, まもなく右側に広場(アベ P. ド・ポルカロ広場 Place Abbé P de Porcaro)が現れる. 教会の裏側に四角柱の塔があり, その手前に銅像らしきものが目に入った. 近づいて見てみると, 数名の男女に支えられた台座の上で鷹揚に構えるドビュッシーの像であった. パネルによれば, ミコ・カウフマン(Mico Kaufman)という彫刻家の作品らしい.
 

サン=ジェルマン教会裏側の「アベ P. ド・ポルカロ広場」
 

夏の日差しを浴びて寛ぐドビュッシー像
 
 アベ P. ド・ポルカロ広場からパン通りへ出てすぐ(38 Rueau Pain)に観光案内所(Tourist Office of Saint-Germain-en-Laye)がある. 入って奥に進むと中庭があり, 装飾列柱のある手すりが付いた木製の階段を上がるとそこがドビュッシー博物館だ.
 
 
ドビュッシーやその家族の写真や胸像やデスマスク, 杖や衣裳などの愛用品, 自筆の手紙や楽譜などが展示されている. 日本製のカエルの置物や, 愛娘シュシュのドビュッシー自身によるスケッチ画もあり, 非常に興味深い. このカエルの置物は, 私がここを訪れた 2011 年の翌年(2012 年)に東京のブリジストン美術館にて開催された「ドビュッシー, 音楽と美術」展でも来日していた.
 

愛用品や写真, 肖像画が展示されている
 

未完成のオペラ《アッシャー家の崩壊》スケッチ
 
  私が特に興味を覚えるのはやはり自筆の手紙や楽譜のたぐいだ. いずれも神経質そうな筆致で丁寧に清書してある. 彼の音楽がもつ独特の雰囲気は, 活字化された出版譜よりも彼の自筆譜を読んだ方が聴く(読む)者に自然に伝わるのではないかと思う.
 

 
37. ルーアン大聖堂, サン=トゥアン教会(Cathédrales de Rouen, Eglise Saint-Ouen)
 2014 年にパリで入手した小冊子 " RAVEL À LYONS-LA-FORÊT "(Geneviève Bailly)により, リヨンス=ラ=フォレ(Lyons-la-forêt)なる村の存在を知った. 1917 年と 1922 年の 2 回に渡ってラヴェルはこの村に滞在し, 作編曲をしたという. この村は, パリから北西へ約 100km のところにある. 鉄道が敷かれていないため, パリからは直行する交通手段はない. ルーアンからは東へ約 40km のところに位置しており, ここからはバスが出ているようだ. 事前にリヨンス=ラ=フォレの観光局に問い合わせてみると, ラヴェルが滞在した家は一般公開されていないとのこと. それでもよい, 外観だけでも見てみたいと思い, 足を運ぶことにした.
 
 サン=ラザール(Saint-Lazare)駅からルーアン・リヴ・ドロワット(Rouen Rive Droite)駅までは, ル・アーヴル(Le Havre)駅行きの特急列車アンテルシテ(INTERCITES)で約 1 時間半ほどだ. 切符は事前に購入しておく方がよい. 当日だと満席で購入できない可能性があるからだ.『ルーアンの栄光』なるフレスコ画があるルーアン駅舎のレトロな空間を通り抜け, 街中へ出る.
 
 駅前通りを真っ直ぐ南へ向かう. 左手に現れる美術館を過ぎて細い路地を入ると間もなく
ルーアン名物の「大時計台」が現れた. 16 世紀に建造されたルネサンス様式の時計だが, 最近になって修復されたらしく鮮やかな黄金色に輝いている. よく見ると, 長針がない. 緩やかに時を刻んでいた中世の人々には, 分刻みの時刻は不要であったのだろう. 大体の時刻しか分からないが, 現在でも時計として立派に機能している.
  

