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碧の会・随想
Aonokai Essays
2000年~2002年 Website 連載
目次 Contents
2000 年
4月7日 会の発足から僅か数日で…
4月14日 来月の演奏会に向けて…
4月21日 日常の狭い行動範囲の中で…
4月28日 今日は眩しい朝陽と…
5月5日 ラヴェルは, 作曲する際に…
5月12日 ヘーゲルは「私は哲学を…
5月19日 読むべき時期に読まねば…
5月26日 夕方, 何気なく点けた…
6月2日 吹奏楽コンクールの課題曲…
10 6月9日 私の作曲方法は…
11 6月16日 武満徹氏は, 作曲する際に…
12 6月23日 「何故数学を勉強するのか」と…
13 6月30日 真に音楽を味わう為には…
14 7月7日 マーラーの第8交響曲第Ⅱ部の…
15 7月14日 夏を想わせる季節が…
16 7月21日 文化や芸術の向上を図る為には…
17 7月28日 海を見て来た. …
18 8月4日 この時期, 各地で開催される…
19 8月11日 熟達した作曲家にとっても…
20 8月18日 千年以上もの歴史を誇る短歌は…
21 8月25日 森鴎外や芥川龍之介等などの…
22 9月1日 拙作5首を以って近況を…
23 9月8日 景気回復が叫ばれる中…
24 9月15日 ヒンデミットは, 学生の作品の…
25 9月22日 英国の科学者達のエッセイを読むと…
26 9月29日 精神の琴線を爪弾く事柄に出遭えた時…
27 10月6日 一般に, 作曲コンクールが…
28 10月13日 いつの頃からか, 私は一日毎に…
29 10月20日 ショパン国際ピアノコンクール…
30 10月27日 彫刻家が仏像を彫る姿は…
31 11月3日 音楽や定理を産み出したり…
32 11月10日 《牧神の午後への前奏曲》は…
33 11月17日 現代に於いて成功を得た一つの例は…
34 11月24日 眼を醒ますと, 黎明を走る…
35 12月1日 中学生の頃, 幾許かの文学作品や…
36 12月8日 文学館を訪れる際…
37 12月15日 先週末, 都内の大学に於いて…
38 12月22日 幼少の頃に読んで感動した童話を…
39 12月29日 一昨日, 第九を聴いてきた. …
2001 年
40 1月5日 新年を迎え, 我が国の文化を…
41 1月12日 《碧の会》第1回演奏会が無事に…
42 1月19日 目の前には雄大な白銀世界が…
43 1月26日 夜の静穏の中, 戸外では…
44 2月2日 顧みれば, 私が作曲を志した頃に…
45 2月9日 ドストエフスキーやハイデッガーの…
46 2月16日 嘗ては, 多くの者がその若き日に…
47 2月23日 以前, 私立学校に勤務していた頃…
48 3月2日 巷では教育改革論議が盛んであるが…
49 3月9日 レクイエムは「死者の魂を…
50 3月16日 死者を悼む者が如何なるレクイエムに…
51 3月23日 普段から一流演奏家のCDを…
52 3月29日 私は或る一日が義務のみで終わることを…
53 4月6日 中学時代の友人に…
54 4月13日 西欧の絵画, 彫刻, 建築, 音楽等が…
55 4月20日 帰路, 窓を開けて…
56 4月27日 優れた業績を遺した人物の…
57 5月4日 埼玉県出身の優れた数学者に…
58 5月11日 「何も為さぬは罪悪」と考えて…
59 5月18日 曲に対する偏好性が強い私は…
60 5月25日 我々は常に明確な目的意識を…
61 6月1日 現代人は, 生活の利便化や合理化を…
62 6月8日 片田舎に赴いた折…
63 6月15日 仮に「最も尊敬する作曲家は誰か」と…
64 6月22日 作品総数は僅かであるにも拘らず…
65 6月29日 自宅から少し出掛けた処に…
66 7月6日 創作意欲を維持する為には…
67 7月13日 或る仏国の作家は…
68 7月20日 創作に携わる者は…
69 7月27日 中学・高校・大学の各時期に於いて…
70 8月3日 作曲する際, 近現代の作品の…
71 8月10日 ここ暫く土曜日曜も含めて…
72 8月17日 最近得た知己の中に…
73 8月24日 昨年の秋, 矢内原忠雄全集の…
74 8月31日 拙作5首を以って近況を…
75 9月7日 数学史上, 高齢な数学者が…
76 9月14日 ムソルグスキーの《展覧会の絵》は…
77 9月21日 個々の作曲家が代表作を…
78 9月28日 同一の楽団が演奏しているにも拘らず…
79 10月5日 演奏会の最後に予期せぬ曲を…
80 10月12日 映画・演劇自体は…
81 10月19日 真理を永遠に普遍のものと看做す…
82 10月26日 誰もが認める処の認識或いは判断と…
83 11月2日 小学生の頃, ピアノの稽古からの…
84 11月9日 ノーベル賞が発表される頃になると…
85 11月16日 多くの作曲家達の業績を見ると…
86 11月23日 緻密なスコアを大量に書く作曲家…
87 11月30日 総作品数や演奏される機会が…
88 12月7日 近い将来, 歩行のみならず…
89 12月14日 数学と哲学の双方に魅せられた学者は…
90 12月21日 納得できなければ行動しないという…
91 12月28日 昨年末に記した理由を以って…
2002 年
92 1月4日 前日までの雑然たる景観とは異なり…
93 1月11日 寒さの厳しい季節には…
94 1月18日 永きに渉って同種の対象に接し続けると…
95 1月25日 綿密に計画された旅は…
96 2月1日 作曲後暫くして…
97 2月8日 薄曇りの冬空も陽に煌く夏空も…
98 2月15日 文学を好んだ中学生時の私は…
99 2月22日 素早く変化し進んでいく時代の急流に…
100 3月1日 或る知人は極めて行動的である.…
101 3月8日 繁華街に出向けば…
102 3月15日 初夏を想わせる陽気であった.…
103 3月22日 創作意欲が旺盛であっても…
104 3月29日 今日, 久々にバッハの《マタイ受難曲》を…
2001年
4月7日(金)
 会の発足から僅か数日で第1回演奏会の日程及び曲目が決定した. この予想外の展開の早さに幾許かの見切り発車の懸念を禁じ得ない. 現時点の会員各々の役割は未定であるが, 取り敢えずは各個人が為し得ることを適宜判断しつつ準備を始めている.
 さて, このエッセイ欄は, 会員各々が折々の想いを自由に述べる為に設けられた. 内容は未定であるが, 私自身は音楽に纏わる近況或いは随想を徒然なる侭に綴っていく予定である. 折に触れてご覧頂ければと思う.

 
4月14日(金)
 来月の演奏会に向けてプロコフィエフのピアノソナタを準備している. 前回はスクリャービン, 前々回はラフマニノフと, ここ数年はロシア音楽を採り上げて演奏してきた.
 ロシア音楽には奥深い情緒と言語に尽くせぬ物悲しさを感ずる. 昨年の夏に訪れたロシアでは, 雄大な自然とそこに暮らす人々の素朴な民族性とが印象的であった. 風土と歴史に深く結び付いた国民性がこの国の音楽には息衝いているように思う.
 
4月21日(金)
 日常の狭い行動範囲の中で生涯に影響を与える人物に出遭うことは極めて少ない. 学生時代の私は, 周囲の人物よりも寧ろ書物から多くの感化を受けた. 数学者の高木貞治や哲学者の西田幾多郎など, 彼らの著作を通じてその業績や人間性に触れたことは, 生涯に於ける大きな収穫であった.
 差し当たり私が書き遺せるものは音楽作品である. 常に優れた芸術に触れ, 優れた書物を繙き, 優れた人物に接し, それらを咀嚼し吸収することを心掛けたい. それらに対する憧憬が新たな作品を創る契機となるのである.
 
 
4月28日(金)
 今日は眩しい朝陽と心地好い風とに恵まれた. 昨夜の豪雨が幻かと思われるほどである. 自宅の庭や自宅前の公演に植え込まれた樹木が風に揺れるたび, 木漏れ陽と葉の滴が宝石のように煌びやかに鏤められる. 美しい情景が描かれる季節は新たな音楽的イディオムを紡ぐのに相応しい.
 私の音楽作品は各々が固有の心象風景に基く. それを少しずつ写し取るようにイディオムを紡ぐのである. 聴者の想像範囲を狭めないよう, 曲に具体的な標題を付すことは少ないのであるが…….
5月5日(金)
 ラヴェルは, 作曲する際に自ら種々の条件を課し, その都度巧妙にそれを克服した作曲家であった. 彼の作品には前衛音楽のような奇を衒う編成や形式は全く見られない. にも拘らず, 現代でも斬新さを失わぬ洗練された音楽を響かせるのである.
 彼の作風の影響下に在る私は, 矢張り変則的な編成や形式を好まない. 規範的な編成や形式の中で自己の感性を如何に簡潔に表現するか, これが私が作曲を為す際の課題である.
 
