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SAKATA MASAHIRO
坂田雅弘 Official Website
作曲 ― 無益な作業ながら日々新たなる極上の愉しみ "…le plaisir délicieux et toujours nouveau d'une occupation"
http://www.ravel.jp/ 

 
パリを歩く・前編
2010 年 ~ 2017 年 執筆
目次
パリの街並
1  はじめに ベル・エポックへの憧憬
2  機内にて 
窮屈と退屈の行程
3  パリ市街 
多種多様な人種と風物
4  交通手段 
縦横無尽な公共交通網
シテ島界隈
5  ノートル=ダム大聖堂 
ゴシック建築の代表格
6  サント=シャペル 
絢爛なステンドグラス
7  コンシェルジュリー 
死刑囚が暮した牢獄
パリの象徴
8  エッフェル塔 
パリ博における「鉄の貴婦人」
9  アンヴァリッド 
ナポレオンの廟
10 エトワール凱旋門 
ナポレオンの栄光の象徴
作曲家の住居
11 ラヴェルの家 
《ダフニスとクロエ》作曲
12 
ドビュッシーの家 《ペレアスとメリザンド》作曲
13 プーランクの家 
生家と最期の家
14 デュリュフレの家 
カルティエ・ラタンの中心
15 デュティユーの家 
サン=ルイ島の高級住宅地
16 クセナキスの家 
9 区の閑静な住宅地
17 ショパンの家 
パリ市内を次々に転居
パリの劇場
18 サル・プレイエル 
《水の戯れ》初演
19 サル・ガヴォー 
《マ・メール・ロワ》初演
20 シャン=ゼリゼ劇場 
《春の祭典》初演
21 シャトレ劇場 
《ペトリューシュカ》初演
22 オペラ=コミック座《ペレアスとメリザンド》初演
23 オペラ座
《火の鳥》《ボレロ》初演
24 フィラルモニー・ド・パリ 
パリ管弦楽団の新拠点
パリの美術館 1
25 ルーヴル美術館 1
「芸術の都」の象徴
26 ルーヴル美術館 2
 膨大な絵画, 彫刻, 宝飾品
27 オルセー美術館 
19 世紀の印象派絵画
パリ郊外 1
28 ヴェルサイユ宮殿 1 
フランス絶対王政の象徴
29 ヴェルサイユ宮殿 2 
広大な美しい庭園を巡る
30 モンフォール=ラモリにて 1 
ラヴェルの晩年の家
31 ラヴェル博物館 1 
ベルヴェデーレ(展望台)
32 モンフォール=ラモリにて 2 
閑静な住宅地を歩く
33 ラヴェル博物館 2 
ラヴェルの蔵書, 寝室, 居間
34 ラヴェル博物館 3 
ラヴェルの作曲部屋, 庭園
パリの墓地
35 ペール=ラシェーズ墓地 
ショパン, プーランク
36 モンパルナス墓地 
サルトル, デュティユー
37 モンマルトル墓地 
ベルリオーズ, ニジンスキー
38 パッシー墓地 
ドビュッシー, フォーレ
39 ルヴァロワ=ペレ墓地 
ラヴェル, エッフェル
40 サン=ヴァンサン墓地 
オネゲル, ユトリロ
 

 
パリの街並
1. はじめに
 高校生時代にドビュッシーやラヴェルなどの近代フランス音楽に傾倒して以来, 彼らが活躍したパリは憧れの地であった. より正確に言えば, 彼らを含む多くの芸術家たちが活躍した 19 世紀から 20 世紀初頭にかけてのパリ, いわゆるベル・エポック(Belle Époque)が憧れの対象であった.
 
 象徴的なエッフェル塔が建造された 1889 年の第 4 回パリ万博において, ドビュッシーやラヴェルは, ガムランをはじめとする東南アジアの音楽, ボロディンやムソルグスキーをはじめとするロシアの音楽から少なからず影響を受けたという. 当時のパリ市民に驚きや恐れを与えたエッフェル塔の誕生を目の当たりにした彼らは, しだいに時代に馴染み土地に根づいていく塔の魅力を感じながら日々新鮮なパリの空気を呼吸していたはずである. 生来の独創性に最先端の流行を採り入れた二人は, 次々に洗練された斬新な音楽を創造して当時のパリに衝撃を与え, やがては全世界にその魅力を浸透させていった稀有な作曲家たちであった.
 
 2009 年末に公開された
映画『のだめカンタービレ 最終楽章』はパリが主な舞台になっており, パリ音楽院のほか, エッフェル塔, エトワール凱旋門, ノートル=ダム大聖堂, サクレ=クール大聖堂, モン・サン=ミッシェルなど, 歴史的建造物の鮮明な映像が印象的であった. 映画前篇の後半部では, 夜のシテ島での場面にエルガーの『エニグマ変奏曲』第 9 変奏が用いられたり,(前篇の最後で)ヴァンドーム広場での篠突く雨の情景とともにマーラーの『交響曲第 5 番』第 4 楽章が用いられたりなど, フランス人以外の作曲家の作品もパリの映像によく溶け込んで効果的に使われていた. ストーリー自体は他愛ないものであったが, その高い映像効果と音響効果は私自身に強く印象づけられ, パリに対する憧れは一層強いものになっていった.
 
 テレビやガイドブックなどで日本国内に伝えられるパリの情報はその魅力をやや誇張して紹介するものが多く, いわば表舞台の華やかな部分を強調する場合が多い. 実際に現地に赴けば陽の当たらない裏側の部分もかなり目にすることになり, 理想化されたパリとのギャップに幻滅させられる可能性もある. しかしそれはあくまでも現在のパリに対してであり, ドビュッシーやラヴェルが活躍したかつてのパリに対してではない. ……そのように考えて,
2010 年 から 2017 年の間に 4 回にわたってパリを訪れてみた.
 
 
その印象を(私自身が撮影した写真とともに)まとめておこうと考えて執筆したのが本稿である. 私と同様の目的をもって今後パリを訪れる人たちの参考になれば幸いである. たとえ何の参考にならないとしても, 私自身の思い出の保持に役立つのが幸いである.
 

 
2. 機内にて
 日本からパリへは(時間帯や状況にもよるが)直行便で約 12 時間かかる. 2010 年の最初の渡仏時には, 成田空港から搭乗したエール・フランス機が出発後 1 時間ほどでエンジントラブルを引き起こした. 万が一の着陸失敗時に備えるためか, 燃料を処分するということで日本海上空をしばらく千鳥足で泳ぎ, 成田へ引き返すことになった. 予想外の行程であるから, 成田に戻って無事に着陸したとしても別の便の搭乗までかなり待たされ, 当然その後の日程も変更せざるを得なくなるだろう…….
 
 ところが, 成田に着いた後もわれわれ乗客を降ろす気配はなく, そのまま何食わぬ顔で機体整備を始め出した. フランス人機長がフランス語で状況を説明してくれるのだが, 発音があまりにも流暢で理解できない. その直後, 彼はご親切にも日本語に直して説明してくれたのだが, 発音があまりにも稚拙で理解できない. 詳しい状況が分からぬまま乗客を 1 時間近くも機内で待たせたあげく, 何事もなかったかのように再び離陸してしまったのには驚いた.
 
 その後の渡仏時にはエール・フランス機を敬遠し, 2011 年に開港した羽田国際空港から全日空の直行便に搭乗した. さすが日本の航空会社, フライト自体に問題はなかったが, いずれにしても
搭乗時間の長さには閉口であった. 映画や音楽を鑑賞するか寝るかであるが, 私は他人が周りに大勢いる状態で寝られるほど神経が図太くない. と言って, 視聴できる映画や音楽に特に興味深いものがあるわけでもない. あとは, 持参した本を読むか, ぼんやりと空想をするかである.
 
 
パリでも人気のアニメ『ドラえもん』に出てくる「どこでもドア」があれば, 旅行もかなり手軽になるのだが……. もしもこれが発明されたならば, 発明者にはノーベル物理学賞が与えられるであろう. 世界中を往来する多くのビジネスマンに喜ばれるだけでなく, 被災地からの避難や難民への物資輸送なども容易になり, それらに関わる経済的負担や輸送機関類の排気ガスなども大幅に削減されることから, 副賞としてノーベル平和賞も期待できるかも知れない.
 
 しかしその一方, 目的地までの移動時間を旅の楽しみとする旅行者からは不評を買うであろう. 輸送機関や宿泊施設が不要になるから, その業界に従事する人々もお払い箱となる. やがて世界各地で失業者による暴動が起こり, 当の発明者は広場に引きずり出されて少なからず痛い目にあうであろう. 誰もが各国を自由に行き来できるのだから, 不法滞在者が増え, 輸入禁止物も次々に持ち込まれ, 自宅に不審者が突然入り込んできたり, 被疑者が無実を示そうにもアリバイが成立しなかったり, 各国はやがて未曾有のお祭り騒ぎになるに違いない. ……とすると, やはり平和賞までは無理であろうか.
 
 ……などとつまらぬ空想をしているうちに, シャルル・ド・ゴール空港(Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle)に到着した.
 

 
3. パリ市街
 空港を出てからパリ市内への所要時間は, 高速道路を使えば車で 30 分ほどである. 市内は大変な人ごみで交通量も多い. バスや車の排気ガス, 行きかう人々のタバコと体臭と香料, これらが混ざり合った強烈な臭気はパリの特徴の一つと言えよう.
 

パリには木々に囲まれた公園や歩行者用の緑道も多い
 
 街には 19 世紀の趣を窺わせる荘重な建造物が, あらゆる道の両サイドにどこまでも高さを揃えて建ち並んでいる. 諸外国と異なり, 建物から張り出す電光看板や電線を張った電柱が一つも見当たらない. これらはパリ市内の景観を損ねないように規制を受けているのだ.
 
 世界遺産や中世の雰囲気を漂わせる古色蒼然たる教会, 緑と彫刻に恵まれた公園などが随所に見られる一方, ファッションやグルメの街らしく, 市の中心部にはあらゆる種類の洋服店, 飲食店, 物産店, デパートなどが, ところ狭しと肩を並べている.
  

観光名所の一つ ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)
 
 8 月のパリではサマータイムが実施されている. 朝は午前 6 時近くまで暗いが, 夜は 午後 9 時を過ぎても空は明るい. 曜日によってはプランタン(Magasins du Printemps)やラファイエット(Galeries Lafayette Haussmann)などの百貨店は午後 10 時まで営業しており, しかも閉店まぎわまで結構な混雑ぶりを見せている.
 

オペラ座の前からヴァンドーム広場の円柱を望む
 
 飲食店も豊富で, どこも夜遅くまで大勢の客で大変な賑わいだ. 中国人が経営する中華料理店や日本人が経営する日本食店も少なくない. そこでは寿司やソバなども味わえるが, 食材ルートに無理があるのか, 作り手の技量に問題があるのか, 味はまことに残念であった. ……おそらくパリ市民の味覚に合わせてのことであろう. 同じことは東京のインドカレーや四川料理についても言えることだ.
 

ブルボン宮殿(現在の下院国民議会議事堂)
 
 パリ市内は旧植民地からの移住者や中近東からの移住者も多い. 多人種, 多民族の街である. これにおびただしい観光客が加わり, 華やかさと賑やかさが渦まく街になっている. その一方, 道端にじかに座って物乞いをする貧困層の人たちも少なくない. 世界各国主要都市のどこにでも見られる光景なのであろうが, パリでも相当に貧富の格差があることを感じた. 私自身は一度も被害に遭わなかったが, 引ったくりやスリも多いと聞く.
 
 京都や札幌などと同様,
あらゆる道路に「○○通り」という名称が付けられている. 裏通りに位置するどのような細く狭く短い道にも, である. 建物の壁に取り付けられているパネルに番地が明記されているので, 住所を頼りに目的地を探すことは難しくない.
 

フランス・ルネサンス様式のパリ市庁舎(Hôtel de Ville)
 
 また, いたるところに赤いテントを特徴とするカフェがあり, テラスでは恰幅のよいパリ市民が小さな椅子に寿司づめ状態で座ってコーヒーや紅茶を飲んでいる. 店内はガラガラであるにもかかわらず, である. 目の前を往来するバスや車の排気ガスにまみれてまでテラスでの飲食にこだわるパリ市民の衛生観念は, 私にはどうも理解しかねる.
 
 かく言う私自身は, カフェではつねに店内の椅子に座った. 貸し切り状態のようで気分がよろしい. テラスのパリ市民たちが店内の私を風変りな人種としてもの珍しそうに見るが, 私もテラスにひしめく彼らをもの好きな人種として好奇の目で見返してやるので問題はない.
 

百貨店ラファイエットのドーム内部は豪華絢爛で賑やかだ
 

 
4. 交通手段
 パリ市内を移動するにはさまざまな手段がある. バスやタクシーはどこからでも乗車できるが, 一般車両数も尋常ではないので, これらに乗る場合には交通渋滞に少なからず巻き込まれることを覚悟しなければならない.
 
 その点,
メトロは便利である. メトロの駅の数は非常に多く, 街を少し歩けばメトロの駅へ降りる階段入口はすぐに見つけられる. どこからでも乗ることができ, 東京の山手線なみの頻度で発着するうえ, 乗り換えも簡単であるから, 大変便利な交通手段だ. しかし, トンネル内の壁をすてきな景色として楽しめる特殊な美的感覚のもち主でなければ, これもやがて飽きてしまう.
 

ロープン・トゥールは, パリ巡りにはとても便利だ
 
 カー・ルージュ(Les Cars Rouges)やロープン・トゥール(L'Open Tour)など, 観光客向けのバスが定期的に市内を巡ってくる. エッフェル塔をはじめ, オペラ座(パレ・ガルニエ)やノートル=ダム大聖堂やマドレーヌ教会など, 主要観光地を巡ることができるようにコースが組まれているのである. 専用のパスを入手すれば何回でも乗降可能だ. せっかくの二階建てなのであるから, もちろん, 屋根のない二階部分に乗るべきであろう.
 
 パリ市民の気質なのか, 乗り合わせた車が悪かったのか, 私が乗車したカー・ルージュの運転は非常に荒っぽかった. かなりのスピードで交差点を曲がるために遠心力で車体が倒れそうになるし, 直進中でも街路樹の大きな枝葉が私の頭のすぐ近くを勢いよくかすめたりして, なかなかのスリルを味わうことになった. 二度と乗るまい.
 

カー・ルージュの二階部分からコンコルド広場を望む
 
 ゆったりとした景色を楽しむにはセーヌ川クルーズがよい. 夏場は夕刻が最も景色が美しいと言われる. セーヌ川自体はお世辞にも綺麗とは言えないが, その周辺地域, すなわちシテ島やサン=ルイ島から西の自由の女神像までの範囲にある世界遺産登録区域を眺望できるのがよい. 夕陽に映えるルーヴル美術館, チュイルリー公園, コンコルド広場, シャイヨー宮, オルセー美術館, エッフェル塔, ノートル=ダム寺院, フランス学士院など…….
 

セーヌ川クルーズをもって河畔の景観を楽しむ
 
 河畔の歩道では, ジョギングをする人や犬の散歩をする人, ベンチで読書をする人やおしゃべりを楽しむ人など, 夏の余暇を満喫する人々の姿が数多く見受けられた. また, それぞれが固有の歴史や逸話をもつ多くの橋, たとえばポン・デザール(Pont des Arts), ロワイヤル橋(Pont Royal), コンコルド橋(Pont de la Concorde), アレクサンドル三世橋(Pont Alexandre-Ⅲ)などを下から鑑賞するのもクルーズならではのものである.
 
 ところで,
パリにおいて最も手軽かつ融通が利く交通手段はもちろん「徒歩」である. いくら便利とはいえ, エッフェル塔やルーヴル美術館の中でバスやタクシーを乗り回してはいけない. パリを堪能するには自分の足で歩いてみるのが一番である. これが本稿を「パリを歩く」と題したゆえんである.
 

街路樹の下には路上駐車する車がひしめいている
 
 パリ訪問の主たる目的は, ドビュッシーやラヴェルを中心とした作曲家にゆかりのある地を巡ることであった. 特に, パリ郊外にあるドビュッシーの生家とラヴェル博物館を訪れることにあった. 事前に調べたところによれば, 前者は日曜日と月曜日が休館で, 開館時間は, 水曜日から金曜日は 14:30~17:30, 土曜日は 10:30~14:30~17:45 とのことであり, 後者は, 水曜日, 土曜日, 日曜日のみ開館で, 水曜日は, 14:30, 15:30, 16:30, 土曜日と日曜日は, 10:00, 11:00, 14:30, 15:30, 16:30 に入館可能とのことであった.
 