ルーアン大聖堂へ向かう路地にある大時計
 
   道の両側には住宅が密集しており, その多くはハーフティンバー様式(half timbering)とよばれる木造の骨組の間を漆喰や煉瓦で造られた壁をもつ家だ. 地上階よりも上部の階の方が面積が広い. 建設当時は地上階の面積で土地代が決められていたという.
 

中世の雰囲気が漂う街並(サン=マクルー教会前)
 
 
 「大時計台」を過ぎてさらに進むと, ルーアン大聖堂が現れる. 16 世紀に完成したフランボワイヤン装飾様式の聖堂だ. フランスで最も高い 150m を超える尖塔をもつ. 子供の頃のデュリュフレが聖歌隊に所属し, オルガンを学んだ場所だという. モネの連作絵画の題材として頻繁に目にする建造物でもある.
 

モネの連作絵画の題材となったルーアンの大聖堂
 

サン=トゥアン教会
 
 『ボヴァリー夫人』には聖堂の堂内の様子が詳しく描かれている. 私がこれを最初に読んだのは中学生の時であったが, 大聖堂で逢引したエンマとレオンがルーアンの町中を馬車で駆け巡る妖しくも魅惑的な情景が鮮烈な印象であった. また, 大聖堂から徒歩 5 分程度のセーヌ河畔に, ルーアン・オペラ座(Opéra de Rouen Normandie - Théâtre des Arts)がある. ここも, エンマが夫シャルルと《ルチア》を観るシーンで登場する. この地で生まれ育ったフローベールはよほどこの地に愛着があったのであろう. ジャンヌ・ダルク教会の近くにフローベール博物館があるが, 土日の午後のみの開館であるため, 今回は曜日を合わせることが適わなかった.
 
 その
聖ジャンヌ=ダルク教会(Église Sainte- Jeanne-d'Arc de Rouen)は大聖堂から少し離れた位置にある. 中世の都市を想わせるルーアンの街並も美しいものであるが, 教会内部の日差しを受けたステンドグラスも大変に美しいものであった. 教会は近年になって再建されたもので, その構造やデザインは他の教会には見られない斬新なものだ. 教会の中庭にはジャンヌ=ダルクが焚刑に処せられた処刑場跡が残っている.
 

ルーアン・オペラ座の正面
 

聖ジャンヌ=ダルク教会内のステンドグラス
 

 
38. ルーアン美術館(Musée des Beaux-Arts de Rouen)
 ルーアン駅から南に向かって歩くと, 左側にルーアン美術館の入口へと続く公園が現れる. 入口付近に立つのはモーパッサンの胸像だ. フローベールを師と仰いだモーパッサンも高校時代をルーアンで過ごした.『女の一生』における愚息ポールが通う学校の舞台もルーアンである. 公園内は真夏の陽光に照らされた樹々の緑が鮮やかだ. ベンチで読書をしたり休んだりしている人々の姿が垣間見える. 美術館はその奥にある.
 

ルーアン美術館の中庭から眺めた美術館
 
 この美術館は, 印象派を中心として, フランス, イタリア, スペインなどの 18 世紀頃の絵画を蒐集している. ここには, モネの《灰色のルーアン大聖堂》や《祝日のサン・ドニ通り》, ドラクロワ《トラヤヌス帝の裁定》, モディリアニ《ポール・アレキサンドル》, クールエ《ディアナの入浴》, ベラスケス《デモクリトス》などを鑑賞できる. ガラス張りの屋根から自然光が注ぐ「彫刻の庭」には, ジェリコーの彫刻や、デュフィーの作品がある. 2017 年の夏は, ピカソの企画展がここで開かれていた.
 

中庭にあるモーパッサンの胸像 
 
 この美術館には, ドメニコ・ピオラの《ルーベンスの『十字架昇架』の場面のあるアナモルフォーズ》がある. 2009 年に渋谷「Bunkamura」で開催された「だまし絵展」で来日した作品だ. もとの絵だけを見ても何を描いたものか判別できない. 一見, 現代美術を想わせるが, ピオラは 17 世紀の活躍した画家だというから驚く.
 