 
5月12日(金) 
 ヘーゲルは「私は哲学を考えるように罰せられている」と述べ, ガウスは「数学は私の心の磁石が常にそれに向かって廻る磁極である」と述べた. この一言の中に, 全生涯を捧げた研究対象への彼らの想いが尽くされている.
 私には彼らのような傑出した才能や特別な情熱はない. 私の作曲に対する姿勢は, 飽く迄も余暇に於ける趣味といった程度に過ぎない. 作曲への想いを敢えて挙げるならば, レニエの詩句「無益な仕事の, 日々新たなる, 魅惑的な愉しみ」が最も相応しいであろう.
 
 
5月19日(金)
 読むべき時期に読まねばならぬ書物がある. 中学生, 高校生が感銘を覚える文学を30歳代に繙いても, 前者と同等の感銘は得られない. また, 経験すべき時期に経験せねばならぬ事がある. 勉強や遊びは無論のこと, 喧嘩, 挫折, 恋愛, 憧憬など, 固有の時期に固有の感性を以って経験を得ることでその人の固有の人間性が育まれる.
 同様に, 聴くべき時期に聴かねばならぬ音楽が存在する. 凡ゆる芸術は感性豊かな時期に堪能しておくべきものであろう. 時期を逸しては充分な感動を得られない.

 
5月26日(金)
 夕方, 何気なく点けた NHK 第2放送で丸山眞男『日本の思想』の朗読を聴き, これを繙いた高校生時代を懐かしく思い出した. 政治思想史家として活躍する一方で音楽への深い造詣を示した彼に対し, 当時の私は淡い憧憬を抱いていた. その影響で, 彼の著書によって明日への活力を与えられていたのである.
 日中の喧騒が遠い過去に感ぜられるほどの静かな夜が訪れている. 日常の多忙に感けて忘れていた明日への活力を蘇らせる為, 久々に彼の著作を繙いてみようと思う.
6月2日(金)
 吹奏楽コンクールの課題曲について福島弘和氏に倣って書いてみた(《碧の会》ウェブサイト掲載). 演奏者の参考と成り得るような楽曲解析という題目は私には荷が大き過ぎる. 吹奏楽の指導経験を有たない私は, 各楽器の練習方法や演奏方法について細かく言うべき言葉を知らないのである.
 吹奏楽に携わる楽しみや喜びはコンクールに限るものではない. 賞を目的とする楽曲分析ではなく純粋に曲を深く味わう為の楽曲分析になるよう, 故意に歪曲解釈して書き綴った次第である.
 
10 6月9日(金)
 私の作曲方法は, 蓄積されたイディオムから幾つか選んで紡ぐというものである. 実際に採用されるイディオムは全体の 1 割にも満たない. 音になる日を夢見るイティオム達は増加の一途を辿る他はない.
 作曲家の死後, 未完の草稿やスケッチが遺稿として発見されることがある. 斯様な事態を好まぬ私は頭の中で作曲を終えてから起稿するため, 取り敢えず心配はない. ……否, それ以前に, 私の如き者が遺稿を探されるような著名作曲家になれる筈もないので, 固より何の心配も要らないわけである.

 
 
11 6月16日(金)
 武満徹氏は, 作曲する際にバッハの《マタイ受難曲》を聴いたという. 生前の彼が最後に聴いた曲もこれであったらしい. 私はこの曲を聴くたびに言語に尽くせぬ偉大なるものを感ずる. 幼少の頃から聴き親しんできた曲であるが, 世を去る前に1曲だけ聴けるとすれば, 迷うことなくこの曲を選ぶであろう.
 優れた芸術は世代や時代を超えた普遍性を以って多くの人々の心を動かす力を有つ. これは意図的に創れるようなものではない. 作曲者自身の純粋な内発的欲求から生ずるものであろう.

 
12 6月23日(金)
 「何故数学を勉強するのか」と生徒から問われることがある. 答は「何故音楽を演奏するのか」という問いに対する答と同様である. 私自身が数学或いは音楽に携わるのは, それ自体に魅力を感ずるからに他ならない.
 ショパンやリストを通じて演奏する素晴らしさを味わう為には, 前梯としてハノンやツェルニーを弾かなければならない. 解析的数論や代数幾何学を通じて数学の深さや美しさを味わう為には, 前梯として高校や大学の数学を学ばなければならない. 生徒自身が対象に魅力を感ぜられるようにと日々努力しているつもりであるが…….
 
13 6月30日(金)
 真に音楽を味わう為には聴くという受動的行為のみでは不充分である. 自ら演奏したり作曲したりすることで, より深い音楽的体験が得られる.
 昨年, マーラーの第8交響曲やヴェルディのレクイエムなどの演奏会に於いて, 初めて合唱団員の一人として歌う機会を得た. 実際に歌ってみると以前には理解し得なかった多くのことに気付く. 特に前者については, 彼独特の和声を堪能し個々の歌詞を吟味することを通じて, 改めてマーラーの魅力を捉え直した次第であった.
14 7月7日(金)
 (承前)マーラーの第8交響曲第Ⅱ部の歌詞は, ゲーテの『ファウスト』第Ⅱ部終幕の場から採られている. 以前, 三木清の『歴史的意識と神話的意識』を読み進める中で,「神秘の合唱」の冒頭部が原語(ドイツ語)の侭注釈なしに引用されているのを見て驚いたことがあった. 近代日本に於ける教養人達に自然に身に付いているものであるとするならば, 英国に於けるシェイクスピアの如く, これはドイツ国民の教養としても相当に親しまれ浸透しているものなのかも知れない.
 ……ところで, 我が国に於いて斯様な古典に相当するものは何であろうか.
 
 
15 7月14日(金)
 夏を想わせる季節が到来している. 暑さは苦手であるが, 私は夏を好む.
 或る曲が「名曲」と成り得るか否かは, その曲と出遭った頃の想い出に深く関わるように思う. 私自身の「名曲」は, 懐かしい場所, 季節, 境遇などを直ちに連想させる. 夏を例に採れば, マーラーやハチャトゥリアンの第3交響曲, シベリウスの《クレルヴォ交響曲》などは, 楽しく遊んだ小学生時の夏を, ブルックナーの第8交響曲やファリャの《三角帽子》などは, 部活動に打ち込んだ中学生時の夏を思い出す. 私はこれらの曲を無暗に聴き流すことができない.
 
16 7月21日(金)
 文化や芸術の向上を図る為には国からの経済的援助を要するが, それを殆ど得られぬ我が国では, ホールや美術館や博物館の入場料や入館料が欧米諸国に比べて高額である. 優れた資質を有ちながらも経営難故に統廃合を余儀なくされる楽団も存在する. 文化及び芸術に対する我が国の意識はまだ発展途上であると言わざるを得ない.
 ところで, 或る知人から「国民の芸術への意識向上を図るための条件」を聞いた. それは, 多くの国民が《碧の会》の演奏会に足を運び, 上質の芸術に触れる喜びを分かち合うことであるという. ……含蓄ある見識で, 流石は我が知人と膝を打ったことであった.
 
17 7月28日(金)
 海を見て来た. 幾度となく打ち寄せる波を眺めながら, この世を形作る多くの日常に想いを馳せていた.
 斯くして私が海を眺めている間にも, 畑仕事の手を休めて額の汗を拭っている農夫があり, 娘の死に直面して涙している父親が在り, 喫茶店で恋人に逢う時刻を待っている女性が在り, 些細な事で言い争っている若者達が在り, ……個々の人々が如何なる日常にあろうとも, それらを全て呑み込むようにして今日一日が暮れていく. 私は斯様な処にこの世の悲哀を感ずるのである.
18 8月4日(金)
 この時期, 各地で開催されるピアノコンクールに足を運ぶことが多くなる. 学生達の演奏を聴いていると, 私自身も新たなる練習意欲を掻き立てられるのである. 彼らの多くはプロを志す者であり, スカルラッティーやモーツァルトを或る程度美しく弾ければ充分と考えている私とは, その意気込みは全く異なるのであるが…….
 熱し易く冷め易い性格の私は, 常に他者から何らかの刺激を受け続けることで自己の存続を図ってきた. 互いに良い影響を及ぼしつつ更なる向上を図れるような人間関係を築いていくこと, ……日頃より心掛けたいことである.
 
19 8月11日(金)
 熟達した作曲家にとってもオペラの創作は至難の業である. ベートーヴェンやドビュッシーの如きは, 第1作に渾身の力を込めて了った所為か, 2作目以降を完成し得なかった. 過去の名作に匹敵する作品を求められる現代作曲家の場合, 新作が厳しい批判に晒されることも多く, 彼らの創作意欲が削がれないかが危惧される.
 ところで, 私も漱石の『こころ』に着想を得て3幕8場のオペラを構想した. これは上演される見込みがなく, 従って批判に晒される懸念もない. 安心して作曲に取り掛かれるわけである.
 