 しかし
この情報は実は間違っていたことが, 後日, 現地に赴いて初めて分かった. 東京と同様, パリやその近郊では様相が日々めまぐるしく移り変わり, 1~2 年も経てば(場所や開館日や開店時間などの)状況はすぐに変わってしまう. 出かける直前に(現地の大使館や観光局などから)正確な情報を入手しておく必要があるだろう.
 

 
ラヴェル博物館は事前予約を必要とし, 現地の案内係をガイドとして同行しなければ見学できないという少々やっかいな条件が付いていた. ラヴェル博物館があるモンフォール=ラモリの町の観光案内所に連絡を入れてみたが, 連絡したのが日曜日の夜だったため, 案の定, 電話はつながらなかった. まあよい, 水曜日に押しかけてみれば何とかなるだろう…….
 

 
シテ島界隈
5. ノートル=ダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)
 観光名所を巡ることが主たる目的ではなかったが, まずはセーヌ河の中州であるシテ島(Île de la Cité)に向かう. シテ島は, パリで最も古くから栄えた「パリ発祥の地」であり, 有名なノートル=ダム大聖堂, サント・シャペル, コンシェルジュリーがある. 中学生の頃に読んだ『ジャン・クリストフ』には, 失意の中でパリに亡命したクリストフがセーヌ河岸に沿ってノートルダム大聖堂からサント=シャペルやルーヴル美術館を経てアンヴァリッドまで歩くシーンがある. 実際に歩いてみることで, それらの位置関係を確認しようと思い立ったわけだ.
 
 尖塔や飛梁を特徴とするゴシック建築の代表格である
ノートル=ダム大聖堂は,「聖母マリア」を意味するローマ・カトリックの教会堂で, 13 世紀の中ごろまでに建立された世界遺産である. 東京から日本各地への距離が日本橋を拠点として計測されるように, パリからフランス各地への距離は, ノートル=ダム大聖堂前の広場にある「ポワン・ゼロ(Point Zero)」を拠点として計測されるという. 長きに渡ってパリの歴史を見てきたであろう, 由緒ある建造物だ.
 

正面ファサードには多くのロマネスク彫刻が施されている
 
 大聖堂前の広場では, 観光客が長蛇の列をなしていた. 入場券を買うための行列らしく見えたが,(多くの美術館や博物館に入場できる)ミュージアム・パスを事前に入手していた私は, 炎天下で行列を作る外国人観光客を尻目に, 行列を無視してさっさと脇から堂内に入って行った. パスを提示せずに入場できたことに気づいたのは, 堂内を眺めはじめてしばらくたってからであった. すぐに入口付近に戻って確認してみる. すると, 入場料金はタダ(チケットは不要)ということと, 行列をなしている観光客は, 入口でセキュリティー・チェック(所持品検査)を受けているのだということが分かった. 私だけ, チェックを受けずに(なおかつそれを咎められることなく)入れてしまったわけだ.
 
 ……以前に訪れたモスクワでトレチャコフ美術館に入館しようとした際に, 中国人の犯罪組織の一味と間違われて別室へ引っ張られそうになったことを想い出した. あのときは一緒にいたロシア人が誤解を解いてくれたことで事なきを得たが, 今回は, 私の人相でよくも捕まらず(チェックを受けず)に入れたものだと感心してしまった. 勘違いしていたとはいえ, 私があまりにも堂々と堂内に入り込んだため, 聖堂関係者(このときは軽装だったので清掃員か何か)と間違われたのかも知れない.
 
 そうと気づいた私は, 慌てて外に出て行列の最後尾に並び直す, ……ような人格者でないことを「聖母マリア」に懺悔, ……するような敬虔な信者でもないため, 開き直ってそのまま内部を見学することにした.

 
 
外の賑やかさとは別世界の雰囲気で, 堂内は薄暗くひんやりとしている. 天井までの高さは 30m 以上もあり, 装飾を施した荘厳な柱が両側に何本も建ち並ぶ. 前方には十字架と聖母像らしき彫刻が小さく見え, 祈りを捧げる敬虔な信者たちの姿も見える. 近づいてみると, それは, 十字架の前で磔刑に処されたキリストの身体を膝に抱え, 両腕を広げて天を仰ぎながら嘆く聖母マリアの像, つまりピエタ(Pietà)であった. 礼拝所の周囲は回遊廊があり, 緻密に作られた多くの彫刻や鮮やかな色彩を放つ直径 10m 以上もある大規模なステンドグラス(いわゆる「バラ窓」)が美しい. かつてここを訪れた島崎藤村が「巴里にある最も美しいものの一つと言ふに躊躇しない」と書き記したのもうなずける.
 

聖母マリアやキリストが描かれたバラ窓
 
 ここはパリ中心部にあたるため, 夏は特に多くの観光客が訪れる. 22 時頃になると陽は完全に沈んで夜空が広がるが, その時間でも華やかな賑わいは静まらない. ……というと聞こえはよいが, 実際には車両交通量も多い上にパトカーや救急車のサイレンも頻繁に鳴り響くため, 賑々しいというよりは騒々しいと表現する方がふさわしいだろう.
 

フランス国旗風にライトアップされたパリ警視庁の正面
 

ポワン・ゼロ広場は夜も大勢の観光客で賑わっている
 

 
6. サント=シャペル(Sainte-Chapelle)
 同じくシテ島にあるゴシック建築の「聖なる教会堂」すなわちサント=シャペルは, ノートル=ダム大聖堂よりも少し後の 13 世紀中頃に建立された. ルイ 9 世による聖遺物のコレクションを収納するためにわずか数年間で建築が完了したという. 当時の王の権力と財力に加え, 建築者たちの技術の高さが窺える建造物である.
 

「ゴシックの宝石」との異名をもつサント=シャペル
 
 二階礼拝堂の巨大なステンドグラスは, ノートル=ダム大聖堂以上の圧倒的な輝かしさだ. 朝は(観光客が少なく見学には好都合であるが)差し込む朝陽の角度の関係でステンドグラスはそれほど輝いて見えなかった. 別の日の昼頃に訪れたときは, 高い位置から差し込む強い陽の光がステンドグラス全体を煌びやかにまばゆく見せていた. 青, 赤, 黄などの原色を基調とした光彩と精緻な装飾に感嘆させられる.「パリの宝石」と言われるゆえんであろう.
 

ステンドグラスの色は
外光の強さや角度によって変化する
 
 もちろん, これらは単なる装飾ではない. 創世記から始まり, 出エジプト記, 民数記などの旧約聖書にまつわる各場面から, ヨハネや幼少のキリスト, キリストの受難など新約聖書にまるわる各場面まで, 一つ一つ深い信仰心をもって表現されているのだ. ヨハネやペテロなど十二使徒の像やキリストにちなんだ壁画なども目を引く. 識字率が低かった時代, 聖書に記されたキリストの降誕から昇天と復活にいたるまでの逸話は, このようなステンドグラスや絵画および彫刻によって人々に伝えられていたという.
 
 パリの各教会では夜に管弦楽や室内楽のコンサートが催されることが多い. 20 時または 20 時半に開演する場合が多く, パリ市民向けの比較的気軽に楽しめる 1 時間程度の内容になっている. 夏はシーズンオフで各コンサートホールでの演奏は聴けないが, 教会でのコンサートは頻繁に開催されている. 前売券もあるが, よほどの人気の演目でない限りは当日券も入手可能だ.
 
 サント=シャペルで聴いたコンサートの演目は, バッハの『無伴奏チェロ組曲 第 1 番 ト長調』と弦楽三重奏による『ゴルトベルク変奏曲』で, いずれも私の大好物であった. 比較的若い演奏家たちによる(名演とは言いがたい)演奏であったが, 高い天井と広い空間による深い残響は, 室内楽演奏にはほどよく調和して心地よい響きを聴かせるものであった.『ゴルトベルク変奏曲』はチェンバロでの演奏が一般的であるが, 弦楽三重奏も意外にこの曲の魅力を引き出すものだと感心した.
 

夕陽を受けたステンド・グラスも鮮やかで美しい
 
 21 時でも外はまだ明るい. 夕陽を受けたステンドグラスに描かれた宗教画を一枚一枚ゆっくりと眺めながらバッハの音楽に耳を傾ける時間は, ホールで聴くコンサートと違って何とも言えず味わい深いものだ.
 

室内楽の音色が夜の荘厳な空間を心地よく響き渡る
 

 
7. コンシェルジュリー(Conciergerie)
 パリ司法宮(Palais de Justice de Paris)を挟んでサント=シャペルと反対側に位置するのがコンシェルジュリーだ. カペー朝時代に建立されたこの王宮は, やがて牢獄として利用されたという. 当時のまま残されている部分は少ないものの, 静謐で陰鬱な様相の建物内部は, パリの中心部にありながら外界とはまったく異質の雰囲気を漂わせている.
 

パリ司法宮前のリュテス通りはいつも和やかな雰囲気だ
 
 フランス革命から恐怖政治の時代は, マリー=アントワネットを含む 2 千人以上がこの「死の牢獄」に収容され, 次にここを出るのはギロチン処刑場(コンコルド広場)へ護送される時であったという.
 

食堂として利用された広大な伽藍堂の「憲兵の間」
 
 世界各国語に翻訳されている『ベルサイユのばら』では, マリー=アントワネットが華やかな王宮生活からこの牢獄でのみすぼらしい生活のギャップが描かれているが, 資産があった彼女は有料の独房に入っていたため, 貧しい一般の収容者たちに比べればかなり優遇された環境であったらしい.
 

女囚人が散歩したという, 牢獄内の「女たちの庭」
 
 時計の塔(Tour de l'Horloge), シーザーの塔(Tour de Casar), 銀の塔(Tour de Argent), ボンベックの塔(Tour de Bonbec)の 4 つの塔がセーヌ河畔から見える.
 
 老朽化のためか改修工事が年々進んでいるらしく, 2010 年には古風な趣であった時計の塔の巨大壁時計が 2017 年時には新しいものに取りかえられていた. それは, デザインや大きさはそのままだが金箔を施した豪奢なもので, コンシルジュリーにおける牢獄としての長い歴史を想うと, かなりの違和感を抱かざるを得ないものであった. あるいは, かつて建設された当時はこのような黄金の輝きをもった時計であったのかも知れないが…….
 

フランスで最初とされる「時計の塔」
 

 
パリの象徴
8. エッフェル塔(La tour Eiffel)
 メトロ 6 号線のパッシー駅とビル=アケム駅の間にある鉄橋(ビル=アケム橋 Le Pont de Bir-Hakeim)から望むエッフェル塔, ――『のだめカンタービレ 最終楽章』には, この風景映像があったように思う.
 
 高層ビルがところ狭しと建ち並ぶ東京では圧迫感や焦燥感をおぼえるが, 緑や橋の多い整然とした街並のパリではむしろ心理的な開放感をおぼえる.
パリには高層ビルは存在しない. 19 世紀中頃, ナポレオン三世の息がかかったオスマン知事によるパリ大改造において, 建造物に厳しい高さ制限が設けられたからである.
 
 
例外は, 1889 年に建造されたエッフェル塔と1977 年に建造されたモンパルナス・タワーだけだ. エッフェル塔を望むのに最も適した場所は, セーヌ河を挟んだ反対側にあるシャイヨ宮(Palais de Chaillot)前のトロカデロ広場(Palais du Trocadéro)であろう. パリの景観を損ねるモンパルナス・タワーは塔のはるか向こう側に位置するので, ここからは塔に隠れて見えない.
 
 いかにも夏のパリらしい明るく開放的な景観だ. 手前のトロカデロ広場では大勢のパリ市民や観光客たちが寛いでいる. 彼らののどかに憩う様子を眺めながらエッフェル塔に向かってゆっくりと歩く. イエナ橋を渡ってセーヌ河を越えると, 案の定, 塔の下には長蛇の列ができているのが見えた.
 
 ここではミュージアム・パスは適用されないので, 塔に昇るためには 1 時間以上はこの行列に加わらなけばならない. 世界各国から訪れている観光客たちは, 入場待ちで並ぶ時間をも楽しんでいるように見えた.
 

シャイヨ宮からトロカデロ広場ごしにエッフェル塔を望む
 
 人ごみを好まない私は, 4 ヶ所ある入場口の中で, 他の 3 ヶ所に比べて極端に人が少ない行列を見つけ, そこに加わった. ここだけ人が少ない理由はじきに分かった. 塔を昇るのにエレベーターではなく階段すなわち徒歩で行かねばならないのだ. 構わぬ, 足腰には自信があるのだ, と開き直って実際に階段を昇り始めたが, 第一展望台までは 300 段以上, 第二展望台までは 700 段ほどあり, 通常のビルで 30 階近い高さを(階段が狭いため, 前後の他の観光客に迷惑にならぬよう休まずに)登り続けるのは, 心臓やぶりの苦行であった.
 
 呼吸を整え, 高さ 116m の第二展望台からシャン=ド=マルス公園(Parc du Champ-de-Mars)を見下ろしてみる. 眩しい日差しの中, 公園の芝生でのどかに寛ぐパリ市民の姿が見える. 正面方向に見える黒い直方体がモンパルナス・タワー(Tour Montparnasse)だ. 無骨で景観を損ねること甚だしい.「
パリ景観を損ねるこの塔を視界に入れぬためには, 塔に昇るしかない」 ……というモンパルナス・タワーに対する私の感想は, かつてエッフェル塔の建設に猛反対したモーパッサンのエッフェル塔に対する言葉の受け売りである. モーパッサンはそのような言い訳をしつつ, エッフェル塔内のレストランに頻繁に通っていたらしい.
 
 360 度パリの景観を見渡すには最上階まで昇るにこしたことはないが, 3 階までのエレベーター待ちの長蛇の列に今さら加わる気にはならず, といって階段で降りる気もしないので, 少しだけ待ち行列に参加して下り専用のエレベーターで戻ることにした.
 

エッフェル塔からシャン=ド=マルス公園を見下ろす
 
 日をあらため, 夜のエッフェル塔を訪れた. 待ち行列は好まないが, この日はかなり我慢をしてエレベーター待ちの行列に加わった. まだ空も明るい 20 時頃から塔全体がライト・アップされ, 日没後の 22 時以降になると「ダイヤモンド・フラッシュ」と呼ばれる鋭い閃光が塔の周囲にちりばめられる. これは, トロカデロ広場またはシャン=ド=マルス公園から眺めるのがよいだろう.
 

ダイヤモンド・フラッシュに輝くエッフェル塔
 
 最上階へ上がると, パリの夜景を 360 度眺望できる. エトワール凱旋門, サクレ=クール寺院, オペラ座などは, 夜は鮮やかにライトアップされているので, これらの場所はすぐに分かる.
 
 テュイルリー公園内にある観覧車は鮮やかな純白に彩られ, RER 線の
オスマン=サン=ラザール駅近くにある百貨店プランタンは妖艶なピンクで, マドレーヌ寺院やモンパルナス・タワーは幻想的なブルーでそれぞれライトアップされており, これまた実に美しい. ここが 24 時近くまで大勢の観光客で賑わっているのも納得がいく.
 

エッフェル塔の最上階から見たパリの夜景
(セーヌ川, グラン・パレ方面)
 

 
9. アンヴァリッド(Hôtel des Invalides)
 エッフェル塔からシャン=ド=マルス公園を縦断して北東へ数百メートル進むと, アンヴァリッドに行き着く. これは金のドームを特徴とする建造物で, 17 世紀にルイ 14 世によって戦傷兵の看護を目的として建立されたものだ. 地下にはナポレオン一世の墓があり, これを取り囲む回廊の壁には彼の業績が彫刻されている.
 

真夏の日差しを浴びて黄金に輝くアンヴァリッド
 
 私はナポレオン崇拝者ではないので軍事博物館を含めてそれほどの感慨は湧かなかったが, ドームの天井画に描かれたフォッスの絵画や正面にある大理石の円柱をもつ天蓋祭壇にしばらく見とれていた. 彼が活躍した頃のフランスの文化人たち, 特に, ジュリアン・ソレルやジャン・ヴァルジャンなどの個性的で強固な意思のもち主を創造したフランスの作家たちは, ナポレオン一世を崇拝していたという.
 
 建物を出て, 強い日差しの中を
アレクサンドル三世橋に向かってゆっくりと歩く. セーヌ河に架かる橋の中でも最も豪華絢爛たる装飾をもつこの橋は, それ自体が一つの気高い芸術品であろう. アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)様式の豪華な街燈, ギリシャ神話に基づく女神などの美しい彫像がいくつも並んでいる.
 