円筒の鏡面に絵が現れるドメニコ・ピオラの作品
 
 鍵盤楽器やハープが置いてある部屋があった. 見ると, エラール社製のダブルアクション・ペダル・ハープで, 1839 年に製造されたものであった. 中世の優美さと機能美を兼ね備えた貴重な楽器を目の当たりにするという思いがけぬ僥倖に恵まれた.
 

エラールのゴシック様式の 46 弦のハープ
 

 
▷39. リヨンス=ラ=フォレ(Lyons-la-Forêt)
 リヨンス=ラ=フォレはフランスで最も美しい村の一つとされる. ルーアンからのバスが 11 時発であることを調べておいたので, 11 時少し前にチケット売り場へ赴くと,「本日は休校日だからバスは運行されない」とのこと. 歩ける距離ではないので, 売り場の人にタクシーを呼んでもらった.
 
 見ると, タクシーの運転手は(人はよさそうだが)まあまあ年をとった爺さんであった. 私の脳裏を一抹の不安がよぎった. この爺さんにリヨンス=ラ=フォレまでの長距離を往復できるのか? カーナビがあるから道案内は心配ないとしても, 途中で脳梗塞や心臓発作が起きて車ごと谷底へでも転落させられたら大変である. パリ郊外の片田舎でこの爺さんと心中することだけは避けたい.
 
 ……見ると, 私の心配をよそに, 爺さんはすでに車を走らせ始めている. 馴れた手つきだ. ルーアンの街中を軽快に走って郊外に出た. 次第に景色は農村地帯に変わっていく. 農家が点在する他は, 広大な畑や林が目の前に開けている. 外灯や商業施設はいっさい見かけない. 真夏の炎天下のゆえか, 人影もまったく見当たらない. モンフォール=ラモリの村までの道でも似通った風景を見たことを想い出した.
 
 村に近づくにつれて次第に家の数が増えていき, やがて住宅地へと入った. リヨンス=ラ=フォレの村だ. 小一時間ほどで到着した. 爺さん運転手には,「すぐ戻るから少しの間ここで待っていてほしい」と伝えて車を降りた. バスも電車もない田舎の村であるから, タクシーに帰られてしまったら一大事だ.
 
 「すぐに戻る」と言ったのは, ここが
人口にして数百人たらずの小さい村だからで, 村を一周するのに 30 分もあれば充分と見込んだからである. 後から考えると, この爺さん運転手, 見知らぬ東洋人の言うことをよく信用してくれたものだと思う. 何しろ身分証明書も見せず,(こちらは復路もまたタクシーに乗るつもりだったから)料金も払わずにさっさとその場を離れてしまったのだ…….
 
 村の中心部には大きな三角屋根の市場がある. 週に 3 回ほど市が開かれるらしい. 周辺では住民たちがのんびりと昼食を楽しんでいる様子が見えた. 食事どきには卓上にワインかビールが必ず置かれている様子はパリ市内でもこの田舎でも同じだ. 日本人が嗜むお茶のようなものなのだろう.
 
 この地は, J.ルノワールや C.シャブロールの監督による
映画《ボヴァリー夫人》のロケ地でもある. 最近(2014 年)に公開された《ボヴァリー夫人とパン屋》(A.フォンテーヌ監督)にもこの村で撮影されたシーンがある.
 

村の中心部 Place Benserade にあるレ・アール(市場)
 

カフェやレストラン, 雑貨屋などが建ち並ぶ

 ラヴェルが滞在した家は, 村の中心部から歩いて 5 分ほどのところにある. 1917 年の 6 月から 11 月まで滞在して《クープランの墓》を作曲, 1922 年の 5 月から 9 月まで滞在して《展覧会の絵》のオーケストレーションを完成させたという家だ.
 
 残念ながら一般公開されていないが, 内部はラヴェルがかつて使用していたままの状態にあるとのこと. 外観はルーアンに多く見られる家と同様, ハーフティンバー様式(木組み)であった. 敷地面積はモンフォール=ラモリの家よりも広そうだ.
 