 
20 8月18日(金)
 千年以上もの歴史を誇る短歌は, 我が国特有の趣深い表現手段として多くの人々を魅了し続けてきた. 日常に於ける折々の情感や情景を固有の言い回しを以って色彩豊かに表現することで, 受け取り手に臨場感を与え共感を誘う独特の芸術が生ずるのである.
 作歌の難しさや面白さは, 極めて規範的な形式の中で自己の心情を如何に充実させ, 且つ簡潔に纏めるかに存する. 私が作曲を為す際の課題と対照的である.
 
21 8月25日(金)
 (承前)森鴎外や芥川龍之介等などの作家達, 或いは西田幾多郎や南原繁, 湯川秀樹等などの学者達が折に触れて遺した歌には, 特に心を惹かれる. 作為的な装飾を有たない素朴な心情表現を含み, 彼らの生涯と重ね合わせて詠めば, 一種独特の感慨が得られるのである.
 受け取り手の共感を得られるか否かは, 恐らく表現技法の優劣とは無関係であろう. これは短歌に限らず凡ゆる創作に当て嵌まることでもある.
22 9月1日(金)
 (承前)拙作5首を以って近況を少々…….
・定演に想ひ馳せつつ着々と進む準備に心湧き立つ
・風そよぐ洋舘連なる並木沿ひ漏れ聞こゑ来るドビユツシーを聴く
・仔猫らの遊び疲れて眠る午後のどけき姿に吾も眠りをり
・先人の築きし業を糧に得てわが創作の意欲燃やさん
・かれこれと心急くこと多くして為す能はざる夏は逝きけり
 
 
23 9月8日(金)
 景気回復が叫ばれる中, 安易な需要や流行に迎合する商品開発に拍車が掛かっている. しかし, 昨今の我が国に見られる刹那的利益追求の姿勢からは, 何ら意義深い文化は生まれない.
 先日, 草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルに足を運んだ. 全国各地から集って切磋琢磨する若手音楽家達の姿が新鮮であった. 著名な高原地, 温泉地たるに留まらず, 斯様な文化的催事を推進する同地の取り組みを, 私は高く評価したい. 斯様な活動を普及を通じ, 深い精神性と良質な文化が尊ばれる時代が到来することを願っている.
 
 
24 9月15日(金)
 ヒンデミットは, 学生の作品の不備を直ちに書き改め別の曲に仕上げて了ったという. 書法を確立する前に基礎を徹底的に叩き込む彼の方針は,「練習は厳格に, 作品は自由に」であった. 一見, 個性を潰すかのようであるが, 厳しい鍛練を経ずして真の才能は育ち得ないことを充分に認識していたのであろう.
 以前, 恩師から平吉毅州氏を紹介するとのことで作曲を師事しては如何かと勧められたことがあるが, 上記学生のような事態を懼れた私は, 忝くもお断りして了った. 今は亡き平吉氏の作品を耳にするたび, 忸怩たる思いを禁じ得ない.
 
25 9月22日(金)
 英国の科学者達のエッセイを読むと, 英国人がティータイムを如何に大切にするかが窺える. 束の間の休息は心に安らぎを与えると共に新たな活力を与えるのである. 英国の作曲家ブリテンの合唱曲《金曜日の午後》を私は好んで聴く. 瑞々しい児童合唱が奏でる繊細且つ平穏な和声は, 金曜日の午後に聴くのに相応しい. 日々のティータイムを採れぬ私は, 週末に至って漸く精神的安堵感を覚える. 義務から解放され, 音楽を通じて心身の充実を図るのである.
 私が毎週金曜日にエッセイを執筆するのには斯様な背景がある.
 
 
26 9月29日(金)
 精神の琴線を爪弾く事柄に出遭えた時, 我々はその事柄に対して興味や感動を覚える. 日常を味わい深める為には斯様な経験を数多く得ることが必要であろう. 琴線としての知識や経験を如何に豊かにさせ独自のものとするかが大切である.
 明日からの2日間, 勤務校に於いて文化祭が開催される. 今日は夜遅くまで準備をする生徒の姿が随所に見られた. 行事を通じて彼ら自身の内に何か芽生えるものがあるならば, 茲には等閑にできぬ意義が存するのであるが…….
27 10月6日(金) 
 一般に, 作曲コンクールが芸術性の高い作品を選出するとは限らない. 畢竟, 選出作品は審査員の主観に左右される. 吉松隆氏が述べるように「必ず通る作風と絶対通らないタイプの作風とが存在する」わけである. 彼の傑作『朱鷺に寄せる哀歌』も某コンクールで落選した過去を有つという.
 私自身はコンクール用に作曲することはない. 実際, 種々の制約の下でも優れた作品を書くプロの「作曲家」の真似は難しい. アマチュアの「作曲可」に過ぎぬ私は, 気侭に作曲したものが条件に沿う場合にのみ応募する.
 
 
28 10月13日(金) 
いつの頃からか, 私は一日毎に何らかの進捗を求めるようになった. 一日を顧みて或る程度の充実感を得られぬ夜は, 烈しい焦燥感に駆られる. これは, 私の存在の有限性を意識すること, 即ちいつかは訪れるであろう死の観念が無意識の内に働いていることと不可分ではない. 折に触れて体感する喜び, 悲しみ, 憧れ, 懐かしさなどの豊かな情緒は, 人間の儚い生命を想う時に一層の深みを増す. 寂寥を湛えた秋の夜を感ずる心は人間に固有のものであろう.
 ……音楽という手段を以って情緒を表現し得ることは, 私自身の細やかな喜びである.
 
 
29 10月20日(金)
 ショパン国際ピアノコンクールにおける受賞者が決定した. 演奏者たる彼らには, 受賞は単なる通過点に過ぎない. その技術レヴェルを維持する為には過去の栄光に酔っている暇はなく, 日々不断の研鑽を余儀なくされるわけである. 彼らの演奏を聴き, 私自身も演奏や作曲に於ける向上意欲を新たにした次第であった.
 ワルシャワの人々がコンクールの余韻に浸っている頃, 私の自宅付近では移り変わりゆく情景に静謐感が漂い始め, 秋雨と共に甘い金木犀の香も消えて了った…….

 
30 10月27日(金)
 彫刻家が仏像を彫る姿は, 恰も土の中に埋め込まれた遺跡を掘り出すかの如しである. 数学者が定理を発見する姿は, 恰も鉱山の中に埋め込まれた金塊を掘り出すかの如しである. 一見, 当事者の能力とは無関係に見える作業であるが, そこには, 優れた対象を見出す深い洞察力と想像力, 美しく掘り出す高い技術がなければならない.
 作曲の場合は, 掘り出すと言うよりも生み出すと言った方が相応しいであろう. とは言え, 私自身が完成した作品を顧みる時は, 何故か掘り出したという感覚に至ることが多い. 哀しいことに見栄えの悪い産物が多いのであるが…….
31 11月3日(金)
 (承前)音楽や定理を産み出したり掘り出したりする過程に於いて, 私は無上の喜びを得ることが多い. 発表の期限に追われつつではあるが, 数学の鉱山の片隅から幾許かの発掘を試みている. 数学者のようにエレガントに構築することは難しいにしても, 徐々に全体像が見えるに従って深い満足感を覚えるようになるのである.
 通常, 創作活動の動機は作者の内発的な要求に基くものであろう. 折に触れて接する人物, 音楽, 書物から何を学び受けるか, 極有り触れた日常から何を選び求めるかが, 創作活動を支える鍵となるように思う.
 
32 11月10日(金)
 《牧神の午後への前奏曲》は, 20世紀の前衛音楽への幕開けを導いた. しかし, 従来のアカデミックな規則から外れた前代未聞の音楽への試みは,《春の祭典》のような名曲を生み出した後, 次第に混沌たる様相を呈するようになる. 各々が個性的であろうとする剰り, 却って没個性的な雑音体系を産出したのである.
 前代未聞の音楽が個性的な音楽を意味するわけではない. 奇を衒えば前者は容易に得られるのであるが, 後者を得るには時代や国境を超えた普遍的な魅力を要する. この意味に於いて上記2 曲は初演時から充分に個性的であった.
 
33 11月17日(金)
 (承前)現代に於いて成功を得た一つの例は, 所謂ミニマル音楽であろう. 極度に簡潔な音素材の反復によって醸し出される特異な音響空間が, 聴者を強く惹き付ける. 過去の遠い記憶を次々と呼び起こさせるような, 或る種の恍惚状態を呼び醒ますのである. 数年前に来日したライヒの《ドラミング》や《18人の音楽家の為の音楽》のライヴ演奏を目の当たりにして, CDでは到底得られない臨場感や緊張感を堪能したことを思い出す.
 21世紀の音楽が, 聴くたびに新鮮な驚きと発見とを与え, 人々の心に沁み渡るものになることを望んでいる.
 