静謐な雰囲気を漂わせるアンヴァリッド内部の教会の祭壇
 

 
10. エトワール凱旋門(Arc de triomphe de l'Étoile)
 エッフェル塔と並ぶパリの象徴であるエトワール凱旋門は, シャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées)の端に位置するシャルル=ド=ゴール広場(Place Charles-de-Gaulle)の中央にある.
 
 凱旋門の周囲はおびただしい数の車両がウヨウヨと走り回っており, 道を横断しようとする者を餌食にしようと企んでいるかのようだ. 自慢の俊足で一気に走り抜けてパリジェンヌから尊敬のまなざしを受けるのも悪くはないが, 万が一, 車の餌食になってしまった場合は末代までの恥だ. ここは大人の対応をとり, 専用の地下道を抜けて門の入口に向かうことにする.
 
 入口までやってきて下から凱旋門を見上げると, 両側の柱には精緻で質感豊かな彫刻が埋め込まれているのに気づいた.
豪勢な装いと大袈裟なネーミングであるが, 建設を命じたナポレオン自身は, 死後, セレモニーにおいて遺体となってこの門を初めてくぐったということであるから皮肉な話だ.
 

斜陽を全身に受けて立つエトワール凱旋門
 
 歩き通しで少々疲れぎみだったので, エレベーターで最上階まで上がることにする. ……ところが, いくら探してもエレベーターが見つからない. まさかとは思ったが, そのまさかであった. エッフェル塔には曲線を描く脚に沿って斜めに上がる高級なエレベーターがあるにもかかわらず, 凱旋門には垂直な柱を上がる単純なエレベーターすらない! これは, 建造を命じたナポレオンの致命的な落ち度であろう. 仕方なく狭い螺旋階段をひたすら昇ることにする.
 
 門上に出ると, 秋を思わせる涼しい風が吹き抜けていて心地がよい. ここから夕方のパリを
屋上から一望すると, エトワールの称号の通り, ここを中心として道がまっすぐに放射されている様子を目の当たりにできる. シャンゼリゼ大通りの先にあるカルーゼル凱旋門(Arc de triomphe du Carrousel)や, 反対側のラ・デファンス方向にあるグラン・ダルシュ(Arche de la Défense ou Grande Arche)などを望む景色も壮観だ.

屋上からラ・デファンス方面の高層ビルを望む
 
 1885 年にここで執り行われたユゴーの国葬に参列した留学中の黒田精輝は, 凱旋門上に当時設置されていたファルギエールの彫刻「4 頭の馬に引かれる戦車に乗る女神の像」に魅せられたという. 1882 年から 1886 年の 4 年間たらずで撤去されたその彫像は, E.D.ボイトの水彩画《凱旋門, パリ》(わが国では 2016 年に名古屋ボストン美術館にて公開された)に描かれている.
 

 
作曲家の住居
11. ラヴェルの家
 エトワール凱旋門から北西へ延びるカルノー通り(Ave. Carnot)を少し入った所に, かつてラヴェルが住んでいたアパルトマンがある. カフェ "L'EMPEREUR" の赤テントの上に架けられた小さなプレートには,「モリス・ラヴェル は 1908 年から 1917 年の間ここに住み,《ダフニスとクロエ》を作曲.」とある. この時期は,《ダフニスとクロエ》の他にも,《夜のガスパール》,《マ・メール・ロワ》,《優雅で感傷的なワルツ》など, ラヴェルの主要作品が作曲されている.
 

ラヴェルのアパルトマン(2 Avenue Carnot)
 
 彼がどのような部屋でこれらの名曲を作曲したのか, 興味津々たるものがある. 階段を上がって彼の家を訪れてみようかと考えたが, 現在の住人はおそらくラヴェルとは無関係であろう. 現在の住人の散らかったリビングや汚れたキッチンを覗いたところで, ラヴェルを偲ばせるものは何ひとつないに違いない. 階下のカフェを覗くと, これまたラヴェルとは何の縁もなさそうなパリ市民が夕刻のお茶をのんびりと楽しんでいた.
 

 
12. ドビュッシーの家
 ドビュッシーが住んでいたアパルトマンの一つは, 17 区の旧パリ音楽院の近くの閑静な住宅地(58 Rue Cardinet)にある. こちらも入口近くに「ドビュッシーはここで《ペレアスとメリザンド》を作曲.」なる旨が記されたプレートが架けられているのみで, ほかに彼を偲ばせるものは何もない.
 

ドビュッシーのアパルトマン(58 Rue Cardinet)
 
 また, ドビュッシーが 1905 年から晩年にかけて住んでいた家は, 16 区すなわちパリの西端「ブーローニュの森」付近の高級住宅街(24 Avenue du Square)にある. こちらは, 敷地の周囲が鉄柵で囲まれ, 入口の門は警備員や監視カメラでガードされているため, 忍び込むには少し勇気がいる. 門の前をウロウロと何往復もしながらそのつど敷地内を覗きこんでみるが, ドビュッシーの住んでいた家は敷地の奥の方にあるため, どう頑張っても見ることができない.
 
 学生時代までは 2.0 であった抜群の視力をもって透視すべく敷地の奥を凝視していると, 警備員らしき色の黒い男が突然現れた. 思わず「ドビュッシーの家へ行きたい」と口走ると, この男, おそらくドビュッシーの何者かを知らないのであろう,「ドビュッシー氏の許可はとってあるのか」と不愛想に聞き返してくる. 無論, 許可などとれるはずがない.「ドビュッシー氏は天国にいる "Monsieur Debussy est dans les cieux."」と空を指さして答えると, 少し頭が足りないと思われたのか, "Non." と無表情で断られた. まあ当然だろう. これで入れたら逆にこちらが警戒する.
 

 
13. プーランクの家
 プーランクの生家は, 8 区に位置するエリゼ宮(現在の大統領官邸)付近のソセエ通り(Rue des Saussaies)にある. ここは閑静な住宅街の一角で, 人通りもほとんどない場所だ. 青い門の右脇には,「作曲家 フランシス・プーランク, 1899 年 1 月 7 日, ここに生まれる」と書かれたプレートが架けられてあった.
 
 下の写真では, 生粋のパリジャンであった彼にふさわしくドアの上にフランス国旗が掲げられているが, これは, 私が訪れた日がたまたま
8 月 15 日(聖母被昇天祭)の祝日であったため(ちなみに, この日はパリ市内のほとんどの美術館が休館となる)であって, プーランクの家とは特に関連性はない.
 

プ―ランクの生家(2 Rue des Saussaies)
 
 また, プーランクが晩年を過ごした家は, 6 区のリュクサンブール公園に隣接するメディシス通り(Rue de Médicis)にある. この通りは交通量や通行人の多い賑やかな通りであるが,「ここに住んだフランスの音楽家プーランク, 1963 年 1 月 30 日に逝去.」とあるプレートに目を止める人は誰もいなかった.
 

プ―ランクの晩年のアパルトマン(5 Rue de Médicis)
 
 これらの住居にも, 今ではプーランクとは縁もゆかりもない人々が住んでいるのであろう. 当時を忍ばせるものが残っているならば家の中を見たいものであるが, おそらく何も残ってはいまい. だとすれば, 現在の住民が使っている傷だらけの家具や食べこぼしで汚れた破れかけのカーペットを確認することには何の意味もないだろう.
 

 
14. デュリュフレの家
 デュリュフレが住んでいたアパルトマンは, 5 区および 6 区に位置するカルティエ・ラタン(Quartier latin)にある. 彼がオルガニストを務めたサンテティエンヌ=デュ=モン教会の(道路を挟んだ)向かい側の建物だ. パネルには「作曲家のモーリス・デュリュフレとオルガニストのマリ=マドレーヌ・デュリュフレ, 1930 年から 1999 年までこの建物に居住.」とある.
 
 パネルを眺めながら,『レクイエム』(1947)や『グレゴリオ聖歌による 4 つのモテット』(1960)や『クム・ユビロ』(1966)などの美しいフレーズの一部を思い浮かべていた. これらの名曲は, この建物かサンテティエンヌ=デュ=モン教会で創作されたのであろう.
 

デュルフレのアパルトマン(6 Place de Panthéon)
 
 近くにパンテオンがあるためか, この界隈も多くの観光客で賑わっている. 私がデュリュフレのアパルトマンを眺めている間も多くの通行人があったが, 私が建物にレンズを向けて撮影しているのを見て, 何を撮っているのかと不審な表情を浮かべながら彼らは通りすぎていった. 日本ではようやく一部の音楽愛好家の間で知られてくるようになったデュリュフレであるが, パリでもそれほどの知名度はないのであろう.
 

建物入口の右側に掛けられたデュリュフレのパネル
 

 
15. デュティユーの家
 2013 年に亡くなったデュティユーがサン=ルイ島(île Saint-Louis)のランベール館(Hôtel Lambert)付近のアパルトマンに 30 年以上住んでいた旨を『デュティユーとの対話』(C.グレイマン著)で読んだことがあったのを思い出し, 2017 年の渡仏時にサン=ルイ島に赴いた. ここはパリでも有名な高級住宅地で, パリの喧騒とはほど遠い静かで穏やかな雰囲気が漂っている.
 

デュティユーのアパルトマン
(12 Rue Saint-Louis en l'Île)
 
 ヴォルテールやショパンが滞在したことでも知られるランベール館は, 2013 年に大規模な火災に見舞われ, 多くの歴史的遺産が失われたという. 私が訪れた際には改築工事中で残念ながら中に入ることはできなかった. 付近の建物を丹念に見て回ると,(予想通り)壁にパネルが架けられていたため, 比較的簡単にデュティユーの家を見つけることができた. 彼の家は, ランベール館とサン=ルイ=アン=リル教会(Eglise St-Louis-en-l'Ile)の間にあった. この教会はサン=ルイ島にある唯一の教会で, デュティユーの葬儀もここで執り行われたという.
 

入口の右脇に掛けられたデュティユーのパネル
 
 家の入口脇に掛けられたパネルはまだ新しいもので,「レジオン・ドヌール勲章のフランス人作曲家アンリ・デュティユー, ピアニストの妻ジュヌヴィエーヴ・ジョワと共にこの建物に居住.」とある.《時間の影》(1997)や《往復書簡》(2003)はここで作曲されたのであろう. 今は誰も住んでいないのか遺族か誰かが住んでいるか……, あたりは非常に静かだ. 近くを郵便配達人が二人ほど荷物を抱えながら目当ての番地を探してウロウロと歩き回っていたが, 住人を見かけることはなかった.
 

 
16. クセナキスの家
 9 区にあるパリ市立ロマン主義博物館に向かう途中, 何げなく付近の建物を眺めていると, 白いパネルが目に入った. よく見ると "IANNIS XENAKIS" と刻まれているではないか!クセナキスのアパルトマンを見つけたのはまったくの偶然であった.
 

クセナキスのアパルトマン(9 Rue Chaptal)
 
 好んで聴く音楽ではないし, 私の中ではクセナキスとパリとがまったく結びつかないものだったので, 同姓同名の他分野の有名人かと思ってその下を見てみると "COMPOSITEUR" とあったので, 私の知るクセナキスであることを確信した. パネルによれば, 1970 年から 30 年以上もの間, ここに住んでいたらしい. パリ音楽院でオネゲルやメシアンに作曲を師事した彼は, 音楽のみならず, 建築をル・コルビジェに師事していたとのこと.
 

入口ドアの左脇に掛けられたクセナキスのパネル
 
 クセナキスの音楽は, かれこれ 20 年くらい耳にしていない. 帰国後, かなり以前に購入した CD を取り出し, ピアノ協奏曲《シナファイ》(1971)をはじめ, 室内楽曲の《ST/4》(1966)や《プレアデス》(1979),《ディクタス》(1980),《アル》(1987)のほか, 独奏曲《ノモス・アルファ》(1966)や《ミッカ》(1972),《ミスツ》(1980)などを久々に聴き直してみたが, やはり私が好んで聴く分野の音楽ではないことを再確認しただけであった.
 

 
17. ショパンの家
 クセナキスの家のすぐ近くにあるパリ市立ロマン主義博物館(Musée de la Vie romantique)には, ショパンの手の石膏像がある. また, シテ島にはポーランド歴史文芸協会(La Societe Historique et Litteraire Polonaise)があり, 彼の自筆譜や書簡などが保管されている. 前者は入口が狭く奥まった場所でありその存在が分かりづらく, 後者は見学可能な曜日や時間に制限がある(夏は閉鎖されることもある)のが難点だ.
 
 ショパンはポーランド出身であるが, パリには彼のゆかりの地が数多い. 彼は, 21 歳で故郷を離れてパリに移り住み, 39 歳で世を去るまでに, 9 ヶ所も市内を転々としたのであった.
 

通りから離れたパリ市立ロマン主義博物館は
静謐な佇まいだ
 
 ショパンが最初にパリに住んだアパルトマンは, 2 区のポワソニエール大通り(Boulevard Poissonnière)にある. ショパン自身,「並木道の歩道に面したバルコニーからはモンマルトルからパンテオンまでパリで最も美しい景色が見渡せる」と友人宛に書き送ったアパルトマンであるが, 現在では建物自体は存在せず, 白い門構えだけが肩身の狭そうな佇まいを見せているにすぎない. 門の上のプレートには「1831 年から 1832 年までショパンはここに住んだ」と簡潔に記されているだけである.
 

ショパンの最初の住居跡地(27 Boulevard Poissonnière)
 
 また, 9 区のオルレアン広場(Square d'Orléans)に彼の 7 番目の住居がある. 正面玄関を入って左側に向い中庭に出る手前の建物に,「1842 年から 1849 年までショパンはこの建物に住んだ」旨のうす汚れたプレートが架けられていた. 通常, この種のプレートは建物の入口(ドア)のすぐ脇に掛けられていることが多いが, ここのプレートはなぜか入口のドアから 2 メートルくらい離れた場所にあった. 恐らく, ショパンのファンが撮る写真に現在の住民が写り込んでしまうことを避けてのことだろう.
 

ショパンが住んでいたオルレアン広場の家の玄関
 
 噴水のある落ち着いた雰囲気の広場を横断して奥の建物の入口に目を向けると, ジョルジュ・サンドの住居を見つけた. こちらのパネルには「1842 年から 1847 年までこの建物に住んだ」とある. ショパンとジョルジュ・サンドの関係が終わったのが 1847 年であるから, 彼女の方が先にここを立ち去ったということなのだろう.
 

オルレアン広場の中央にある噴水
 
 ショパンが最後に(わずか 1 ヶ月弱であるが)住んだ家が, パリ中央部 1 区のヴァンドーム広場(Place Vendôme)内にある. ヴァンドーム広場は, ナポレオン 1 世がアウステルリッツの戦いの戦勝記念に建てた円柱(最上部に彼の像がある)が中央に堂々とそびえ立つ場所だ.
 

ナポレオン像のあるブロンズ円柱が立つヴァンドーム広場
 
 広場の南東部に位置する高級宝石店「ショーメ(Chaumet)」の入口付近にパネルがあり,「1810 年 2 月 22 日, ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラに誕生した フレデリック・ショパンは 1849 年 10 月 17 日, この建物で亡くなった.」と記されている.
 

陽あたりのよい二階の部屋で
ショパンは 39 歳の生涯を終えた
 

 
パリの劇場
18. サル・プレイエル(Salle Pleyel)
 パリ市内を歩けば, 由緒あるホールに数多く巡りあうことになる. 演奏会は 9 月から翌 7 月までをひとシーズンとするため, 私が訪れた 8 月はシーズンオフで残念ながら演奏会の開催はない. それでも, 建物の外観およびロビーを眺めつつ, 初演された名曲たちに想いを馳せるのは楽しいものであった.
 
 エトワール凱旋門から北東へ 500m ほどのところに位置するフォーブール・サン=トノレ通り(Faubourg Saint-Honoré)沿いに, サル・プレイエルがある.《
逝ける王女のためのパヴァーヌ》,《水の戯れ》,《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》,《ピアノ協奏曲 ト長調》のほか,《ビリティスの歌などが初演されたホールだ. 現在のホールは後に移築されたものであるから, 残念ながら当時の雰囲気をそのまま伝えるものではないが……. ここでは, パリ管弦楽団をはじめ, ラムルー管弦楽団, コロンヌ管弦楽団などの定期演奏会が開催され, 海外からのソリストたちのリサイタルも頻繁に行われている.
 