 周囲に人影はなく, あたり一面は森閑としている. 家の中にも人の気配はない. 何とか家の中を見てみたいものだ. 一般公開されていないとしても, 管理人が清掃に来ることはあるだろう. 玄関の近くの窓から中を覗いてみる.
 
 ……が, 残念なことに, 閉められたカーテンが邪魔で中がよく見えない. 窓を軽くノックしてみたが, 何の反応もない. 短く口笛を吹いてみたが, やはり何の反応もない. 窓を開けようとして手をかけたが, 内側から鍵がかかっているのか開かない. それならば, 壁をよじ登って……, いや, これ以上のことを始めると法に触れることになりそうだ(フランスの法律はよく知らないが). やむなく, 内部の見物をあきらめることにした.
 

ラヴェルが滞在した家(Rue d'Enfer)
 

《クープランの墓》を作曲,《展覧会の絵》を管弦楽化
 
 村を一周するのに要した時間は 30 分弱ほどであったろうか, タクシーが元の位置にいてくれるかを心配して戻ってみると, こちらの指示通りその場で待っていてくれた. まあ当然だろう. こちらは先ほどは料金を払わずに降りたわけであるから, そのまま帰ってしまっても爺さん運転手に得るところはないからだ.
 
 ところで, フランスのタクシーは良心的だと感心した点がある.
日本ならば, この待ち時間について料金が加算されるはずだが, 料金メーターを見ると, 先ほど私が降りたときと料金がまったく変わっていない. 爺さん運転手は人がよく, 待たされたことについては何も言わず, 笑顔で迎えてくれた. 何もせずのんびりと過ごすはフランス人気質なのか? 私には考えられないことだ.
 
 ―― 車が動き出し, 先ほど来た道をそのまま戻っていく. 実際, ここからルーアンまでは一本道しかないのだ. ルーアンに着いた際, 丁重にお礼を言ってチップを多めに手渡したら, 爺さん運転手は嬉しそうな表情で " Merci beaucoup." を繰り返していた.
 

 
パリの風景
40. メトロにて
 パリ市内を移動するのに便利はメトロは, 乗車距離に関係なく一律 1.7 ユーロで乗れる( 2017 年時には 1.9 ユーロに値上がりしていた). 頻繁に利用するならば, 10 枚つづりの切符で 11.6 ユーロのカルネ(回数券)を購入するのがよい( これも, 2014 年時には 13.7 ユーロに, 2017 年時には 14.5 ユーロに値上がりしていた). 切符は窓口でも券売機でも購入できる.
 
 
全部で 14 の路線があり, 停車駅の数は 500 駅を軽く超えるが, 各列車には路線番号と終点が明記されているので迷うことはほとんどない. ただし, 改修工事やストライキによって一部運行していない路線があるので, 車内放送や構内の掲示板には注意が必要だ.
 

ギヨームのアール・ヌーヴォー様式のアンヴェール駅入口
 

駅構内の様子(ノートル=ダム=デ=シャン駅)
 
 菓子や炭酸飲料(ミネラルウォーター以外は甘い物のみ)の自動販売機は, 日本のそれの方がデザインと機能性において数段すぐれている. カードや札を受けつけないため, 購入するには小銭が必要だ. せっかく用意した小銭を投入しても品物が出てこなかったり釣銭が出でこなかったりで, まるで詐欺師だ. タチの悪いことこの上ない.
 

メトロの駅構内の自動販売機
 
 メトロの車両は古くさいものが多く, 落書きだらけの車内も薄汚れた印象を与える. クーラーがなく窓が開け放してあるため, トンネル内の騒音と吹き込む生ぬるい風がパリ市民の体臭と香水の匂いをかき混ぜることになり, なかなかの倦怠感と不快感を味わえる. 東京メトロの快適さと比較すると雲泥の差だ(2017 年時には新型車両もいくらか増え, クーラーやホームドアを導入した路線もあったが……).
 