34 11月24日(金)
 眼を醒ますと, 黎明を走る列車や国道を走る車の轟音が微かに聞こえる. 大地が鳴るとも風が吹き荒ぶとも付かぬその響きに, 今日も一日が動き始めたことを感ずる. 世は何を目指すのか, 何に意義を見出すのか, それらも不明確な侭で, 多くの者が世の原動力になると共に世に流される者となる. 孤島に生きるのでない限り, 如何なる者も他者と無関係ではあり得ない. 否, 孤島に暮らす場合にも, 彼の呼吸は遠い異国の人々に微風を齎すかも知れないのである.
 ……頭痛と胃痛とに苦しんだ夜が明ける頃, 不図斯様なことを考えた.
35 12月1日(金)
 中学生の頃, 幾許かの文学作品や作家の影響と受け, 作家を志して小説を書き綴ったことがあった. 既に凡ゆる名作が出尽くした現在, 私が新たに拙作を書き加える意義は全くない. しかし, 既存の文学では物足りない何かを感じ, 原稿用紙に文字を書き並べるようになる. 音楽についても然りである. 私の能力では到底及ばぬような名曲が大量に存在するにも拘らず, 何か物足りなさを感じて五線紙に音符を書き並べることになる.
 無論, 書き並べたところで想いが満たされるわけではない. そのもどかしさの中で創作活動は繰り返されることになる.
 
36 12月8日(金)
 文学館を訪れる際, 私は作家の自筆稿に目を留める. 作家や作曲家の自筆稿には性格や人柄を偲ばせる特徴が滲み出ており, 大変に面白い. それらを鑑賞しつつ, 彼らが活躍した旧き良き時代へと想いを馳せるのである.
 嘗て, 彼らの自筆稿に対する私の自筆稿に於ける風格不足が不満で幾度も原稿を破棄したことがあった. 文章にせよ楽譜にせよ最初から活字化できる現在は, 私が自筆稿への劣等感に苛まれることはなくなった. 一方, 現代の作家や作曲家の記念館が創設される頃には, 自筆稿が全く存在しないという味気ない事態が生ずることになるであろう.
 
37 12月15日(金)
 先週末, 都内の大学に於いてポアンカレ予想に関する講義を聴いた. 内容の興味深さも然ることながら, その明快な講義振りに感嘆させられた. 学者たる者は, 明快な論文を書く能力と同様, 解り易く説明する能力にも長けている. 高度に抽象化が進んだ現代数学であるが, お陰で我々もその素晴らしい魅力と感動とを共有できるのである.
 同じく高度に抽象化が進んだ現代芸術に於いては, 作者各々が己の目指すものに向かって猛進する感が強く, 理解できぬ者には理解されずとも構わぬといった印象を受ける. 創作活動に如何なる意義を求めているのであろうか.
 
38 12月22日(金)
 幼少の頃に読んで感動した童話を十数年経ってから再読しても, 嘗ての感動は蘇らないことが多い. 却ってその物語の構成上の欠陥などが目に付いて了い, 再読したことを後悔する羽目に陥るのである. 小学生時代の初恋の人に今現在再会したいと思わないのもこれと同様の理由である.
 気になる人であるとしても, 自身とその人との関わり方が肝要であろう. 想い出を大切に保持する為に, 再び逢うことを欲しない人が存在するものである.
 
39 12月29日(金)
 (承前)一昨日, 第九を聴いてきた. 毎年, この曲を年末に一度だけ聴く. 幼少の頃に味わった年末の寂寥感と新年の期待感との交錯から何とも言えぬ郷愁感が呼び起こされるのである. この感覚を消去させぬ為, この曲を聴く日はクリスマス以後と定めている(クリスマス前にはこれも年に一度だけ《メサイア》を聴くことにしている).
 気に入った曲であるとしても, 自身とその曲との関わり方が肝要であろう. 想い出を大切に保持する為に, 頻繁に聴くことを欲しない曲が存在するものである.
2001年
40 1月5日(金)
 新年を迎え, 我が国の文化を感ずる幾許かの機会があった. 我が家で御節料理や歌留多などを堪能し, 巷では初詣や凧上げをする人々の姿が見られた. 日常に於いて我々が日本固有の文化を体験する機会は, 今や殆ど無いと言ってよい. 和洋折衷自体を我が国の文化と看做す向きも在るが, 然るべき時に固有の文化を再確認して後世に継承することは, 現代の日本人の義務であろうと思う.
 さて, 私自身は, 正月気分を早々に断ち切り, 演奏会を迎える最後の段階に入っている.
 
41 1月12日(金)
 《碧の会》第1回演奏会が無事に終了した. 降雪の中にも拘らずご来場下さった皆様には心より感謝を申し上げたい. 今後, 機会ある毎に我々の活動の支えとなるようなご意見やご感想をお聞かせ頂ければ幸いである. 今回の演奏会に於ける発表作品は, 作曲者ごとに明確な作風の差異が見られた. 今後も各々の特長を互いに活かしつつ, 研鑽, 討論, 創作を続けていきたい.
 気の早い話であるが, 既に次回演奏会に想いを馳せ, 案を講じ始めている次第である.
 
42 1月19日(金)
 目の前には雄大な白銀世界が展けている. ダイヤモンドダストが煌めく高原から遥か彼方を望めば, 広い範囲に渉って連なる雲海と山脈とが一種独特の幻想的な景観を呈しているのである.
 嘗て, 自然界に潜む音を写譜するという方法で作曲を為すと述べた作曲家があったように思う. 実際には, これを聴き得る能力を有つ者と有たない者とが存在するのであろう. 彼に倣って私も耳を澄ませてみたのであるが, 残念ながら私自身は後者であった.
 
43 1月26日(金)
 夜の静穏の中, 戸外では雪が粛々と降り積もってゆく. 暖炉の前に膝を抱えて坐し, 燃え盛る炎を見詰める少年は, その炎の不思議な変容に惹かれて次第に原始的な感覚を呼び覚まされる. 旧き良き時代であった幼い頃の回想と淡い期待と憧憬を以って夢見る未来が織り成す魅惑的な情熱が少年の心を巡るのである.
 ……真冬の深夜に在って英仏国の素朴で穏やかな歌曲に耳を傾けていると, 斯様な情景が思い浮かぶ. いつの日か, 聴く者に豊富な映像を与えるような音楽を書けるように成りたいものである.
44 2月2日(金)
 (承前)顧みれば, 私が作曲を志した頃に憧れた音楽は, 長閑な休日の昼下がりに住宅街の並木道を遊歩していると誰かが奏でるモーツァルトやドビュッシーの優雅なピアノ曲が微かに聞こえてくる……, そのような音楽であった.
 吹奏楽曲や合唱曲を作曲する際は, 特定のアマチュア奏者を想定するためか, ピアノを主体とする本来の音楽とは異なる作風になることが多い. 管弦楽曲, 室内楽曲, ピアノ曲に於いては, 私が本来目指す音楽を書き続けてきた. 今後も暫くはこの状況が続くであろうと思う.
 
45 2月9日(金)
 ドストエフスキーやハイデッガーの著作全集を概観すると, その旺盛な創作意欲や強靭な執筆腕力に驚嘆させられる. また, ロッシーニ, ヴァーグナー, R.シュトラウスのように, 名作をオペラを次々と書き上げた才能や腕力にも, 羨望と畏敬の念を抱かざるを得ない. 私は, 英仏国の文化や芸術を好み, 目指す一方で, それとは質の異なるドイツやロシアのそれにも, 一層惹かれる者である.
 文化や芸術に於ける固有性は, それを生み出す各国の風土や気質を如実に反映しているように思う.
 
46 2月16日(金)
 嘗ては, 多くの者がその若き日に乱読乱聴時代を経て自己に感化を齎す書籍や音楽を見出し, 深く接するようになる姿勢を身に付けたように思う. しかし, 夥しい数の出版物やCDが氾濫する現在, 必要や興味に応じてそれらを安易に取捨する者が増加しており, 物事に対する斯様な姿勢はやがて人間関係にも及ぶに到っている.
 生涯に於いて自己が出遭う人物, 書籍, 音楽には限りがある. この事実を自覚する時, 私はそれらの量よりも質に重きを置く必要性を感ずる.
 