ショパンが愛用したピアノメーカー「プレイエル」
 
19. サル・ガヴォー(Salle Gaveau)
 凱旋門からシャンゼリゼ通りをパリ中心部へ向かい, メトロ 1 号線のフランクラン・デ・ローズヴェルト(Franklin D. Roosevelt)駅のあるロン=ポワン・デ・シャン=ゼリゼ(Rond-Point des Champs-Élysées)から北東へ向かって 400m ほどのところに, サル・ガヴォーがある. 現在, ロン・ティボー国際音楽コンクールの開催会場として知られるホールだ.
 
 ここでは,《
マ・メール・ロワ》,《優雅で感傷的なワルツ》,《クープランの墓》などのピアノ曲や,《ピアノ三重奏曲 イ短調》,《ツィガーヌなどの室内楽曲が初演されている. かつてパリに滞在していた島崎藤村や河上肇たちも, ここでドビュッシーを聴いたという.
 

 
20. シャン=ゼリゼ劇場(Théâtre des Champs-Élysées)
 ロン=ポワン・デ・シャン=ゼリゼから南西に延びるモンテーニュ大通り(Avenue Montaigne)を進むと, パリで唯一の私立歌劇場であるシャン=ゼリゼ劇場がある.《遊戯》が初演され, その 2 週間後に《春の祭典が初演されたホールだ. 他にも, ミヨーの《世界の創造》, メシアンの《忘れられた捧げ物》, デュティユーの『ヴァイオリン協奏曲夢の樹》』などが初演されている.
 
 島崎藤村や河盛好蔵は, ここでニジンスキーを観たりストラヴィンスキーを聴いたりしたらしい. ドニやヴュイヤールが手がけたアール・デコ様式に対し, 藤村は「場内の廊下を照らす燈篭風の電灯も, 欄の間を飾る金属製の蝶の形も, 柱の側に置いてある花瓶も, 日本風の意匠が取り入れてある」と書き記している.
 

《春の祭典》が初演されたシャン=ゼリゼ劇場
 
 私が訪れた 2011 年の 8 月はシーズンオフであったホールの内部には入れなかったが, 入口に来シーズンのプログラムが掲げられていた. 2011-12 年のシリーズでは,《ジュリアス・シーザー》や《トスカ》,《トリスタンとイゾルデ》などのオペラ, ハイドンの《四季》, ストラヴィンスキーの《エディプス王》などのオラトリオ,《マタイ受難曲》や《ミサ・ソレムニス》, モーツァルトの《レクイエム》などの演目であった. いつか, 夏以外の時季にパリを訪れ, この劇場でのコンサートを聴いてみたいものだ.
 

 
21. シャトレ劇場(Théâtre du Châtelet)
 また, シテ島の近く, セーヌ河のほとりにあるシャトレ劇場は,《スペイン狂詩曲》,《ダフニスとクロエ》,《優雅で感傷的なワルツ》(管弦楽版),《聖セバスティアンの殉教》,《ペトリューシュカなど, 私が特に好んで聴く名曲が初演されたホールである. パリ管弦楽団やフランス放送フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で, 2,500 もの座席数をもつ. パリ中心部という立地条件の良さから, 劇場前の広場は多くのパリ市民が待ち合わせ場所として利用されているという.
 

セーヌ河畔の賑やかな街中にあるシャトレ劇場
 
 シャトレ劇場と同時期に建設されたパリ市立劇場(Théâtre de la Ville)は, 道路と広場を間に挟んだ反対側に対になって建ち並んでいる. こちらの座席数は約 1,000 席というからシャトレ劇場の半分以下の規模だ.
 

 
22. オペラ=コミック座(Théâtre national de l'Opéra-Comique)
 オペラ座からイタリアン大通りを東へ 350m ほど歩いたところに, オペラ=コミック座すなわち現在のオペラ=コミック劇場がある. ここでは,《カルメン》,《ホフマン物語》,《ペレアスとメリザンド》,《スペインの時》,《ティレジアスの乳房》などのオペラが初演されている. パリのオペラハウスの中では最も規模が小さい劇場とのこと.
 

大通りから一歩入った閑静な一画にある
オペラ=コミック座
 
 
 焼失により, 過去に二度ほど再建されたらしい. 外観は新しく見えるが, 内装は昔年の面影を残している. ホワイエの様相はガルニエ宮と類似しているが, ガルニエ宮の絢爛さに比べ, こちらはいくぶん地味で落ち着いた古風な雰囲気を漂わせるホールだ.
 

 
23. オペラ座(パレ・ガルニエ)(Palais Garnier)
 『オペラ座の怪人の舞台として知られるパレ・ガルニエ宮いわゆるオペラ座(l'Opéra)も, パリを象徴する建造物と言えよう.《ラ・ヴァルス》や《ボレロ》,《火の鳥》や《プルチネルラなどが初演されたホールだ.
 

大勢の観光客で賑わうオペラ座(ガルニエ宮)の正面広場
 
 その由緒深さに加え, ネオ・バロック様式による外装および内装の豪華な装飾には驚かされる. 玄関を入ると 5 階部分まで吹き抜けの空間が広がり, 天井までそびえる各柱はいずれも四重構造で柱ごとに派手なシャンデリアが設置されている. 大理石の階段は踊り場から左右に分かれて上方部のホール入口へとつながっており, 手すりや柵の部分の装飾や彫刻は手が込んでいてきわめて細かい.
 

吹き抜けの空間には豪華絢爛な装飾が施されている
 
 2 階の奥には天井の高い図書室があり, 床から天井までおびただしい数の書籍が両側の壁面を埋め尽くしている. 図書を貸出できるのは, オペラ座の会員かもしくは国会図書館の許可証所持者とのことであった.
 奥には, ドガの「踊り子」の絵が架けられていた(ちなみにドガはここの会員であったという).
 

図書室内の様子
 
 また, 博物館が併設されており, オペラ座で上演された作品の楽譜, オペラの台本, 舞台衣裳, 舞台装置, デザインの素描, 舞台装飾の模型, ポスターやプログラム, ガルニエの資料など, これまた数多くの資料を見ることができる.
 

実際に使われた衣裳が展示されている
 

《タンホイザー》第 3 幕, 第 4 幕の舞台セットの模型
パネルに「オペラ座での初演は 1861 年 3 月 3 日」とある
 

《オテロ》の舞台セットの模型
(残念ながら後方の天井ライトがガラスに反射している)
 
 2 階のボックス席からホール内を覗いてみる. まず目に入るのは, 精密な彫刻が施された黄金の柱や柵, 金の装飾と深紅のヴェルヴェットで覆われた木製の座席である. 見上げると, 5 階席の上方にシャガールの天井画とみごとな装飾が施された巨大なシャンデリアがある. ボックス席からは, 他の客席はよく見えるが, 舞台全景を見ることができない. 手前の部分はボックスの壁に遮られてしまうのだ.
 
 バルザックの『あら皮』には, フェドラがボックス席から他の貴婦人たちをオペラグラスで物色するシーンが出てくる. 当然, 他の観客からもボックス席はよく見える. 高価な
2 階や 3 階のボックス席は, 社交目的で劇場に通う上流階級貴族にとっては観劇よりも重要であったらしい.
 

シャガールの天井画《夢の花束》
 
 見とれていると, 静かなホール内にオペラの一節を歌うテノールが響き始めた. 正面の緞帳は下りたままであるから, 歌い出したのは他のボックス席の見物客の一人, おそらくオペラ歌手を夢見るイタリア人観光客であろう. パリのオペラ座でヴェルディのアリアとは…….
 
 場違いもはなはだしいと思ったが, 帰国後に調べてみると, 彼が歌っていた《
ドン・カルロはオペラ座の委嘱初演によるものであった. 場違いどころか関連の深い作品であったことを知り, これはひとつお利口さんになったとポンと膝を打ったことであった.
 

深紅の客席の周囲には豪勢な黄金の彫刻が施されている
 
 グラン・ホワイエの装飾は, ホールの内部以上の豪華絢爛さで壮大な景観を呈していた. 壁や天井の絵画や彫刻, いくつも吊り下がるシャンデリアは, 贅の限りを尽くした感がある.
 

グラン・ホワイエの装飾は圧巻だ
 
 また, バルコニーからパリの街並を眺めるのも趣があってよい. 階下ではオペラやバレエに関する書籍や CD が販売されている. 数多くのオペラに関する書籍が展示されていたが, 残念ながら, 私が欲するラヴェルの 2 つのオペラに関する書籍だけが見つからなかった.
 

ガルニエ宮の二階部分のバルコニーも
彫刻や装飾品が豊富だ
 

バルコニーからオペラ通り方面を望む 
 

 
24. フィラルモニー・ド・パリ(Philharmonie de Paris)
 フィラルモニー・ド・パリは, 2015 年に 19 区のラ・ヴィレット公園(Parc de la Villette)内に建設された音楽ホールだ. サル・プレイエルから移転したパリ管弦楽団の新たな拠点となっている. この公園は, パリ国立高等音楽院(Conservatoire national supérieur de musique et de danse de Paris )に隣接し, 敷地内に音楽博物館(Cite de la musique)を有するパリ音楽界の中心部とも言える場所である.
 

フィラルモニー・ド・パリの正面から全景を望む
 
 パリ管弦楽団といえば, 2011 年 11 月にサントリーホールで聴いた来日公演, ――メシアン, ラヴェル, ストラヴィンスキーの演目はすばらしいものであった. 当時の常任指揮者であったパーヴォ・ヤルヴィの自由自在な表現力にも驚嘆させられた. 彼が 2015 年に NHK 交響楽団の初代首席指揮者に就任したことは大変に喜ばしいことだ.
 

薄い金属板を噛み合わせた斬新なデザインの外壁
 
 建物は, 全体が銀色に光るアルミのような金属板で覆われており, 外壁の表面は蛇のウロコのようにも見える斬新なデザインだ. シーズンオフのため, 残念ながらホール内に立ち入ることはできなかったが…….
 

ピエール・ブーレーズ 大ホールの入口
 

大ホールのホワイエの様子
 

 
パリの美術館 1
25. ルーヴル美術館 1(Musée du Louvre)
 パリの中心部に位置するルーヴル美術館は, シュリー(Sully)翼, リシュリュー(Richelieu)翼, ドゥノン(Denon)翼の 3 館からなる. フランス革命後の 1793 年に開館し, ナポレオン一世が戦利品として持ち込んだ美術品やその後の各方面からの寄贈や遺贈によって 38 万点以上もの蒐集品を誇る世界最大級の美術館だ.
 
 敷地の広さと膨大な数の美術品からして, 全部を観て回ることは到底不可能であろう. 「ルーヴル美術館を観て回るには何日もかかる」と言われるが, よほどの好事家か研究者でもない限り, すべてを万遍なく観て回ることに意味があるとは思えない. それは, 一日に(有名無名の)さまざまな作曲家の交響曲を立てつづけに聴くのに等しく, 消化不良を起こすのがオチである.
 

ナポレオン広場中央にあるルーブル・ピラミッド
 
 結局, 多くの観光客は, ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》,《ミロのヴィーナス》,《サモトラケのニケ》,ラファエロの《聖母子》など, 代表的作品だけを観て満足するのであろう. 私自身は上記の美術品にはさほどの興味を惹かれない(観ることは観たが)ので, お目当ての絵画を限定し, 日を分けて鑑賞することにした.
 
 
平日の午前中か, 22 時まで開いている水曜日か金曜日の夜間に訪れると, ほとんど混雑がなく心ゆくままに鑑賞できる. 6 日間連続で使用可能なミュージアム・パスを事前に購入しておけば, 入場券売場の行列に付き合う必要はない.
 

美術館の地下入口からルーヴル・ピラミッドを仰ぐ
 
 ドゥノン翼の 1 階(日本でいう 2 階部分)に上がってすぐのところにある, ボッティチェリの《若い女性に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神》がある. ひび割れや剥げなどが目立つが, 繊細で淡い筆遣いに惹き込まれる.
 
 その少し先, 角に位置するアンジェリコの《
聖母戴冠》は, 保存状態がよく, 金箔を用いた鮮やかな色彩を見せている. 隣の部屋にある, ダ・ヴィンチの《岩窟の聖母》も保存状態はよい(あるいは巧みに修復されているというべきか). 彼の絵には色使いや筆致に優しい温かみが感じられる.
 
 回って大部屋に入ると, ヴェロネーゼの大作《
カナの婚礼》が目に入る. 横幅 10m, 高さ 7m 弱という大きさにもかかわらず, 100 人以上の人物の活き活きとした表情や, 精緻な遠近法や色の濃淡を駆使した立体感のある構図がみごとだ.
 
 同じ部屋に《
モナ・リザ》も展示されているが, 山のような人だかりの上, おびただしいカメラのフラッシュから守るために絵はガラス張りにされていて詳細に観ることができない. 多くの観光客は実物をよく見ずに写真撮影のみで満足しているようだったが, 写真では立体的な筆遣いや微妙な色合いが失せてしまう. 絵画は(写真や画集によってではなく)実物を詳細に鑑賞することにこそ意味があると思うのだが…….
 

トリオゾン《エンデュミオンの眠り》
 
 それはともかく, プリュードンの《皇妃ジョゼフィーヌ》の神秘的な透明感, ジロデ・トリオゾンの《エンデュミオンの眠り》の精妙な筆致と豊穣な立体感に惹かれる.
 
 同じ部屋にあるダヴィッドの傑作《
皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》は, 事実とは異なる描写を含んでいるとはいえ, 遠近感のある構図や陰翳に富んだ鮮やかな色づかい, ジョゼフィーヌの衣装のリアルな描写など, 圧巻である. 絵の前に長椅子があるので, 離れて眺めたり, 近づいて細かい筆遣いを確認したり……. そこに 30 分ほども佇んでいたであろうか. 印象深い作品であった.
 
 また,『ベルサイユのばら』でマリー・アントワネットのお抱え画家としても登場するヴィジェ・ル・ブランの《
娘ジュリーとの自画像》もこの部屋の隅に展示してある. 繊細に描き分けられた光と影のバランスが見事で, その立体感が醸し出すリアリティーは現代の写実画に近い. 私の好みの画家だ. 2011 年には, 三菱一号館美術館では彼女の作品展が開催され, そこでも彼女の作品を 20 点以上観ることができた.
 

ル・ブラン《娘ジュリーとの自画像》
 

 
26. ルーヴル美術館 2(Musée du Louvre)
 2011 年の夏は, シュリー翼の北側部分は閉鎖中であり, いくつかの絵画が他の場所に移されていた.
 
 ル・ナン兄弟の《
農民の家族》は, 翳が深く, 一見すると貧しい農家を描いているように見えるが, 高価そうなグラスに入った鮮やかな赤ワインが周囲の状況とは異質な雰囲気で目を引く. ルノワールの《読書》やコローの《モルトフォンテーヌの想い出》における淡いグラデイションは, 観る者の気持ちを和ませる. 後者は同じ画家が 4 年後に描いた《真珠の女》の現実性とは対照的に, 穏やかな郷愁性と憧憬の念が込められているように思う.
 
 コローの絵が並べられている部屋と同じ部屋に, 一枚だけ別の画家の絵があった. 制作者を見ると "Constant DUTILLEUX" とある! 先述した『デュティユーとの対話』に, アンリ・デュティユーの曾祖父は画家であってコローと親しかった旨の記述があったことを思い出した. 曾祖父コンスタンの絵画をルーヴル美術館に寄贈したのはアンリであるという.
 
  絵の脇に掛けられたパネルには「コローの偉大なる友人で, 彼の影響を強く受け, バルビゾン派に接近した. 1851 年以降は, フォンテーヌブローの森へ出かけて絵を描いた.」旨が記されている. 確かに, 周辺にあるコローの絵と比較してもそれほど違和感はない. それどころか, 制作者名を見なければ, コローの絵だと言われても納得してしまうだろう.
 

C. デュティユー《松と樺, フォンテーヌブローの森》
 

上の絵を解説するパネル
 
 南側へ回ると小部屋が連なり, 少し進むとドラクロワの《ショパンの肖像》に出会う. 原画ではジョルジュ・サンドと共に描かれていたが, 画家の死後に分断されたという. ドラクロワとショパンとは, 互いの才能を尊敬しあう親密な関係にあったらしい. ジェラールの《悪い知らせ》, これも細部にわたる精緻の極みに驚かされる. 
 