 
パリの列車の方がすぐれている点といえば, 車内放送の少なさであろうか. 東京では, 次の停車駅や乗り換え路線などのアナウンスが絶え間なく放送されるが, パリでは, 停車直前にやる気のないボソッとした小声で停車駅をつぶやくのみ(そのアナウンスすら省かれる路線もある). また, 路線にもよるが, 列車がホームに到着したとき, 完全に停車する前に乗客が手動でドアを開けられる車両があるのも, 急ぐ者には便利である. パリ市民はせっかちなのか, 多くの人が停車前にドアを手動で開けて駆け降りていった.
 

次の電車が到着するまでの待ち時間が表示される
 
 日本国内の場合, 車内では静かにしているのがマナ―である. が, パリのメトロでは大声で喋ったり騒いだり, という光景も珍しくない. 車内で歌い出す者までいる.
 
 ある時, 私が座っている席から数メートル後方のドア付近で, 一人の若者がギターを弾きながら大声で歌い始めた.『オ, シャン=ゼリゼ(aux Champs-Élysées)』―― 陽気な若者だ. おそらくグループで乗車しているのであろう. 仲間たちに自慢げに聴かせているものとみえる. 歌やギターはそこそこ上手だし, 曲もパリにふさわしいのかも知れないが, どちらかというと私はこの曲を好まない. うるさく思って後方を振り返ると, 驚いたことに, 若者は誰に聴かせるともなく単独で歌っていることが分かった. 周囲の乗客は誰も彼に視線を合わせようとせず, 聴いていないフリをしている. 彼一人だけがゴキゲンで歌声を張り上げているのだ.
 
 「空気を読めないヤカラはどこの国にも存在するのだなあ」と, なかば感心して若者の方を見ていると, 不覚にもその若者と目が合ってしまった. すると, 若者は私に視線を固定して目を輝かせ, 一層高く声を張り上げ始めた. 好んで聴いてくれている人がいる, と都合のよい勘違いをしたらしい. なかなかの愚か者だ.
 
 そのとき, ふと気づいた. もしかすると彼は趣味で歌っているのではないかも知れない. ……だとすると金銭を要求される可能性がある. 私はあわてて前に向き直った. じきに歌がやむ. 次の歌がなかなか始まらない. 後方で若者はどのような行動に出ているのか. 不気味なひとときが過ぎる. ……そのとき, いつの間に近づいてきたのであろう, 小銭が入った入れ物をもった例の若者の右手が私の前にヌッと突き出された. やはり思った通りだ. すかさず,「そんな下手クソな歌を聴かされて金など出せるはずないだろう!」と早口で(もちろん日本語で)言い捨て, 不機嫌そうな表情を作って「あっちへ行け」とばかり手を素早くひと振りしたら, 若者は不服そうな顔そしてそのまま別の車両に行ってしまった. 日本語を解さない無教養な若者のおかげで事なきを得た.
 
 その後も
メトロの駅構内で歌っている大道芸的ミュージシャンをたびたび見かけた. 楽器も, ヴァイオリン, サクソフォン, アコーディオンなどさまざだ. しかし残念ながら, お金を出してもよいと思うようなレヴェルではない. ドビュッシーかラヴェルの室内楽曲をある程度まともに聴かせてくれたならば, 1 ユーロくらいは奮発してもよいと思ったが…….
 

 

2 号線(ジョレス駅)や 6 号線(ビル=アケム橋)
のように, 地上や高架橋を走るメトロもある
 
 

 
41. サン=マルタン運河(Canal St-Martin)
 パリの北東部に位置すすサン=マルタン運河は, 下町情緒の豊かな地域だ. セーヌ川とウルク運河やサン・ドニ運河に至る 5km 弱の長さをもつ. 運河の水位差は 約 25m あり, 9 ヶ所の閘門(ロック・ゲート)で 約 3m ずつ水位を変えつつ運河を進むクルーズがある.「パリ・カナル(Paris Canal)」と「カノラマ(Canauxrama)」だ. 前者はオルセー美術館からラ・ヴィレット公園まで, 後者はアーセナル港からジョレス駅付近までを往復する. 一ヶ所につき 10~15 分ずつかけてロック・ゲート越えて行くため, クルーズの全行程には 2 時間半を要する.
 