47 2月23日(金)
 以前, 私立学校に勤務していた頃, 数年間ではあるが盆地に暮らしたことがある. しかし, 周囲を山に囲まれた中での生活は, 無意識の内にも幾許かの息苦しさを禁じ得なかった. 私自身は, 平野に在って遥か遠方に霞む山並を眺める方が, これを間近に見るよりも大きな安堵感を得る. 海の潮風の中で育った者は海を欲し, 山の緑風の中で育った者は山を欲するのと同様, 平野の中で育った者は平野を欲するのである.
 ……今日, 約3年間を過ごした北本市から幸手市へと転居した.
48 3月2日(金)
 巷では教育改革論議が盛んであるが, 主義主張は千差万別であり, 共通認識を得ることは極めて難しい.
 私が理想とする高等学校像は旧制高等学校に於けるそれである. 生徒は向学心に燃え, 各々の目標に向かって只管に勉学に邁進する. 互いに啓蒙し励まし合い, 切磋琢磨する中で真の友情を培う. 彼らを導くのは, 人物と言い学力と言い全校生徒の景仰の的たる教師集団である. 教師陣の人格は粗削りであり, 生徒に媚び諂うことは断じてない. ……斯くなる高等学校像を想い描くことは最早時代錯誤であろうか.
 
49 3月9日(金)
 レクイエムは「死者の魂を鎮める歌」と訳されるが, これを聴いて魂を鎮められるのは寧ろ遺族の方であろう. 無論, 我々が日常の中でこれらを聴く場合にそのような意義が意識されることは殆ど無いのであるが…….
 確かに, ベルリオーズ, ヴェルディ, ブリテンなどのレクイエムは, 音楽的には面白いものであるが, 告別式の際にこれを演奏されたとしても,(棺桶の中にいる)私の魂は恐らく鎮まるまい. それならば, モーツァルトは? ブラームスは? デュリュフレは? ……何れにせよ, 鎮魂に相応しいレクイエムは稀少である.
 
50 3月16日(金)
 (承前)死者を悼む者が如何なるレクイエムによって癒されるかは当事者でなければ分からない. 同一の曲であっても聴く時の状況によってその受容の仕方が変わるからである.
 フォーレのレクイエムは, 普段これを聴く限りでは綺麗な曲ではあるが, 訴える力は乏しいように思われる. しかし, 先日祖母を亡くした際に告別式直前に礼拝堂で聴いたこの曲は, 実に深く心に訴えるものであった. 有名作品となって多くの者に賞讃される為ではなく, 一人の傷付いた心を癒す為, ……レクイエムの意義はここに存するように思う.
 
51 3月23日(金)
 普段から一流演奏家のCDを大量に聴いている聴衆が増えた現在, 演奏家に対する彼らの要求は極めて高い. 多様化した聴衆の要求に答える演奏会が稀有であるという事実も, やむを得ないことであろう.
 私が演奏会に出向くか否かは, 演奏者よりも演奏曲目に左右されることが多い. 一夜で古典派・ロマン派・印象派などをアラカルト的に聴かせる演奏会よりも, 全プログラムを同一の作曲家で構成される演奏会の方を好む. しかし, 客入りが悪い所為か, 斯くなる演奏会は極めて少ないのが実情である.
 
52 3月30日(金)
 私は或る一日が義務のみで終わることを極力避ける. 今日はこれだけの事を為したという充実感が欲しい. しかし, 例えば学者はその研究に於いて必ずしも日々進展を得るわけではない. これが得られるのは論文を書き下している期間のみであろう. その意味では, 一日で進展するような仕事の内実は大したものではないとも言えよう.
 芥川龍之介は,「人生を幸福にする為には日常の些事を愛すると共に日常の些事に苦しまなければならぬ」と言った. 義務の中にも充実感を得る精神的余裕が必要である. 焦燥は禁物であろう.
53 4月6日(金)
 中学時代の友人に, 学業, 運動共に優れた者がいた. 何事にも情熱的に取り組む彼の行動方針は,「今為すべき事に全力を尽くす」であった. その言葉に憧れた私は単純にも直ちにこれを実行することにしたが, 付け焼き刃の言動が実を結ぶ筈はない. パスカルの言う通り, 完全であろうとして不完全な自分を見たわけであり, 神経性胃炎を患う結果となった. 張り詰めた糸は切れ易い. 言動には柔軟性を要することを認識したのは高等学校を卒業する頃であった.
 以来, 極めて楽観的な性格に転じて現在に至っている.

 
54 4月13日(金)
 西欧の絵画, 彫刻, 建築, 音楽等が直接的に感覚に訴える装飾的要素の強い煌びやかで均整な美であるのに対し, 我が国のそれらは間接的に精神に訴える雅やかで素朴な美であるように思う. 例えば, 床の間を飾る掛け軸は, 装飾的な面よりも見る者に敬虔な姿勢と心身の浄化を齎すという精神的な面に意義をもたせるのである.
 野に生きる鳥や虫の鳴き声にさえ幾許かの美を見出した往年の日本人は, 極有り触れた日常にも豊かな潤いを感じていたであろう. 私も斯様な姿勢を心掛けたい.
 
55 4月20日(金)
 帰路, 窓を開けて夕刻の心地好い微風を感じつつ車を走らせていた. 郷愁を誘う春の香は新たなイディオムを齎す.
 ……不図気付くと辺りはいつの間にか見知らぬ風景に変わっている. 右折すべき所を気付かず直進したらしい. 散策気分で車を走らせたが徐々に寂しい景観へと移り変わり, 夕闇が迫る中, やがて居場所も方向も見当が付かなくなった. 得られたイディオムが不安定な和声に変化しつつ脳裏を反芻していた. ……とはいえ, 未知らぬ土地を巡るのを好む私は, 道に迷う中にも幾許かの解放感を満喫したことであった.
 
56 4月27日(金)
 優れた業績を遺した人物の生涯を見ると, 彼らの多くはその若き日に憧憬の対象を有っていたことが分かる. 後年に多くの者を感化し尊敬を集めた人物は, 同じく彼を感化し尊敬の念を起さしめた偉人に邂逅していたのである.
 如何に優れた学者, 芸術家も, これらに対して無関心な者から見れば, 単なる凡人に過ぎない. 彼の偉大性を認識するためには, それを認識し得るだけの感性なり技量なりが備わっていなければならない. ……それならば, これは如何にして得られるものであろうか.
57 5月4日(金)
 埼玉県出身の優れた数学者に谷山豊がある. 数年前のフェルマー予想解決についても彼の業績がその一端を担っている. プリンストンへの招聘を受けていたにも拘らず渡米直前に自殺して了ったのは, 実に惜しいことであった.
 彼の遺書には漠然たる自殺動機や講義の進捗状況に加え, 友人からの借用品が詳細に記されている. その中に, バルトーク, ベルク, ブリテンのレコードが登場するのが興味深い. これらの作品は当時は相当に前衛的であった筈であるが, 彼の感性に響く何かがあったのであろうか.
 
58 5月11日(金)
 (承前)「何も為さぬは罪悪」と考えていた生前の彼は, 或る時夢の中で「海はいつでも日曜」なる歌を耳にしたという. 兄の清司氏は「何も為さぬは罪悪であるが日曜はその限りに非ず, 肉体的精神的に行き詰まって何も為し得なくなった時, 彼は日曜である海に入って行く他はなかった」と動機を説明している.
 「趣味的活動を為さぬ」を彼の「何も為さぬ」に重ねる私は, 日曜とて例外扱いはしない. しかし, 胃腸を検診した結果, 自粛・静養せざるを得ない状況に陥った. 精神的に行き詰まらぬよう注意を要する.
 
59 5月18日(金)
 曲に対する偏好性が強い私は, 普段, バッハ, スカルラッティー, モーツァルト, ショパン, ドビュッシー, ラヴェル, ラフマニノフ, プロコフィエフ以外のピアノ曲を殆ど弾かない. 演奏家ならば失格とされかねない事態であるが, 幸か不幸か私は演奏家ではない.
 作曲家は曲を仕上げるのに努力を要するが譜面の保持に努力は不要であるのに対し, 演奏家は曲を仕上げるのに努力を要する上, 演奏能力を維持するにも相当の努力を要する. ……が, 幸か不幸か私は演奏家ではない.
 
60 5月25日(金)
 我々は常に明確な目的意識を有って行動するわけではない. しかし何か障碍が生ずるとき, 否応なしに自身の行動や社会との関係の在り方を考え, 解決を図らざるを得なくなる.
 昨今見られる風潮は, 障碍の解決ではなく回避であろう. 軋轢を極度に避ける傾向から機械を介しての活字の遣り取りのみが横行し, 一方で不登校や引き籠もりが増加している. 益々人間関係の希薄化が進み, 問題解決能力の低下に拍車が掛かっているように思う.
61 6月1日(金)
 (承前)現代人は, 生活の利便化や合理化を過剰に求め, 日常の凡ゆる物を機械化させた. 機械は人間の欲求通りに働くように設計されており, 即自的欲求の即自的充足を齎す. そのため, 人間に対する場合にも無意識に同様の欲求を通すようになるのである. 若者が僅かなことでキレ易いのも, 幼い頃から斯様な社会背景で過ごしてきたことが多分に影響しているのであろう.
 ……病んだ精神を癒すには, 心静かに美しい音楽に耳を傾けるのが良い.
 