ドラクロワ《ショパンの肖像》
 
 ところで, シュリー翼にあるはずのアントワーヌ・ヴァトーの《シテール島への巡礼》を探したが, 見つからない. 館内に点在する学芸員に尋ねると, 部分的な補修工事のため一時的に他の部屋に移設していると教えてくれた. 知人から聞いた話では, 以前は《シテール島への船出》と呼ばれていたが, その名でよばれる作品は,《巡礼》をまねて一年後に描かれたもので, 現在, ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿内に展示されているとのこと.
 
 "Le Pèlerinage à l'île de Cythère" と題される実物を観てみたが, 描かれている陸地がシテール島なのか(シテール島に到着した場面なのか)これからシテール島へ向かう出発前の様子を描いているのか, よく分からないが, 右端に見えるヴィーナスらしき像からするとシテール島自体を描いたものとも考えられる.
 

ヴァトー《シテール島への巡礼》
 
 色づかいも想像していたものよりは淡くぼんやりとしており, 少々拍子ぬけした. 何よりも, プーランクの同名の音楽に見られる軽妙洒脱な高揚感, ドビュッシーの《喜びの島》に見られる法悦感などが, この絵からは伝わってこない. 彼らが本当にこの絵画から何か得るものがあったのか. もし何かインスピレーションを受けたのだとすれば, それはシテール島(ギリシャにあるキティラ島)にまつわるギリシャ神話のお陰かも知れない.
 
 さて, 日をあらためてルーヴルに向かう. 館内を巡るのも体力がいるので, ナポレオン広場のピラミッドが見えるカフェ・マルリー "Marly" でひと休み. ルーヴル・ピラミッドが見えるテラスは大混雑なので, 店内に入ってみる. 案の定, 客は一人もおらずウェイターがテーブルをセッティングしているのみ. 私にとってはここの方が落ち着いてよい. 毎回コーヒーや紅茶ではつまらないので, サンドウィッチに加えてショコラを頼んでみたが, 甘党の私にとってもその濃さと甘さはなかなかのものであった.
 

美術館内にあるカフェ・マルリーの入口
 

誰もいないカフェの店内は心身ともに安らぐ
 
 カフェを出てリシュリュー翼の 2 階に上がる. フェルメール《レースを編む女》は, 2009 年に開催された国立西洋美術館おける「ルーヴル美術館展」にて鑑賞していたので, 同じ部屋にある《天文学者》を観る. 光と影の対照, 現実味のある質感を際立たせている手法はすばらしい.
 
 リシュリュー翼の中央の大部屋には, ルーベンスの 24 枚の大作《
マリー=ド=メディシスの生涯》がある. アンリ四世の王妃マリー自身がルーベンスに委嘱したもので, 彼女の生涯がドラマティックに美化されて描かれている. 制作に 4 年を要したというその絵は, 一枚一枚が細部に至るまで詳細に描き込まれており, マリーの実際の生涯とそれぞれの時期における彼女の心境を考えると, ルーベンスがいかに彼女に深い理解と敬愛の念を抱いていたかが窺える.
 
 15 世紀のオランダの小部屋を巡ると, ステーンウェイクの《
ゴシック教会の内部》が目にとまる. 濃淡を対照的に使い分けることで醸し出される荘重な雰囲気, 隅に小さく謎めいて描かれた人物たち, ……観ていると不思議な感覚に捉われる作品である.
 
 シュリー翼近くの小部屋には, クロード=ロランの《
夕陽の港》と《クレオパトラのタルソスへの上陸》がある. 帆船の一本一本の細い線や小さな人物の細かい部分まで精緻に描き込まれており, その奥行きのある空間には, ある種の憧憬を感じさせるものであった.
 

 
27. オルセー美術館(Musée d'Orsay)
 オルセー美術館は, セーヌ河を挟んでルーヴル美術館の対岸にある. 1900 年に建造されたオルセー駅を改築して 1986 年に開館した美術館であるため, パリの長い歴史から見ればほぼ最近の建造物と言えよう. しかし, 収容されている絵画は私が好む 19 世紀を中心とした印象派の絵画が多く, パリに赴く折にはつい立ち寄りたくなる美術館である.
 

セーヌ河対岸からオルセー美術館を望む
 
 2010 年および 2011 年に訪れた際には改修工事のために一部が閉鎖されていたが, リニューアルしたオルセー美術館は(屋内テラスはともかく)以前とはかなり異なる落ちついた雰囲気のものに変わっていた. 照明の光が強かったり太陽光を利用したりする美術館は光が反射して絵画を詳細に鑑賞できない場合が多いが, 改修後のここは壁の色の彩度や照明の光度をかなり落としてあり, 以前に比べてだいぶ鑑賞しやすくなっていた.
 
 ミュージアム・パスを事前に入手してあれば(別の入場口から入れるため)長蛇の列に並ぶ必要はないが, ここもやはり, 日中よりは
22 時まで開いている木曜日の夜間に訪れる方が各絵画をゆっくりと鑑賞できる.
 

オルセー美術館の屋内テラスにおける彫刻ギャラリー
 
 館内の全作品を観ることにはまったく意義を見出せないが, 興味のある絵画だけを観るとしても, ミレーの《落穂拾い》や《晩鐘》, マネの《草上の昼食》や《笛を吹く少年》, ルノワールの《ピアノに向かう少女たち》や《都会のダンス》, ドガの《オペラ座のオーケストラ》や《バレエ教室》, モネの《サン=ラザール駅》や《ルーアン大聖堂, 昼》など有名作品が一堂に会しているため, かなりの観ごたえがある.
 

ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》
 
 これらのうちルノワールの作品の多くは, 2016 年の 4 月から 8 月にかけて国立新美術館で開催された《オルセー美術館・オランジュリー美術館 ルノワール展》にて初来日しており, もちろん私自身もこの展覧会に足を運んでいる. しかしこのときは, 連日おびただしい観覧客がひしめいていて詳細に絵を鑑賞することができなかった. それで, 2017 年の渡仏時に, もう一度鑑賞すべくこの美術館に立ち寄ったわけである.
 
 優れた音楽というものは繰り返し聴くたびに新たな感慨を得られるものであるのと同様,
優れた絵画というものは繰り返し観るたびに新たな発見や驚きを得られるものだ. 一度や二度眺めた程度でそれらの絵を充分に理解することは難しい.
 

バシェ《クロード・ドビュッシー》
 
 M. バシェの《クロード・ドビュッシー》, J.D.R. ディルザックの《ベルリオーズ》, E. カリエールの《ポール・ヴェルレーヌ》, マネの《ステファーヌ・マラルメ》, P. ボードリーの《シャルル・ガルニエ》などの肖像画や彫像は間近で見ると興味深い. 写真に見られるような客観的な写実とは異なる, 対象者との人間関係や絵描き自身の主観や好悪が少なからずにじみ出ているように感じられるからである.
 

ランジェル・ディルザック《エクトル・ベルリオーズ》
 

カリエール《ポール・ヴェルレーヌ》
 
 また, 美術館の最奥部には, ガルニエ宮(オペラ座)の断面図の模型が展示されており, 建物の内部構造が詳細かつ明瞭に開示されてあるのがおもしろい. 実際にガルニエ宮に立ち入っても知ることのできない舞台裏や地下や屋根裏が, 実物そっくりに作製されているのだ.
 

ガルニエ宮(オペラ座)の断面図の模型
 
 モネの《睡蓮の池, 薔薇色の調和》は, 彼の作品としては珍しく鮮やかで力強い筆致で描かれている. 睡蓮や日本の太鼓橋を題材とした一連の絵画の中では, 最初期の作品にあたるものだ. この絵の左隣には《睡蓮の家, 緑の調和》も展示されているが, 前者の方を私は好む.
 

モネ《睡蓮の池, 薔薇色の調和》
 
 
 画集や写真では分かりづらいが, この絵には高密度で過重な油絵具が塗りこめてあり, 間近で観るとその質感がかなりのヴォリュームで迫ってくる. 離れた位置から観ると絵画全体がさらに立体的に映り, 池の水面を這う睡蓮や上に架けられた太鼓橋, 豊かに生い茂る草木などが, 説得力をもって明確に浮き上がって見えるから不思議だ.
 

 
パリ郊外 1
28. ヴェルサイユ宮殿 1(Château de Versailles)
 パリから南西に 20km ほどのところにあるヴェルサイユ宮殿へは, 最初の 2 回の訪問時は午前中に, 3 回目の訪問時には午後に赴いた. 午前中に訪れるならば, 開館と同時に入らなければ, たとえミュージアム・パスを持っていたとしても大変な混雑に巻き込まれて時間を浪費する. したがって, 8 時半前には最寄駅であるヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ(Versailles Château Rive Gauche)駅に着く必要がある.
 

宮殿正面に立つルイ 14 世の騎馬像
 
 宮殿までの数百メートルを歩くと, 入口前広場にはすでに多くの人が群がっていた. パスがあるので真っ直ぐ入場口付近へ向かう. 警備員が 9 時少し前に現れ, 少人数に小分けしながら入場させ始めた. 私は最初のグループで入場できた. 初回訪問時に入念に鑑賞した部屋を後回しにし, 2 回目の訪問時には, まず「鏡の間」へ向かった(下の写真はその際に撮影したもの).
 
 誰もいない鏡の間をひとりじめできるのは貴重な体験だ. ここは, 開館後 20 分もすれば人ごみで大賑わいとなってしまうからである. ここは, 夕方,
西陽が差し込む頃の方が麗しいとされるが, その時間帯は大変な混雑になるため落ち着いて鑑賞できないのだ.
 

庭園に降りそそぐ朝陽を受けて輝く鏡の間
 

壁に張りめぐらされた鏡と鏡に挟まれて
装飾品や彫刻品が展示されている

  
 フランス絶対王政の象徴, ルイ 14 世の繁栄を顕示する豪奢な造りに目をみはる. 絢爛豪華なシャンデリアが下がっており, ル・ブランの色彩感あるれる天井画や, 大理石の柱と壁を飾る繊細な彫刻も美しい. 奥行き 70m 以上の部屋に 300 枚を軽くこえる鏡が備え付けられている.

 
鏡の間」は, いわゆる「王の正殿」に含まれる部屋であり, ここにはほかにヘラクレスの間, 豊饒の間, ヴィーナスの間, ディアナの間, マルスの間などがある. 詳細は省くが, いずれも贅の限りを尽くした装飾品に満ちた部屋だ.
 
 しかし, 人間の感覚は傲慢なもので, これだけ豪華な部屋がいくつも連なると, しだいに飽きが生じてくることも事実である. まして, 毎日ここに居住した王や王妃は, このような過度の装飾には嫌気がさしていたのではないかとさえ思えてくる.
 

天蓋つきベッドのあるマリー=アントワネットの寝室
 
 「王妃の居殿」には, 王妃の寝室, 貴人の間, 衛兵の間などがある. 王妃が大半の時間を過ごしたといわれる寝室は, 黄金の装飾, 繊細な彫刻や木工細工, 綺麗な花模様で覆われている. しかし, この感覚も庶民の私には理解しかねる. このような豪華絢爛な寝室で, 王妃は落ち着いて眠ることができたのか.
 

純白の柱に色鮮やかな天井画の礼拝堂
 
 「王室礼拝堂」は, ルイ 14 世のためのミサが毎朝執り行われた場所で, 金と白とを基調とする柱や彫刻に加え, 正面には美しいパイプオルガン, 丸天井部分にはキリストの復活が描かれた絵が色鮮やかに施されている. 無論, 礼拝という本来の目的から考えれば, これも華美に過ぎる装丁と言えよう. 礼拝堂は本来は神の前に出る場所であるはずだ. 敬虔なキリスト者であれば, 礼拝堂を豪華に装飾したり, 自ら着飾って礼拝に出ることに違和感をおぼえると思われるのだが…….
 

回廊に置かれたデカルトの肖像
 
 ルーヴル美術館と同様, ここも一日ですべて観て回るのは不可能に近い. 来るたびに観る箇所が重複しないように巡るつもりであったが, 内部の部屋は訪れるたびにひと通り観て回った.
 

 
29. ヴェルサイユ宮殿 2(Château de Versailles)
 ヴェルサイユ宮殿の見どころとして私が特に興味をおぼえるのは, 宮殿の裏手に広がる美しい庭園である. ル・ノートルの設計によるフランス式庭園の様式だ. 園内のすべてに対して人工的な美を追窮し, 視覚的に効果の高い造形美が特長である. はるか遠方まで続く運河や, 空高くそびえ立つ並木に囲まれた遊歩道, ギリシャ神話に基づく多くの彫像や噴水など…….
 

宮殿から運河を含む広大な庭園を望む
 

庭園のいたるところに彫像がある
 
 宮殿のすぐ裏には色あざやかに刺繍された花壇が広がり, 階段を少し下ったところに「ラトゥーヌの泉」がある. そのはるか向こうに見えるのは広大な運河の一部だ. 1 km 近く続く芝生の中を運河の方へ向かって歩く. 美しく刈り込まれた生垣が緑の壁を作る小道が縦横に連なり, まるで迷路だ. 宮殿の中と異なり, 迷路の中ではほとんど人影は見当たらないので, 散策してみると大変に気分がよい.
 

黄金に輝く彫刻が木々の緑に映える「アポロンの泉」
 
 やがて「アポロンの泉」に着く. 宮殿からここまでで 700m はある. 振り返ると, 宮殿はかなり小さくなっていた. グラン・トリアノンやプティ・トリアノンまでは, ここから北へさらに数百メートルは進まなければならない. そのとき, 園内にある近くのカフェから何やらおいしそうな香りが漂ってきたので, 軽食をとり束の間の休息を得る.
 
 30 分ほどしてカフェを出ると, レンタルサイクルが目に入った. いかにもすぐにチェーンが外れそうな安物の自転車であるが, 移動には便利だ. ただし, デコボコ道では結構ガタガタと振動がくる. 案の定, チェーンが外れた(すぐに戻せたが). 日本ならばありえない事態だが, 日本国外に出るとただちに痛感する諸外国のテキトーさ加減はこんなところにもよく表れている.
 

プティ・トリアノンの「集いの間」
 
 それはともかく, 正午に開館するプティ・トリアノン(Petit Trianon)へ向かう.「べルヴェデール」,「愛の殿堂」などを観て回る. やはり, マリー=アントワネットは宮殿内の豪奢で華美な装飾に飽きていたのであろう.「王妃の村里」は, 森や畑の豊かな, のどかな農村を想わせる田舎の風景に満ちており,「農場」では野菜やブドウが栽培され, 羊や牛などの家畜が飼われていた.
 

「王妃の村里」
湖や森や建物が自然に溶け込んでいる
 

ブドウ畑や野菜畑  数多くの種類の家畜も見られる
 

「王妃の村里」
田舎風に建てられた家
 
 プティ・トリアノンを出て西へ 300m ほど進むと, 今度はグラン・トリアノン(Grand Trianon)に行きつく. こちらは宮殿の絢爛さとも田舎の農村とも雰囲気が異なる, 地中海や東洋を想わせる建造物であった. 宮殿の先にはやはり広大な庭園が広がっており, ヴェルサイユ宮殿全体の測り知れない広さに感嘆させられた.
 

グラン・トリアノンの回廊
床の模様と紅白の柱が特徴的だ
 
 トリアノン周辺は, プティ・トラン(Petit Train)と呼ばれる列車でも回れるが, いくらか舗装されているとはいえ, 石造りのデコボコ道を走るため, 乗り心地はよくなかった. 通るコースも決まっているため, これに乗って往復すると同じ景色しか見られないことも難点だ. といって歩きつづけるのもかなりの体力を消耗するので, やはりレンタルサイクルを利用するのがよいだろう.
 

ルイ 14 世の寝室
 
 
 グラン・トリアノンのすぐそばまで小運河が広がっている. これに沿って大運河との交差点まで自転車を走らせる. ここから宮殿までの距離は 1.5km くらいであろうか. せっかく自転車を借りたのだから, さらに奥へ行ってみよう. 大運河に沿って, 宮殿とは反対方向へ向かって走ってみた.
 
 あとから考えると, このあたりからは立ち入り禁止区域になっていたのかも知れないが, まさかこのような奥まで来ようとする観光客がいるとは想定していなかったのだろう. 実際, 立ち入りを制限するような柵も見当たらず, 警備員もいなかったので, はるか奥の方まで直進する農道を見つけて北の方へ方角を変え, ゆっくりと走り続けた.
 