 これらのクルーズは水路と街路が接近しており, 水面と地面との高低差が少ないため, セーヌ河クルーズよりも街並が身近に感じられる. マロニエやプラタナスや菩提樹のような街路樹, 古風な建造物やアーチ状の歩道橋など, レトロな趣をもつ独特の雰囲気が楽しめるのだ. パリの情景画を数多く手掛けたシスレーにも『サン=マルタン運河の眺め』という作品がある. この運河を中心とする風景は, 昔からパリ市民に穏やかな憩いの時間を与えてきたのだろう.
 

一つのロック・ゲートを 15 分ほどかけて越えていく
 

ジョレス駅付近の運河歩道橋
 

ロック・ゲートの先にラ・ヴィレット公園がある  


運河歩道橋を渡ると噴水のある公園に行き着く
 
 運河のある風景がもつ魅力は, 実はパリの特権ではない. 私自身は東京湾内にある運河も好む. 豊洲運河や東雲運河, 豊洲埠頭や晴海埠頭からの景色にも相応の魅力があり, 折に触れて足を運ぶ場所になっている.
 

 
42. パッサージュ(passage)
 「蚤の市」はパリの隅に 3 ヶ所に点在していて全部を巡る気にはならないが(治安もよろしくない),「パッサージュ」はパリ市内のセーヌ河右岸(ルーヴル美術館からオペラ座付近の)狭い区域に密集しているため, その多くを巡ることができる. 特に何かを物色する目的はないが, いくつか覗いてみることにした.
 
 パリで最初のパッサージュは 18 世紀末頃に建造された.
鉄鋼とガラス屋根を特徴とし, 全長はいずれも 100~200m ほど, 骨董品や日用雑貨, 古書や宝飾類, カフェやレストランなどさまざまの店が軒を連ねている.
 
 最も優美な装飾で知られるのは, 2 区にある「
ギャルリー・ヴィヴィエンヌ(Galerie Vivienne)」だ. ガラス張りの半円筒型天窓, カリアティッドの彫刻や妖精の装飾がある壁面, 幾何学模様のモザイクタイルを施した床 ――. 各店舗は 19 世紀の旧き良き時代を想わせるレトロな装丁で, エレガントな雰囲気に満ちている.
 
 最初にここを訪れたのは残念ながら日曜日の午前中であったため, ほとんどの店舗が閉まっていた. 階段の少し下った所にある
古書店「ジュソーム(Jousseaume)」に入れなかったのは残念だ(2 回目の訪問時も時間帯が合わず入店が適わなかった). ガラス越しに書籍を物色すると, 稀覯本らしきものから絵本やポストカードまで並べてある. モーツァルトやベートーヴェンなど作曲家の生涯と作品に関する書籍が多く並べられていたのが印象的であった.
 
 12 時になって,
カフェ「ア・プリオリ・テ(A Priori Thé)」がようやく開店した. テラス席が人気だそうだが, 開店してから準備を始め出したので, 私は店内に座って昼食をとった. 開店時刻後に準備を始めるというのはパリの多くの店で見かける光景だ. すべての準備を整えてから開店する日本とはだいぶ様子が違う.
 

ヴィヴィエンヌの入口の一つ(Rue des Petits-Champs)
 

ヴィヴィエンヌのシンボル的古書店「ジュソーム」
 
 パッサージュ「ヴェルドー(Passage Verdeau)」は, 旧パリ音楽院の近くである 9 区に位置する. 他に比べて小規模で, やや廃れた寂しい雰囲気が漂うパッサージュだ. シンボル的存在は老舗の手芸店「ル・ボヌール・デ・ダム(Le Bonheur des Dames)」であろう. 私自身は手芸に興味はないが, それでも人目を惹く魅力的なディスプレイが印象的であった.
 