62 6月8日(金)
 片田舎に赴いた折, 古い木造建築に視線を奪われることが多い. 日本古来の建築物には何とも形容し難い趣深さがある. 学生時代に読んだ『古寺巡礼』に, 優れた建築を作ったものは芸術家の直観であるといった趣旨の言葉があったように思う. 当時の私は音楽という動的な美のみに惹かれていたのであるが, 建築という静的な美に惹かれていた和辻哲郎に対し, 最近漸く共感を覚えるようになった.
 機能重視の建築のみが蔓延る昨今, 嘗てのような深みのある建築様式を再興することは不可能であろうか.
 
63 6月15日(金)
 仮に「最も尊敬する作曲家は誰か」と問われたならば, 私は躊躇することなくラヴェルの名を挙げるであろう. この問いに対するこの答は, 高校生時代に彼の音楽と出逢って以来, 全く変わっていない.
 作曲に行き詰まりを感ずる時, 私は音楽の源泉を汲むような心境で彼の音楽を聴く. 彼の音楽は私にとって測り知れぬ魅力を秘めた楽想の宝庫であると言ってよい. 聴くたびに新たな発見と作曲への意欲を与えられるのである. 恐らく, 彼の音楽は生涯に渉って私の心を惹き付けてやまないであろう.
 
64 6月22日(金)
 (承前)作品総数は僅かであるにも拘らずその大半が高い演奏頻度を有つ現状に鑑みる時, ラヴェルの作品には多くの者を惹き付ける魅力が備わっていると言えよう. 異国趣味, 擬古趣味, 幻想と怪奇, お伽性, ジャズなど, ラヴェル特有の作風は時代を超えた普遍性を以って我々を魅了し続けるのである.
 私は, これらの情感的特長にも増して和声や楽曲構造や管弦楽法に於ける彼の手腕に感嘆させられる. 作曲を師事した経験を有たない私にとって, ラヴェルの作品が常に私の良き模範となったのであった.
 
65 6月29日(金)
 自宅から少し出掛けた処に広大な田園風景がある. 梅雨期ではあるが, 時折の陽光が得られれば鮮やかな深緑の絨毯が風に靡いて緩やかな波を形作る. 日々様々な雑事に追われる中にあって季節の風景の移り変わりに目を向ければ, 束の間ながら心が洗われるのである.
 田園風景から何某かを感受した作曲家は少なくなかったらしい. 実際, ベートーヴェンの第6, グラズノフの第7, グレチャニノフの第2, V.ウィリアムスの第3など, これを題材に多くの交響曲が生み出されている.
66 7月6日(金)
 創作意欲を維持する為には, 常に新鮮なる刺激を要する.
 先日, 福島弘和氏と共に, 或る歌曲コンクールを聴きに行った. これは, 前半が歌唱部門, 後半が作曲部門となっており, 我々の目的は無論後半にあった. 早目に会場入りしたため歌唱部門から聴くことになったのであるが, 期待していた作曲部門の作品よりもこちらの方に強く惹かれる結果となった. 團伊玖磨氏, 三善晃氏, 中田喜直氏などの作曲家の歌曲を耳にしたことは, 今後の作曲活動に於いて少なからず影響を及ぼすであろうと思う.
 
67 7月13日(金)
 或る仏国の作家は「多くを読み, 多くを考え, 少しを書く」姿勢を勧めている. 音楽に於いては「多くを聴き, 多くを感じ, 少しを創る」姿勢となるであろうか. 現代の作家及び作曲家は, 多くを書く(創る)ことのみに心を奪われ, 僅かに読み(聴き), 僅かに考え(感じ)るに過ぎないように思える.
 優れたものに接し, それを自己の感性を以って骨肉化し, これに触発されて何某かが生じた場合に, 吟味しつつ僅かに紡ぎ出す, ……ここに真の創造の姿が在るように思う.
 
68 7月20日(金)
 (承前)創作に携わる者は他者の作品に耳を傾ける機会をもう少し増やすべきであろう. 他者の作品を素直に理解し, 率直に批評すべきである. 各々の感性に沿い, 相手の視点に立ち, 互いの向上を得る創造的批評が必要であると思う. 一方, 自己の作品に対する批評に耳を傾ける機会をもう少し増やすべきであろう. 作品に普遍性を有たせる為には, 自己の感性のみに頼るのではなく他者の感性に対する理解が不可欠である.
 《碧の会》の活動に於いては斯様な方向性を目指したいと思う.
 
69 7月27日(金)
 中学・高校・大学の各時期に於いて, 私は相当に不真面目であった. 為すべき事を為さず, 自己の興味に任せて好む侭に音楽に酔い, 数学と戯れ, 哲学を啄んできた. 今思えば学生時代にはもう少し外的強制が必要であった. それがあれば, 現在の私にはより多くの可能性が残されていたように思う.
 私の歩んできた道は偶然的に築かれたものであり, 一方でそれは必然的に築かれたものであった. 過ぎ去った時代に戻ることはできない. 人間の運命を切に感ずる処である.
70 8月3日(金)
 作曲する際, 近現代の作品のスコアを参考にすることが多い. スコアを眺める限りでは鳴り響く音色は容易には判断が付かないのであるが, 卓越したオーケストレーションに関して多くの学ぶべき点を見出すのである. 一方, 小学生以来よく眺めてきた古典的作品のスコアは, 鳴り響く音が容易に想像できるため, 最早参考にすべき点はないと考えていた. しかし, これらのスコアも詳細に検討すれば矢張り大いに採り入れるべき点を見出したのは意外なことであった.
 常に何かを学ぶ姿勢を以って物事に対すれば, 必ずや得るものが有るものである.
 
71 8月10日(金)
 ここ暫く土曜日曜も含めて研修や講義などの仕事が休みなしに続いた. 一段落した今, 久々に自宅で緩やかに静養している. 書斎の窓際では数匹の飼い猫が無邪気に戯れており, 彼らの可愛らしい仕草はいつまで眺めていても飽きない…….
 私は人混みを好まない. しかし銀座や横浜には好んで赴く. 人混みは単なる景観に過ぎないが, 過去から未来への無限時間に於ける一刹那, 宇宙の壮大な無限空間に於ける一点, その中に我々が共存していることを想う時, 斯様な見知らぬ人々にも親しみが湧いてくる.
 
72 8月17日(金)
 最近得た知己の中に各々が種々の方面に造詣が深く話題の尽きぬ人達がいる. 会話の中に現れる人格の深さは必ずしも学歴とは直結するものではない. 学歴や学生時代の「専門」の如きは所詮は若き時代の一産物に過ぎず, 斯様なものに拘泥して安穏とする者は, やがていつの間にか空虚な地盤の上に流されることになる.
 人の生涯は決して長くはない. 生涯で為し得ることも決して多くはない. 愉しみつつ努力して自他双方共に或る程度の成果が得られるようになればと思う. それは贅沢な望みであろうか.
 
73 8月24日(金)
 昨年の秋, 矢内原忠雄全集の拾い読みをした. その中で彼の個人誌『通信』及び『嘉信』に特に興味を覚えた. キリスト教に関する内容が殆どであるが, 彼自身の人格が顕れていて大変面白い. 学者としての活躍も然ることながら, 多くの人々を人格的に感化した矢内原の人間性そのものに私は深い憧憬の念を抱く.
 折々の思惟や情感を限られた時間の中で書き遺していくことは私には易しいことではない. そこには僅かずつでも定期的に書き続ける習慣を意図的に作ることが肝要となる. 斯くしてこのエッセイも愉しみ苦しみつつ書き続けている.
 
74 8月31日(金)
 (承前)拙作 5 首を以って近況を少々…….
・蜩の音に誘はれ幼年の夏懐かしむ夢見る如くに
・木漏れ日の降り注ぐ朝心身を清かに静めて五線に向かふ
・うつし世は幾多の悲喜を抱えつつ流るに任せ今日も暮れゆく
・専心に学ぶ者らの情熱に衝き動かされ我歩むらし
・夕されば夜風涼しき庭の香に眠る仔猫と安らぎにけり
75 9月7日(金)
 数学史上, 高齢な数学者が画期的な発見を得た例は少ない. 優れた業績を上げる為には, 専門知識のみならず斬新なアイディアを要求されるからである. 数学界に於ける研究能力の頂点が30歳前後と言われる所以である.
 一方, 音楽界に於いては演奏能力や創作能力の頂点が云々されることはまずない. しかし, 能力の頂点を迎える時期は必ず存在する. 当人がこれを自覚した場合は悲劇的である. 自覚できずに我が能力がまだ発展途上にあることを信じて疑わない場合は喜劇的である. ……斯く言う私は常に後者でありたい.