庭園の奥へと進む
ここはまだ舗装された道が続いている
 
 ……庭園のかなり奥地までやってきた. ここまで来ると, 観光客はもちろん, 庭師の姿さえまったく見かけない. 道も徐々に雑草で生い茂るような田舎道に変わり, 整備が行き届いていない田舎道が続くのみ. 真夏の強い日差しが照りつける中, 無人の森と草原のみが広がる細い道だ. 日本のどこかの田舎道を走っている感覚と何ら変わりはない. この景色だけで判断するならば, ここがヴェルサイユ宮殿の敷地内だとは誰も思わないであろう.
 

庭園のさらに奥へ
舗装されていない田舎道が現れる
 
 自転車を降りてひと休みすることにする. まったく人の気配がない. 動物や鳥の気配すらない. しかし, 鳥のさえずりは時折かすかに聞こえる. これがかえって静寂さを際立たせるのだ. この世に私一人しか存在しないかのような別世界の空間がここには広がっている.
 
 …… 小一時間, のどかな景色を楽しんだ後, ふたたび自転車を走らせ始めた. やがて農場らしきものが遠くに見え, 牛が放牧されているのが見えた. ヴェルサイユ宮殿でごちそうされる牛肉であろうか. どうやら敷地の最西端まで到達したらしい. ここでようやく方向を変え, 宮殿の方角に進路を戻すと, やがて大運河の端が見えてきた. はるか前方に宮殿が存在するはずであるが, かすんでまったく見えない. 桁違いのスケールに圧倒された場所であった.
 

宮殿から直線距離にして 3km
庭園の奥地から宮殿方向を望む
 

 
30. モンフォール=ラモリにて 1(Montfort-l'Amaury)
 ラヴェル博物館(Musée Maurice Ravel)は, ヴェルサイユ宮殿からさらに西へ 20km 以上進んだところにある. 宮殿に来るときに下車したヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅とは別のヴェルサイユ=シャンティエ(Versailles-Chantiers)駅に行くために 1.2km ほど歩く. ラヴェル博物館があるモンフォール=ラモリへ向かうドゥルー駅行きの SNCF(フランス国有鉄道)は, 1 時間にわずか 1 本しか運行されないため, 発車時刻を調べ, 駅近くのカフェでコーヒーを飲みつつ列車を待つ.
 
 乗車して少したつと, あたり一帯の景色は急速に農地へと変わっていった. ところどころに集落が見えるが, いずれも真夏の平日の日中であるためか, 人の気配がまったくない. 農地の茶褐色と遠方の緑地帯が太陽の光に染まってとても色鮮やかだ.
 
 ヴェルサイユから乗車して 20 分ほどでモンフォール=ラモリ=メレ(Montfort-l'Amaury-Méré)駅に着く. ここもやはり人の気配がない. 改札口も無人. ……駅前の広場に出るが, 案内板も何もない. 田舎とは聞いていたが, なかなかのものだ. 駅舎も静寂に包まれている. 中に入ると, 窓口に人を見つけた. 恐らく地元の人であろう. 親切そうな笑顔をした若い娘だ.
 
 「ラヴェルの家へ行きたい」と声をかけると, 駅舎の外を指さしながら行き方の説明をしだしたが, ちょっと待て. こちらの語学力を甘くみてはいけない. 彼女の言葉を遮って「分からない」と言うと, 説明の仕方が悪かったと反省してくれたのだろう, 奥から地図を取り出して見せてくれた. なるほど,
ここからモンフォール=ラモリの町までは一本道をひたすら進むだけだ.
 
 
町に入ってからラヴェルの家までの行き方が少々あやしかったので,「地図のコピーが欲しい」と言ったら, コピー機がないのかコピーする手間を惜しんだのか,「それはできない」とあっさり断られてしまった. 距離にして 3km ほどというので「バスかタクシーは?」と尋ねると, "Non."と答えただけで, あとは笑顔で黙ったまま……. この娘, 見かけによらず不親切だ. 仕方なく, 歩いて行くことにする.
 
 駅舎を出ると, 真夏の強い日差しが全身を容赦なく照りつける. 午後 1 時過ぎ, 最も陽が高い時刻だ. 帽子とサングラスを用意してきて正解であった. 歩き出そうとして, ふと駅前駐車場を見ると, 今まさに車に乗り込もうとしている青年を発見, 先方と目があった. すかさず駆け寄って
「モンフォール=ラモリの町へ行きたい」と声をかけてみる. すると, 何という幸運であろう.「今からそこへ行くから乗っていけ」と言ってくれるではないか. 駅舎の娘よ, この親切な青年を少しは見習いたまえ! 駅舎を一瞥し, 早速, 青年の車に乗り込む.
 
 トーマスと名乗るその青年は, 子どもの頃からモンフォール=ラモリに住んでいるという.「ラヴェル博物館を訪ねて日本から来た」というと,「ラヴェルか, いいね.《ボレロ》とか?」と, 話題に喰いついてくる. さすがに地元の人だ. ここでは皆ラヴェルについて詳しいのだ. 少々嬉しくなり, 私の最も好きなピアノ曲《水の戯れ》" Jeux d'eau " を挙げると, こちらの発音に問題があったのかトーマス青年の教養に問題があったのか,「知らない」と一蹴されてしまった.
 
 しかし「ラヴェル博物館は知っている. 友人である女性がそこで案内係を務めているから」と, 耳よりなことを言う. ラヴェル博物館が予約制であったことを思い出し,「予約が必要なのでは?」と尋ねると,「大丈夫. 僕の名前を言えばタダで入れるよ」とトーマス青年はすこぶるゴキゲンだ. ……本当に大丈夫か? そもそも, 彼自身, 平日のこの時間帯に仕事をしていないというのも気になる.
 

駅から町までの一本道, 両脇は見わたす限りの農地だ
 
 道中, 信号機は一つもなく車は快適に走り続け, わずか数分ほどで村に到着した. ラヴェル博物館の前で車を降ろしてもらい,「良いご旅行を!」と言ってくれる陽気なトーマス青年と握手して別れた. 思わぬ展開で予定よりも早く着いた. 
 
 午後の開館は 14 時半と聞いていたので, 開館まで 30 分以上ある. 小高い丘の上に位置するラヴェル博物館の周辺には人影もなく, あたりはひっそりとしている.
 

ラヴェル博物館「ベルヴェデーレ」
 
 ラヴェル通り(Rue Maurice Ravel)の坂道途中にあるラヴェル博物館(Musée Maurice Ravel)は, ウワサには聞いていたが, 本当に小さい. 門柱に「べルヴェデーレ(Le Belvédère)」とある. これはラヴェル自身が命名した愛称で「見晴らし台, 展望台」といった意味らしい. ヴェルサイユ宮殿のプティ・トリアノンにある建物と同じ名前だ. 家の裏側に回ろうとしても階段を降りて下の住宅地へ抜ける道しかないので, ラヴェル博物館に入らないことには「ベルヴェデーレ」を実感することはできない. 開館が待ちどおしくなり, 正面玄関に近づいてみる.
 
 玄関脇のパネルが目に入ったとたん, 心臓がでんぐりがえった. 小さな字で
「土日のみ開館」と書いてある
ではないか! 事前に確認した資料がまちがっていたのか, 最近になって開館日が変更されたのか……. いずれにせよ, 水曜である今日は入れないことになる.
 
 玄関口の呼び出しボタンを強く押す. 警報のような鋭いブザー音が聞こえたが, 中から人が出てくる気配はない. トーマス青年よ, 案内係の女性を知っていると豪語する前に, まず開館日を知っておいてくれたまえ! ちょうどそのとき, 町の中心部にある教会の鐘が鳴った. 14 時だ. 鐘の音に導かれ, 教会のある町の中心部へ下ってみる.

 
 
サン=ピエール教会(Eglise Saint-Pierre)は, この地域イル・ド・フランスに特徴的なゴシック建築の立派な建物で, 小さな町にはふさわしからぬ大仰な印象を与える. しかし, 教会に立ち寄る余裕は今はない. 教会前広場にあるカフェでは, いくらか人が集まって寂しげな賑わいを見せている. その近くに観光案内所があった. 見るからにやる気のなさそうな建物で, 案の定, 閉まっている. 案内版を見ると「平日は 10:00~13:00, 14:00~18:00 開館」とある. すでに 14 時を過ぎているが……?
 
 
立ち去ろうとしたそのとき, 中から鍵を開ける音がしてドアが開いた. 親切そうな若い女性が現れたが, もう外見には騙されまい.「日本からラヴェル博物館を訪ねてやってきた」と胸を張ると,「土日しか開かない」と予想通りの返答だ.「そんなことは知っている. でも入りたい」と, こちらも旅の恥はかきすてる.「今日は私一人しかいないし, ここを閉めてあなたを案内するわけにはいかない」という.
 
 「観光所の留守番なら私が代わってあげよう.」と言いかけたが, 彼女一人をラヴェル博物館に行かせても意味がない. 無言で訴えたが, 相手も無言で返してくる. なかなか頑固な娘だ. もちろん, ちょっとだけこちらの方が無理を言っているのは承知している. いつまで見つめ合っていても仕方がないので, 今度の土曜 10 時に予約を入れ, ここは一旦引き下がることにした.

 
 
……が, やはり諦めきれない. 坂道を上がり, ふたたびラヴェル博物館に戻ることにする. 呼び出しボタンを人差し指でギュウギュウ押しつづける. パリ市内ならばともかく, わざわざ電車と車でこの片田舎まで出かけて出かけてきてやったのだから, せめてもの記念にこの呼び出しボタンに私の指紋を刻印しておくのだ.
 
 ブザーを鳴らしながら呼び出しボタンに指紋を入念にねり込めていると, 坂の下の方で人の気配がした. 女性が二人, おしゃべりをしながらこちらに向かって坂を上がってくる. 一人は白髪の老マダムでフランス人, もう一人は 50 歳前後で日本人らしく見える. その人が「今日は休館日ですよ」と日本語で声をかけてきた. なぜ私が日本人だと分かったのか? 海外ではよく中国人かベトナム人とまちがえられるのだが…….
 
 それはともかく, 声をかけてきた女性に「今度の土曜に予約をしたが, 今日も是非入りたい」と訴えた. その女性が老マダムに状況を通訳すると, 私をジロジロと眺めて思案していた老マダムは,「
本当は開けてはいけない日だけれど, わざわざ日本から来たのならば特別に開けてあげる」と言って玄関の鍵を取り出した. この老婆がここの案内係か !? 「トーマス青年の友人=若い女性」の案内係を想定していた私は, 勝手に妄想していた美しい女性像と目の前に現れた白髪の老婆とのギャップに倒れそうになったが, とりあえずはこの幸運にあやかることにし, 丁重にお礼を言ってラヴェルの家に入れてもらうことにした.
 

 
31. ラヴェル博物館 1(Musée Maurice Ravel)
 老マダムが「本当は開けてはいけない日だから, 今日は特別に入館料はいらない」と嬉しいことを言う. トーマスの名をあげるまでもなくタダで入館できたが, どう見てもこの老マダムが彼の友人とは思えない. 一応, 確かめるべく口を開いた瞬間, 彼女は続けて「その代わり家の雨戸も開けるわけにはいかない」と残念なことを言った.「なぜなら今日は休館日だから」と, なかなかくどい. おそらくトーマス青年とは無縁の人であろう. せっかく家の中に入れるのに「ベルヴェデーレ」を味わえないのは悔いが残るが, それは土曜に再訪するときの楽しみとして, 家の中だけでも見せてもらうことにした.
 
 最初に案内されたのは,「
中国の部屋」と老マダムが説明する小さな部屋だ. 人が一人座れるかどうかという小型ソファーと小型テーブル, 椅子や棚などがある. テーブルや棚の上には, ラヴェルが長年をかけて少しずつ蒐集したという東洋製の器や置物が整然と並べられている. 中国製の陶器や磁器が多いが, 日本製の漆器や人形もあった. 猫の置物が目立つのも猫好きだったラヴェルを偲ばせるものでほほえましい. 東南アジアのものと思われる置物もいくつかあった.
 

「中国の部屋」には
中国や日本の陶器や磁器が置かれている
 
 ラヴェルの東洋趣味は, 歌曲《シェエラザード》,《恋に逝ける女王のためのバラード》,《パゴダの王女レドロネット》などの作品に現れている. この部屋にパゴダ(中国製の首振り人形)らしきものは見当たらなかったが, 考えてみると, 彼がこれらの曲を作曲したのはこの家に移り住む前の話だ. これらの蒐集物全体が東洋趣味コレクションとしてどれだけの価値があるのか, 私は知らない. が, 蒐集品個々の様式や時代背景に統一性が感じられず, 手当たりしだいに集めたという印象を拭えなかった.
 
 そのとき, 奥の部屋から『ソナチネ』が聴こえてきた. 老マダムと一緒に来た日本人女性が弾きはじめたらしい. 彼女はパリ在住で, 知人であるこの老マダムに頼んでラヴェルのピアノを弾かせてもらいに来たのだという. しかし, 弾きに来たというよりも練習をしに来たという感じで, その演奏は, はなはだ心もとない.
 
 ラヴェル博物館のピアノは来訪者にも自由に弾かせてもらえると聞いていたので, 彼女がそれを弾きはじめたこと自体には驚かなかったが, その直後に老マダムが「彼女はピアニストよ」と得意げにささやいてきたときには本当に驚いた. パリでは, 趣味でピアノを弾く人も含めて「ピアニスト」とよぶのか. 返す言葉がなく,「『ソナチネ』は私の好きな曲だ」と言ってごまかしたが, この言葉に老マダムは気をよくしたらしい. 隣の図書室に入るなり,「今日は特別」と言って, 庭に面する雨戸を全部開放してくれた.「休館」か「開館」かは, 結局はこの老マダムの気分次第なのだ.
 

「ベルヴェデーレ」の二階部分からの眺め
 
 差し込む眩しい光に一瞬だけ目がくらむが, 目の前にひらける絶景に感嘆した. ラヴェルがこの館を「ベルヴェデーレ」と名づけた気持ちがよく分かる. バルコニーからは教会の尖塔がよく見えた. 15 分おきに鳴るこの教会の鐘の音が, ここでもよく聞こえる. 老マダムが「ラヴェルはこの鐘の音をうるさがっていた」と呟いた. たしかに, 15 分おきに鳴るのでは作曲家にとっては迷惑だろう. しかし, その呟きが, 私には老マダムの心情を吐露するようにも聞こえた.
 

図書室内に置かれたレコード・プレイヤー
 
 図書室に置かれたレコード・プレイヤーを見せてもらった. 最新の流行に敏感だったラヴェルは, 当時はとても珍しく高価だったレコード・プレイヤーをすでに自宅に置いていたのだ. 録音技術の低い時代だから, レコードも現在と比べれば音質も格段に劣っていたはずである. が, ラヴェルはそれでもレコードに耳を傾けて満足していたことであろう. その隣の部屋はリビングルーム, さらにその隣の部屋が, 日本人女性がピアノを弾いているラヴェルの作曲部屋だ.
 
 彼女はすでに『ソナチネ』全 3 楽章を弾き終わり, 今度は《蛾》を弾き始めている. やはり心もとない演奏なので「代わりに私が弾きましょう」と言い出しそうになったが, やめた. 土曜日まで待つことにしよう.《蛾》は《水の戯れ》についで私が好んで弾く曲なので, 不覚にも口出しをしそうになってしまった. これら 2 曲と《悲しき鳥たち》は, ラヴェルのピアノ作品の中でも, 即興性や幻想性に富んでいる点で特に優れていると思う.
 

インテリアにもラヴェルのこだわりが見られる
 
 40 分ほど見学してラヴェル博物館を出た. 玄関口で礼を言って挨拶すると, 老マダムが「土曜日には別の女性が案内する予定だからもっと詳しく説明してもらって」と付け加えた. なるほど, 案内係は他にもいるのか. それならば, 土曜日に案内してくれる予定の人がトーマス青年の友人なのだろう. そう考えると, なぜかホッとした.
 
 陽も高いし, ついでにモンフォール=ラモリの町を散策していくことにしよう. ラヴェルの家の門の脇にある階段を下りてみる. 高低差の激しい坂で, 一番下まで降りるとラヴェルの家はすでに見えなくなっていた. 公園の脇を歩いていき, 森の近くを散策してみる.
 
 それにしても静かだ. 人の気配がなく, 犬猫すら見かけない. 森の方からは鳥の声が聴こえる. メシアンではないので鳥の名前までは分からない. が, この声が牛や豚の鳴き声でないことくらいは, メシアンでなくても分かる.
ラヴェルはこの先に広がるランブイエの森での散策を楽しんでいたという.
 
 町の周囲を巡るように歩いているうちに, 一本道の車道に出た. これをまっすぐ歩いて行けば SNCF の駅まで戻れるだろう. 人にも犬猫にも出会わず, 照りつける強い日差しの中をひたすら歩いた.
 