 漫画専門店「
ロラン・ビュレ(Librairie Roland Buret)」, 中古カメラ専門店「フォト・ヴェルドー(Photo Verdeau)」, 大型の古書店「ファーフォイユ(Librairie Farfouille)」, 古いポスターの専門店「ラ・フランス・アンシエンヌ(La France Ancienne)」など, 眺めるだけでも楽しめる店が多い.
 

ヴェルドーの入口(Rue du Faubourg Montmartre)
 

自然科学・人文科学・芸術などの学術書がある古書店
 
 比較的新しいパッサージュ「ジュフロワ(Passage Jouffroy)」は,「ヴェルドー」と同様 9 区にある. このパッサージュは途中でクランク状に折れ曲がっており(階段もある), 出口が見えない構造になっている. 突き当たりにはホテル「ショパン(Hôtel Chopin)」があり, 名物「グレヴァン蝋人形博物館(Musée Grevin)」はパリ最大の蝋人形館だ.
 
 ドールハウスや製菓用の機材, 縫いぐるみなどを扱う雑貨屋「
パン・デピス(Pain D'épice)」は, 店舗全体がピンク系統の電飾に包まれ, メルヒェンの雰囲気たっぷり独特の世界観を醸し出す店だ. 他にも, 映画パンフレットの専門店や万年筆やステッキなどの専門店もある.
 

ジュフロワの入口(Boulevard Montmartre)
 

お伽の雰囲気が漂う雑貨屋 パン・デピス(右)
 
 パリ最古のパッサージュ「パノラマ(Passage des Panoramas)」は, かつては「パノラマ館」と呼ばれるフレスコ画展示場があったという. 2 区にあるこのパッサージュは, 古切手や骨董の絵葉書や古銭を扱う店が集まり, その種のコレクターにとっては聖地になっている. J.P. ダンタンが, 作家や音楽家の肖像画や彫像を制作して展示した「ミュゼ・ダンタン(musée d'Antin)」があったことでも知られている.
 
 190m という長さをもつパッサージュ「
ショワズール(Choiseul)」は, 明治時代または大正時代の日本を彷彿とさせる雰囲気をもつ. ここは空き店舗がところどころに見受けられ, 実際, 店舗の入れ替わりも激しいようだ. ヴェルレーヌがたびたびここに足を運んだことはよく知られている.『高踏派詩集』を出版したアルフォンス・ルメール(Alphonse Lemerre)の書店がかつてここに存在したからだ. セリーヌ『夜の果てへの旅』でもショワズールと思しきパッサージュが登場する.
 
 パリ市内には, 他にも, 1 区の「ギャルリー・ヴェロ・ドダ(Galerie Véro-Dodat)」, 2 区の「ギャルリー・コルベール(Galerie Colbert)」など, 20 ヶ所あまりのパッサージュが現存している.
 

訪れる人々で賑わうパッサージュ・パノラマ 
 

パッサージュ・ショワズールも人通りが多い
 

 
43. おわりに
 今回の一連のパリ訪問は, ドビュッシーやラヴェルを中心とした作曲家のゆかりの地を巡ること, また, ベル・エポックを形成した芸術家(作曲家, 画家)のゆかりの地を巡ることにあった. その見聞録としての本稿は, 音楽を中心とした記述になる予定であったが, パリを歩く中で見聞したもの ―― 美術館や付随した観光名所も併せて記述することになった. いわば, 音楽および美術を軸とする見聞録とでも言えようか.
 
 しかし, この 2 つの分野に限ってみても, 本稿における記述はそのごく一部分にすぎない. 次に渡仏する際には, 以下の分野および人物について巡ることにしようと考えている
.
 
 私の興味関心の対象でありながら, 本稿ではほとんどふれていない作曲家も少なくない. 特に,
フォーレ, プーランク, オネゲル, デュリュフレ, メシアン の 5 人, 続いて, シャブリエ, サティー, フランセ, ヴァレーズ, デュティユー等々.
 