 
76 9月14日(金)
 ムソルグスキーの《展覧会の絵》は, 管弦楽版を初めとして後に多くの編曲を生み出すことになった. 原曲自体が編曲意欲を掻き立てる魅力に富んでいたとも考えられようが, 私にはそうは思われない. 寧ろラヴェルによる編曲が魅力に富んでいたが故にこの作品が世界中に知れ渡り, 多くの作編曲家の意欲を刺激したと思われるのである.
 編曲の意義は, 原曲の有つ隠れた魅力を引き出す処に在る. それ故, 編曲を為す際にも作曲を為す場合と同様の独創性や普遍性を要求されるわけである.

 
77 9月21日(金)
 個々の作曲家が代表作を作曲した年齢には興味を引かれる. 一例として20世紀のロシアの作曲家を一瞥すれば, 現在の私の年齢迄に, ラフマニノフは第2ピアノ協奏曲を, ストラヴィンスキーは三大バレエを, プロコフィエフは第3ピアノ協奏曲を, ショスタコーヴィチは第5交響曲を書いている. 彼らは, これらの作品に満足することなく次々に名作を発表し続けた驚嘆すべき才能の持ち主であった.
 私自身は, 彼らの真似はできぬにせよ, 与えられた環境で倦まず弛まず作曲を続けていく他はない.

 
78 9月28日(金)
 同一の楽団が演奏しているにも拘らず, 指揮者が異なるが故に全く異なる出来映えになった演奏は数多い. 指揮者の指導力は, その卓越した技能のみならず, その魅力的な人格によるところが大きいように思う.
 しかし我々は常に魅力的な指導者に出逢えるわけではない. 何らかの向上を得る為には, 如何なる指導に対してもまずはその指示に従って努力することが肝要である. 指導者に対する不満から気力を喪失させる者(周囲に責任を押し付けて諦める者)は, 生涯何も得られないであろう.
79 10月5日(金)
 演奏会の最後に予期せぬ曲をアンコールとして聴かされることで演奏会自体を台無しにして了うことがある. 《4分33秒》などはアンコールに於いてこそ効果が発揮される作品であろうが, 一昔前, ロマン派のピアノ作品を中心とした演奏会のアンコールでこれが始まった時には, J.ケージの意図を知っていたためか単に動揺したためか(多くは後者であろう), 会場内に騒めきが起こり, 曲が終わるのを待たずに足音を立てて会場を出て行く者も出るなど, 結果として後味の悪い演奏会となって了った.
 アンコールの選曲にも細心の注意が必要でろう.
 
80 10月12日(金)
 映画・演劇自体はそれほどの感慨を齎さないものであっても, 音楽を付すことによってこれらに於ける何気ない表現が活き活きと感ぜられるようになることがある. また, 極有り触れた凡庸な詩であっても, 音楽を付すことによって瑞々しい生命を吹き込まれることがある.
 多くの人々にとっては一瞥をくれるにも値せぬような些事に対して光を与える, ……このような鋭い感性を有てるようになることが理想であろう.
 
81 10月19日(金)
 真理を永遠に普遍のものと看做す心情は, 当人の置かれている歴史的潮流や社会的背景と不可分の関係にある. 日々の生活を脅かす政治情勢の中, 自己の確固たる存立を図るためには思考や言動の拠り所となるようなものとしての真理を求めざるを得ない. その一方, 真理への過剰な拘泥が多くの悲劇を生じさせる現実がある.
 「万物の尺度は人間である」なる言葉は, 或る人間にとって真理であるものも他の人間にとっては真理とは看做すことができぬ事実, 即ち絶対的真理の否定を示唆するものであろう.
 
82 10月26日(金)
 (承前)誰もが認める処の認識或いは判断といっても, 主体となるのは我々人間である. 人間の認識はその形成過程に於いて多分に文化や言語や歴史の影響を受けており, 時代の変遷に伴って僅かずつ変化するものである. 人間自体が永遠に不変でない以上, 絶対的真理など存在しないとも考えられよう. 存在するとすれば, 或る特定の時代に於ける特殊な文化圏内の人々に共通して支持される権利を有するものに過ぎない.
 各々の相違を認めつつ, 各文化圏を繋ぎ合わせる役割を担うものの一つに芸術がある.
83 11月2日(金)
 小学生の頃, ピアノの稽古からの帰り道に田畑や住宅地の間を縫って直線状に聳える送電用の鉄塔群があった. これらの鉄塔群に強い興味を覚えた私は, これらの鉄塔群がどこまで続くのか, 遥か彼方まで連なる鉄塔達の下ではどのような人々が暮しているのか, 想いを馳せながらこれらを眺めていた.
 現在の私は嘗ての未知の場所へ足を運ぶことは容易である. しかし, 当時の感覚を大切に保持する為に, 敢えてそうすることを欲しないのである.
 
84 11月9日(金)
 ノーベル賞が発表される頃になると, 或る程度の衆目の一致が得られる物理学賞や化学賞に対し, 文学賞や平和賞については種々の論議が生ずる. 後者の場合, 同時代における歴史的意義を判定することは難しく, 賞の基準は所詮は選考委員の主観に委ねられ易いのである.
 受賞に価した業績が今後の文明社会に如何なる寄与を齎すかは, 我々同時代人の判断し得る処ではない. 我々が為し得ることは, その可能性が有るものを少しでも多く後世に遺すこと程度であろう.
 
85 11月16日(金)
 多くの作曲家達の業績を見ると, その作品の量と質の積はほぼ一定であるように思う. 即ち, 作品数の多い作曲家は質の高い作品が少なく, 作品の質の高い作曲家は作品数が少ない. しかし, 後者であっても, 他者との差別化や自己の存立意義を意識して独創性の追求を第一義に置く者は, 作品の質を低下させ易い. 「独創を急ぐは発表にのみ生きる者の卑しさ」……嘗ての阿部次郎の警告に注意を払う必要がある.
 楽想の赴く侭に作曲した作品に独創性が見られるならば, これは真に才能ある作曲家の証であろう.
 
86 11月23日(金)
 (承前)緻密なスコアを大量に書く作曲家がいる. 彼らにとって, 音楽はテクスチュアに深く拘らずとも恰も林檎の木に林檎が生る如く自然に溢れ出てくるものなのであろう.
 学生時代の私は寡作でも良いから珠玉の傑作を書き残したいと考えていた. しかし, それは才能を有する者にのみ与えられる特権であろう. 私の如き者が斯様なことに拘泥しても得る処は何もない. 音大生が多量の習作を書く如く, まずは些細なことに頓着せず作曲し続ける鍛練が必要であろう.
 
87 11月30日(金)
 総作品数や演奏される機会が少ない現時点に於いては, 私の作品に対する批評を受ける機会も少ない.
 音楽を本業とする人々に比して音楽的刺激が乏しいという現状は, 作曲意欲を新たにする機会が乏しいことを意味する. 魅力的な作品との出遭いは作曲意欲を新たにする契機と成り得るが, 自作品に対する評価や叱正を受けることも充分にその契機となり得る. 《碧の会》の活動の中で, 今後の作曲活動の指針となるような, 或いは私自身が新たな観点に気付かされるような批評が得られればと思う.
88 12月7日(金)
 近い将来, 歩行のみならず楽器演奏が可能なロボットが登場するであろう. 予め組まれたプログラムに従って, 生身の人間が奏するのと何ら変わりなく, 或いはそれ以上に正確且つ完璧な美しいオーケストラ演奏が可能になる日も遠くはあるまい. それを客席で恍惚となって聴いているのは, ……矢張りロボット達なのであろうか.
 演奏会に目を向ければ, 20歳前にも拘らず既に高度な演奏技術を誇る奏者の活躍が目覚ましい. しかし, 技術のみが音楽を創るのではない. 永年に渉る経験に裏打ちされた内面が反映される演奏に真の深みが現れるのである.
 
89 12月14日(金)
 数学と哲学の双方に魅せられた学者は少なくない. フッサール, ヴィトゲンシュタイン, 田邊元などは, 数学から哲学に転じた人物である. 他にも, 数学と音楽, 音楽と哲学など, 同様の例は幾つも挙げられよう.
 互いに無関係な分野に見えても水面下では密接に繋がっていることがある. 実数の世界では全く別物に思われる, 円周率, 自然対数, 三角関数などが, 複素数の世界では美しい関係式を作ることが知られている. 深く掘り下げて追窮すれば, 物事の本質は美的調和に基いて存在していることが発見できるように思う.
 