 3km 以上は歩き続けたと思うが, 広大な農地にところどころに民家が点在するのみで, いつまでたっても駅らしきものは現れない.
来たときの道とは明らかに景色が違う. トーマス青年の車でお喋りをしながら村に来てしまった私は, 帰り道をおぼえていなかったのだ. もちろん, パリ郊外のこんな片田舎の地図など持っているはずがない. 仕方なく近くの民家に立ち寄って住民に駅までの道を尋ねてみる. が, こちらの発音が悪いのか, 相手の耳(or 頭)が悪いのか, 質問内容をなかなか理解してくれない.
 
 駅の方角だけでも確認しようと, メモ用紙に「モンフォール=ラモリ=メレの駅はどちら?(Où est la station de Montfort-l'Amaury-Méré?)」と書いて渡すと, たった今私が歩いて来た道を戻るように指さして「モンフォール=ラモリの町でもう一度誰かに尋ねなさい」などと, おもしろくないことを言う.「戻るのがメンドウだから近道を聞いておるのだ, たわけ者!」という高級なフランス語を知らなかったので, 礼を述べただけで仕方なく炎天下を町まで戻ることにした.
 
 モンフォール=ラモリの町で正しい道を確認し, ようやく駅にたどり着いたときには, 疲労困憊で本当に倒れそうになった.
 

 
32. モンフォール=ラモリにて 2(Montfort-l'Amaury)
 その 3 日後, 土曜日の朝は快晴だった.
 
 朝食(コーヒーは少々濃いが, バゲットやクロワッサンはとても美味しい)を簡単に済ますと, メトロでモンパルナス駅へ向かう. メトロはパリ市内を縦横無尽に通っており, どこへ向かうにも大変便利だ. モンパルナス(Montparnasse)駅到着後, SNCF(フランス国有鉄道)の改札を通って 8 時 48 分発のドゥルー(Dreux)駅行きの列車に乗り換えることになる.
 
 出発前, 隣のプラットホームに TGV が停車していることに気づいた. レンヌ駅行きの TGV に乗る観光客は, 世界遺産モン・サン=ミッシェル(Mont Saint-Michel)を訪れるつもりなのだろう. せっかくだから記念に 1 枚, と TGV を撮影しておいた. が, 帰国後にその写真を見ると, シャッターを切った瞬間に駅に居すわっていた鳩がレンズの前を横切って飛んだらしく, おのれのエサを探し求めて羽ばたく意地汚い鳩の姿が TGV の映像をさえぎっていた. モンパルナス駅の職員よ, あの非常識な鳩をどこかへ片づけておいて頂きたい!
 

SNCF(フランス国有鉄道)モンパルナス駅
 
 SNCF 線は, 各車両が二階建て構造になっている. 車内は, ビジネスマンや遊び人風の若者など数名の姿があるだけで, 空席が目立つ. 発車後, 車掌らしき女性が切符を点検にきた. パリでは, 目的地までの切符を購入しておくことと(日本のような乗り越し精算制度はない), 乗車前に切符を刻印機に通して日付を刻印することが義務づけられており, いずれか一方でも忘れると高額の罰金を徴収されるという. 先日のモンフォール=ラモリ・メレ駅の改札口が無人だったことを考えると, 目的地まで切符を買わずに乗車してしまう不心得者が多いのだろう.
 
 しばらくすると, 今度は普段着姿の黒人女性が現れ, 私の隣の空席に何かカードのようなものを置いていった. ……?! これは何の制度なのか, パリやフランスに関する知識を総動員しても心当たりがない. 振り返ると, 他の乗客の隣席にも同じカードを置いていっているようだ. しかし, 他の乗客はそのカードに注意を払う様子がない. 隣席に置かれたカードを見てみると,「子供をもつ私が仕事を得て家族と暮らせるように支援して欲しい」というような内容が活字で印刷されている. 通りすがりの日本人に何をせよというのか.「頑張れ」くらいなら言ってあげてもよいが…….
 
 1 分ほどすると, 先ほどカードを置いていった女性がふたたび現れ, 今度はそのカードを回収していった. 他の乗客たちのカードも同様だ. この間, 彼女は終始無言であった. ……もし, 寄付する意思があるならば, そのカードの上に寄付金を置いてほしい, ということだったのかも知れない. カードの文面を詳しく読まなかったこともあって, ついに要領を得なかった.
 

 
モンパルナス駅から 40 分ほど乗車してモンフォール=ラモリ=メレ駅に着く. 先日の経験から道は分かっているので, 予定通り歩くことにする. 相変わらず日差しは強いが湿度は低いので不快な暑さではない. 日陰もなく人も犬猫も見かけないような農地の中の一本道をひたすら歩き続ける.(外灯がないので)夜は満天の星空を仰ぐことができるだろう.
 
 2 km ほど歩くと, ようやく住宅地が現れる. どの家もそれほど大きくはないが, 緑の豊かな庭に囲まれた別荘のような静謐な佇まいを見せている.
 
 定年退職後にはこのような住宅地に家を構えて暮らしてみたいものだ, と感慨に浸りながら歩き続けると, 町の入口に不動産屋を見つけた. 物件案内の資料を見ると,
モンフォール=ラモリ一帯には, 2011 年の 8 月現在, 380,000ユーロ(日本円にして約 4,180 万円)程度のものから, 中世の香り漂う石造りの家で少し良いものになると 1,000,000 ユーロ(約 1 憶 1,000 万円)を超えるものなど, 比較的高級な住宅が多いことが分かった. 定年退職後にここに住むためには, 私はもう少し偉大なる人物にならねばなるまい.
 

モンフォール・ラモリの町付近にある緑道
 
 ……じきに, 見おぼえのある教会の尖塔が見えてきた. 町に入ると, 道は石畳に変わり, 中世を思わせる古風な家並が続く. とある家の庭を覗くと, 年配の女性が風景画を描いているのが見えた. よく見ると日本人のようだ. 声を掛けてみると, パリ在住の日本人で, 絵を描きにこの田舎までやってきたとのこと. なかなかセレブな生活をしている人もいるものだ.
 

 
33. ラヴェル博物館 2(Musée Maurice Ravel)
 予約を入れた時刻である 10 時ちょうどにラヴェル博物館に到着, すでに雨戸は全部開いている. 案内係はすでに来ているようだ. この時刻に予約を入れたのは私一人だけらしく, 他に来訪者はなかった. 先日こってりと指紋をねり込んでおいたブザーボタンを押すと, 先日とは別の女性が顔を出した. 先日の女性よりはいくらか若く見えるが, それでも相応の年配だ. トーマス青年の友人としてはやはり似つかわしくないように思うが, まだ望みは捨てない. 入館料 7.3 ユーロを請求されたので, タダにしてもらうべく「あなたは親切なトーマス青年の友人では?」と尋ねてみたが,「トーマス? 聞いたことないわね」とあっさり片づけられ, 7.3 ユーロをむしり取られてしまった.
 
 
ラヴェル博物館は, ラヴェルが 1921 年から最晩年の 1937 年まで過ごした家である. ラヴェルはこの「ベルヴェデーレ」が気に入って, 叔父の遺産 2 万フラン(現在の日本円に換算して約 1,500~2,000 万円)で購入したという. 先ほどの不動産屋の資料と照らし合わせると, これはこの土地の物件としてはかなりの廉価といえるだろう. すでに国内外で名声を得ていたラヴェルであるが, 実はそれほど裕福ではなかったらしい.
 
 実際,
この家はかなり狭い. もともとの部屋数は 4 部屋だったようであるが, 数年間かけてラヴェルはこまかく壁で区切って部屋数を増やしたのだという. そのため, 各部屋はさらに狭く感じられるようになったが, 小柄な体格(身長は約 160 cm)のラヴェルにはそれがちょうどよい広さだったのかも知れない.
 
 案内係のマダムはフランス語なまりの強い英語で家を案内してくれた. "Ravel" が「ハヴェル」に聞こえるなど, " r " の発音が独得なため,(固有名詞はともかく)通常の会話の中でこの発音が出てくるとかなり理解しづらくなる.
 
 玄関に最も近い, 例の「中国の部屋」に私を通した. 6 畳もないくらい狭い部屋だ. そこに小型の家具や東洋製の器や人形が陳列されていることなどは, 先述した通りである. 壁には, これも中国製と思われる盆, 皿, 絵, 鏡が架けられ, 窓際の小型テーブルの上にも装飾品を入れる木箱や用途不明の置物などがある. マダムはこの部屋を「日本の部屋」と紹介した. おや? 先日に訪れたとき, その時の案内係の老マダムは「中国の部屋」と紹介していたはずだが…….
 
 フランス人から見れば, 日本や中国などは「遠い異国」という程度のよく分からない国なのかも知れない. オペラ《子どもと魔法》におけるコレットの台本にも,「カスカラ, ハラキリ, セッシュウ・ハヤカワ」という, どこかの国と日本を混同しているような歌詞が見られる. 余談ながら,
私が学生時代に入手したこのオペラの CD(L.マゼール指揮, フランス国立放送管弦楽団)のジャケットに描かれたティーポットと茶碗の絵には「谷」という文字が書かれてあったが, おそらく「茶」の間違いであろう.
 

私が所蔵する《子どもと魔法》の CD ジャケット
 
 そう考えると, この部屋における蒐集品の価値も怪しくなってくる. マダムに「これらの蒐集品にどれほどの値打ちがあるのか」と尋ねてみると,「ほとんど価値はないと思う」とあっさりした答が返ってきた.「ラヴェル自身, これらはニセモノ(模造品)だと人に言いふらしていたから」とのこと. これには少々失望したが, 言われてみれば, いかにも皮肉屋のラヴェルらしい趣味だ.
 
 隣の
図書室に移動する. 二畳くらいのこれまた特に狭い部屋だ. 陶器にはあまり興味はないが, ラヴェルの蔵書にはとても興味がある.「ある人を理解するにはその人の書棚を見ればよい」と述べたのは三木清であったか.
 

ラヴェルの蔵書 ―― 文学関係書が多い
 
 ラヴェルが多くの作曲家の楽譜を所蔵していたのは当然だが, 音楽関係以外にどのようなものを読んでいたのかを知っておきたい. 書棚の背表紙を丹念に見て回った. 確認できたのは次のような書籍であった.
 
ヴォルテール(Voltaire), フローベール(Flaubert), バルザック(Balzac), ラシーヌ(Racine)などの全集
ユゴー(Hugo)『見聞録』(Choses vues),『エルナニ』(Hernani),『マリオン・ド・ロルム』(Marion de Lorme)
ゲーテファウスト』(Goethe, "Faust")
セルバンテスドン・キホーテ』(Cervantes, "Don Quichotte")
メリメ『ある女への手紙』(Mérimée, "Lettres à une inconnue")
モロワ『ブランブル大佐の沈黙』(Maurois, "Les silences du colonel Bramble")
ロレンス息子と恋人』(Lawrence, "Amants et fils")
ラクルテル『レ・オー・ポン 第 1 巻「ザビーネ」』(Lacretelle, "Les Hauts Ponts, I 'Sabine' ")
スタンダール社会的地位』(Stendhal, "Une position sociale")
*エショリエ『芸術家ユゴー』(Escholier, "Victor Hugo, l'artiste")

 
などの文学関係書のほか,
 
スピノザ倫理学』(Spinoza, "Ethica")
パスカル随想録』(Pascal, "Pensées")
マリタン『芸術とスコラ哲学』(Maritain, "Art et scolastique"),
*プルタレース『ヴァーグナー伝』(Guy de Pourtalès, "Wagner, Histoire d'un artiste"),
*フォーレ『イヴの歌』(Fauré, "La chanson d'Ève"),
*ボシュエ『世界史』(Bossuet, "L'histoire universelle"),
*ヴェロン『パリのブルジョワたちの回顧録』(Véron, "Mémoires d'un bourgeois de Paris"),
*ザイドリッツ『浮世絵』仏語訳版(Seidlitz, "Les estampes japonaise")
 
などがあった. スピノザやパスカルなどの人間研究書や, 浮世絵に関する書籍が含まれているのが興味深い. ラヴェル好みの音楽ではなかったと思うが, ヴァーグナーの伝記が置いてあるのも意外であった.
 

 

廊下の壁には, 歌川國廣や喜多川歌麿のもの
らしき浮世絵が何枚か架けられている
 
 おそらくレプリカであろうが, 廊下の壁には「國廣」とサインの入った浮世絵が架けられている. 1889 年のパリ万博で人口に膾炙した東洋(アジア諸国)の文化が, やがて異国情緒への憧憬となってラヴェルの東洋趣味に色濃く影響を及ぼしたのであろう.
 

リビングルームに見られる置物や絵画
 
 他の部屋に比べていくらか広いリビングルームは, 格子模様の床と縦縞の壁が印象的だ. ここはラヴェルの遺品がそのままの状態で置かれてあり, 中国や日本の人形のほか, ネジを回すと籠の中の鳥がさえずり出す精巧なおもちゃもある. ギリシャ趣味のアンティークな家具類は美しく配置され, 室内全体に古風で優雅な雰囲気をかもし出している.
 

椅子の背に描かれた
「アウロスを吹く人」(ラヴェルの作画)
 
 階下の寝室や浴室には, これもラヴェルの体格にふさわしい, 天蓋つきの小型ベッドや小さな浴槽があった. ラヴェルは, 家の間取りをデザインしただけでなく, 床や壁や家具のデザインも試みたらしい. リビングルームの椅子の背もたれ部分, 寝室の壁などには, ラヴェル自身の手による絵がデザインされている.
 

寝室の天蓋つきベッド
かなり小さいため小柄な体格でないと横になれない
 

浴室の洗面所
香水の瓶・歯ブラシ・櫛・剃刀などが並べられている
 

 
34. ラヴェル博物館 3(Musée Maurice Ravel)
 ラヴェル博物館は, 多くの日本人が訪れているようであるが, 事前に聞いたり読んだりした話では, 案内係によって対応や説明が異なるらしい. 予約を必要とする点, 一度に入館できるのは最高 7 名までという点については, ラヴェルの家の大きさに鑑みて対応を変えるわけにはいかないであろう. 開館日と入館時刻が定められている(博物館の入口のプレートには「土日のみ開館」と記されている)はずであるが, 予約した時刻に訪れたにもかかわらず, その場になって入館時刻を変更させられた例があるという. 先日の私自身のように「水曜日」に「予約なし」で入れた例もある!
 
 
入館料の記載がないので正確な金額は分からないが, 時季によって異なる金額が報告されている. ちなみに私自身は先日はタダで入館している! 入口で荷物をすべて預けるよう指示されたり館内の写真撮影を禁じられたりする場合もあるという. ラヴェルのピアノも弾かせてくれる場合と拒否される場合があるようだ.
 
 
後で調べてみて分かったことであるが, 来館する者の中には, 案内係の見ていない隙をねらって展示品を盗んだり物を壊したりする不届き者が少なくないらしい. 恐らくそれが要因であろう, ラヴェル博物館は 2017 年 2月以降, 不定期で閉館になったとのこと. フランスの老舗新聞社が発行する 2017 年 2 月 3 日付の「フィガロ」(Le Figaro)に, " Musée fermé, musiciens rembarrés... Nouvelles fausses notes dans l'affaire Ravel " のタイトルで記事が掲載されている.
 
 これを受け, イギリスの「ガーディアン」(The Guardian)は, 2 月 6 日付の記事で " The closure of the Ravel museum would be an act of cultual sabotage "と強い非難の意を示したが, 理由が理由だけに, 強固な対策を講じうるまではやむをえまい. 記事によれば, 公式には水害によるものとされているが,
閉館の数日前に訪れたデュトワとアルゲリッチは, 博物館に警察官が警備しているのを見て驚いたという.
 
 幸い, 私自身が訪問した際(2011 年)は, 2 回とも他に来訪者がなく, 案内係と一対一で質疑応答しながら各部屋を巡ることができた. 荷物を預けることも写真撮影を制限されることもなかった. 残念だったことと言えば, 案内係が例のトーマス青年の友人ではなかったため, 2 回目の訪問時に入館料をとられてしまったことだ. しかし, 入館料を払った以上, 私にはラヴェルのピアノを弾く権利がある!
 