 また, パリで活躍した他国の作曲家,
ショパン(1831 年よりパリに移住), ストラヴィンスキー(1920 年よりフランスに移住), ファリャ(1907 年から 1914 年までパリに滞在), ラフマニノフ(1917 年, パリに亡命)にも惹かれる.
 
 同じく本稿ではほとんどふれていないエコール・ド・パリ(École de Paris)を軸とする 5 人の画家,
ユトリロ, ピカソ, キリコ, マグリット, ダリについても大いに関心がある.
 
 また, 私の興味関心の対象でありながら, 本稿でほとんどふれていないのが文学方面だ.
 
 詩人では, ドビュッシーやラヴェルとの関連で,
ボードレール, マラルメ(ラヴェルが彼の自宅をたびたび訪れたという), ヴェルレーヌ, エリュアール, L.P.ファルグの 5 人.
 
 また, 小中学生の頃以来, 学生時代にいたるまで読み親しんできた作家, すなわち
ユゴーR. ロランをはじめ, ジッド, スタンダール, バルザック, フローベール, モーパッサン, デュマ, ゾラ, コクトー, カミュ, サルトル等々…….
 
 同じく強い興味関心をもつ人物は, 哲学や数学の分野にもいる. 前者については, 高校生時代に繙いた
デカルトパスカルをはじめ, 学生時代に強い関心をもった ベルクソン, S.ヴェイユ, ボーヴォワール, メルロ=ポンティ, バタイユ, M.フーコー, デリダ, レヴィ=ストロースなど.
 
 後者については, 特に数論や代数幾何の方面で著しい業績をもつ(私が学生時代から畏敬してきた)数学者 5 人, すなわち,
ガロア(冪根による代数方程式の可解性を論じた「ガロア理論」で知られる), アダマール(「素数定理」の証明や偏微分方程式の良設定問題が有名), A. ヴェイユ(哲学者 S. ヴェイユの兄で, 谷山豊や小平邦彦など日本人数学者とも幅広い交流があった), セール(フィールズ賞最年少受賞者で, わが国ではその著書『数論講義』および『楕円曲線とℓ進アーベル表現』が有名), グロタンディーク(その特異な人物像! わずか 10 年間で成し遂げた代数幾何学における驚嘆すべき夥しい業績!)である.
 
 解析学に深い伝統をもつフランスには, この方面において特に著名数学者が多い.
フーリエ(周期関数を三角関数の無限和で表すフーリエ級数展開や非周期関数に対するフーリエ変換の創始者), 測度論によりリーマン積分の概念を拡張したルベーグ(彼と共に測度論を構築したボレルもフランス人), ある特異点をもつ非線形微分方程式の分類で知られるパンルヴェ, 導関数の概念を拡張した超函数 "distribution" の L.シュヴルツ等々…….
 
 他にも,
ダランベール, コーシー, ラグランジュ, ルジャンドル, ラプラス, ロピタルなど, 枚挙にいとまがない.
 
 しかし, 数学者に関する情報は他の分野に比べて極度に少ない. 彼らについて書くためには, 現地へ赴く前にかなりの労力と時間をかけた調査を余儀なくされるであろう.
 
 そもそも数学者には記念館というものが存在しない. これはわが国の数学者でも事情は同じである.
類体論の創始者である高木貞治でさえ, その出身地(岐阜県本巣郡糸貫町)を私が訪れた際(もう 20 年以上も前の話であるが)には, 役場の一角に狭い展示室が設けられている程度であった.
 
 さて, 多方面に渡って深い側面をもつパリであるが, 実は, 広さにして東京 23 区の面積にも及ばない. それでもそのすべてを汲み尽くせないほど多くの魅力がこの狭い地域に凝縮しているのだ. 何度訪れてもつねに新鮮な魅力にあふれるパリ ―― 今後も折にふれて訪れてみることにしたい.
 

 
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