90 12月21日(金)
 納得できなければ行動しないという若者が多い. 自己に立脚して言動を決する姿勢は立派である. 一方で彼は, 年齢を経て或る程度の経験や見識を深めないと理解できぬ事柄が存在することを知らなければならない.
 社会で要求される能力の殆どは学校で強制されることによって身に付く. それらは彼が納得できるか否かなどという狭い了見では左右されない事実である. これを理解せずに(或いは拒否した侭)卒業した若者は, 社会に適応することができず, やがては現実逃避としての空虚な「自分探し」に迷走することになる.
 
91 12月28日(金)
 昨年末に記した理由を以って, 私は年末に一度限り第九を聴く. 第一楽章の荘厳な導入と共に, 忙しさに感けて顧みることのなかったこの一年を心象映像として徐々に想い返していくのである.
 不確定且つ不条理な様相を呈して進むこの世の動きは, 概して人々の思惑とは裏腹である. 個々の悲喜は, 当事者にとっては如何に重要であろうとも世の中全体にとっては採るに足りぬ些事に過ぎない. 「幾多の困難を克服して勝利を得る」という第九の有つ構造は, 人類の理想ではあろうが現実化することは容易ではないのである.
2002年
92 1月4日(金)
 前日までの雑然たる景観とは異なり, 元旦の自宅周辺は爽やか且つ穏やかな雰囲気が漂っていた. 物理的には昨日と今日とで左程の差異があるわけではない. その差異を感ずるのは心理的な作用による部分が大きいと思われる. 折々の行事が季節の移ろいや心情の変化を覚醒させるのである.
 永年の間に蓄えられた古人の智慧は, 我々の浅学な知識を遥かに超えて現代にも深く息衝いている. 無自覚に過ごすことの多い中で, 時には斯様な事柄に想いを向けることも必要であろう.
 
93 1月11日(金)
 寒さの厳しい季節には, ボロディンの優雅で叙情的な音楽が相応しい. 《イーゴリ公》や3曲の交響曲, 室内楽曲やピアノ曲や歌曲に至る迄, 何れも心温まる美しい音楽ばかりである.
 化学者(医科大学教授)を本業とした彼の作品は, 所詮はディレッタントの域を出ないかも知れない. しかし, 後世の多くの者にとっては, その作曲家が当時の時代をリードする者であったか否かは問題ではない. 音楽史上の歴史的意義よりも, 時代を超えて人々の心を掴むか否かが大切なのである.
 
94 1月18日(金)
 永きに渉って同種の対象に接し続けると我々の感覚は麻痺し始める. 例えば, 粗悪なものに触れ続ければ物事の良否を見極める眼は退化していくであろう. 一流のものを見極める鑑識眼を養う為には, 常に一流の優れたものに接することが要件となる.
 世界中の夥しい情報を瞬時に得られるようになった現在, 一流のものとそうでないものとを見極める眼は益々重要性を高めてきている. 不毛なる粗悪物に惑わされないよう, 注意が必要であろう.
 
95 1月25日(金)
 綿密に計画された旅は面白味が薄い. 旅の醍醐味は気の向く侭に流離う処に存する. 旅に於いてさえ時間に追われることの多い昨今, その意義を再考すべきであろう.
 冬の京都や金沢を好む私は, 先日, 3年振りに京都へ赴いた. 特に明確な目的が有ったわけではないが, 哲学に於ける京都学派を育んだ土壌には常に心を惹かれている. 初詣の習慣を有たない私は, 人混みの少ない古寺を幾つか巡った. 訪れる者の心身を浄化する奥床しい気品や情趣が, 冬の京都や金沢には多分に残されているように思う.
96 2月1日(金)
 作曲後暫くして, 作品の種々の欠点が目に付き破棄したくなることがある. 作品が未発表の場合は人知れず破棄できるが, 作品が既に世に出て了って今更取り消しようがない場合は…….
 ラヴェルやデュリュフレは, 個々の作品に高い完成度を有たせたが故に寡作であった. 彼らの作品を聴くたびに私自身の作品を全て清算したい衝動に駆られる. とは言え, 何度清算しても結果が同様であろうことに鑑みると, 最初から何も作曲しないことが妥当なのであろう. しかし, まだその結論だけは受け入れられない.
 
97 2月8日(金)
 薄曇りの冬空も陽に煌く夏空も各々に独特の情趣がある. 路傍に立つ地蔵も荘重に装う古寺も各々に独特の情趣がある. 西欧化が進んで合理性を重視する現代にあっては, 合理性を欠いたものの中にこそ趣や価値を見出した古人の感覚が素晴らしく思われるのである.
 難しいことではあるが, 緩やかな日常を心掛けたい. 余計なお世話であろうが, 世の人々にも緩やかな日常を心掛けて頂きたい. 概して時間的余裕と精神的余裕は正比例するのである.
 
98 2月15日(金)
 文学を好んだ中学生時の私は, 読むだけでは物足りず自ら何編かの中短編小説を書き綴った. 現在では小説というものを殆ど読まない. 読み始めたとしても, 次第に小説の筋が自己の好みと合わなくなり, 私自身の空想が創り出す筋に心を奪われていくため, 結局は自ら小説を書きたいという衝動に駆られて読み掛けの小説は中途で放り出される羽目になる. とは言え, 或る程度の分別が付いた現在では小説を書こうとは思わないのであるが…….
 何れにせよ, 落ち着いて読書したり音楽を聴いたりする時間だけは失いたくないものである.
 
99 2月22日(金)
 素早く変化し進んでいく時代の急流に生きる現代人には, トルストイやドストエフスキーの如き文学作品, バッハやブルックナーの如き音楽作品は, 読書や鑑賞に堪えない退屈なものになっているのであろうか.
 作品を退屈に感ずるのはその多くは作品の所為ではないであろう. 我々自身が読者(聴者)に媚びるような安価な作品に日常的に浸っている傾向に原因の一端があるように思う. 一見退屈に感ずるような作品を繰り返し深く味わおうとする姿勢が失われてきているのである.
100 3月1日(金)
 或る知人は極めて行動的である. 常に何かに憑かれたかの如く物事を進めていく. 彼の或る計画を見て無駄に終わる可能性を懸念する私に対し,「元来, 人間の為すことの大半は無駄なこと」と平然と答える彼は, 恐らく今日も精力的に活動している筈である. 独特の哲学を以って周囲に影響を与えていく彼には,(真似はできぬにせよ)或る種の憧憬を抱かせる魅力が有る.
 ……今日は春の只中を想わせる麗らかな日であった. 音楽的イディオムを得るに相応しい季節が近付いている.
 
101 3月8日(金)
 繁華街に出向けば至る処に音楽が溢れている. 否応なしに耳を衝く音楽は, 私自身の作曲の妨害になることもあれば新たな発見に一役買うこともある.
 先日, 最早自発的には聴かなくなった通俗オペラの序曲を耳にする機会があった. 短い曲の中にもソナタ形式や旋律間の対位法的処理など,(多くの聴衆からは注意を払われぬにも拘らず)種々の構造や技法が埋め込まれていることに気付き, 作品及びその作曲家の素晴らしさを改めて見直した次第であった.
 
102 3月15日(金)
 初夏を想わせる陽気であった. 冬場は動きの鈍かった数匹の飼い猫達も水を得た魚の如く燥ぎ廻っている. この季節になると, 小中学生の頃, 新学期に想いを馳せ, 期待感に胸を膨らませたことを想い出す. 否, 子供の頃に限らない. この心境は今現在も変わらないのである. 未知の土地にあっても,(小中高を問わず)学校付近を通れば, 一種の憧憬や懐旧の念を以って生徒達や校舎を眺めることが多い. 蓋し, 私は生涯, 学校から離れられないのであろう.
 現在の私が教職に就いているというのも何か必然的なものを感ずる.
 
103 3月22日(金)
 創作意欲が旺盛であっても常に納得のいく作品を書けるわけではない. 主題の展開が上手く行かず主題自体を変更したり破棄したりせざるを得ないこともある. 消費した時間に見合う作品量を得られないところに創作に於ける歯痒さがある. 一方, 数学や哲学関係の勉強をしたり論考を纏めたりする場合は, 確実に何某かの成果を得られる. このエッセイを書く場合も然り. 日々何らかの進捗や産出を求める私は, 書いている間は焦燥を感ぜずに済むのである.
 ……これも或る種の現実逃避であろうか.
 
104 3月29日(金)
 今日, 久々にバッハの《マタイ受難曲》を聴いてきた. 演奏時間にして3時間以上を要する大曲であるが, どこを聴いても心打たれる情熱的な音楽に満ちている. 斯くも熱く荘厳なる音楽を堪能せずに生涯を終える人々に対し, 私は憐憫の情を禁じ得ない. 一人でも多くの人々に聴いて頂きたい素晴らしい作品である.
 さて, 丁度2年間に渉って連載してきたこのエッセイは, 今回を以って一段落着けたいと思う. 今後どのような形で連載を始めるかは未定であるが, 引き続き折に触れてご覧頂ければと思う.

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