 さて, いよいよラヴェルの作曲部屋だ. 他の部屋と同じく, こじんまりとしている. 縦長の窓からは, 階下に広がるラヴェルの庭園と森の緑の海に浮かぶ教会の尖塔, はるか遠方に広がるランブイエの森が見える. 窓ぎわに小さいテーブルが置いてあり(ラヴェルはここで作曲したり手紙を書いたりしたのであろう), その隣に, 陽を浴びてあざやかな木目のピアノが置いてあった.
 

 

真青な壁と凝った装飾の小物類に彩られた作曲部屋
 
 ピアノの上には, メトロノームの他, 装飾の凝ったランプや機械仕掛けのおもちゃ, 綺麗な絵や模様で彩られた小物入れなどが並べられてある.一面の真青な壁には, 父ジョゼフと母ドリュアールの肖像画が向かい合わせに架けられ, 棚にも装飾品や置物が多数並べられてあった.
 

 

来訪者にもラヴェルのピアノを試奏させてくれる
 
 早速ピアノの前に立ってみる. 案内係の老マダムが「ピアノを弾けるの?」と聞くので, 黙って頷いて椅子に腰かけた. 鍵盤の色は経年変色しているが, それほど痛んではいない. 譜面台を見ると,《マ・メール・ロワ》の 1 曲目「眠れる森の美女のパヴァーヌ」の楽譜が置いてある. 作曲年から判断してこの部屋で作曲された作品ではないが, まあよい, 手馴らしにまずこれを弾こう.
 
 連弾用であるが, この程度の曲ならば,(多少のアルペッジョを加えて)片手で一人分を弾くことができる. 私が二人分の楽譜を同時に演奏し始めると, マダムが溜め息まじりの歓声を上げた. 1 分半程度の短い曲であるから, すぐに弾き終わった. すかさずマダムが「あなた, ピアニスト?」と尋ねてきた. 先日の日本人女性のような稚拙な演奏でも「ピアニスト」と呼べるのなら, 私にも充分にピアニストの資格があるだろう. ……が, ここは日本人の控えめな謙虚さを見せつけるべく「いいえ, アマチュアです」と答えておいた.
 
 間髪を入れず,《クープランの墓》の 1 曲目「プレリュード」を弾き始める(やはりこの部屋で作曲されたものではないが……). 楽譜を持ち合わせていないので, もちろん暗譜だ. しばらく調律をしていないのかピッチは気になるが, 鍵盤が軽くてまあまあ弾きやすい. 音質はかなりまろやかだ. 見ると,
エラール社製のピアノであった. ラヴェルはプレイエル社とのつながりが深いものだと思い込んでいたが……. ラヴェルはこのピアノの音色を想定して《ツィガーヌ》や 2 つのピアノ協奏曲を書いたのであろうか.

 弾き終わると, 私は立ちがって案内係のマダムに礼を述べた. マダムが再度「あなた, ピアニストでしょう?」と尋ねてくるので,「いいえ, 高校で数学を教えています」と答えたら, 目を丸くしていた. 私の感覚では, ピアニストというのは, アルゲリッチやルプー, キーシンやユジャ・ワンなど, 繊細な音色の使い分けができる音楽性豊かな奏者を指す
のであって, ピアノを多少弾けるといった音大卒業程度の技量ではピアニストと称する気にはなれない.
 

庭園からラヴェル博物館を見上げる
 

日本風に作られた庭園の一角にある池
 
 
 ラヴェル博物館を後にして, モンフォール=ラモリの町を少し散策することにする. 博物館の前のラヴェル通りを挟んだ反対側には小高い丘がある. ここから眺める町の景色もなかなかのものだ. 町の歴史に暗い私は丘の頂上にそびえる 3 つの石塔の由来を知らないが, それはかなり威圧感のあるものだった. 町の中央にあるサン=ピエール教会(Eglise Saint-Pierre)の堂内に入ってみる. 15~16 世紀に王妃アンヌ・ド・ブルターニュが再建したというこの建物はかなり古い. しかし, 陽を浴びたルネサンス様式のステンドグラスは誠に美しいものであった.
 

ラヴェル通り(Rue de Maurice Ravel)
の入口にある小高い丘
 

町の中心部にあるサン=ピエール教会
 
 モンフォール=ラモリ=メレ駅までの一本道を歩く. 途中の住宅街にて, 土曜日の午前を満喫する住民が聴いているのであろう, 窓ごしにシューマンの第 3 交響曲が聞こえてきた. 想定外の音楽であったため少なからず驚いたが, 考えてみれば, モンフォール=ラモリの住民がラヴェルの音楽だけを聴くわけではないのは当然であろう.
 

 
パリの墓地
▷35. ペール=ラシェーズ墓地(Cimetière du Père-Lachaise)
 パリは緑に包まれた公園も多いが, 墓地も多い. 主要墓地には, 音楽家, 画家, 小説家をはじめとする数多くの文化人が眠っている. 墓地は, 朝 8 時頃から夕方 18 時頃まで開いており, その間だれでも自由に出入りできる. 入口に案内板がある(地図をくれる所もある)ので, それを目印にお目当ての文化人の墓詣でが可能だ. 緑が多いのは公園と同様で, パリ市内の喧騒から遠ざかった別世界の静寂が味わえる憩いの場にもなっている.
 
 パリ東部に位置するペール=ラシェーズ墓地は, パリ市内で最も広い敷地面積をもつ.
 

パリで最も広大な敷地面積を誇るペール・ラシェーズ墓地
《ゴリオ爺さん》《レ・ミゼラブル》の最後にも登場する
 
ここには, ショパン, ビゼー, ロッシーニ, デュカスなどの作曲家や, バルザック, プルースト, ワイルド, ドーデ, モリエールなどの作家, ドラクロワ, コロー, エルンスト, モディリアニなどの画家の墓がある. 哲学者メルロ=ポンティや数学者フーリエの墓もあった.
 

コレットの墓
フランスでは人気があるのか,その墓石はひときわ大きい
 
 私が訪れた 2010 年時はショパンの生誕 200 年記念の年であったため, 純白のショパンの墓には世界中のファンからのものと思しき多くの色鮮やかな花が供えられていた.
 

ショパンの墓
世界各国のショパン愛好者たちが綺麗な花束を添えていく
 

プーランクの墓
エスプリというよりも慎ましさを感じる
 

バルザックの墓
この風貌で貴族女性たちには人気があったらしい
 

ドラクロワの墓
墓石に刻まれた名前に誤りがあるという例は珍しい
 

 
36. モンパルナス墓地(Cimetière du Montparnasse)
 パリ南部の 14 区に位置するモンパルナス墓地も, ペール=ラシェーズ墓地に比べて敷地面積はいくらか狭いものの, やはり多くの著名人が埋葬されている. 1824 年に造成された後, 1847 年に拡張された墓地だ.
 

モンパルナス墓地
パリ市内の喧騒から隔離された静寂の園だ

 
 フランク, サン=サーンス, シャブリエ, ダンディなどの作曲家, モーパッサン, ボードレール, ルブランなどの作家や詩人, 数学者ポアンカレの墓もあった. ガロア理論を書き上げた翌日に決闘で命を落とした数学者ガロアの葬儀は, ここの共同墓地で行われたという.
 

サルトルとボーヴォワールの墓
各国のファンが各々の国の言葉でメッセージを添える
 
 サルトルボーヴォワールの墓は入口付近にあった. 各国のファンが彼らへのメッセージを綴った紙に小石を載せて墓石の上に置いていく. 私自身はそれほど熱烈なファンではないが,『存在と無』,『嘔吐』,『第二の性』,『女ざかり』などを学生時代に興味深く読んだことを想い出し, しばらく彼らの墓石の前に佇んでいた. 画期的で特異な契約を結んで同棲した二人であったが, 彼らの高邁な思想と数奇な人生とのギャップがこの二人の魅力なのであろう.
 
 午後 4 時 ――. まだ陽が高い時刻だが人影はない. 敷地の外に渦巻くパリの喧騒ははるか遠くに聴こえ, あたりには閑静な空間が広がっている. 木陰にベンチを見つけた. 他に誰もいないのでベンチに仰向けに横たわってみる. そのまま上空を仰ぎ見ると, 心地よい微風がそよぐ中を木々の枝葉から木漏れ陽がきらめきながらこぼれ落ちてくる.
 
 真青な空に白く輝く雲がゆっくりと形を変えていく. 空をじっと見つめていると本当に空に吸い込まれそうな感覚に陥るから不思議だ. さらには, 今, 自分のいる所が上空で, 青空という下界にゆっくりと落ちていくような錯覚にさえ捉われる. 日本国内の公園や墓地でこのようなマネはできない. ここでは誰にも邪魔されることなく, 心身ともに真に自由になれるのだ.
 

ベンチに仰向けに横たわり, 静かにパリの空を眺める
 
 2013 年に亡くなったデュティユーがここに埋葬されたと聞き, 2014 年にも再度この墓地を訪れた. 管理事務所で墓の位置を教えてもらい, まだかなり新しい綺麗な墓石を間近に見ることができた.
 

2013 年に没したデュティユーの墓
 
 正宗白鳥は 10 回以上もこの墓地に足を運んだが, 結局はモーパッサンの墓を見つけられなかったらしい. 与謝野鉄幹も同様の理由でこの墓地内をさまよったという. 事務所で尋ねれば管理人が親切に教えてくれたはずだが, 当時は事務所がなかったのか彼らが尋ねる勇気をもたなかったのか……. 彼らが血まなこで探し回ったモーパッサンの墓は 26 区の中ほどにある.
 

 
37. モンマルトル墓地(Cimetière de Montmartre)
 パリ北部の 18 区にあるモンマルトル墓地は, モンマルトルの中でも最西部に位置する. 入口の案内板には著名人の墓の位置をアルファベット順に並べて明示されているので, あらかじめ墓地内をどう回るかコースを決めやすい. ただし, それは, スタンダール, デュマ(フィス), ハイネ, ベルリオーズ, オッフェンバック, ドガなど, あくまでも著名人に限る.
 

1970 年に新たに建て直されたベルリオーズの墓
 
 永井荷風が「紅裙翻る街道は架橋によりて其の一隅を横ぎりたる橋の欄に佇めば低き墓地の小高き処に, 人は赤き蝋石のアーチを戴きたるゾラの半身像を見るべし(旅行記『墓詣』)と書いている通り, 墓地を横切る橋(コーランクール通り)の上から西側の墓地を見下ろすとゾラの半身像が見えた. ゾラの顔を眺めながら, 彼の描いた独特の世界に想いを馳せる.『居酒屋』や『ナナ』よりも,『テレーズ・ラカン』の心理描写の方が印象的で私の好みだ.
 
 ……ふと, 墓地内の小道から墓地へ上がる階段で, 痩せたノラ猫がのんびりと毛繕いをしているのが見えた. ゾラの顔よりもノラ猫の仕草の方が見ていておもしろい.「人は旧き墓石の傍らで毛を繕いたるノラの全身像を見るべし.」
 

《ペトリューシュカ》を演じたニジンスキーの墓
 
 

ラヴェルとローマ大賞を争ったカプレの墓
 

サクソフォン制作で知られるアドルフ・サックスの墓
 

 
38. パッシー墓地(Cimetière de Passy)
 16 区にあるパッシー地区は高級住宅街として知られる. パッシー墓地は, エッフェル塔の近くのシャイヨ宮の西側に位置する比較的規模の小さな墓地で, ここには, 作曲家のイベール, フォーレ, ドビュッシー, 画家のマネ, モリゾなどが眠っている. 入口の管理事務所に寄れば墓地内の地図を入手できるので, 目当ての墓石を探すことは簡単だ. 狭い敷地内に, およそ 100 本のマロニエが植樹されているという.
 
 ドビュッシーの墓は路地を一歩入ったところにひっそりと設置されており,「Claude Debussy」とだけ記された墓石は想像していたものよりも地味
であった. 他に人影も見当たらない寂しい墓地の中でドビュッシーの墓石をじっと眺めていると, 頭の中で《ペレアスとメリザンド》(1902)の静謐な冒頭部が流れ出した. この傑作を生みだした作曲家が, 私の目の前で今ここに静かに眠っているのだ.
 

ファンからと思しき花束が添えられたドビュッシーの墓
 
 ドビュッシーの墓からほど近い位置にフォーレの墓もある. こちらは親族も含まて埋葬されているのか, フォーレの名前以外にも多くの人々の名が墓石に刻まれていた. 墓石を見つめていると, 頭の中で, やはり《ペレアスとメリザンド》(1898)の静謐な冒頭部が流れ出した. 音楽史上の際立った業績をもたないフォーレであるが, ラヴェルなどの個性的な弟子にも寛容でその才能を伸ばした功績は高く評価されてよい.
 
 ふと振り返ると, 墓地の一画からエッフェル塔の上半身が見えた. 高さ 321m のエッフェル塔は, パリの象徴とされる通り市内のいたるところからその姿を見ることができる. 全体像が見えるところではそれほど気にならないが, 手前の建物や木々に遮られて上方部しか見えないこの墓地からの塔は, やや寸胴で不格好に感じられた.
 

パッシー墓地からエッフェル塔を望む
 
 

 
▷39. ルヴァロワ=ペレ墓地(Cimetière de Levallois-Perret)
 パリから北西に向かった郊外の街ルヴァロワ・ペレを訪れる観光客はそう多くはあるまい. 特に観光スポットとなりうる場所もなく, 商業中心というよりはビジネス街といった様相で人口密度の高い地区だと聞く.
 
 
私がここを訪れた目的は, もちろん, ラヴェルの墓詣でにあった. 入口の管理事務所で場所を尋ねると, やや年配の男性が「はいはい, ラヴェルさんの墓ですね, 分かってますよ」とでもいうように積極的に道案内をしてくれた. やはり, ラヴェル好きの観光客はたびたびここにやって来るものらしい. 墓は意外にも入口に近い場所にあり, 1 分も歩かないうちにすぐにたどり着いた.
 

フランス国旗が掲げられたルヴァロワ・ペレ墓地の入口
 
 ラヴェルの墓には鮮やかな深紅の花が添えられていた. 兄弟とも独身で過ごしたラヴェル一家の血筋は弟エドゥアールの死とともに途だえたはずであるが, このような新鮮な花が供えられるとは, どこかに遠い親戚でもいるのか, それとも世界各国から訪れるラヴェルのファンによるものなのか……. 人一倍おしゃれに気を遣っていたラヴェルにふさわしい装いであった.
 

ラヴェルと両親および弟エドゥアールの墓
 
 墓地の敷地内を少し歩いてみると, 墓地の奥の方にエッフェルの墓を見つけた. やはり知名度としてはエッフェルの方が上なのであろう, その墓石は結構目立つ. 脇にはエッフェル塔が描かれたパネルが備えつけられているため, 見つけるのはたやすい.
 

 
40. サン=ヴァンサン墓地(Cimetière Saint-Vincent)
 サン=ヴァンサン墓地はモンマルトルの丘の北部に位置し, 墓地全体が斜面に沿って造成されている. モンマルトル墓地に比べると規模はかなり小さい. 墓地の入口は分かりづらいが, メトロ 12 号線の「ラマルク・コーランクール(Lamarck-Caulaincourt)駅」から南側の坂を上がって道路を渡ってから左の路地へ入ると入口にたどり着く.
 

墓地内からモンマルトルの丘にある住宅街を仰ぐ
 

雨上がりの墓地に他の訪問客はなく, 静寂に包まれていた
 
 ここには, オネゲルとユトリロが眠っている. オネゲルの墓は墓地に入ってすぐ, 右側の通路沿いにあり, 茶褐色の長方形の墓石に金文字で彼の名が刻まれている. 晩年, その著書『私は作曲家である』において作曲や文明に対する厭世的な見解を示した彼は, 心臓を患う中, ほのかな希望を見出しつつ至高の美しさを誇る《クリスマス・カンタータ》を書いて世を去ったのであった.
 

入口から最も近い位置にあるオネゲルの墓
 
 ユトリロの墓は入口から見ると斜面上方部の奥の方にあり, ユトリロと妻リュシーの名前が刻まれている. 隣にギリシャ彫刻風の白い像が立っているが, ユトリロとどのような関連性があるのか……. 彼をはじめとする詩人たちが通い詰めた居酒屋「オ・ラパン・アジル(Au Lapin Agile)」は, この墓の真後ろの位置だ. 虚弱体質の私生児として生まれ, 精神病とアルコール依存症で孤独感に苛まれたユトリロ. 太宰治の『斜陽』にも「(ユトリロは)アルコールの亡者. 死骸だね.」という台詞が出てくる. 絵に打ち込むことでほのかな希望を見出すほか, 生きるすべがなかったのかも知れない.
 

ユトリロと妻リュシーの墓
 

 
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